本の記録〜2019年2月1日

県立図書館へ。
地誌は大山あがりとトロヘン・ホトホト、そしてトンドさんについて網羅的に資料をあげていくことにする。思っていたより時間がかかる、かもしらん。

●借りており、精読もしくは調べるもの
†. 木次町誌編纂委員会編,1972『木次町誌』(木次町)
†. 黒沢長顕,斎藤豊仙,1717;享保2『雲陽誌』(大日本地誌体系,昭和46,雄山閣)
†. 仁多郡役所編纂,大正6『島根県仁多郡誌』(臨川書店,1986)
†. D.モントゴメリー,2017『土,牛,微生物』(片岡夏実訳,築地書館,2018)
†. 宮本常一,1977『宮本常一著作集24・食生活雑考』(未来社)
†. コーネリス・ドヴァール,2013『パースの哲学について本当のことを知りたい人のために』(大沢秀介訳,勁草書房,2017)
†. 根本正之,2014『雑草社会がつくる日本らしい自然』(築地書館)
†. 大庭良美,1985『家郷七十年 村の生活誌』(未来社)

●複写したもの…のちほど加筆…

●閲覧し、再読予定のもの
†. 中村重正,2000『菌食の民俗誌―マコモと黒穂菌の利用』(八坂書房)
マコモタケビジネスが流行っているようだが実際のところどうなんだろうかということ。そして現在国内で栽培されているマコモダケはどこからきたのかということ。このふたつがもやもやとしたままだったので、少しばかり調べてみたかったのだ。詳細はまた次回。まず、後者について。どうやらある時期に中国や台湾から移入されたもののようだ。少なくとも、日本に古くから自生している(た)マコモとは異なる。ウィキ等で万葉集の時代からあったというのはマコモダケではない。万葉集の中にマコモダケの記載はなく、コモのみ。
なお、北米では持ち込みが禁止。まぁ、菌ですし。日本はよくも悪くも甘いのだろうが、変異した菌が繁殖しはじめたら手に負えんだろうとは思う。
農文協から栽培法についての書籍も執筆している三重県中央農業改良普及センターの西嶋政和氏は、〈クボタeプロジェクト 再生農地での作物の育て方>マコモ(マコモダケ)〉のなかで、次のように述べている。

・古くから日本に自生しているものは、食用には適しません。
・食用の栽培種として、中国などから導入し改良された系統が栽培されています。

そして、マコモダケの黒穂菌からとれる顔料をお歯黒に使っていたというウィキペディアはじめウェブのそこここで見られる記述も誤りであろう。少なくとも日本の話ではない。

小山 鐵夫、山崎 耕宇が執筆した平凡社世界大百科のマコモの項目には次のような記述がある。

《マコモの茎の先つまり菰角に黒穂病菌の1種のUstilago esculenta P.Henningsが寄生すると,茎がたけのこを小さくしたような形に太って軟化し,花が出ない。これがまこも竹で,漢名で茭白筍(こうはくじゆん)といい,台湾や中国大陸南部ではこれが栽培される。料理で珍重され,缶詰や冷凍にして輸出もされる。この菰角に黒穂菌の胞子ができると,黒い粉が豊富に出るが,これを絵具にしたり,油脂に混ぜて化粧の眉引きに使ったりしたこともある。また葉や茎で盂蘭盆(うらぼん)の時の祭壇に敷くござを編んだりした。マコモの根と果実は中国で薬用とされ,心臓病や利尿の効があるという》

