学者になってはいけないよ

「学者になってはいけないよ」

 民俗調査にフィールドに出ようとするとき、よくこう諭されたという思い出話をきいたのは誰からだったろうか。学者になってはいけないと繰り返し口にしていた民俗学者のその話し方を真似た口調とその深い温かさと厳しさは、私の耳にいまでも再生できる。

 農山村に生きてきた取材先の老人たちから話をきく、昔の暮らしを尋ねてみるそのとき、学者になってはいけない、ということだ。二重三重の意味があると思うのだが、それは今日はおく。

 とあるおばあさんから電話がかかってきた。妻が尋ねてくれたのだが、その場ではわからず、ほかの人にも聞いてみるというその回答であった。「お役に立てずに」と何度もおっしゃる。いや十分に役に立つしありがたいことなのだが。うまく伝えられないのは私の至らないところだ。修練修行を積みたい。

 たとえば「葉は春はやわらかいけれど、だんだん硬くなって」という言葉には、山の奥ではなく里にあったものだろうと推測される。情景や背景をその人と土地と歴史をふまえて想像してみること。できるだけ正確に。間違える度にただしながら、間違いをおそれず、たちどまらず。

 ふたつの言葉を思い出す。

 田中幾太郎さんのお宅で聞いた一言。

「あの爺さんらも、もうおらんようになった」。田中氏だとて80歳前の老人である。その田中氏が若い頃に聞き感じた古老の存在感とその語りがどんなものだったのか。知る由もないが、その嘆きとも憧憬ともつかぬ「もう二度と現前することはないもの」への強い、とても強い念がその場に、古老の存在の空気感を漂わせて身震いするかのような戦慄を覚えたものだ。

 木次のH.Tさんから聞いた、あの声。

「ごはんができたよ〜」。年に一度しか白米を食べられない家から、子どもたちを呼ぶあの誇らしげな母親の声が、いまでも忘れられないという。「ごはんができたよ〜」の意味・記号ではない。その声を通して伝わるものこそが、大事なのだと私は思う。

 だから。

 私がどこまでできるかは自身心許なくはあるが、語ることをはじめてみようと思った次第である。30年後に幾ばくかのものを伝えられるだろうか。これからくるだれかに。

 

おいしい雑穀づくりと小屋づくりと山畑の手入れetc.~10月30日

作業日報。
10月30日(日)。引き続き三所の古民家でアマランサスの調製。
参加者1名+軽トラ1台。曇り。気温17℃(12時)。
◉経過
11時15分~11時20分 ダムの見える牧場春焼き夏焼き地視認
11時20分~12時00分 移動・布勢文化祭(農産物)取材
12時00分~12時30分 移動・昼食
12時30分~16時30分 アマランサス調製
16時30分~16時40分 撤収





おいしい雑穀づくりと小屋づくりと山畑の手入れetc.~10月29日

作業日報。
10月29日(土)。小雨ぱらつく午前10時。島根大からの到着が諸事情で遅れている間にチェーンソーの目立てをしました。が、クサビを忘れた、、、。伐倒は次回にして、置き去りにしてきた杉を玉切り枝打ちなどして運び出しました。そして今日のメインは芋掘り! 詳細は後述。
参加者7名+軽トラ1台。曇り。気温13℃(12時)。
◉経過
10時30分~12時30分 ダムの見える牧場の春焼き地にてサツマイモの収穫
12時30分~13時00分 昼食
13時00分~14時50分 サツマイモの収穫、伐採した杉の整理
14時50分~15時20分 夏焼地カブの整理(間引き等)
15時20分~15時40分 片付け、撤収



おいしい雑穀づくりと小屋づくりと山畑の手入れetc.~10月27日

作業日報です。
10月27日(木)。三所の古民家で作業。脱穀に洗濯板を初使用したが、これといった成果はなし。叩くのが一番だという方法論に改訂はなし。今回、「叩き」の作業を前回よりさぼった。ま、いいだろうと。すると、たちまち種の入ったままの籾の量がふえてしまった。費用対効果的に考えてどんなものかは微妙。捨ててよしとするかどうか。次回はそのへんもよく考えてみよう。
参加者1名+軽トラ1台。曇り時々晴れ。気温18℃(12時)。
◉経過
11時30分〜12時30分 セッティング、場所整備。草刈りなど。
12時30分~13時00分 昼食休憩
13時00分~16時00分 アマランサス選別作業。草刈りと庭木選定など(約1時間半)。
16時00分~16時15分 片付け、撤収

