江津の森のレストラン

 昨日の午後から石見に1泊2日で出かけてきた。吉賀町を離れて3年ぶりかの訪問であった。なんの感慨もなかった、というよりも、まだ続いているのかもしれない。終わったり離れたりというのではないあり方でもって。

「もし、〜〜だったら、ここにいたかもしれないし、そうだったら、ずいぶんと〜〜の状況もいまのようにはなってはいなかったでしょうに」

 助手席でそう語る声に、「そうだね」と小さく深く同意した。

 さて、吉賀で目に見えるもの。山の姿は出雲のそれとは違うなあ。何度でも思う。急峻さや大きさや。そして繁茂する竹の姿が見られない。3年前よりは少し増えた気もするし、そういう声も聞くのだが、山ひとつが竹に覆われてしまうようなところは皆無だ。

 江津市にある森のレストラン。イタリア料理を供するいわみ福祉会のお店だ。ブログのプロフィール欄にはこうある。

「森のレストランのコンセプトは、人びと・物・情報・サービスなどを1本の木に例え、それらが自然と集い、繋がり、大きくなっていく、そんな場所でありたいという願いにあります。」

 美味しいです。めっぽう感心するほどではないものの。でも、石見でどこのお店を勧めるかという意味では一押しといっていい。なにがいいかというと、とても気持ちがいいのです。料理をつくる人、出す人、用意する人、誰もがていねいで心がそこにある感じとでもいいますか。

 そこにいる人、訪れる人は、誰もがひとりの人として、その空間に居合わせることができます。

 障害者がごく自然にそこで働いている、働けている空間だから、なのでしょう。もちろん、多くの工夫や配慮がなされています。妻が観察したところによると。。。

・無駄な動きがない。手があいたら次に何をやるかが決まっている。誰が何をやるかが明確になっている。

・ふつうの飲食店より働いている人が多い。厨房の設備にいいものが揃っている。空間が広い。

・置いてある本雑誌がきちんとセレクトされている。

 このレストランのよさをわかってくれる人、そう、内田樹だったら、「いいね」と言うんじゃないかなと。そう思います。すぐれた武道家。芸道に秀でた人。

 

 あぁ、もっと何か伝える術と中身がある気がするのですが、次回(また訪問したとき)の宿題とします。

 

雑穀断章その1

 増田昭子『雑穀の社会史』2001を拾い読みしながら、つらつらと考えたり、思ったり、している。

 アワ、ヒエ、キビ、雑穀はなぜつくられなくなっていったのか。

 山村の主食として米にかわられていったのか。

 こたえは容易ではなく単純ではない。

 まずい、貧しい、みじめ……雑穀はそう見られてきたのだと、思い込んでいるだけで、本当にそうだったのか。私も、実際、つい最近でも米が食べられずアワを食べていた時代の話を聞かされてもいる。

 集落の中でも貧しい家があった。年に一度、正月の前にはその家でも米が炊かれた。

 「ご飯が炊けたよ〜」

 外で遊んでいる子どもを呼ぶその家の母の声の、晴れがましさ、うれしさが、子ども心に染みて、とても可哀想であったと、ある古老から聞かされた。

 戦後間もない頃の木次(現雲南市)の話である。

 それは真実であったろうが、時代をもう少しさかのぼれたどうであったか。明治の終わり。幕末。江戸中期。安土桃山。

 というのも、この本には雑穀のよさを伝える口伝が数多く記されているのである。

 米と比較しての優位性すらある。

 もう少し丁寧に見てみたい。そこには何かがある。その何かをもう少し確かなものにするために「思想」という観点を持ち込んでみたい。

 ……つづく。

 左が野口の種で買った岩手のタカキビ。右が島根県仁多郡奥出雲町林原で種取りされてきたタカキビ。

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苧(からむし)と焼き畑とカブ

 苧が裏の畑の隅にあるのを知ったのはたしか半年前でした。妻のひとこと、「あれ、苧じゃないの?」。いやまさか。でも確かに。「柿の木にはどこにでもあったよ」。

 ありふれていそうで、どこにでもはないです。でも、意識しはじめてから、目にとまるようになりました。

 5月下旬の今時分、伸びた姿が目立ちはじめます。三沢のほうぼうで目にしたのですが、どうも意図的にそこに育てたような気がするのです。

 みざわの館の下にある地カブのところにもありました。苧は焼き畑にすることでよい繊維がとれる状態に育つものです。地カブは斜面というのか、畑のいちばん山よりの隅に。苧は斜面ではないですが、どうも「隅」の利用と関係が深いように思えます。

 

http://bit.ly/1Tjcpxl

 渡し舟 – わたしふね -のからむし焼きの写真をみて、しばし考えをめぐらせてみましたが、これという着想は得られません。

 考えるよりも、やってみよう。そう、苧で紙ができないか、ちょいと遊んでみようと思った次第です。

竹の焼畑2016-春焼き〜火入れ【速報版】

終了しました。
火入れ従事者15名、見学者7名。
10時15分に着火し、12時過ぎに延焼終了、15時に鎮火。
面積約7アール。
16時よりモチアワとアマランサスを3アールに播種。
残約4アールには後日タカキビ、トマト等を播種予定です。
●記録映像
竹の焼畑2016ー春焼pre4
次週より夏焼きに向けての活動開始です。

この記録は速報版ですので、詳細はまた後日!
皆さんおつかれさまでしたーーーーーー!!

