出雲の山墾り特別編ということで、阿井の竹林へ行ってきました。
荒れた竹林を「きれいに」しつつ、タケノコ林として「再生」したいという希望に「ここは無理を押してでもいかねば」と、赴いた次第。草にしろ竹にしろ邪魔者扱いだけでうごくケースが大半な中、「ここのタケノコは白くて甘くて」というような愛がある。稀有なことなのです。
というわけで、写真をいくつか。
森のこと山のこと
出雲の山墾り〜sec.6
2月16日(土)。くもりと言えましょうが、数秒ほど陽がさしもすれば、1分ほど雨がパラパラときたりもし、風が一時的に強く吹いたりもする、そんなお天気。気温は6℃。11時頃から中山を歩き状態を観察した。30分ほどは学生らがカブの間引きをする間に、倒して玉切りしてある竹を積む。かれこれ2時間弱の仕事でした。
例年ならば雪がつねに山の斜面をカバーしていたものですが、今年は10日くらい前から裸の草土がむき出しになっています。草のカバーがないところは土が流れはじめており、場所によっては崩れてもいますね。わずかではありますが。ロゼッタをなす越年草も里の方では葉を起こし、花をつけはじめているなあ、、と思ったのは10日ほど前か。
雪がないことによる変化は牛の山あがりに顕著でした。けっこうあがっています。食べられる春の草は標高50mほどの里にはあふれはじめていますが、ここいら200mほどのところではまだ枯野でありますが、食べられるものを食べているのです。
切り崩された崖地にある草ですが、それだけに土の跳ね返りがなくきれいな草であるし、食べやすい?位置にあるからか、よく食べています。12月ごろからそれとなく見る限りでは、再生竹の葉はきれいに食べ残しないほどに食べていることとの共通点があるように思えます。カビなどの菌類にきわめて強いものたちで冬の青さが目立つもの、竹の秋は春ですが、この写真にある草はどうだったでしょう。思いつきついでに記しておけば、枯草菌との関係性もあるのかな。
牛が秋から冬にかけて歩くところは春夏とは違うのだろうか。そういう問をたててみることにしました。これから見てゆきましょう。
冬は草のカバーがないことによる斜面土壌の流亡が激しいのだと、ここ数年、里でも山でも、人工的に削った箇所で、そう思います。
雲南、奥出雲の山は上はなだらか下はストン。爺さんらがそう言うことの理由と歴史的利用の履歴が、気候とあわせてそこから読み取れそうです。
ブラウンスイスは走ったり跳ねたりと体力を持て余しているようでした。春には卒業なのかなあ? (現在は育牛状態。春から搾乳できる牧場へ移るのです、たぶん)
足踏み脱穀機の初運転
今年の冬はやる気ないんだろうか、昨日は日中の気温は14℃まであがっていたし、山肌に残っていた雪もすっかり消えている。裏の小さな畑では、カブの葉はロゼッタ状に地を這う形から、葉を立ててはじめ,蕾を抱えた薹まで立ちはじめた。
ちょっと待ってよと、言えるものなら言ってみたい。かたや、暖かいのは仕事がはかどることでもあるわけで……。
本来、秋のうちに終わっているべきことどもだって、片付けるチャンスなのだ。
やるか! という勢いにものって、足踏み脱穀機を軒の下からおろして、宿題を少し片付けた。
・残っていた大豆の脱穀
・残っていたタカキビの脱穀
・スペルト小麦の脱穀試し
ふたつが片付いた。スペルト小麦はやるなり無理だと判断。工夫の余地なしというくらいにうまくいかないのだった。
そして、まったくといっていいほどに意識していなかったのだが、足踏み脱穀機の初運転なのだった。めでたしめでたし。
大豆は650gほどまとまったので、味噌をつくるのだ。
出雲の山墾りsec.4雑感
昨日の活動(1名)。その雑感をつれづれなるままに。
1週間ほど山に行かないと「なまる」ものだと思う。鈍る。わざの冴えがにぶる、技量が落ちるの意をもって用いる言葉だが、刀剣の切れ味を一義としながらその刀剣の実際の使用が頻ならざる時代において用例が増えてきたものではなかろうか。すなわち武士の本態からすれば「なまる」ことなど考えられないことであるのだから。