また、湯浅浩史が執筆した小学館の『日本大百科全書』のマコモの項目には次のようにも。

《マコモの種子は米に先だつ在来の穀粒で、縄文中期の遺跡である千葉県高根木戸貝塚や海老が作り貝塚の、食糧を蓄えたとみられる小竪穴(たてあな)や土器の中から種子が検出されている。江戸時代にも一部では食糧にされていた。『殖産略説』に、美濃国(みののくに)多芸(たぎ)郡有尾村の戸長による菰米飯炊方(こもまいめしのたきかた)、菰米団子製法などの「菰米取調書」の記録がある。
中国ではマコモの種子を菰米とよび、古くは『周礼(しゅらい)』(春秋時代)のなかに供御五飯の一つとして記載がある。また『斉民要術(せいみんようじゅつ)』(6世紀)には菰飯の作り方の記述がある。マコモの子実は彫胡(ちょうこ)ともよばれ、唐の杜甫(とほ)は「滑憶彫胡香聞錦帯羹」と歌った。台湾には秋来菰米(秋がきたらマコモ飯を食べる、という意味)の風習が近年まであった。
マコモタケは『斉民要術』に取り上げられており、明代には野菜として栽培が広がった。また、『万葉集』にはマコモを詠み込んだ歌が22首載り、まこも刈りやその舟を詠んだ歌もある。葉の利用も古くは重要で葉は、莚、薦(こも)や畳に編まれ、菰枕(こもまくら)、雪国の菰靴(こもぐつ)、ちまきに使われた。
江戸時代、所によっては真菰高(まこもだか)と称する税の対象にされた。
マコモタケの黒い胞子はまこも墨とよばれ、鎌倉彫の古色づけとして明治初年以来利用されている。》

ほか、ウェブサイトの中では「カンポンボーイの果物歳時記」のマコモの記事が詳細にして精確で、またの機会に掘り下げてみたい。

†. 浜田信夫,2013『人類とカビの歴史 闘いと共生と』(朝日選書)

†. 菱川晶子,2018『増補版 狼の民俗学―人獣交渉史の研究』(東京大学出版会)…4月刊行の原稿執筆資料として考えてきたのだが、テーマそのものを見送ることにした。

荒地に種をまく

「あぁ、あそこは○○さんが、なんとかしてやろうおもうて、刈って火いれたら火事になってのー。そーからなんもやっとられんけん、なんぼでもかりれーとおもうわ」

陸稲や雑穀をやる土地を探している。

今年は栽培しない管理地も含めて4〜6反ほどを手掛けるつもりでいる。実験的段階から本当の意味での実践的段階へと移行するのだ。ははは。

先のセリフはEちゃんのこたえ。

ここでやれたらなあという土地について、借りられるかとたずねたときのことだ。この後、もっと近いところがいいだろう、あそこはどうだなどと展開したあと、「好きにもっていっていいよー」と言われている柿園のあいている地面をつかわせてもらうことにした。「草刈りはやりますけん」ということで。

雑穀半分、野菜半分にしようかと思う。週1回は通うことでやれるものを。

それにしても、ここも「火事」になってということがとても興味深い。偶然とは思えないくらいに、いいなあと思うところで「火事」をやっている。これだけではない。何度か、いや、思い起こせば何度も、こうしたセリフを耳にしているのだ。いずれも共通するのはカヤ・ススキ、あるいは竹・笹がのしてきている土地であること。

カヤ・ススキは、火の足が早く、飛び火もまわりやすい。草原の火入れを何度か経験せねばと改めて思うた。

三瓶の火入れは3月上旬か。

4月13日(土)…雲月山の山焼き2019|火を使った生態系管理

本とスパイス記録と記憶016−1〜やまたのをろちはワインを飲んだか?

金曜の会の記録と記憶を何回かにわけて記す。メモとしてここにおき、多少整理したものを樟舎にあげる予定。

○やまたのをろちはワインを飲んだのか〜マイケル・ポーラン『人間は料理をする・下』etc.(本の話#0016)

 

マイケル・ポーラン『人間は料理をする』の話が少なかったともいえるが、そうでもないともいえる。なぜかを少し述べておく。

◆本の内容について語ってはいない

たとえば映画や小説の粗筋を話すのは、読んだ人・観た人を対象にしないと成立しないので、これはなし。またノンフィクションの場合でも、その著者になりかわって何かを語るこできない。それは当該書籍本を買って読んでくださいということ。映画であれば上映権を買って上映会を開くということだ。

◆余談1:著作権

現下、国内で主だって権利行使されているのは版権、複製権(copyright)である。つまるところ財産権。元来3つわけられる権利をとりまとめて著作権と呼ばれるものでその3つとは以下。

・著作人格権(公表権、氏名表示権)

・同一性保持権

・財産権(複製頒布権、譲渡貸与権、口述等伝達権、etc.)

◆余談2:図書館での読みかせは?