 この日、三所の古民家の裏手にある古木が何の木かわかった。竹藪に覆われ、蔓にからまれ、半死状態であった古木である。

 遠くからみてわかったのだ。あれはなんだ?と。そう。実がなっていたのである。
 なんと、これ。

 柿。山柿のひとつだろうか。柿についてはまた改めて。

阿井の山野に自生している草木で

 手帳のメモを整理してみます。  駒原邦一郎『村のはなし(下)』昭和35.1の中に、「阿井の山野に自生している草木で昔から食糧としてつかわれたもの」として出てくる草木に以下のものが名称のみですが、あげられています。
 ひとつひとつ注をつけていきます。なお、この記事は適宜追加・更新予定です。

・フキ クサギ  比婆郷土料理『クサギナと豆の炒り煮』に記載があります。山菜でもなんでもそうですが、奥出雲よりもその周辺に昔のものは、まだよくノコされています。つまり奥出雲を知るには、県境を越えた比婆や髙野、あるいは頓原や大和を調べてみる必要があるのだと私は考えています。

・タキナ ウワバミソウをさすようです。雲南市大東町では「あるところにはたくさんある。水が流れる山の中」と聞きました。出雲、伯耆因幡あたりの地方名か。(2017/11/19追記)

・ゴクナ 横田の山菜料理から 「紫の器の中はゴクナという地元の山菜を塩漬けにしておいたものです。この苦味が絶妙で、ご飯にもお酒にも合うんだな」だとか。 どうやら奥出雲の地方名のようですが、これは調べてみましょう。阿井に出向いたときにでも。
→ウコギをさすようです。『聞き書き島根の食事』p.147参照(2017/12/14追記)
ただし、ウコギ科全般(タラの芽、ウド、ハリギリ、コシアブラなど)をさすのか、ヤマウコギ、ヒメウコギをさすのかは不明です。

・ハシギウド →不明。ウドと類縁か形質が似ているものか?

・ワラビ →ありふれたもののように思いますが、そしてその通りなのですが、寺領のTさん曰く。「昔はほんとにどこにでもたくさんあったのに。いまはどこに消えたのでしょうね」と。(2017/12/14追記)

・ゼンマイ ・セリ ・カケゼリ →標準和名が山ゼリ。 「広島の山村でカケゼリとかカキゼリとか呼んでいる」

・ミツバ ・ショボナ →リョウブのこと。横田のほうではそう呼ぶようだ。 《リョウブは「救荒食料として採取と貯蔵を命じた令法が発せられたことから。リョウブは令法(リョウボウ)の転」(『花と樹の事典』・木村陽二郎監修)と言われている。この名が生まれたのは律令制の時代であろう。当時にあっては、それほど価値のある人々にはありがたい木だった。全国的に分布していることもあって、ハタツモリ、ショボナ、ビョウバなど別名、地方名の実に多い木であることも言える》 大和だより~写詩 写歌 写俳~小筥集

・メライラクサのことか? http://www.qkamura.or.jp/azuma/news/detail.asp?nId=561 ・サンショウ ・オオバコ ミョウガ ・クズバカズラ ・タラ ・ゴロビナ →不明。なんだろう。気になる。日本国語大辞典には島根の一部の方言ころぶ」がアブラギリのことだと出ている。農林省統計調査部による1951年刊の「農作物の地方名」による記述である。農商務省山林局の1916年刊「日本樹木名方言集」には出雲の方言名として「ころび」で出てくる。
 ころびの「な」=菜、すなわちアブラギリの葉のことだろうか。ただし、地方名というよりほぼ一般名として用いられたようでもある。近江、丹波、山陰で奨励栽培されたことも一因か。

