沖縄ってなんだろう?
この写真展は松江の白潟本町の一角にあるスティックビルの1階である。今回はいっせいに展示されていて、「把握」や「理解」の一歩のような催しとなっている。日曜日には映画の上映会があって監督もいらっしゃる。
しかし、こういうものにふれたくないという人も多いのではなかろうか。重いとか、煩わしいとか。その気持ちもとてもよくわかる。
あぁ、でもね、この戦争はまだ終わっていないのです。敗戦を終戦と言い換えて、ごまかしてきたものは、いつまでも私たちにつきまとい続けるに違いありません。「やだな」と感じる人の感性は間違っていないと思います。ただ、ケリのつけ方が間違っているのです。こういう機会はそうそうあるものでもない。
もやもやしている気持ちがあなたにあるのなら、ケリをつけにスティックビルへ行ってみませんか。……というお誘いでした。
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「友の碑」予告編
日々の記録
さくらおろちの花の下
ねがはくは花のしたにて春死なんそのきさらぎの望月の頃
竹薮の暗闇の前に浮かび上がる姿に西行の歌がかぶります。
そうそう、お役所では「桜の下に首ひとつ」という句があると聞きました。老いた桜(ソメイヨシノ)は切りたくても切れなくて、切ろうとした管理官の首のほうが切られるのだというお話。
ソメイヨシノは自家不和合性が強い品種であって、ソメイヨシノを両親とする種は稔ることはあっても発芽には至らないという。よって子孫を残せない1代限りの種。ほとんどすべてが接ぎ木、挿し木による繁殖である。ある意味、日本のソメイヨシノはすべてクローン。
江戸の花見文化から生まれ、戦後またたく間に全国に広まったこの花の栄枯盛衰を思ってみれば、「おごれるものもひさしからず」。
ソメイヨシノにおごりもなにもないのだろうが、少々行きすぎたもてはやされぶりだなあと思うのだった。
桃源郷のような
桃源郷の春。かと思うような地でありました。
舗装道とはいえ急峻な山道を駆け上がったところに開けた4〜5軒ほどの小さな集落です。
ここなら、挑戦してみたい、人生をかけてみたいと、思えるのではないでしょうか。私も30代前半であれば、ひとめぼれしたかも、です。
実際、ここの土はよかったです。
何がよかったのか。
実は在来カブの再生栽培調査に同行させていただいたのですが、どれも特徴をよく発現していました。他の土地でははぶいたり、よせたりして、発現優位のもの同士での交配をしかけたのですが、ここでは、「じゃあこのへんで」ということで根付いたままの状態のある箇所を選んでネット(交雑防止)をかぶせました。
マイクロクライメイト(超微小気候)を生かした栽培が、この地での新たな営みをつくれるかもしれません。
ロケットコンロ(ストーブ)のそれから
できたー! と夜の0時過ぎに妻を叩き起こして喜んだ次の日。
燃焼具合を試してみました。
いいですね。
本日、日曜日に奥出雲竹取りの会研修会でのお披露目となりました。
皆さん、聞いたことはあっても実物を見るのははじめてという方ばかりでした。ぽんと広場に置くやいなや、わらわらと人が集まってくる状態で、大変興味をもってもらえましので、当初の目的は達成。お次は「山」と「薪」の確保です。こやつの場合、針葉樹の枝だろうが、竹割ったのだろうが、使えます。竹の生木でも使える=すなわち燃えることはわかりましたが、やはり煙・煤は多く出ます。これ、もっと燃焼効率を高めたものであればどうか。そういう気にもなりますが、竹材の確保が先でしょうねえ。いまの時期(12〜2月)のものであれば、3ヶ月くらいで含水率20%までもっていけるだろうと。
そこで、まだお試し段階として「個人」として動くのか、NPO団体として動くのか、はたまたまた別の団体もまじえて動くのか、ですが、うーん、もうちっと考えます。
ロケットストーブ釜をつくる…その1
奥出雲竹取りの会・研修会向けにロケットストーブ釜をつくっています。
複数の動機に基づいているので、箇条書きにしてみますわ。
①ずっとつくってみたかった……およそ3年前からの関心です。セルフビルド住宅やパーマカルチャー関連の情報で存在を知り、こらいいなと。
②薪ストーブは高価。竹でも杉の枝打ちしたものでもうまく燃やせる釜がほしい。
③プロパンガスが高い。
④奥出雲竹取りの会で竹を燃やす。火へのアプローチ一歩目としてまずは煮炊きできるという釜をやろうではないか。竹を燃材として使うに際し、ロケットストーブの特徴をうまくいかせるのでは?