書協などが出しているガイドラインはわかりやすくていねいである。

http://www.jbpa.or.jp/guideline/readto.html

が、著作権の法理からすれば、この示し方はいかがなものか…。と思う。

すなわち、無償のボランティアならばだいたいOK、営利活動なら必ず許諾をとる(利用料が発生)という示し方。財産権の観点からすると、無償だろうが有償だろうが、関係はない。むしろ無償のほうが侵害の度合いを強める可能性が高いことは、図書館での書籍図書貸出について書店での売上を下げている要因としてちょっとした紛争・議論が発生していることからも明らかである。

ことは文化文明の根幹にかかわることであって、一私人一企業一業界だけの問題ではない。

そう。

朗読として行うことは、法的には許されていないということは明記しておいてよい。

そして、朗読なのか、引用なのかは多くの場合、灰色である。

日本の著作権法では、灰色については「慣行」を基準にする旨記されているので、なんにせよ言論にかかわる新しいことを始めようとする際には、ひとつひとつが引っかかってくるものだ。はじめて1年ほどしかたっていないこの小さな会であっても、だ。だからこそ、法理について熟考しくだしたひとつの基準が、会に参加した方が「その本を読みたくなる」ことを念頭において展開している。そういう意味では、ぜひ!という本でもないことは確か、かな?

◆”運動”の原理主義化への牽制もあるM.Pollanの言説

マイケル・ポーランはベストセラー作家といっていいが日本での売れ行きは今ひとつなようだ。

『雑食動物のジレンマ』(2009年,東洋経済新報社)が代表作なのだが、その要約版『これ、食べていいの?: ハンバーガーから森のなかまで―食を選ぶ力』(2015,河出書房新社)も全米ミリオンにしては話題にはならなかった(たぶん)。また『フードルールー人と地球にやさしいシンプルな食習慣64』(2010年,東洋経済新報社)、『ヘルシーな加工食品はかなりヤバい―本当に安全なのは「自然のままの食品」だ 』(2009年、青志社)という一連の著作は、食の産業化に対する抵抗を訴えており、”運動化”の波にのって「売り物」になっている。そうしたなかで、今回の書籍の取材もできたのだろうが、「急進的」活動家や団体にはやや辟易しているような言い方が多々ある。

また、これまでの”運動”路線とは異なり、中立的というものでもないが、反・巨大食産業というトーンは薄い。

……つづく。。

竹水の発酵

木を切った後のカブに蟻が群がっているのを見ることは珍しくはない。昨秋、コナラの大きな木を切ったあとにも、群れとはいえないが、数匹の蟻がチョロチョロと集まってきていた。

荒廃竹林を伐開して火を入れ、畑を数年そこでする。焼畑をはじめて5年目になるが、どうだろう。竹に蟻が集まってくるのを、そういえば見たことがない。いや、気がするというくらいにしておこうか。

一方で、竹水、竹が吸い上げて稈の中にたまるような水分が、ほのかに甘いことは、飲んだこともあるので、そうだようまいよと人に吹聴もする。なにより、切り株のそこここにこの写真のように、発酵がみられることからも、かなりの糖分を含んでいるだろうことは想像がつく。

ここ数年はつくっていないのだが、竹のチップは、ある程度の量を積み上げておくと、発酵がはじまり、その山に手を突っ込むと、「あっちっち」とかなりの高温にまで達することがわかる。ほかになにも加えてはいない。竹の葉も混じった稈を主体としたチップだけで、1日2日もすればそんな反応が進行するのだ。

これまで、「そういうものだ」という認識でしかなかった。しかし、これらを引き起こす菌やら酵母やらについては、まったく考慮の対象外であったのだ。「ぼーっと生きてんじゃねえよ」と言われそうだ。

なので、ちょいと調べたり実験をしてみようと思う。まずは開始宣言のようなものとして、今日、ここに記しておく。

追記2025/11/08

以下の写真はフリッカーのリンクである。フリッカーとのサービス契約変更にともない、見えなくなる可能性があるので、データの置き場所を変更した。そしてこのリンクは残しおくことで、見えるか見えないかの試験とする。

20180610-P128026102

出雲の山墾り〜sec.3

山陰の冬には珍しい青空が広がる晴れの日。10時時点での気温8℃。竹藪を整理したり、柵を補修していると汗ばむほどであった。参加者は5名。10時〜13時。

穏やかな春ならぬ冬の一日。これもまた冬であることに思いを致そう。

春焼き地の畑、一の畑の柵が倒され牛が入ってきていた。ゆるんでいたのはわかっていたのだが、冬の枯草だけが見えるなか、無理して入ることもあるまいと油断していた。さして足跡も糞跡もなく、何も食べるものがないゆえ早々に引き上げたのかなと思いきや、真新しいかじった跡が少々。タカキビの茎。ガジガジとかんだ跡がいくつかある。タカキビには砂糖を採る品種もあるくらいだから、甘さがあるのかもしれない。