・ホウコ →キクバヤマボクチでしょう。 産経新聞「出雲の市民グループが自生のホウコで、そば開発 幻のうどんに続き発表会」2015.2.16

 そばなどの名物料理開発に取り組む市民グループらによる「幻の蕎麦(そば)・うどん&佐田のふるさと料理」の発表会が25日、島根県出雲市佐田町の出雲須佐温泉ゆかり館であり、地域の山間地に自生するホウコ(キクバヤマボクチ)をつなぎに使った緑の「ほうこ蕎麦」がデビューした。  地域食材を掘り起こす活動を続ける食材店経営、森山太史さん(48)が、同町の朝原振興協議会と協力し、ホウコのうどんに続いて開発。発表会では、ほうこ蕎麦のほか、山菜おこわ稲荷(いなり)、イノシシソーセージ、アユの甘露煮などが並び、約30人が舌鼓を打った。  ホウコはヤマゴボウの一種。ゆがいてあくをだし、乾燥させて製粉し、そばのつなぎに使う。森山さんは「弾力が生まれ、素材の味を引き立てる」とPR。  ホウコを使ったうどんとそばは、旧JR大社駅(同市)近くの食材店「山太」で味わえる

 あえて全文引用したのは、この記事ダメでしょうというためです。「ホウコはヤマゴボウの一種」のところ。ウェブに書く素人記事ならともかく、全国紙の新聞記事なのですから。辞書を引いてないのだと思います。 「ヤマゴボウ」を辞書でひいてみますと、、 国語大辞典はこう。

根に有毒成分を含むが、漢方では商陸(しょうりく)といい利尿薬に使う。漢名、商陸。いぬごぼう。とうごぼう。学名はPhytolacca esculenta

世界大百科事典はこう。

根に多量の硝酸カリとアルカロイドのキナンコトキシンchynanchotoxinを含み,有毒植物であるが,漢方では商陸(しようりく)と呼び,利尿薬として使われる。葉は食用にされ,辛味があって美味であるが,多量に食べるのはよくない。和名は山牛蒡の意味であるが,ヤマゴボウとよんで食用にされているアザミの根とは別物である。  日本にはマルミノヤマゴボウP.japonicaMakinoが野生する。全体はヤマゴボウに似るが,花が淡紅白色で,果実は分果を作らず球形の1個の液果となる。

 さてはて記事では「ホウコ(キクバヤマボクチ)」と言っているのだから、ホウコはキク科ヤマボクチ科の一種とすれば、誤解も字数も少なくてすむですよ。
 キクバヤマボクチの写真はNature Logの植物記で確認できます。比婆山で撮影されたものですから、奥出雲に分布していてもよいものです。先の記事中にあるように蕎麦のつなぎに使うのは、根のほうではなく葉です。
 キクバヤマボクチの類縁であるオヤマボクチの葉は草餅の材料にも使うようで、ごんぼっぱと呼ぶ地域もあります。(つぶやき小道)  オヤマボクチの写真も、Nature Logの植物記で見てみましょう。素人には見分けがつきませんね。こちらの葉も蕎麦のつなぎに使うようです。自生の分布域はキクバヤマボクチが西日本、オヤマボクチが東日本だと、おおまかにはいえましょう。そして、おもしろいのが、ボクチの語義です。
 キクバヤマボクチは菊葉山火口、オヤマボクチは雄山火口、ほかにハバヤマホグチもあります。「火口」なのです。この植物を分類したときに人が見出した特徴は。
 さぁ、ここで問題。火口にしたのはどの部位なのか。 日本大百科事典

世界火口は火をおこすときに使うものの名であり、ボクチとあるのは葉裏の白綿毛を火口に利用したことに由来する。[小山博滋]

国語大辞典

冠毛は褐色で火口(ほくち)に使う。葉を乾燥してもぐさを作り、また、タバコの代用にする。若葉と根は食べられる。きくばやまぼくち。やまごぼう。くまとりぼくち。

 葉裏の白綿毛なのか、冠毛なのか。それとも両方なのか。冠毛はいかにも火がつきそうですが、実は白綿毛のほうが火付きがよかったりするとおもしろいですね。確かめてみたい。。。実物で。

 さて、ここまできてようやく「ホウコ」の糸口が見えてきました。
「ホウコ=火口」
 これが私の仮説です。なぜ出雲地方にこの名で伝わっているのか(方言辞典などをあたっていますが、現在まったく見当たりませんよ、ホウコ)。少し掘ってみたらおもしろそうですね。

