畑の柿を食す

裏の畑にある柿。もう枯れてもかまわないとばかり、強剪定してきたものだから、ここ数年実をつけはしなかった。今年、数年ぶりに数個の実をつけている。渋柿と甘柿、それぞれに。渋柿は3つ、甘柿は4つ。今日、甘柿のひとつを食した。渋みはなかった。固く、本当に固く、うまかった。甘みはさほどないがそれがいいのだ私には。むしろかすかなその香りとカリッとした食感を楽しみたい。
そして、柿は小さいほうがいい。大きく甘い柿はもはや好まれないのではないかとさえ思うのだが、どうだろう。市場に並んでいるものをみると、えぇ!というほど大きいものが多い。我がオリゼ畑にあって数年ぶりに実をつけた甘柿たちは小さい。柿の実はいつごろから大きくなってきたのか、それを確かめる術は多くなさそうだが、いつか詳しく知る人がいればたずねてみたい。

渋柿はもう少し熟したら干し柿にしようと思っている。葉の陰にかくれたひとつは完熟しゼリー状になっているのを確認した。干し柿といえば、高開でよばれたあの白い粉をふいた固く美味い干し柿が忘れられない。死ぬまでにあれをもう一度食べてみたい。つくってみたい。

2017年11月18日撮影。いちばん左がわからないが、真ん中と右は半自生の野柿。

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徒然なるままに、ダーウィンと土と小麦

小麦の種子をまかんとして、畑を整えるところまで。今日のところは。つづきは明日。
畝を整えんとして、畝間の土を掘り起こした。その際、ミミズを何匹かやってしまったと思う。小さなものが多かった。大きなやつ一匹については、頭をのぞかせたくらいだったので生きていると思う。深いところの土はネバマサ?ってやつか。深く掘り下げていけばマサが出てくるはずなのだが……いつかやってみたい。

種の起源』で知られるチャールズ・ダーウィンは地質学者を名乗っていた。借りてきた本を読みながら、どこか千葉徳爾を連想させるものがあって、あぁ、そうかもしれないとも思う。「方法」というものに意識的であったという点。大きくは科学と呼ばれるもの、であるだろうけれど。

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ユクスキュルの『生物から見た世界』、ダーウィンの『ミミズと土』、伊澤加恵の『おすそわけ』。ここに戻って、また思考を編んでいくのだ。小麦の種子をまきながら。

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『土中環境』の著者、高田宏臣氏はウェブの日記中で、こう記しておられる。
《無理な手入れを施せば、このモミジたちも暴れ出し、そしてあっという間に健康も美観も損なってしまうのです。無理をせずにコントロールすること、木々との対話が手入れの極意です。》

そう。無理をしいれば、樹々は暴れ弱って死んでいく。ここ数年、あれこれと思い当たることを反芻しつつ、木と土に向かっていこう。
拾ってきたドングリは数個なのだが、もっと拾ってたくさん育ててみよう。籾殻をもらい、わらをもらい、落ち葉をひろい、と、いろいろすることはあるが、これは楽しく人を募ってやっていこう。まず、ひとりでできるところから。
高田氏がいうようにコナラの力は大きいと思う。

《なぜ、私がコナラを主木に用い続けてきたか、それは、一般的な庭で扱いやすい樹種の中でとびぬけて環境改善効果が高いことが、主木として扱い続けてきた大きな要因の一つです。
環境改善効果が高いということは、夏場の生命活動が盛んで、生育が早いということでもあります。
しかも、この木はモミジなどと違い、日陰で扱うことができないため、成長スピードのコントロールは常に人為的な手入れ作業に委ねるしかないのです。》

《最大9m程度の樹高を想定しなければならない》かあ。オリゼの庭では無理があるが、斐川の家なら可能だろう。まして牧場ならOK。
さて、コナラの生命感を彼は感じているのだが、それがどこからくるものなのか。もっと感じとっててみようと思う。まず、ドングリをひろうところから。

