12月13日、晴れのち曇り。奥出雲きこり友の会「山仕事やろう会」を開催。私は裏方兼記録。
道の行き止まりには滝岩から流れる清水が。いくつかの谷水を集めはじめるあたりにはわさびが自生していました。ずいぶん少なくなってしまったと言われますが、こうして間伐を進めることでいくぶんか戻ってくるのではないかと思います。
冬の山を、しかも、こうした造林された山を歩いても、そこは森のワンダーランド。しみだしながら流れになっていく水、折れても曲がっても生きようする幹や根、あきらめよく死んで菌が侵食し、キノコや粘菌やらがとりついた有機物もろもろ、土は色も密度も違えば、人の感知を超えてすむ数千数兆の生物を宿している。
そんなところで。
世代も経験も背景も異なる16人が同じ山の中で仕事をする。いいなあと感じました。研修ですので習う教えるという関係はありつつも、身体を一緒に動かすことで自然と習得できるものがあるのだなあと実感する日でありました。
さて、少々概念的な言い回しをしてみれば。
危険をともなう作業の連鎖に促されるようにして、身体—道具—地形—他者の結びつきが強まり、動きの最適化が環世界的に生成される。
「声をかける」「間合いを取る」といった規範は、風と香り、音と振動、諸感覚にひたされた身体に刻まれていく、それは外在的な原理から演繹されるよりはるかに、伐倒などの切迫の中で繰り返し達成され、事後的に規範として析出する。
そんな感じ。おもしろいですよね。