よって、山に行かない日が続いたからといって「なまる」ということはおかしいのである。小学館の国語大辞典の「鈍る」、その第四義には「決心がにぶる。貫徹しようとする意志が弱まる」とあり、歌舞伎・早苗鳥伊達聞書(実録先代萩)二幕にある用例をあげている。
「拙者が心はなまらねど左言ふ貴殿の御胸中まことに以て心許なし」
決心とは何か。心が決断するとはどういうことなのか。今日のところで、3つのアプローチをあげておこう。
1. 決心より先に身体は動いている。私たちが「決心」したと意識しているものは「決心」ではない。……下條信輔『サブリミナル・マインド』(中公新書)を参照。
2. 決心とは閉じた個の作用ではなく、集合的集団的かつ公共的な現前である。……C.S.パースについての著作のいくつかを参照のこと。
パースは心についてこう述べている。「われわれはその表面に浮いているものであり、心がわれわれに属するというよりも、われわれが心に属しているのである」
Thus, all knowledge comes to us by observation, part of it forced upon us from without from Nature’s mind and part coming from the depths of that inward aspect of mind, which we egotistically call ours; though in truth it is we who float upon its surface and belong to it more than it belongs to us.
※The collected papers of Charles Sanders Peirce PDF へのリンク
《思考は、世界の残りのすべてから隠された自分だけの何かではなく、本質的に公共的である。思考はいわゆる個人の心の中に所在するのではなく、それを通してわれわれががコミュニケートする公的な記号構造の中に所在する》:コーネリス・ドヴァール,2013『パースの哲学について本当のことを知りたい人のために』(大沢秀介訳,勁草書房,2017)
3. 初心にかえるという語句がある。初めに思いたった心、最初の決心。あるいは、学問・芸能の道にはいったばかりであること。また、その人。というのが辞書的意味である。が、その解し方でいいのか、初心にかえるということは。安田登が、それは衣を切る、後戻りのできないその決断のことだと風姿花伝を参照しながら述べている。……『あわいの心』等を参照のこと。
竹を切って倒す。
そこに宿る心とは。
心にとめおき、しばしこたえを待とう。
出雲の山墾り〜sec.5
朝から青空が広がっていた。10時半頃に牧場に着いたが、日陰の水たまりは厚い氷が張ったままだった。北向きの斜面だと雪は2〜5センチ程度残っている。竹炭をつくるのにはちょうどいい。1時時点での気温は10℃。切り捨ててあった竹を集めはじめたが、思ったよりも時間がかかる。雪に足をとられるからかすぐに息があがってしまう。
うまく着火したら儲けもの、火をつけながら積んでいけると、ガストーチでで火をあててはみたが、こりゃ無理だとあきらめた。やってできなくはないが、夕方までかかってしまう。今日のところは竹を切って積んでいくことにした。
途中、ノグルミの枝に竹をかけてしまい、処理に手こずってしまった。だもんで、結局積めたのはこれくらい。
来週の土曜日。雨がふらなければここで燃やして消し炭をつくる。雪はとけているだろうから、切り捨てたままの古竹や新たに10本程度を追加しよう。
このくらいの寒さはブラウンスイスにはちょうどよいのかな。やたら元気でした。草が少ないのは気の毒だが。気候と土質もあるのだろうが、ま、いろいろ。
荒地に種をまく
「あぁ、あそこは○○さんが、なんとかしてやろうおもうて、刈って火いれたら火事になってのー。そーからなんもやっとられんけん、なんぼでもかりれーとおもうわ」
陸稲や雑穀をやる土地を探している。
今年は栽培しない管理地も含めて4〜6反ほどを手掛けるつもりでいる。実験的段階から本当の意味での実践的段階へと移行するのだ。ははは。