 ちなみにヤマゴボウのほうですが。日本に自生しているのは3種類。わかりやすくまとめている「四季折々に:夏の花めぐり②~ヤマゴボウ三種」を参照ください。

 閑話休題、続きです。

ヨモギ ・カエデ 「等のほかに」につづけて以下。

・山芋 ・ムカゴ ・イチゴ アケビ ・山ブドウ ・スズノコ →スズタケ(篠竹)の子だからスズノコ。スズコ、ススコとも呼ばれる全国区名。高さ1〜3m。阿井にあるんだあ。奥の方だよね。奥出雲にはないとみてました。吉賀の昭和初期の地図には篠竹記号がかなり広範囲に出てくるのです。焼畑地だったりもします。平田村の竹の焼畑はこれだったんじゃないかな。ん!? 取材、取材、、。 そして。 このリスト、最後に「など」で終わります。 「など」です、「など」! そのなどの中身を知りたい! ———–

★追記1)妻に阿井のとあるお宅で聞いてきてもらいました。(2016/10/31)
 ホウコは「ホウコ餅」というのをお嫁にきたときにお母さん(姑さん)につくってもらった。草餅みたいなもの。つくりかたなどはわからない。
 ころびな→わからない。
 スズノコ→Hのおじいちゃんだったらわかるかも。 参照 阿井のホウコはいまどこに

おいしい雑穀づくりと小屋づくりと山畑の手入れetc.~10月24日

作業日報です。 10月24日(月)。三所の古民家で作業。トーミを本格使用し「成功」。 参加者1名+軽トラ1台。曇り時々雨。気温18℃(12時)。
◉経過
10時40分~11時00分 ダムの見える牧場のカブ地を路上から確認。牛柵の倒壊などなし。ブラウンスイスの新入りが引っ越してきており、しばし見学。
11時00分〜11時20分 古老取材:蕎麦、地カブ、柿渋のことなど
11時20分~12時40分 三所の古民家へ移動。アマランサス調製作業
12時40分~13時10分
昼食休憩
13時10分~16時15分 片付け、撤収


◉取材
 久しぶりに師匠の顔が庭先に見えたので、立ち寄ったら、これをなめて見ろと。どうだ?と。近頃はなんでもインスタントになったからなあ、と。何をおっしゃりたいのか、そしてこれはなんなのか。

 ……整理しましょう。ブルーシートに蕎麦を干されておられました。今年はできが悪いと、長雨でダメだったと。いやこちらもダメでした、焼畑に播いた種が発芽しなかったんです。なんででしょう? うーん、覆土せんとだなとの答え。 ここからがまた長いのですが、大幅に省略しますね。 液体は柿渋です。しかも匂わない。なめてもOK。2年〜3年かかるとか。そしてその柿渋を障子紙の古いのに塗る。その柿渋紙を敷いて蕎麦の種を干せば、通気性もあって乾燥がうまくいくのだということでした。つまりは試作段階なのか。 以下は断片備忘録です。

・地カブ……まぁ、自給自足の中でつくってきたというか、とってきたものだ。カブは雪にも寒さにも強い。冬、青物がない時にもとれる。春、とうだちした時のものもよい。そういうものは、とっておくものだ。桑園の中でそういう場所をとっていたものだ。(桑園の端というより桑園のなかだと)。
・タカキビ……脱穀したらもってきてくれ。箒の1本くらい土産にあげるから。これはとにかく長持ちするからいいんだ。

◉アマランサスはトーミでしっかり分別できることが判明 詳細はまた改めて写真解説をば。底なしに思えた脱穀調整作業にかなり明るい兆し。

 

おいしい雑穀づくりと小屋づくりと山畑の手入れetc.~10月23日

作業日報です。

10月23日(日)。今日は昨日つくったカブ地の柵の点検と間引き整理。

参加者1名+軽トラ1台。曇り時々雨。気温18℃(12時)。

◉経過

11時00分~11時40分 ダムの見える牧場:降雨のため車中にて焼畑地を眺るなど様子見。

11時40分~13時50分 カブ地の整理(間引きと踏まれる食べられるなどしたカブの片付け)

13時50分~14時00分 撤収 片付け

14時00分~15時00分 移動・昼食

15時00分~17時50分 移動・資料探し(県立図書館、大東図書館)

◉カブ地整備

 柵は昨日の形を保持している。入ろうとした形跡もないが要注意の状況は続く。

 まずは踏み荒らされたところにあるカブを片付ける。見込みのないカブも引き抜き、間引きもしていく。こうしてみると、密植すぎてどちらにしてもダメだったのかもしれない。牛が間引きをしてくれたといってもいいくらいに。

 

