聞いたそのとき、いきいきとした像を結んだ話を、記しておく。断片はしだいに朽ちていく。1年以上まえの聞きかじりもある。
◉お弁当をもって美容院へ
木次のまちにある美容院へ、お弁当をもって一日がかりで行った記憶。いまでは車で15分ほどの距離だろうか。その記憶を語る人は、いま90歳をこえている。
よその町にすみ、ときおり訪ねてくる、木次のまち。その人のなかでは生き生きとまぶしいものとしてあるのではないか。よみがえるのではない、いまもあって、その人が語るたびに、現像されるものをおもう。
◉
聞いたそのとき、いきいきとした像を結んだ話を、記しておく。断片はしだいに朽ちていく。1年以上まえの聞きかじりもある。
◉お弁当をもって美容院へ
木次のまちにある美容院へ、お弁当をもって一日がかりで行った記憶。いまでは車で15分ほどの距離だろうか。その記憶を語る人は、いま90歳をこえている。
よその町にすみ、ときおり訪ねてくる、木次のまち。その人のなかでは生き生きとまぶしいものとしてあるのではないか。よみがえるのではない、いまもあって、その人が語るたびに、現像されるものをおもう。
◉
菜を摘んで粥をつくろうと、一昨日の夜には、ざっとした算段すらしていたのに、すっかり忘れていた。いま、一月七日という日はおわろうとし、夜をまたいで八日になってしまうのだが、天気を予報する便りは、春の嵐が吹くのだと全国的に、そう伝えてきていて、まさかと思っていたらば、先ほど、そう時刻にして零時四〇分くらいに、突然ざざーっと吹いた。
かれこれ一時間か二時間ほど前、部屋を暖めるストーブが示す温度が20℃を超えていて、暑いくらいだと風邪で寝込んでいる妻がいうので、スイッチを切った。ふだんなら、寒くてやれんと思うのだが、一時間たっても、いやいや確かに生暖かいほどだ。冬のさなかだというのに。そう思っていた矢先のことだった。「春の嵐」が音をたててやってきたのは。
気温は朝方に向かって下がっていくようだが、嵐は続くようで、どんな天気になるのだろう。そんなこんなも、まずは寝てから。おやすみなさい。
ほんとは「とき」のことを書きたかったのだが、また。
主よその憐れみもて我が罪を拭い去り給え BWV1083
ペルゴレージの楽曲「スターバト・マーテルStabat mater」から編曲されたJ.S.バッハのモテット「主よその憐れみもて我が罪を拭い去り給え」BWV1083。
深夜まで聴きながら、J.J.ルソーを想う。
それはまた、北欧のみまわり小人トムティと日本のトシガミをつなぐ道を想像することでもある。
お互いに分け隔てられ、ひとりでいる状態を、人間の”自然”として位置づけたルソーの「ワタシ」から、大晦日の夜にトシをもらっていた日本の「ワタシ」へ至る道を、あるのかないのかわからないままに、ここなんじゃないかと進みはじめた夜の曲として。
仕事はじめの日だった。
人の世には始まりがあり、草木虫魚にはそれがない。しかし彼らには永遠があるのかもしれない。
どちらがよいとも思わぬ。人は人として人の世を生きるのみ。
人が人としてやらねばならぬことの筆頭には仕事というものがある。
1月7日の今日から、車輪がまわるようにその「仕事」がはじまっている。
朝食の後、そういえば、今年の目標をかわしてなかったね、と妻に問うた。
1分ほどでお互いの一文字を決めた。
私の今年の目標。
無
昨日、益田市のグラントアで開催中のエドワード・ゴーリー展を観て、記憶に残った展示がこれだった(リンク先はamazonで購入できるその書籍)。
THE POINTLESS BOOK: Or, Nature and Art.
「無意味な本 あるいは自然と芸術」
意味によって覆い尽くされようとしている世界。その源たる書物というものに無の点を打つこと。無がひらくものに期待しよう。
9月24日の日曜日はバター作りのワークショップです。
内容と申込はfacebookのこちらのイベントページから。
◉バター作りワークショップ by 森と牛と畑とーダムの見える牧場
フレッシュバターを生クリームからつくるというのは、食育というキーワードを加えると多発しています。なにせ方法は簡単。生クリームを容器にいれてふるだけ。
それじゃあつまんないなあと、思ってしまうのは私だけではないはず、、と思う。生クリームと牛乳とのつながりが実感しにくいのです。生クリームってどうやってつくるの?ってことが加わるし。牛乳だって工場で殺菌やパック詰めの工程をへているとはいえ、搾ったミルクとのつながりが感覚にでもって得られる。生クリームではそれが弱いかほぼない、と私には思えるのです。
そして、牛乳から手作りで、バターがつくれないわけではないのです。かかる時間が生クリームでは10分〜15分かかるのが、20分〜30分にふえるというくらいのことで。
また、ガイドページにも書いたのだけど。これは野菜を中心としたマーケットで開催されるワークショップです。
「バターは工場でつくられるもの。いまの当たり前も、ここ数百年の常識。50年後に野菜は工場だけでつくられるものになり「野菜って土で栽培できるの?」という時代がきてもおかしくはありません」
スリランカで水牛のヨーグルトが素焼きの鉢に入れられて売られていたのを思い出します。日本の牛乳は大半が乳業会社の製品であり、個人経営酪農家の牛乳はきわめて稀だ。製造プラント建設だけで最低1億円はかかるときく。そら個人じゃ無理だ。
そういう世界から少し離れて、牛やミルクを見てみるためのWS。そのためには牛乳からせっせとバターをつくる経験がよい。と、私は思う。
2017年の8月20日。奥出雲町佐白。最高気温は32℃ほどだったでしょうか。日差しが強いものの、涼風が芝生の上を吹き抜け、東屋の下は過ごしやすい気候でありました。
effe-co.提供によるM.H.U.ガーデンパーティには32名が席を並べ、岩伏の山麓に広がる芝生の広場と、ブラウンスイスの放牧風景とをバックに、のコースを料理教室として体験しました。この日のために製作された椿窯の特製1尺皿に盛り付けられた食は、人を幸せにする何かがあるのですね。
ありがとう。
ありがとうございます。
感謝の気持ちと声は私たちのみならず、この土地でかつて営みの火をともし続け、去られて行った多くの人々、そして新たにここからはじめようとする人々、多くの人へと受け渡しつづけられる、そんな思いであることを強く感じました。



