通勤途中の天が淵付近、国道314号脇に車をとめて、撮りました。
斐伊川の西岸の集落です。確か地名は「川手」。
天が淵にまつわる伝承について、神陵や神社や、淵の底がお寺の井戸(だったかな)とつながっているとか、そのような話はすべて東岸に由来地があります。
そして、この写真に見える西岸にはまったくない。
そのあたり、もう少し知りたいところです。なぜなのかを。
ブログを放置し続けていたのには訳、、などありません。できなかっただけ。
という言い訳はさておき。
これ。
さくらおろち事務局前です。この冬はじめての積雪。尾原ダムでは積雪10センチだったとか。秋の冷え込みは昨年よりも早かった気がしますが、それでも、急な寒波到来でした。タイヤかえてないよ、どうしよう、という声がちらほら聞こえたのが、その証左かと。
そして、2月のツアーでは雪がほしい。下旬にあるかなあ。先日の会議で出た話では、近年は雪が積もるのが前にずれてきていて、昔は2月だったのが、今は1月。2月にはそう雪が積もらなくなっているーーてなこと。積雪量も減っているというのはよく聞く話。
さあて、しかし、気象台の過去データをたどればそこらへん、わかるのでしょうか。
http://www.data.jma.go.jp/obd/stats/etrn/index.php?prec_no=68&block_no=47741&year=&month=&day=&view=
というので、調べはじめたら、「あなたがやることじゃない」「ほかに山ほどやることがたまってるでしょう」と笑いながら、妻にたしなめられました。ごもっとも。
しかし、私がやらねば、ほかに誰がこんなことをやるのでしょう。島根で。
松江のデータは1960年代からあるのですが、横田では80年代から。表におとす前に目でさらったくらいではわからないくらいに、明かではありません。最大積雪量は年によってかなりばらつきがあるのです。昔も今もそこはかわらず。
あぁ、一度宿題にすると、ずーっとやらないということに、これもなるのでしょうか。どなたかグラフに落とすなどしないのかなあ。
沖縄ってなんだろう?
この写真展は松江の白潟本町の一角にあるスティックビルの1階である。今回はいっせいに展示されていて、「把握」や「理解」の一歩のような催しとなっている。日曜日には映画の上映会があって監督もいらっしゃる。
しかし、こういうものにふれたくないという人も多いのではなかろうか。重いとか、煩わしいとか。その気持ちもとてもよくわかる。
あぁ、でもね、この戦争はまだ終わっていないのです。敗戦を終戦と言い換えて、ごまかしてきたものは、いつまでも私たちにつきまとい続けるに違いありません。「やだな」と感じる人の感性は間違っていないと思います。ただ、ケリのつけ方が間違っているのです。こういう機会はそうそうあるものでもない。
もやもやしている気持ちがあなたにあるのなら、ケリをつけにスティックビルへ行ってみませんか。……というお誘いでした。
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「友の碑」予告編
ねがはくは花のしたにて春死なんそのきさらぎの望月の頃
竹薮の暗闇の前に浮かび上がる姿に西行の歌がかぶります。
そうそう、お役所では「桜の下に首ひとつ」という句があると聞きました。老いた桜(ソメイヨシノ)は切りたくても切れなくて、切ろうとした管理官の首のほうが切られるのだというお話。
ソメイヨシノは自家不和合性が強い品種であって、ソメイヨシノを両親とする種は稔ることはあっても発芽には至らないという。よって子孫を残せない1代限りの種。ほとんどすべてが接ぎ木、挿し木による繁殖である。ある意味、日本のソメイヨシノはすべてクローン。
江戸の花見文化から生まれ、戦後またたく間に全国に広まったこの花の栄枯盛衰を思ってみれば、「おごれるものもひさしからず」。
ソメイヨシノにおごりもなにもないのだろうが、少々行きすぎたもてはやされぶりだなあと思うのだった。
桃源郷の春。かと思うような地でありました。
舗装道とはいえ急峻な山道を駆け上がったところに開けた4〜5軒ほどの小さな集落です。