先のセリフはEちゃんのこたえ。
ここでやれたらなあという土地について、借りられるかとたずねたときのことだ。この後、もっと近いところがいいだろう、あそこはどうだなどと展開したあと、「好きにもっていっていいよー」と言われている柿園のあいている地面をつかわせてもらうことにした。「草刈りはやりますけん」ということで。
雑穀半分、野菜半分にしようかと思う。週1回は通うことでやれるものを。
それにしても、ここも「火事」になってということがとても興味深い。偶然とは思えないくらいに、いいなあと思うところで「火事」をやっている。これだけではない。何度か、いや、思い起こせば何度も、こうしたセリフを耳にしているのだ。いずれも共通するのはカヤ・ススキ、あるいは竹・笹がのしてきている土地であること。
カヤ・ススキは、火の足が早く、飛び火もまわりやすい。草原の火入れを何度か経験せねばと改めて思うた。
三瓶の火入れは3月上旬か。
竹水の発酵
木を切った後のカブに蟻が群がっているのを見ることは珍しくはない。昨秋、コナラの大きな木を切ったあとにも、群れとはいえないが、数匹の蟻がチョロチョロと集まってきていた。
荒廃竹林を伐開して火を入れ、畑を数年そこでする。焼畑をはじめて5年目になるが、どうだろう。竹に蟻が集まってくるのを、そういえば見たことがない。いや、気がするというくらいにしておこうか。
一方で、竹水、竹が吸い上げて稈の中にたまるような水分が、ほのかに甘いことは、飲んだこともあるので、そうだようまいよと人に吹聴もする。なにより、切り株のそこここにこの写真のように、発酵がみられることからも、かなりの糖分を含んでいるだろうことは想像がつく。
ここ数年はつくっていないのだが、竹のチップは、ある程度の量を積み上げておくと、発酵がはじまり、その山に手を突っ込むと、「あっちっち」とかなりの高温にまで達することがわかる。ほかになにも加えてはいない。竹の葉も混じった稈を主体としたチップだけで、1日2日もすればそんな反応が進行するのだ。
これまで、「そういうものだ」という認識でしかなかった。しかし、これらを引き起こす菌やら酵母やらについては、まったく考慮の対象外であったのだ。「ぼーっと生きてんじゃねえよ」と言われそうだ。
なので、ちょいと調べたり実験をしてみようと思う。まずは開始宣言のようなものとして、今日、ここに記しておく。
出雲の山墾り〜sec.3
山陰の冬には珍しい青空が広がる晴れの日。10時時点での気温8℃。竹藪を整理したり、柵を補修していると汗ばむほどであった。参加者は5名。10時〜13時。
穏やかな春ならぬ冬の一日。これもまた冬であることに思いを致そう。
春焼き地の畑、一の畑の柵が倒され牛が入ってきていた。ゆるんでいたのはわかっていたのだが、冬の枯草だけが見えるなか、無理して入ることもあるまいと油断していた。さして足跡も糞跡もなく、何も食べるものがないゆえ早々に引き上げたのかなと思いきや、真新しいかじった跡が少々。タカキビの茎。ガジガジとかんだ跡がいくつかある。タカキビには砂糖を採る品種もあるくらいだから、甘さがあるのかもしれない。
あとは大麦が少しばかり踏み潰され、真ん中に糞がひとつあるくらい。ヒトの糞便の75%は微生物であり、植物繊維は17%ほどだというが、牛の場合はどうなんだろう。そんなことをふと思った。(重量比。微生物は生死状態問わず。Allanna Collen,2015『あなたの体は9割が細菌』矢野真千子訳,2016,河出書房新社)
踏み入った畑の中でいちばん青々としている小麦と大麦の若い芽。これこそうまいと思うのだが、まったく口をつけていないのは不思議である。周辺で食べた跡がよく見られるのは再生竹。笹は食べてないのにね、とこれも思いつつ、ハッと気がつく。あぁそうかもしれない。冬は茎がしっかりあるものが食べたいのかも。記憶にとどめておこう。ただし「かも」という半端な仮説部分はほどほどに。
気温8℃というのが牛にとってどうななのかはよくわからないが、もっぱら日向で寝そべっていることは確かだ。もう少し日が斜面にもさしてきたら、そっちに移動する個体もあるだろうが。