小麦の種子を撒くのに、小さな畑なので、もちろん手まきなのだが、岡本よりたか氏がおもしろいことをfacebookに記しておられた。

《皮膚常在菌、腸内細菌、土壌菌。この三つは密接に繋がってる。腸内細菌は土壌菌と似ていて、土壌で作り出される野菜や穀物を食べることで腸内細菌が増えていく。そして、その腸内細菌が増えていく人ほど皮膚常在菌も増えていく。だから、種に皮膚常在菌を纏(まと)わせてみようと思って。
種を健康に芽吹かせようとすると、この三つの菌の連携が必要になる。信じられないかもしれないけど、子供のように皮膚常在菌の多い人が蒔くと、野菜は健康に育つ。しかし、腸の調子が悪い人、基礎疾患のある人が蒔くと種が病気になることがある。これ、事実なんだよね。経験則として。》

そんな微細なものがほんとに? と思う人が大半だろうし私も一瞬そう思いかけた。あぁ、ただそれはあるか、と。たとえば、アマランサスのあの小さなごま粒のような種子は数ヶ月で人の背をこえるほどに成長するのだ。いま世界を席巻しているるcovid19だって、最初はひとりかふたりの人間からひろがったものだ。

ドングリをひろうときに、苗床をつくり、それをうえるときに、それを感じてみよう。

金木犀がようやく花を咲かせる頃に小麦の種をまく令和3年10月25日

金木犀の蕾がいまにも開かんとして微香を漂わせている日。例年ならば9月の半ばにその香りを開花とともに芬々とさせているものである。気温、降雨、日照、気象の種々が平年とは異なる年であるとともに、ここのところ毎年のようにそんな異常が続いている。それでも花が咲くことは嬉しいことだ。ことに自分の家の裏、勝手口を出た目の前にある木であるのだから。

そんな日、スペルト小麦の種子を温水につけ冷蔵庫にしまった。明日播種の予定である。アマランサスの脱穀も少々。明日は斐川の分も脱穀か。水曜日は松江、木曜日は頓原、金曜日からはスリランカカリーの3日間である。慌ただしい。

セイタカアワダチソウとアカメガシワとクサギは同じところにいる

昨日に引き続き今日も草刈り。2時間ほどだが、休憩なしだったのでそれなりに汗はかいた。肌寒い日だったが気温が摂氏10℃以上あれば、シャツで充分ということは改めてわかった。ほんとうにちょうどよい気候。これが冬になると脱いだり着たりする必要が出てくるのでね。

六角棒レンチを忘れていたので、牧場で借りて刈払機の刃を交換。シュルシュルと音がしていたので、ゴミを飛ばしてグリースも打っておいた。次回はエアクリーナーもみておこう。都度借りているものだが、来年は買おうと思う。今年の計画にあげていたとおり、草刈りの頻度を増やして植生を管理していこうと思うことによる。ナイロンカッターを使うには自前のものでていねいにやる必要があるということと、斐川の実家の草刈りにも必要かと思われるので。

候補はゼノアのBCZ265L-DCでナイロンカッターや肩掛けハーネスがセットになっているもの(農機具通販店agris)。ループハンドルは山の急傾斜面や竹をはじめとした切株が多い場所が多いので。BCZシリーズはプロ用の位置づけだが、家庭用という位置づけがそもそもおかしいのである。チェーンソーのときもそうだったが、耐久性や使い回しなどなど考えると、購入時に多少高くてもしゃあない。

閑話休題

草刈りしていて、標題のことに気がついたのだが、はて、パイオニアプランツということで一致はするものの、もう少し何かありそうだ。それについてはまた改めて。

アカメガシワの若葉の食慣行があることを今回知る。茶の葉もある。見つけ次第、遠慮なく切っていたのは、かつてこの葉の裏にいた毛虫に刺され、手が腫れるという痛い目にあった復讐心からだと思う。あるいは、コンクリートの隙間をはじめどこにでも隙間さえあれば侵入してしぶといということにもよるのか。岡山理科大の植物雑学辞典中にみられるように、アカメガシワの特性からも少し見直す必要がありそうだ。平凡社・世界大百科事典には、《秋には黄葉し,古来,歌人に愛された楸(ひさぎ)は本種とみなされる》と。
食慣行もあり、和歌にも多くみられる※1ことから、人との付き合いは長く深い。地方名も多数あるようなので、調べておこう。
以下にいくつかリンクを貼っておく。

