斐伊川の記憶、残酷の根源#1

誰もがあたりまえに知っていることが書き起こされることは稀である。書き起こされたとして、人々の目にとまることはさらに稀である。
言うに憚られることも同様。
また、あたりまえの事象は言語化するに困難を抱えている。
以上みっつはよく似ている。
また違った側面、たとえば「あたりまえ」の側、すなわちあたりまえを言語化しようとはつゆも思わぬ側からみれば、あたりまえのことは曖昧模糊とした事象にみえるだろう。それがなにかを知ってはいるのだが。だからこそ、「あたりまえ」であるのだが。ことは言語化しようとする側にとってもそうは変わらないと思われる。知っているというのはみんなが知っているということを知っているというほどのことで、じつは誰も本当に知ってはいないのかもしれない。

そうした「あたりまえ」も、幾星霜か経るうちあたりまえではなくなる。場合によっては、世間の耳目を集める事象へと変貌をとげることもあるだろう。しかし、その正体・実態・正確な姿といった面では、皆目見当もつかないことになっているのだ。南方熊楠は「人柱の話」のなかで、こう語っている。(平凡社の全集第二巻)

《本邦の学者、今度の櫓下の白骨一件などにあうと、すぐ書籍を調べて書籍に見えぬから人柱など全くなかったなどいうが、これは日記に見えぬから、わが子が自分の子でないというに近い。大抵マジナイごとは秘密に行うもので、人に知れるときかぬというのが定則だ。……中略…… こんなことは、篤学の士があまねく遺物や伝説を探って、書籍外より材料を集め研究すべきである》

南方は書籍を事象を記録している媒体として真っ先にあげているが、書籍外ともいえるし書籍ともいえ、書籍同様の確かさをもって存在している紙に記されて残っているものがいくつかある。地図もそのひとつ。地図にしろ航空写真にしろ、読める人と読めない人がいる。伝聞ではあるが、台湾の少数民族の調査でこんなことを聞いた。山岳少数民族出身の大学生も増えてきてわかったことだという。地理や航空写真の分析をやってきた学者でも読み取れないあるいは思ってもみなかったものを、そのマイノリティを出自にもつ学生は見ることができるのだという。当地を訪れたことはなくても、である。自らの故郷であった土地からの類推なのだろうか。地図を読むということについては、断片的ないくつかの逸話を思い出すのが、ここでは割愛する。

ここまでが長い序にあたる。本題は、地図が語るもの。2022年9月にFacebookに投稿した記事への、補足なのだ。すなわち次の一文への補足である。

「斐川の実家諸々整理のためもあり、昔マップをふとみてみるに、大正7年の斐川における新川の存在がにわかに現前し、驚き、しばし黙考。川の姿の記憶は失せようと、なにかが残り続ける。そうしたすべてを失うときに、生命は物に変えるのだなあと、パース=ジェスパー・ホフマイヤーを重ねがら考える」

端的には、新川開削に人柱はたてられたろうか、ということへの答えである。

斐伊川は暴れ川であって、慶長12年(1607)松江開府以降、凄まじいものとして記録からも伺うことができる。件の新川開削は天保2年(1832)からはじまるが、洪水被害の軽減をはかるのが主目的であった。現在まで200年はたってない開削事業は、語り草として家々で語られることもあると聞く。堤をつくるとき、人柱がたてられたという話は、新川より前のものだろう。私は親から聞かされたものだが、「足を引っ張られるから、斐伊川では遊んではいけない」と言われて育ったものだ。だからなのかどうなのか、身近な小川で遊ぶ子どもはいても、斐伊川で遊ぶ子どもはいなかった(と記憶している)。いや、いたし見たりもしたのだが、都会から遊びに来ている人たちで、「バカが!」と言いながら、通り過ぎる大人がいたという記憶はある。そうつぶやいたのは自分の親だったかもしれない。

《熊楠は、民俗学には残酷の感覚が必要である、と考えていた。それはこの学問が、人間的なるものすべての根源に触れていくような、始原学でなければならないからだ。人間的なるもののその根源、その奥底の闘技場では、たえまない残酷が行使され、その残酷の中から、差異の体系としての文化が創出されてくる。民俗学の主題は、近代のあらゆる学問に抗して、その始原の光景を、知の言葉の中に、浮上させてくることにある。近代のあらゆる学問に抗して、と言ったのは、近代の社会とそれをささえるすべての文化装置が、あげて、この始源の光景を隠蔽することから、みずからの存在理由を打ち立てようとしているからであり、民俗学はそれに抗して、近代の言説に亀裂を入れる、本質的に「例外の学問」にならなければならない。南方民俗学は、そのような始源学をめざしていた。》(中沢新一,1992『森のバロック』

中沢新一は南方熊楠の「人柱の話」から「南方民俗学」と自ら名付けたものを見出そう=作り出そうとしている。

〜つづく。