岩屋寺と切開

岩屋寺、そして隣接する切開へ行ってきた。廃寺と特異な断層地形の見学であるが、切開も廃寺もその根底にみえ、伝わってくるものは「崩れ」である。崩れとは何か。幸田文の『崩れ』からひく。

《私はそれまで崩壊を欠落、破損、減少、滅亡というような、目で見る表面のことにのみ思っていた。弱い、は目に見る表面現象をいっているのではない。地下の深さをいい、なぜ弱いかを指してその成因にまで及ぶ、重厚な意味を含んでいる》

岩屋寺がある山のそこここにみられる「崩れ」は、はじめて足を踏み入れた私に、何かを語ろうとしていた。同行したS氏は「ひとりで来るところじゃないです」という。それも同意。霊場であった山であること。建物も崩れつつあること。地形の崩れが相乗している。訪れる人がほとんどいない。あげれば他にもあるだろう。修験の霊場らしく大岩が点在しているが、いずれ崩落してもおかしくはない。そのような「実際上の危険」もさることながら、薄気味悪さ、不快さが人をして遠ざける場所となっているのだろう。

岩屋寺の「崩れ」が語ろうとしているものは、それら「不快」を発生さえる諸要因とどのような位相をもって接しているだろうか。

ジル・クレマン『動いてる庭』(山内朋樹訳・みすず書房)からひく。

《〈荒れ地〉はいつの時代にもあった。歴史的にみれば荒れ地とは、人間の力が自然の前に屈したことを示すものだった。けれども違う見かたをしてみればどうだろう? 荒れ地とは、わたしたちが必要としている新しい頁なのではないだろうか。》
《わたしたちは、ほんとうはなにを恐れているのか? むしろ、今なお、なにを恐れる必要があるのか? 下草の濃密な影や沼地の泥には無意識に追い払いたく不安があり、鮮明で明るいものは安心させ、残った部分にはあまねく不吉な妖精が満ちている……。》
《人間がそう感じるのとは逆に、荒れ地は滅びゆくこととは無縁であり、生物はそれぞれの場所で一心不乱に生みだし続けていく。》

彼が見ようとしているもの、伝えようとしているもの、その基底にあるのは「希望」であり「願い」であろう。南方熊楠の粘菌と森にまつわる書簡を、宮崎駿の『風の谷のナウシカ』を、思い起こしてみられよ。確信、信仰、真理、それらとは異なりながら、随伴するものとしての「科学」がそこにある。

荒れ地=崩れに対して、私たちが否応なく感じてしまう恐れや不安、不快感・嫌悪感、それら諸感覚を棚上げできるのは、理性―科学という乱暴な力だが、その暴力によってもたらされる「違う見かた」がある。

岩屋寺の崩れが語るものを、受け止めていくためには、サイエンスのアプローチを幾度か重ねていく必要がある。

さて、現在視認できるものは、比較的近年に生じたものと思われ、寺院の創建が奈良時代にまで遡るのであれば、千年単位での森林植生の移り変わりと、人がどうこの山をみてとらえ、手をかけてきたか、その履歴が探れそうだ。

寺跡については、総じて新しいもののように感じる。仁王門のルートは近世以降のもので、中世以前には違う参道ではなかったか。
現在の林相・下層植生など森としては貧弱にみえるが、生命力を感じる杉、松、桧が転々とありなぜだろう、どうなっているんだろうと好奇心をくすぐられる地であった。

崩壊をおしとどめる方策もちょっとしたことであれこれ浮かびはするが、事情からして観察関与。周辺の山主さんに伺いつつ歩き探索していけたらなあとは思う。