竹の焼き畑2016-sec.6

タケヤブに覆われた中で生き残っていた杉の木。うち3本を倒したのですが、2本ほどは中が痛んでおりました。もう1本を切って終わりにしようとすると燃料切れ。明日にするかと道具をまとめていると、真っ白になったアマガエルがナタの柄にまとわりつきます。あぁ、鳴いておったのはお前か。
明日はここに火が入る。這って逃げるものは這って逃げよ。飛んで逃げるものは飛んで逃げよ。人には正しい行いを。命には慈しみを。地には平和を。

火入れ前の最後の調整日でした。6名でかかりました。
晴天がつづきよく乾いています。
よく焼けますように。無事焼けますように。

https://www.facebook.com/events/998548263569264/
(竹の焼畑2016-春焼きsono1)

年取りカブの種取り

 明後日に迫った焼き畑の火入れ。予定外の事案が複数発生するなどして、もともとタイトだったスケジュールは押せ押せになってしまいました。暑さに唸る軽トラが奥出雲町三沢に滑り込んだのは午後4時をまわった頃。峠を越えたところにあるYさんの家に駆け込むと、用件をばたたみかけました。
◆正月カブの種について
・もういい頃合いだと思う。自家用にも少し採った(※種取りされているのか? それとも他の用途? 次回尋ねること)。
・鳥がけっこう食べていってしまった(アオドリ?)。
・それで、その後評判はどうでした?ときかれる→ほかとは違う。サラダのように食べられる。など。(あぁ、気にしておられたのだ〜と思う。作物としての評価を)
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◆持参した正月カブの飾り付けについてのコメント
※2後述
 その後みざわの館にも寄りました。倒伏したものをかき寄せてばらばらと。ふぅ。んで、苧が伸びてきているのに気がつきました。当番のOさんに聞くと名前と用途はご存じないものの、大きく伸びるやっかいな雑草という認識。
 地カブ(正月カブ)と一緒にあるところが、土地の履歴を妄想させるなあ。道ばたにも何カ所か見つけましたよ、苧。
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 かぼちゃが斜面でよく育つ話※3もそうですが、斜面利用のあり方という視点で、火入れとともに考えてみたいものです。
※1)からむし焼き… http://bit.ly/1Tjcpxl
※3)どてかぼちゃについての岡本よりたか氏の一文
http://bit.ly/1TKKW1R

「どてかぼちゃ」(閑話休題)
若い人は知らないかもしれないが、「どてかぼちゃ」というのは悪口らしい。普通は役立たずと解する。だけど僕の経験では、土手で作るかぼちゃほど美味しいかぼちゃは無いと思う。
土手のかぼちゃは、肥料分が少ないから美味しくならないとか、日が当たり過ぎて割れてしまい、食用に適さないとからしいが、僕の常識から言えばあり得ない。
肥料分が少ないと確かに雌花が咲きにくく、実成りが悪いが、窒素分が少ない分、糖度は上がる。この糖度はでんぷん質が元になるが、これは日がよく当たれば当たるほど、光合成が加速して、沢山生成されるはずだ。
だから、肥料分が少なく日が当たり過ぎる土手は、実は少ないが美味しいカボチャが出来てしかるべきなのである。実が少ないなら、このように沢山植えつけておけばいい。
物事というのには常識というものがあり、その常識が邪魔になる事がある。昔からの言い伝えとか、慣用語とか、ことわざの現代の解釈は全て正しいと思い込んでしまうが、その中でも本来の意味を離脱してしまったものも結構あるのだ。
昔の人は、人を貶める表現というのは慣用的には使わなかった。大概、隠語としてコッソリ使われるものだったという。そのぐらい日本人というのは真っ当な倫理観を持ち合わせていたものだ。
だから、「どてかぼちゃ」は畑に植えられなくても、より美味しく育つ立派なカボチャの事だし、「おたんこなす」(普通、間抜けな奴と解する)は小さな野菜の方が実が締まって栄養価の高いナスの事だし、「とうへんぼく」(普通、偏屈な奴と解する)は個性豊かな樹木の事なのである。
何事にもそういう思考を持つと、世の中に起きることなど、多くの場合、許容できるし腹も立たない。全てを許容できれば、幸福に生きることができる。昨日起こった腹立たしいことなど、今思えば、大した事ではないはずだ。
まぁ、平和に生きようよ(笑)。

竹の焼き畑2016-sec.5 が終了

 5月15日の日曜日。晴れ晴れ晴れ〜! 晴天でした。やや疲れも見え始めてた人もいますが、それはここまでがんばってきた証。取りかかった8名の皆さん、脚も腕もパンパンに張っていることでしょう。
 この日は防火帯の整備を中心に竹を移動し、落ち葉を掃き集めて取り除き、水タンクを運び上げ、といって作業を行いました。
 来週はいよいよ火入れです。

三沢の大山さん

 奥出雲町三沢地区まで所要ででかける。みざわの館へ寄って地カブ(年とりカブ)の種取り用にマーキングを施すつもりであったが、ありゃりゃ、全部刈り取られていた。あ〜遅かったかあ。しかし倒れたままのそれらを見てみると、中には実が黒くなっているものもある。

 次週のどこかで採取してみよう。

 「ブルーシートを広げて叩いてあつめるといい」

 「青いのはダメですよね」

 「ダメでしょう。黒くなってないと」

 とのやりとり。

 大山さんのことを聞いてみると、Iさん曰く。うちの山のそばにあるよと。地蔵さんか何かの名前が大きな石に刻んであるとか。祭りはいまではやっていないし、どんなものかの記憶もないというが、大きな松があったが、松喰い虫にやられて今はないのだとか。

 案内しますよ、とおっしゃっていただいた。

 雲南・奥出雲の大山さん。そろそろマッピングにとりかかりたい。地図がほしい。地理院の5万分の1よりも詳しいものが手に入らないかなあ。