ホトホトと餅とダイシコの関係〜その2

 年の瀬に畑もちを搗くことと、正月のもちを考えることは、並行している。

 なぜ人は正月に餅を食べるのかということだ。

 つい数日前に、ホトホトと餅とダイシコの関係といってみているものの、関係を説いてはいない。関係とはほどとおく連想のかけらみたいなものしかない。さて、どうしたものか。

 きょうは年賀状に添える短文をのせつつ、雑想として記したい。

【クマゴ雑想】

 失われた穀物、クマゴを追いかけて二年。どこかで散見した資料に、熊子(クマゴ)とは広く雑穀でアワの代わりに用いたものを呼んだとあったのだが、典拠を失念し思い出せない。供物としての粟、その代理たる穀物の総称ということだ。邑智では神に供える米を「くましろ」といい、和名類聚抄には「神稲 久末之呂」とある。

 年取りの餅を搗く前に、乞食の古態を思った。食を乞うものへ正月、餅を差し出す民俗には、クマゴに通じるものがある。食べることをわかちあうことの尊さを、せめて小さなところから確かなものとしていきたい。

 柳田國男『食物と心臓』を百回読めば、もう少しうまく記せると思う。

 そう自分にいいわけしつつ、いくつかの引用をお許しいただきたい。

「モノモラヒの話」〜

《只の憫みを乞う窮民以外に、正月の始めにどこからとも知れず、春田打ちなどの祝言を唱えて、米や餅を受けてあるく者も貰い人であった。(中略)此点は美作備中等の正月のコトコト、奥州仙台付近のチャセンゴ等、全国にわたって例の多い風習であって、(中略) 出雲能義郡でも旧十月の亥子の夜、むこ神さまという神を祭るのに、米を多家から貰ってあるき、それで小豆飯を炊いて供え、又自分たちも食べる(広瀬町誌)》

「身の上餅のことなど」〜

《餅の私有が他の多くの食物とちがって、現実消費の時よりも可なり久しい前から、開始せられ得たということが、是をめでたいものとした原因の一つではなかったろうか。少なくとも今日もなほ活きて行われているモツという二つの動詞が、この餅という日本語と関連のあることだけは想像してもよくはないか。単なる祝いの日の共同の食物としてでなく、是が神様先祖様は申すに及ばず、二親  を初め、特に敬意を捧ぐべき人々の前にそえられ、正月になると囲炉裏の鈎、臼鉈苧桶鍬鎌その他の農具から、牛馬犬猫鼠にまでそれぞれの餅を供え、大小精粗の差こそあれ、門に来て立つ物もらいにまで、与うべき餅が用意せられてあったといふことは、大げさな語でいえば、人格の承認、即ち彼らもまた活き且つ養われなければならぬといふ法則の徹底だと云いうる》

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