 全体でみると、気が重くなるほどにダメダメなのだが、手を入れている地点地点ではまだ再生の余地ありと感じる。希望が見えたというのはこういうことなのだろう。

「掃除」をしてきれいにしてみると、1枚軽く囓られた跡があるだけで、虫食いもないきれいなカブがあらわれた。

 奇跡的ともいえるが、ほかの箇所でも大なり小なり「生き残り」を見つけている。希望の星だ。

 明日は柵の様子だけみて、明後日の雨の日に続きをやる。

◉調査活動

 図書館にて資料をあたる。大東図書館の『志津見の民俗』は禁帯出でした。カーリルはほんとにあてにならん、なんでだろう。県立図書館では閉館まで40分しかなく、慌てて作業。しかし時間があるとつい長居してしまうので、短時間で片付けるのを癖にしたい。

 『布施村誌』を見た。複写本。発行年がわからず、司書(窓口)に聞いてもわからないという。私ならもっと適切な回答をするのだけどね。さて、おそらく戦後間もない頃につくられたものだと思う。草稿なのだろうか。目次や奥付、前書き後書きもないのだから。

 「布勢村内栽培セル作物名」の中より。

 禾 穀類 

 いね むぎ あは とうきび たふもろこし

 ヒエはなくアワはある。タカキビではなくトウキビがある。ふむうむ。

 はんざき(さんせううを)の項には、「八代、馬馳ニ産す」と。馬馳に川あったっけ? と。斐伊川本流にあたるところなのかもね。

勘違いのブラウンスイス@ダムの見える牧場

 昨日のこと。焼畑地での柵をつくるための鋼管(追加分)を運んでいたのでした。育牛放牧されているブラウンスイスが移動中だったので、ちょっと車の速度を落としながら眺めていたところ、彼女らは方向転換して引き返してくるではありませんか。

 なんだろなあ、写真撮っておこうかというので撮影したのが、これです。

ブラウンスイス〜ダムの見える牧場〜2016年10月22日

 youtubeの解説にも書きましたが、いつも給餌にくる軽トラと勘違いされた模様です。

おいしい雑穀づくりと小屋づくりと山畑の手入れetc.~10月22日

作業日報:10月22日(土)。
 メンバー(1名)の疲労がたまってきたこともありメニューを変更した。カブ地とソバ地の整備、主に牛柵づくりに専念することに。
参加者1名+軽トラ1台。曇り。気温18℃(12時)。
◉経過
11時30分~12時40分 ダムの見える牧場にて小屋候補地草刈り
12時40分~13時10分 昼食休憩
13時10分~14時10分 蕎麦地の雑草とり、牛の歩行地チェック
14時10分~17時20分 カブ地の牛柵づくり、食われたカブの整理・間引き。
17時20分~17時30分 撤収 片付け
◉調査活動
ほぼゼロ。明日午後からと夜に持ち越し。
◉雑穀調製
ゼロ。
◉ソバ地整備
 ソバはほとんどが倒伏しており雑草(日陰となる防火帯部ではシソ系?が多い)にからんで背を伸ばしているものが多い。防火帯部は放置して、火入れ地では今年の新参勢力(名称等わからん、誰か教えてください。3番目の写真)の除去を中心に。


 火入れ地下部はもともと発芽が極端に乏しかったのだが、この新参者が群落形成している。一部をとってみたら、ソバが隠れてもいたが、結実もしていない。

 牛がついにこの段にあがってきた。歩行のみならず、糞を2カ所に残していた。ソバも2平米くらいが踏まれている。

場所が防火帯のところなのでショックは少ないけれど。困った半分、喜び半分か。9月にあがろうとしてあがれなかった痕跡があった。足跡の状態からしてここ数日以内のどこかであがったのだろう。

 けっこううろうろした後、タカキビのところまで足を延ばしている。いやあ人と同じか、人が通った跡を追ったのか。無論要因としては双方ありなのだが、こりゃ今後の参考になるなあ。2日以内にレポートにまとめよ!!
 

