奥出雲での竹の焼畑

横田地域に「竹に驚く日」のチラシ配布。横田のコミセン、そろばんと工芸館、刀剣館、島根デザイン専門学校、キャロットハウス、そんだけまわっただけですが、竹の焼畑について刀剣館できいてみました。さっそく尾方さんに電話で照会。尾方さんから教育委員会(社会教育委員)のタカオさんにもきいてもらったようです。以下箇条書きにて要点のみ。

・奥出雲では竹の焼畑についてはきいたことがない。

・いまでこそモウソウなどがはびこっているが、もともと竹は少なかった。竹細工をするにも探してくるのに苦心したという子どもの頃の記憶もある(尾方氏)。貴重なものだったので、焼畑に供するようなことはしなかったのではないか。もともと木炭製造のための造林のための焼畑はよくあったことで、たたら製鉄に由来する焼畑はここの特徴であるが、竹のそれはこれまで聞いたことがない。

・モウソウチクが奥出雲へ入ってきたのは江戸後期から明治にかけて、である。

といったところ。いくつかのとっかかりがみえてきました。

工芸館では竹の工芸をやっている方をご存じないか、事務局できいてみました。この界隈ではいらしゃらないと。趣味のレベルで竹細工をやっている人はいるだろうが、ということでした。

*2022年12月17日追記

よくまわったものだが、「モウソウチクが奥出雲に入ってきたのは江戸後期から明治にかけて」ということだが、ここをもう少し掘り下げてもみたい。また「たたら製鉄に由来する焼畑」についても。

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