春、それは食える草の季節

 ”春は食える草の季節”――川上卓也の『貧乏真髄』にある至言である。

 春は、食えない草を探すほうが難しいという理屈やらなにやらではない。「食える」ということの歓び。地面さえあれば町の道端にだって食える草があるのが春なのである。飽食の世となって久しいが、ヘンゼルとグレーテルの「お菓子の家」に胸ときめかせた記憶は誰しも多少はあるだろう。それでも足りなければ、道端にコンビニ弁当やおにぎりが10mおきに落ちている状況を想像してもらえばいいのだろうか。

 ただ食えるというは食うに足るのみにあらず。それは「美味い」ということを、三文字に託しつつ静かな歓びを表してもいる。雪解けとともに、冬を越す野の草々は土を這うロゼッタの形状から、徐々に茎を持ち上げ葉を展開し、春の陽射しを全身で受けながら、小さな花をつけようとする。いわば「生命力全開」状態。そこを摘んで食べるのだから、力がつくに違いない。ただそれだけに少量であっても強いのだから、取りすぎてはあく(悪、飽)となる。

 

 さて、春の美味い草の話。

 タネツケバナが美味いのだ。ミチタネツケバナなのか、タネツケバナなのか、いまだにどちらかはわからねど、食べてみたらうまかった。

●タネツケバナの仲間

 近縁のオオバタネツケバナは、山菜として栽培、出荷もされているという。生食でじゅうぶんに美味いのだから、どうやって食べたらよいかをあれこれ想像してみた。

 雑煮かな。

 

 

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