ここなら、挑戦してみたい、人生をかけてみたいと、思えるのではないでしょうか。私も30代前半であれば、ひとめぼれしたかも、です。
実際、ここの土はよかったです。
何がよかったのか。
実は在来カブの再生栽培調査に同行させていただいたのですが、どれも特徴をよく発現していました。他の土地でははぶいたり、よせたりして、発現優位のもの同士での交配をしかけたのですが、ここでは、「じゃあこのへんで」ということで根付いたままの状態のある箇所を選んでネット(交雑防止)をかぶせました。
マイクロクライメイト(超微小気候)を生かした栽培が、この地での新たな営みをつくれるかもしれません。
できたー! と夜の0時過ぎに妻を叩き起こして喜んだ次の日。
燃焼具合を試してみました。
いいですね。
本日、日曜日に奥出雲竹取りの会研修会でのお披露目となりました。
皆さん、聞いたことはあっても実物を見るのははじめてという方ばかりでした。ぽんと広場に置くやいなや、わらわらと人が集まってくる状態で、大変興味をもってもらえましので、当初の目的は達成。お次は「山」と「薪」の確保です。こやつの場合、針葉樹の枝だろうが、竹割ったのだろうが、使えます。竹の生木でも使える=すなわち燃えることはわかりましたが、やはり煙・煤は多く出ます。これ、もっと燃焼効率を高めたものであればどうか。そういう気にもなりますが、竹材の確保が先でしょうねえ。いまの時期(12〜2月)のものであれば、3ヶ月くらいで含水率20%までもっていけるだろうと。
そこで、まだお試し段階として「個人」として動くのか、NPO団体として動くのか、はたまたまた別の団体もまじえて動くのか、ですが、うーん、もうちっと考えます。
奥出雲竹取りの会・研修会向けにロケットストーブ釜をつくっています。
複数の動機に基づいているので、箇条書きにしてみますわ。
①ずっとつくってみたかった……およそ3年前からの関心です。セルフビルド住宅やパーマカルチャー関連の情報で存在を知り、こらいいなと。
②薪ストーブは高価。竹でも杉の枝打ちしたものでもうまく燃やせる釜がほしい。
③プロパンガスが高い。
④奥出雲竹取りの会で竹を燃やす。火へのアプローチ一歩目としてまずは煮炊きできるという釜をやろうではないか。竹を燃材として使うに際し、ロケットストーブの特徴をうまくいかせるのでは?
という具合です。
さまざまなウェブサイトを参考にしました。
つくってみてはじめてわかることも多数。
今日は夜なべしてここまで。
明日には完成させます。
やってきました。徳島県吉野川市美郷町字大神。高開と呼ばれる集落です。
「石積み修復の基礎」をまとめた小冊子も入手しましたよ。徳島大学工学部建設工学科・真田先生より拝受。感謝。集落は4戸を残すのみ。石積みを学びに仲間を募って再来したいです。
今日は眠いので、詳細をまた更新します。
石積みは城郭のそれについては研究も豊富なようですが、棚田などでは論文なども少なく、ようわからんところが多そうです。
・技術はどこから伝えられ、広まって・あるいは伝達や継承をされて、近年まできていたのか。
・時代による変化変遷について
・地域による違い。とりわけ岩の質のよるものに由来するところなど
・どこから運ばれてきたものなのか
かつて(そのおばあちゃんが知る限りでは)は、タバコの葉、麦、蕎麦、を栽培して営みをつづけていたとか。一時期は桑と養蚕が主たる時もあったそうです。
残り4戸のなかの1軒で聞いた話ですと、同じような石積みの集落はそこここにあったが、崩落による全戸離村もあり、ここでも1軒、また1軒と離村が続いてきたのだか。村を出るときには植林をして出たのだそうで、森を徐々に切り開いて生まれた場所が、また森に帰っていくのだと、訪れた大学生がいうのだといいます。
うーむ、いや、素人意見ですが竹林の急拡大が進展している場所もありますし、森ではなく薮が生まれつつあるのです。放棄すれば(豊かな)自然にかえるというものではない。
この場所とこの里とどう付き合っていくのか、姿勢と理念がとわれているのかなあ。
……つづく。
森でなく藪に戻るだろうという臆見は今読むに恥ずかしい限り。