 ソバの結実はあまりよくないようだ。実も小さい。受粉がうまくいっていないのと、日照や降雨や気温やいろいろでしょう。発芽が悪かったのが最大の要因です。追い播きの種でなんとかできているので。

 発芽が悪かった場所に温海カブを追い播きしているが、こちらは播種密度もよく、一見9月火入れ地のカブよりも生育がよいようにも見える。土なのか日照なのかはよくわからん。ソバよりは発芽はよいと思う。様子を追って見ていく。
◉牛柵づくり
 昨日つくったバリケードは半日で突破された。草地として完全に認知されたようだ。ソバ地のカブも葉の部分のみが一部食されていた。ソバも含め、他の草には目もくれずに、だ。カブ地に入ったのと同じ牛ではないか。
 今回も仮設だが、鋼管も使ってやってみた。

 こちら側からの侵入が大半。崖のところが弱い。前日の突破もここから。2〜3本くい打ちだけでも追加するか。

 こちらからはなかなか入ってこないのだが、斜面上側がやはり弱く、入ろうという気が強ければ突破可能。
 一連の侵入で思うのは、最初は柵がそこにあるだけ、竹がつんであるだけでも抑止効果があるのだが、一度突破されてしまうと、竹は蹴散らし引きずりながらでも入るといういこと。
 成牛ですから、力は相当なものです。
 

ススキとセイタカアワダチソウの棲み分け?

 ススキが群落形成するころとセイタカアワダチソウのそれとは重なるようだ。後者はひところ盛んに目の敵にされていたが、最近ちょっとおとなしい気もする。見慣れたせいだろうか。建設残土を入れたところなどには相変わらず強い生命力ではびこっているようだが。
 群落を形成するものには、他の植物体を排除する物質を出すものが多い。蕎麦もそのひとつで、焼畑初年に蕎麦を播くのには、雑草の侵入をおさえる効果を期待してのものもある(椎葉村聞き書き記録で見聞した)。セイタカアワダチソウはやがて自らの出すその物質が自家中毒的に作用し弱っていくのだというニュースを見たのだが、どれほど信頼できるものかはその作用機序も含めて一度調べてみたい。
 茅葺きのまねごとだけでもしてみたいと、茅(ススキ)が生えているとつい見入ってしまうのだが、昨日こんな風景を見た。

 ススキとセイタカアワダチソウが共存共栄している。どんな関係なのだろう。現在拮抗しつつ、これからススキが黄色い花を駆逐していくのだろうか。

 そして、こちら。茅葺きをしようと目論んでいる小屋の周りをセイタカアワダチソウが取り囲んでいる。写真では見えないかも知れないが、ススキもすこーし混じっているのだ。

 両方とも刈ってしまった。さて、今後どうなるのやら。これまでの経験から、刈り取り後の勢力回復力が強いのはセイタカアワダチソウのほうである。開花時期はススキとほぼ同時期だが、地下茎に蓄えられる力はセイタカのほうが強いのではないか。また、ススキは株立ちだが、セイタカはバラ立ち(なんというのか)のように面積を広げやすい。ただ、環境変化に最終的に強いのは株立ちなのかもなあと思ったり。
 そして、この小屋周辺は種取りや実験的菜園として利用できればと思っているのだが、、、はてさて。
 その生き物がそこにいるのには何か理由があるはずで、それを知りたいのだ、ぼくは。
 竹が邪魔だというので、まず切り倒すというのではないやり方を試行してきたのだが、なかなか伝わりづらいものだなあ。
 この建設残土を入れた場所が牧場となっている。竹がはびこる理由は人間が管理しなくなったからというだけではないと思うのだ。なぜ竹がそこにふえたのか。そんなことを草刈り機をとめて、夕暮れの道をとぼとぼ歩く途中で考えている。わからない。わからないことだらけだ。
 余談。
 荒地に最初に進出するのはオオアレチノギクやヒメアレチノギクで、焼畑(夏焼)の跡地にもこの2つが入り込んでいる。開花は夏から初秋にかけて。一方、ススキもセイタカアワダチソウも晩秋である。ほかの花が咲き終わった後にくる。さて、このふたつともが外来種で明治以降に「来日」したものである。江戸以前の焼畑ではどういう遷移をたどったのだろうかという点が気になる。
 さてさて、建設残土の荒地といえば葛。こちらは在来で利用法も多様。繊維から糸をとったり、若葉を尻拭きにも使い、そして葛根は澱粉をいまでも利用する。葛の葉はまだ元気があるが、気温が10℃を下る日が増えてきて勢いが急速にしぼんでいる。
 荒地にふえる者たちと竹との共通項など、少し整理してみたい。次回!