星の名前と民俗と

 wiki野尻抱影をひくと、天文民俗学者とある。天文民俗学、はて、初めて聞く言葉だ。JKの全文横断検索でかけてもヒットはしない。googleではいくつかのサイトが出てくるので、ある種の造語であろう。
 星の伝承研究室の北尾浩一氏が、2006年に『天文民俗学序説 ―星・人・暮らし―』を著されている。この書ならびに北尾氏が嚆矢となって、小さくとも広まっている言葉、それが天文民俗学であると思われる。
 古く”天文民俗”を調べ集めたのは、野尻抱影ひとりであるかに独見していたのは、失礼なことであった。
 北尾氏は、いまも聞き書きに全国を訪ねておられるようで、島根県では、出雲市大社町宇龍に17年ほど前にこられて、語り部の喪失を悲しんでおられる。
出雲市大社町宇龍の星の語り部

《「よんべ(ゆうべ)、いつまでおったんや」「スマリがあがるまでおったー」
そのような会話をした日々は遠い昔になってしまった。七夕も海に竹を流してはいけなくなってから行なわない家が増えた。》

 いまや七夕の竹は海にも川にも流さない(せない)のだろうか。小さく切り刻んでゴミの日に出すくらいなら(そんな世の中であるのならば)、七夕の祭りなどやめてしまうのがまっとうな感性であろう。
 さて、実はここまでが前置きのつもりであったのだが、時間切れゆえ、つづきは次回へ。
 以下、備忘として項目をあげておき、のちに加筆しよう。
・死んだら天の川へいく(漁師の聞き書きに頻出…要確認)
野尻抱影『星三百六十五夜 夏』に「七夕雨」あり
 →旧暦で七夕をまつる地域にはこの日の雨を吉とするところがある。出歩かないこと。雨が降らないと七夕さんが作物をもっていく。降れば豊作。というような。北尾氏の聞き書きには、七夕の日には漁に出ない、出ればイカが葉や茄子に化ける、というものあり。
野尻抱影『星三百六十五夜 夏』の6月28日「へっつい星」に、この一文あり。

《思い出して、私は、江戸時代の学者畑維竜の随筆『四方の硯』(※日本随筆大成〈第1期 第11巻〉所収)の中にある文を読み返したー
 ー具象を見ることは、農民よりくはしきはなし、大和の国は水のとぼしき処なれば、四月頃より夏中、農民夜もすがらいねずして、星象をばかり見て種おろし、あるひは夜陰の露おきたるに苗のしめりをしり、米穀の実のると、みのらざるとをあらかじめはかりしる事なり。その星に、からすきぼし、ひしぼし、すばるぼし、くどぼしなどやらの名をつけて、其の星は何時に何の位にあらはれ、何時に何方にかくるなどいひて、その目つもりにてはかること露たがわず。云々》

 

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