・樹木図鑑のアカメガシワ

・アカメガシワの生存戦略(岡山理科大・植物雑学辞典より)

※1 二、三の和歌をみたところでは、アカメガシワでないような気もする。もっとひろいあげてみようと思う。

ぬばたまの夜のふけゆけば久木おふる清き河原に千鳥しば鳴く  山部赤人

令和3年10月23日のあれこれ

扇風機を掃除して片付けた。木酢液400倍希釈を少しばかり畑に撒く。続きは翌日に。家の裏の金木犀、花がようやく咲きそうだ。香りはじめている。例年よりおよそ一月半ほども遅れているか。

blog,こどもと読むたくさんのふしぎ。なんと、ダーウィンのミミズのお話だ。木次図書館で借りてこよう。

buchicat.hatenablog.com

ヴィクター・W・ターナー 『儀礼の過程』冨倉光雄訳,ちくま学芸文庫。津和野町立図書館から取寄せたものの返却期限が来週火曜日まで。これを返すときにでも。

スズメたちは麦の食べ方を覚えた

一昨日のことだったか。うちの裏の畑で小さく育てていた裸麦。スズメたちに食われていた。つまみぐいなどではない、本気のどか食いである。裏で育てて3年目だろうか。こんなことは初めてだ。なにが「やつら」をそうさせたのか。

茎が折られている。どこでどうやって覚えたものか。妻も目撃して感心していた。
数羽でやってきて、一羽が穂につかまって倒す、倒れた穂をついばむ。その一連の動きが見事で、連携プレーのようなさわやかさすらある。やつらにその意識はなく、たまたまそうなっているだけなのかもしれないが。

もちろん、傍観するに甘んじていたわけではない。応急処置として網をかけておいた。かかったら焼き鳥にしてやると。2日が経過し、網がかかったところは無事だった。一定の効果はあったと、茫然自失の三歩手前から五十歩手前くらいまでは自信と安心を回復したのは、そう五分もあったかなかったか。畑をパトロールしてみれば、こぼれ種から小さな穂をつけていた同じ麦たちが、みるも無残な姿に……。網をかける前まではまったく無傷であり、ま、「やつら」もまだ未熟で青いこの小さな穂までは手を出すまいとたかをくくっていた己を恥じた。

スズメたちは麦の食べ方を覚えた。われわれは何も学んでいない。

菊芋堀り雑感

雪の下から芋を掘る。
一般的には遅いのだろう。サツマイモはもちろん里芋だってもとは南国の芋なのだから、零下の気温ではたちまちにだめになる。が、しかし、だ。菊芋は雪の下のをとってくるものだと不確かながら聞いたことがある。そういう芋なのだと。
ならば、まさにいまが旬。
ここ数日、雪も溶けてきた山の畑でためしに掘り上げてきた。
感触はかなりいい。食べての報告はまた。

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令和2年のタカキビ

5月17日の妻のつぶやきからひろう。

ダムの見える牧場の山の畑を耕しに。
たかきびを撒く。
牛は今日はのんびり。

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そう。5月17日に蒔いたのだった。孟宗竹の地下茎が残っていて、再生竹を毎年ほそぼそと出していたところである。根は分解過程にあり、土はところどころふかふかなれど、茎はがっしりと張っているので、掘り起こすのには難儀した。

写真右手の切れ目から2mくらい先に昨年は同じくタカキビを植えている。土も日当たりも良好でよく育ったので、今年は同じようにここでということ。昨年もそうだったのが、竹の根が分解過程にあり、土がしまっていないので、タカキビはすぐに傾く。そしてもうひとつ、草のほうが強く、負けてしまうので、除草必須だろうということ。