という具合です。
さまざまなウェブサイトを参考にしました。
つくってみてはじめてわかることも多数。
今日は夜なべしてここまで。
明日には完成させます。
高開の石積み集落訪問
やってきました。徳島県吉野川市美郷町字大神。高開と呼ばれる集落です。
「石積み修復の基礎」をまとめた小冊子も入手しましたよ。徳島大学工学部建設工学科・真田先生より拝受。感謝。集落は4戸を残すのみ。石積みを学びに仲間を募って再来したいです。
今日は眠いので、詳細をまた更新します。
石積みは城郭のそれについては研究も豊富なようですが、棚田などでは論文なども少なく、ようわからんところが多そうです。
・技術はどこから伝えられ、広まって・あるいは伝達や継承をされて、近年まできていたのか。
・時代による変化変遷について
・地域による違い。とりわけ岩の質のよるものに由来するところなど
・どこから運ばれてきたものなのか
かつて(そのおばあちゃんが知る限りでは)は、タバコの葉、麦、蕎麦、を栽培して営みをつづけていたとか。一時期は桑と養蚕が主たる時もあったそうです。
残り4戸のなかの1軒で聞いた話ですと、同じような石積みの集落はそこここにあったが、崩落による全戸離村もあり、ここでも1軒、また1軒と離村が続いてきたのだか。村を出るときには植林をして出たのだそうで、森を徐々に切り開いて生まれた場所が、また森に帰っていくのだと、訪れた大学生がいうのだといいます。
うーむ、いや、素人意見ですが竹林の急拡大が進展している場所もありますし、森ではなく薮が生まれつつあるのです。放棄すれば(豊かな)自然にかえるというものではない。
この場所とこの里とどう付き合っていくのか、姿勢と理念がとわれているのかなあ。
……つづく。
■追記2022/10/01
森でなく藪に戻るだろうという臆見は今読むに恥ずかしい限り。
本川達夫先生のこと
本川達夫先生。
「ゾウの時間、ネズミの時間」の著者として知られる、棘皮(きょくひ)動物の研究者です。
ナマコ、ウニ、ヒトデ、等々。
「なぜ棘皮動物の研究者になったのか」…その理由が素晴らしいと妻がいうので、読んでみたらば、胸をドンドンと打たれるような、心の底の蓋がぱかんと開けられてしまったような、そんな想いで一杯になりました。
原文はこちらです。
また、ページが無くなって消失してしまったときのために、以下に転載しておきます。
なぜなら、今年度で大学を退官されるのです。
最終講義は、3月21日です!!!!
行かねば!
専門は生物学。棘皮(きょくひ)動物(ナマコ、ウニ、ヒトデ、ウミユリ)の硬さの変わる結合組織の研究や、 群体性のホヤを使ったサイズの生物学の研究をしています。
「動物学者です」と言うと、
「動物がお好きなんでしょうね」
としょっちゅう言われるのですが、それほどの動物好きではありません。子供の頃から殺生が嫌いで、昆虫採集など、やらない少年でした。
ナマコを研究していますと言うと、「初めてナマコを食べた人は偉いですね」と、判で押したように言われます。それほどまでにナマコはグロテスクなのでしょう。小生も、こういうイモムシ形の動物は、好きにはなれませんね。30年近くナマコの研究をやっていますが、いまだにだめです。でも、ナマコのことを知ればしるほど、ナマコを尊敬できるようになってきました。尊敬できれば、嫌いであっても付き合っていけます。
さてさて、それではなぜ動物学の研究を? そしてナマコを? ということになりますが、それは、そもそも小学校の頃から、ずっと学問をやりたかったからです。
ではなぜ学問を? ということになりますが、それは正しいことで身を立てたかったからです。自分が儲かるとか偉くなるとかとは関係なく、正しいことをやって生きていければいいなあと、子供ながらに思いました。正しい方向に歩いていれば、やましくなく生きていける。また、正しい方向に歩いているとは、正しいものとともに歩いているという安心感が得られる。ーそんな気がしていました(こんなふうに言葉では表現できなかったでしょうが、小学校の頃から、強くこういう感覚をもっていました)。
動物学を選んだ理由は、純粋な学問をしたかったからです。社会に役立つ学問は応用の学問です。儲かってしまいます。それは不純な感じがしました。それに、社会に役立つということの裏には、自分にも大いに役立つという思惑が、透けて見えるような気がしました。そういうまやかしは、やりたくなかったですね。正しいことが第一で、好き・役立つ・儲かるなどは二の次。どちらかと言えば、嫌いなもの・役に立たないもの・儲からないものに目を向ける方が、ごまかされないで安全だと思いました(ごまかされるというのは、他人にごまかされるという意味よりむしろ、自分の心にという意味です)。
理科離れをどうやって止めようかと、いろいろ議論されています。その関連の文部省の委員会に出ていたことがありますが、そこでの発言は、理科の大切さをアピールしよう、理科の面白さをアピールしよう、理科のすごさをアピールしよう、という趣旨の話ばっかりでした。具体的には、子供たちをピカピカの機械にさわらせればいいだろう、学校をインターネットでつないでコンピュータを身近にしたらいいだろう、などと、技術自慢の話が多く、小生のように、「理科は正しい、だから理科をやれば心の安心が得られると宣伝しよう」などという意見を言う人は皆無でした。
それはそうなのですね。だって、今の科学技術はちっとも正しくありませんもの。科学技術をなりわいとしても、心の安心など、まったく得られません。技術者は、つぎつぎと新しい製品を作って売らねばなりませんし、科学者も、少しでも他人を出し抜こうと競争しており、休まる暇がありません。
それに、科学技術が向かっている方向自体が、はたして正しいのでしょうか?