3年目となる竹の焼畑、夏焼きの火入れに木次酒蔵より標題の清酒をいただいた。昨年春の焼畑でできた粟と仙人穀が原料として入っている。いうならば焼畑の酒。
火入れ式で山の神さんにも差し上げ、地の霊もよろこばれたことだろう。さて、改めて味わってみるに、ころころと味わいが口にした瞬間から喉をこすまでの間に変化するおもしろい酒である。
度数は18度以上19度未満とあるが、基本は米のお酒=清酒の度数としてはきわめて高いのではなかろうか。エゴマの香りと大変相性がよい。肉や魚よりは卵焼きなどにあう。料理をおいしくする何かがあるのだが、素材や調理との相性はなかなかに難しいものもある。
奇酒としておすすめしたい。
そして、来年の仕込みにも粟を提供できるように畑をみていくのだ。
写真の右隣りにあるのは、今日、その粟の畑で倒伏していた粟の若穂。あと1ヶ月半で黄金色に稔ることを祈りつつ。
7月16日(日)。夏焼きへ向けての焼畑整備、その3日めです。4月当初の計画からは大幅な遅延ですが、想定はしていたことなので、落とし所をどこにもっていくかをそろそろ見極めねばなりません。
この日の参加者は6名。昨日までの猛暑日からはやや涼しく過ごしやすいのですが、気温は30℃超です。「真夏の竹伐&豚肉とアマランサス菜の卵とじ丼」としては、少人数だからできたという面もあります。
真夏の竹伐ですが、今年から初心者がふえることから講習会を企画しています。今回は森林組合で働くOBに講師をお願いしました。竹を伐るのは初めてという2名のみならず経験者にも意義ある講習でしたよ。
要点を箇条書きにして残しておきます。(のちほど加筆予定)
・倒す方向を決めて伐る。成り行きで伐っているといつまでたっても向上しない。技術の向上=安全性の向上。
・ノコギリを動かす手元だけを見てしまいがち。竹の動きをみる。
・逃げるタイミング。


アマランサスの間引き菜はたぶん高温で炒めるのがよいなと。中華の味付けが基本的にあうはずです。。今回はカセットコンロですので、火力の問題もあり、卵とじというよりは汁風に仕立てました。

さて、スタミナのつく丼も完食し、作業も暑い中ではそこそこにこなし、お疲れ様でした〜の後に、悲劇とも惨劇ともつかない結末が待っていたのですよ。
あぁ。
途方にくれ、その場から腰をあげようとしない男たちの後ろ姿から察してやってください。



追記。
中山南東部の大豆はおおむね発芽して双葉から3葉までという状況でした。
長島一由著『フィルムコミッションガイド 映画・映像によるまちづくり』がWAVE出版から発行されたのが2007年。
この数年後にはフィルムコミッションを謳った映画の評価が下がり、全面に押し出すような宣伝の仕方を配給する側はとっていない(はず)である。しかしその片側でフィルム・コミッションそのものは増大しているようだ。wikipediaを参照すれば読み取れるし、ここ数年、市町村のいわゆる地域活性化のプログラムの中に「フィルム・コミッションの推進」という言葉が目につくようになったのに違和感を感じてもいたもので。
ちなみにお膝もとの島根県には松江フィルム・コミッションがある。
いえ、大した話ではありません。与太話です。ほんとにそれ、地域活性化に資するの?という案件が目につくので、気になっておったところ、あれれれ、という記事が飛び込んできたので。
それは、茨城新聞のウェブ版2017年7月13日(木)に掲載されているこれ。
「県内FC活動、ロケ支援5000作突破 昨年度、経済波及6億2000万円〜朝ドラ「ひよっこ」効果 撮影隊が長期滞在」
問題になりそうなのは記事中のここです。
《撮影は延べ59日間行われ、延べ約2570人のスタッフが活動した。日立市内のホテルには連日数人が延べ25日間宿泊したといい、同ホテルの担当者は「全体の売り上げに大きな変化はないが、リピーターとして利用してもらえればありがたい」と期待する。》
ホテルの担当者は「全体の売上に大きな変化はない」といいます。
何が起こったかは明確で、市内のおそらくビジネスホテルでしょうが、既存顧客が押し出されたわけです。そのうち何人かは当該ホテルのリピーターであったでしょう。
続けて、このホテル担当者がこう言っているのに注目。ふつう記事にはしない(できない)でしょう。「リピーターとして利用してもらえればありがたい」と。いやいや、撮影隊がリピーターになるって、、、そりゃ希望がないわけではないでしょうが。儚い希望でありすぎやしませんでしょうか。ふつうにはあり得ない以上、このコミッションは負の効果、すなわち撮影隊を一時受け入れることによる既存顧客の喪失のほうが大きいと考えるのが、普通でしょうがねえ。