まして、昨年より20日ばかり早く蒔いているので、草が先行して丈をのばし、それにうもれるようにしてタカキビがあった。草を抜くときにいっしょにぬけてしまったりで、いろいろ試行錯誤しながら、ようやくにして8月2日の姿がこんな具合。

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夏本番にどこまで成長できるか。見守っていくのであるが、どこかで土寄せしないと後半の雨風で倒れる。いま生えている草はおそらくいっしょに。

そして8月16日。出穂。

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8月23日になり、ほっと一息。

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9月12日。そろそろ収穫をはじめようと思っていた。

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そして、9月16日を迎える。

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ほかにも、いろいろ。

 

畑や庭や山のこと

雨の降らない週末は本当に久しぶりだと思う。山へ行く予定でいたのだけれど、所用がたてこんだこともあり、明日にする。しばらく何も手をつけていないので、昨日今日のことなど、断片的に。

ずっと干したままだった稗を雀らがみつけた

種取り用にとってあった稗のひと束。少量でもあったので相手にされなかったのだろうが、一週間ばかり前のこと、スズメたちが騒ぐ声をきいて、裏に出てみれば、3〜5羽だろうか、軒下から飛び立っていった。いっせいに稗をつついていたようだ。幸いとまるところもなくホバリングしてツンツンやった程度らしく、稗はほとんど無傷であった。大事な稗は家の中に。吊るしておけばネズミもかじるまいて。

循環式精米機を動かして

土間に静置したままだった循環式精米機を動かした。壊してはいかんし、動かすコツなどいくつかおさえてからと思っていたから遅くなった。もうやろうと。初回なのでなんともいえんのだが、いくつか気づいたことを。

●玄米の精米について……ムラが多くなってしまった。調整の仕方がわるかったのだろう。次回、開口は全開にすること。抵抗は玄米の場合、レバー1〜2くらい。そして研米を忘れていた。1斗ぶんで5分。このとき、抵抗は0。
●籾の精米について……うまくいかんね。家庭用の回転式?のほうが歩留まりもよいのではと思う。
●ある程度の量がないとうまくまわらない。2升は必要ではなかろうか。1斗ということは10升か。

そうそう。仕事のあとは、掃除はていねいにしとかんと。鼠らが集うてしまうので。精米機が鼠の巣になっていたということをときおり聞きます。

スペルト小麦の刈り取り

 スペルト小麦については、遅い梅雨入りとなっていることが幸いして、昨日、6月21日の午後、裏の畑ぶんを刈り取った。もう4日〜5日あればなあという色づきだった。ひと束半くらいはまだ青さが濃く残るものだったので残している。一畝ぶんだけなので微々たるもの。昨年の3分の1〜4分の1くらいではなかろうか。今年は山の畑に多く蒔き、その全部が牛に食べられてしまったので、まあ、種とりと少しがとれたくらいだろう。

 来年どうなるかは見えないところ大。まずは昨年の籾をねずみに食べられる前に脱ぷすることだ。
 あれこれ、考えるに、、、、とここから脱線する。

 いや目の前だけのことをやるのに精一杯であることの劣勢ぐあいが、ほんとに手におえなくなっているようで、やらないことをどんどんつくっていかねばと、こうして「やること」をあげるたびに思うのだった。
 そうすると、あぁ、夏焼だなと思う。
 とはいえ、まったく「焼かない」わけでもない。
 火入れという次元のものでなく、小さく、いくつかの区画を「燃やす」予定に切り替える。
 ざっと3〜4箇所あるし、そのうち2つくらいは、柵をつくれば、蕪の種をわずかばかりならまけそうである。つまり、「ひとりでもできる」範囲である。
 閑話休題
 さてスペルト小麦に戻る。
 えー、去年種まきしたのはいつだったかと。ブログの履歴をたどってみると、、、。

 2017年…10月26日

 山畑にスペルト小麦の種を蒔く

 2018年…10月25日頃

 カブと小麦

 ほぼ同時期なのだね。確か昨年はもっと早めようと予定しつつ、結果同じ時期になったのだった。
 今年の秋はもう1週間早めて10月18〜20日ごろとしよう。山の畑については10月15日でいいだろう。