あとは大麦が少しばかり踏み潰され、真ん中に糞がひとつあるくらい。ヒトの糞便の75%は微生物であり、植物繊維は17%ほどだというが、牛の場合はどうなんだろう。そんなことをふと思った。(重量比。微生物は生死状態問わず。Allanna Collen,2015『あなたの体は9割が細菌』矢野真千子訳,2016,河出書房新社

踏み入った畑の中でいちばん青々としている小麦と大麦の若い芽。これこそうまいと思うのだが、まったく口をつけていないのは不思議である。周辺で食べた跡がよく見られるのは再生竹。笹は食べてないのにね、とこれも思いつつ、ハッと気がつく。あぁそうかもしれない。冬は茎がしっかりあるものが食べたいのかも。記憶にとどめておこう。ただし「かも」という半端な仮説部分はほどほどに。

気温8℃というのが牛にとってどうななのかはよくわからないが、もっぱら日向で寝そべっていることは確かだ。もう少し日が斜面にもさしてきたら、そっちに移動する個体もあるだろうが。

昨年から、タカキビを見かけるようになったけど…

 今年の秋であったか、三刀屋町内、国道沿いで、高黍畑を見つけたときには、驚いた。えー、こんなに身近なところで「まだ」栽培しているんだ〜と。3年ばかり前に聞いたり見たりした限り、奥出雲町では一箇所をのぞいて皆無だった。昔はつくって食べていたという話はよく聞いたことがあるのみ。だから、車窓越しにみえ、そばに近寄り、車から降りてしげしげとながめてみるまでは心躍った。

 あぁ、しかし、飼料用であることは明白。短稈である。アメリカで品種改良されたものだろう。その後、斐川町でも小規模ながら見かけたので、種とセットで栽培奨励もされているのだろう。ゆかよろこびであった。

 タカキビ、タカキビと私は呼んでいるが、モロコシという呼び名が一般的だろう。モロコシ(蜀黍、唐黍、学名 Sorghum bicolor)である。スーダンエチオピアといった東アフリカが原産地であり、BC3,000年頃から栽培の証がある。私がぬかよろこびした種は、ソルゴーといえば畜産農家筋にはとおりがいいと思う。

 さて、なぜタカキビなのか。

 アワ、ヒエ、キビ、(昔の)トウモロコシ、雑穀を栽培していた記憶は遠い過去のものとして、ここ出雲地方では人の記憶や体験から消え去ろうとしている。奥出雲地方ではそうしたなかで最後まで栽培されていたのがタカキビではないかと、そう仮説づけていろいろと試行錯誤しているからにほかならない。焼畑でできたタカキビとモチ米で正月モチをついたりと。

 寺領のSさんは、小さいこどもの頃に食べたタカキビモチをもう一度食べてみたい、だから種をわけてもらえないかと、そうおっしゃられた。縁側で昔話しを聞いていたときのことだ。その後、Sさんの畑にタカキビの姿が見えた。どう召し上がられたのだろう。昨年はいつもみる畑では見かけなかった。おいしく食べられただろうか。

 三沢で2年前までタカキビを育てて、モチ米といっしょにしたタカキビ粉を産直市で販売しておられた方からは、在来の種をわけていただいた。その種を継いでいま、焼畑でつづけている。三沢のおばさん方にきいても、昔はつくっていたこともあったと、モチがおいしかったと。

 そして、3年ほどか栽培してみてわかるのが、タカキビは鳥に食われないということ。西東京では食われるという栽培者の言葉をウェブでみたのだから、まったく食べないわけでもないだろう。しかしながら、キビやアワは大群でやってきて食べ尽くさんばかりにやられるともいうのに比べれば皆無に等しい。そして、これが奥出雲地方で最後の雑穀栽培としてタカキビがつくられていた大きな理由ではないかと思う。

 