現在の科学技術は、人間の欲望を満たしながら、欲望の火をさらに燃え立たせることに奉仕するものだと、私は考えています。これでは、科学技術は正しいものとは呼べないでしょうし、科学技術で心の安心など得られません。だから、私が、正しい道を歩むために科学を選んだというのは、間違っていたのですね。
でもやっぱり、私としては、科学に正しさを求めたいのです。だからこそ、科学を批判的に見る努力を、いつもしています。それに、現代社会は、すべての営為が人間の欲望を満たすためのものという気がします。そう居直って見渡してみれば、直接のお役に立たない学問は、やはり、清く正しい営為だと思います。
もちろん、自分だけ清く正しくしていて、それで税金で養ってもらおうなどとむしの良いことを言うのははばかられることです。だからそれなりのサービスをするように、常日頃こころがけていますし、覚悟としては、たとえ労ばかり多くて儲からないことであれ、つまらないことであっても、やるべきことには汗を流す必要があると思っています。そこで、小生のスローガンは次のとおり。
「清く 正しく 貧しく 美しく、めざせ、学問の宝塚!」
「貧しく」を入れておけば、人生、大きな間違いはないと思っています。
さて、直接、社会のお役に立たない学問をするならば、理学部か文学部という選択になります。中学の頃には、どちらかの学部に進もうと思いました。
学問を一生していきたかったもう一つの理由に、「私とはなにか」という疑問をずっと問い続けたい気持ちがありました。ふつう、こういう疑問をもつと文学部に行くのすが、文学部というのは人間の頭や心の中ばかりのぞき込んでいる気がして、躊躇しました。それに「文学部」というと、なんだか自己破滅型の人間じゃなければ行ってはいけないような思いこみがあったものですから。(このあたりは、吉永氏のインタビュー記事も参照)
さて、理学部でも、物理も化学も生物もあります。
物理のように、分子や原子で「私」を含む万物を理解しようとするのは、すっきりとして気持ちは良いのですが、どうも愛想がない気がしました。
世の中では、自然のことは分子・原子ですっきりと理解し、人間や世の中のことは心でなんとなくあいまいに理解するという、二極に分化しすぎているように、当時の私には思えたのです。そこで、心と原子の中間の立場、つまり動物の視点から「私」を理解してみようと思い、生物学科(動物学教室)に進学しました。
こういう発想だと、ふつうはサルの行動を研究する、というふうに進むのがお定まりの道でしょう。でも、なるべくクールに動物を学ぼうという思い、人間とは大いに違うものを研究することにしました。
大学院では貝の研究、それから、ナマコをはじめとした棘皮(きょくひ)動物、そして今はサンゴやホヤも研究対象にしています。これらはどれも皆、あまり動かず、神経の発達していないものたちです。ヒトとは生き方がまったく違います。こういうものを見ていると、動物としてその対極にあるヒトの特徴がよく見えてくる気がします。
これらの動物(とくに棘皮動物)は、みな、ほとんど研究者のいない分野です。
私は、原則として、みんながやっていることや、やりたがることはしないことにしています。
自分や社会が儲からないことは、やらないのが、今の世の中です。嫌いなことは、もちろんやりません。でも、みんなが見捨てていても、みんなが嫌いでも、だれかがやらねばならない大切なことは、いろいろあるはずです。そういうことをやるのが尊い人生だと、私は思ってきました。
ナマコは誰もやりたがりませんね。儲かりませんし、ナマコでノーベル賞がでるわけもないし。
以上、なぜ動物学、それもナマコなのかということを、長々と述べてきましたが、小生のこういう性格からすると、一昔前なら比叡山に登っていたと思いますね。今でも出家願望はあります。
また、短いコメントですが、動画をひとつ貼っておくのです。本川 達雄 -効率の追求と学問の衰退
成人の日におもう
今日は成人の日でした。
国民の祝日に関する法律では、「おとなになったことを自覚し、みずから生き抜こうとする青年を祝いはげます」としています。
で、おとなって何?
無邪気な子どもの質問ではなく、いや、本当に、そう問いたくなってしまう昨今のご時世なのですが、これ、「大人」の定義、存在価値というものが揺らいでいるということでしょうか。
いや、「大人」がいなくなったからです。子どもだらけの世の中なのですよ、いまは。
そんなことを、思う、鏡開き、出初め式、とんどさん、と続いた年初の行事をふりかえりながら思ったのでした。
写真は、冬の太陽。1月6日、仕事はじめの日に、さくらおろち湖をぐるりとまわったときの撮影。