 昭和9年刊行の「三成村誌」国会図書館デジタルライブラリーにあり)。 島根県仁多郡三成村尋常高等小学校で編纂されたものだ。そこにこういう一文がある。

《時代の推移と共に自給自足は急激に廃されて行き斯くして畑作物の種類は多様性から単一へと変化し古い時代の作物は桑に依って置き換えられて其の姿を没した》

 大正から昭和のはじめにかけて、産物調査や農村調査が全国的に行われている。出雲地方のそれらを概観するに、米食が「下等」においても常食となっていることがうかがわれる。昭和30年代の食生活を聞き書き調査した農文協のシリーズ、『聞き書き島根の食事』を他の都道府県のそれと比べてみても、雑穀食の割合が低いことがわかる。とくに東部出雲地方だとそうだ。

 そうした背景もあり、早くから雑穀が「没していった」地方である。生産という面だけをみれば。ただ、食は経済や効率だけに拠って立つものではない。なにかもったいない気がする。惜しい気がする。なにか物足りない気がする。そんな「気がする」思いが細々とでもつくり続ける家を残してはいたのだろう。

 が、そうした思いをくじくのは、鳥や獣に負けてしまうということだ。アワはかっこうの餌食だ。いっせいにある程度の面積でつくれば食べつくされることはない。が、細々とつくった場合、全滅に近いことになる。実際私も昨年も今年もそれを経験した。

 そうしたなかで、タカキビだけは、20稈ほどもあればそこそこに食えるし、被害にあわない。畑の隅でもかまわない。

 が、50年もたてば世代がふたつはとぶだろう。

「子どもの頃に食べた味をもう一度」と語ったおじいさんももう70代後半ではなかったか。

 いや、いいのだ。愛惜ではない。そうではないのだが、なかなか言葉をつづれない。

 ……というわけで、つづきはまた。

出雲の山墾り〜sec.2

昨日に続き、本日も暖かい。しかも数週間ぶりの青空が広がる晴天。思い立って遊びに出かけられる向きもずいぶん多かったようだ。
 牧場の牛たちものどかに日向ぼっこ。そしてわれわれは、山へ入った。
 気温は10時時点で7℃。最高気温は10℃までいったと思う。
◆大原山の荒廃地ー視察備忘 事前調査概要
・森と畑と牛との里山再生地として候補に。また火入れと雑穀類栽培地の候補。
・5〜6年前までは耕作に通っておられた。つまり耕作放棄後6年ほどが経過した土地。
・道はトレイルランコースに入っているため、年に一度は踏査と簡単な整備が入っている。山道ゆえ軽トラ4駆でのアプローチとなるが、道を補修しないと難しいだろうとのこと。
・水田面積は約8000平米。8反ほどある。グーグル・マップでの計測。住居跡の前に広がる平地は畑地だったかもしれない(H29の地理院地図では水田)がこちらが約3500平米。あわせて1町強ほどの耕作地。
・標高320m〜340m。かんな流し(砂鉄採取)の跡を水田にしたのだろうと地元談。

視察概要
・道は雲南市側からのルートを通った。軽トラを途中でとめ、約1kmを歩く。20分〜30分ほどか。道がえぐれているところがいくつかあるが、通れなくはなさそう。スペアタイヤは必須。一番の問題が大きな落石。1〜2トンほどはあろうか。造林帯を抜けて開けた谷底の水田跡に出ると、道は笹とススキで藪をなしている。
・谷が東西に走っていることもあり、日当たりはよい。
・水は小川からの取水も堰をつくれば容易。土嚢を積んでそうした跡もあった。
・炭焼き小屋は屋根がかろうじてもっていて、今春にでも補修すれば使えそう。木箱が積まれた小さな物置小屋も屋根の穴がなく、これも今春補修すれば維持できそう。
・水田の放棄地はススキがかなり大きくなっており、火入れが必須かもしらん。草刈りしてみての様子見。水のはけはよいようで水の溜りは見られなかった。夏に火入れしてカブをやり、春から雑穀。水はけがよく土が起こせるところであれば、畝をたててもよいかもしれない。
・1反ぶんからか。
・火入れをするには軽トラが入らないとポンプも入れられない。まずは車が入れるよう道を整備するか、佐白側からのルートの状況を踏査してみるべし。
・イノシシ除けの柵はない。すべて撤去されたのかそれほど出なかった場所なのか。
・北面南面とも山の斜面は多種の落葉広葉樹。クヌギ、コナラが多いようだった。アベマキもところどころに目立つ。日のあたる北面はとくに若い。近年まで薪炭林として利用されていたようだ。
・春の新緑はさぞかし美しいだろう。
・電線が農地の南方を東西に通っている。

出雲の山墾り〜sec.1

今年から「出雲の山墾り」と名づけて竹の焼畑は5年目に入っていく。
 今日はその1回目。10時時点の気温5℃。曇り。この時期としては暖かい。参加は3名ほどで、ダムの見える牧場フィールドの確認観察と打合せなどで午前の3時間弱をつかった。秋焼きのカブは二十日大根くらいの大きさにはなっていて、これはこれで食べられるのではと思う。葉も一緒にカブ汁で食べるのがいいと思う。タカキビ粉を入れてみたらどうだろうなどと想像した。1月19日の回で試してみよう。

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 また、大原山への道を「視察」。雪は残っているものの、道の上にはない。林道途中に小さな滝があった。ここを超える昔の道は藪で進めないようだ(聞き取り情報)。かなり迂回する林道があるのでそちらを明日の天候がよければ、たどっていく予定。

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焼畑の雑穀と玄米のご飯

”今日のオリゼランチは玄米と豆(ささげ、さくら豆、大豆)と雑穀(高黍、もちあわ)のごはんを炊いています。”と紹介いただいた。ありがたし。

 

●豆について

 ささげは畑ささげとして分類される野生化したササゲで、山形のとある集落で焼畑栽培の最終年に近い年に「栽培」されてきたもの。ヘミツルアズキと当地では呼ばれているという。奥出雲町佐白で焼畑を試行していることの縁で、「やってみてはどうか」とわけていただいたもの。種を継いで今年で3年めか。小粒であるが、白米にまぜて炊くとほんのり朱に染まって美しく、食感も味もよい。こうして玄米にいれてもよいということがわかる。食べてみれば。

 さくら豆は北海道厚沢部で栽培されているものを、これもわけていただいたもの。山畑では栽培してこなかったのだが、今年は試してみようと計画中。ほくほくとした食感とほどよい甘さがよい。

 大豆は、中生三河島枝豆で、茶園畑と山畑とで栽培中。山畑だと草に負けがちなので昨年はやっていない。今年は山の畑で再挑戦。

 

●雑穀について

 高黍は焼畑の主力にしていきたいもの。脱穀・調整の方法も少しずつ改良と技術の向上をみている。なんといっても鳥害にあわない(今のところ)のが大きい。実が大きいことアクが強いことが影響しているのではと思う。タカキビハンバーグが定番となっているように、モチ性があり、こねると肉に近い触感を出せる。味のアクセントとして、また玄米との相性がこれほどよいとは思わなんだというくらいに、これをうまくあわせると美味しい。

 モチアワは、鳥害にやられつづけているのと、発芽率やらなにやら課題が多いものの、来年は覆土とネット張りも併用しつつ、たくさんつくってみる計画。ある程度の量(面積)をつくらないと、(種々の要因で)うまくできないという考えによる。

 

 ……と、思いつくまま書いてみただけだが、美味しいご飯をありがとうと、ほんとうに頭を下げながら、食べたのだった。

 

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本の記録〜2019年1月7日

午前には青空がひろがった。気温も10℃近くまであがり、冬が終わったかのような安堵感さえ覚えたほど。明後日に寒波到来とのニュースがそらぞらしい。玄米の昼食を食べた後、斐伊川の北側土手を通って出雲方面へ。いつも通る上津の道とは趣が大いに異なる。山の植生やら景色やら家々の佇まいやら。何より車とすれ違わないことからくるものか。木次から20分ほどで出西窯のル・コションドールにつく。しばしお茶を喫したのち出雲市立中央図書館で下記の本を。帰路はいつもの上津の土手を通った。いがやの堰に白鳥が四羽。あの白をみるとやはり冬なのだなあと思う。

†. 川上正一著,伊沢正名写真,2013『森の不思議な生きもの 変形菌ずかん』(平凡社)
†. 藤原俊三郎,2003『堆肥のつくり方・使い方』(農文協)
†. D.モンゴメリー,A.ビクレー『土と内臓―微生物がつくる世界』(築地書館)
†. 大原健一郎ほか著,2016『合本完全版 印刷・加工DIYブック』(グラフィック社)
†. 原武史,2015『皇后考』(講談社)
†. 工藤極,2018『陛下、お味はいかがでしょう。ー「天皇の料理番」の絵日記』(徳間書店)
†. 高楼方子, 2016『ココの詩』(福音館)