昨年から、タカキビを見かけるようになったけど…
今年の秋であったか、三刀屋町内、国道沿いで、高黍畑を見つけたときには、驚いた。えー、こんなに身近なところで「まだ」栽培しているんだ〜と。3年ばかり前に聞いたり見たりした限り、奥出雲町では一箇所をのぞいて皆無だった。昔はつくって食べていたという話はよく聞いたことがあるのみ。だから、車窓越しにみえ、そばに近寄り、車から降りてしげしげとながめてみるまでは心躍った。
あぁ、しかし、飼料用であることは明白。短稈である。アメリカで品種改良されたものだろう。その後、斐川町でも小規模ながら見かけたので、種とセットで栽培奨励もされているのだろう。ゆかよろこびであった。
タカキビ、タカキビと私は呼んでいるが、モロコシという呼び名が一般的だろう。モロコシ(蜀黍、唐黍、学名 Sorghum bicolor)である。スーダン・エチオピアといった東アフリカが原産地であり、BC3,000年頃から栽培の証がある。私がぬかよろこびした種は、ソルゴーといえば畜産農家筋にはとおりがいいと思う。
さて、なぜタカキビなのか。
アワ、ヒエ、キビ、(昔の)トウモロコシ、雑穀を栽培していた記憶は遠い過去のものとして、ここ出雲地方では人の記憶や体験から消え去ろうとしている。奥出雲地方ではそうしたなかで最後まで栽培されていたのがタカキビではないかと、そう仮説づけていろいろと試行錯誤しているからにほかならない。焼畑でできたタカキビとモチ米で正月モチをついたりと。
寺領のSさんは、小さいこどもの頃に食べたタカキビモチをもう一度食べてみたい、だから種をわけてもらえないかと、そうおっしゃられた。縁側で昔話しを聞いていたときのことだ。その後、Sさんの畑にタカキビの姿が見えた。どう召し上がられたのだろう。昨年はいつもみる畑では見かけなかった。おいしく食べられただろうか。
三沢で2年前までタカキビを育てて、モチ米といっしょにしたタカキビ粉を産直市で販売しておられた方からは、在来の種をわけていただいた。その種を継いでいま、焼畑でつづけている。三沢のおばさん方にきいても、昔はつくっていたこともあったと、モチがおいしかったと。
そして、3年ほどか栽培してみてわかるのが、タカキビは鳥に食われないということ。西東京では食われるという栽培者の言葉をウェブでみたのだから、まったく食べないわけでもないだろう。しかしながら、キビやアワは大群でやってきて食べ尽くさんばかりにやられるともいうのに比べれば皆無に等しい。そして、これが奥出雲地方で最後の雑穀栽培としてタカキビがつくられていた大きな理由ではないかと思う。
昭和9年刊行の「三成村誌」(国会図書館デジタルライブラリーにあり)。 島根県仁多郡三成村尋常高等小学校で編纂されたものだ。そこにこういう一文がある。
《時代の推移と共に自給自足は急激に廃されて行き斯くして畑作物の種類は多様性から単一へと変化し古い時代の作物は桑に依って置き換えられて其の姿を没した》
大正から昭和のはじめにかけて、産物調査や農村調査が全国的に行われている。出雲地方のそれらを概観するに、米食が「下等」においても常食となっていることがうかがわれる。昭和30年代の食生活を聞き書き調査した農文協のシリーズ、『聞き書き島根の食事』を他の都道府県のそれと比べてみても、雑穀食の割合が低いことがわかる。とくに東部出雲地方だとそうだ。
そうした背景もあり、早くから雑穀が「没していった」地方である。生産という面だけをみれば。ただ、食は経済や効率だけに拠って立つものではない。なにかもったいない気がする。惜しい気がする。なにか物足りない気がする。そんな「気がする」思いが細々とでもつくり続ける家を残してはいたのだろう。
が、そうした思いをくじくのは、鳥や獣に負けてしまうということだ。アワはかっこうの餌食だ。いっせいにある程度の面積でつくれば食べつくされることはない。が、細々とつくった場合、全滅に近いことになる。実際私も昨年も今年もそれを経験した。
そうしたなかで、タカキビだけは、20稈ほどもあればそこそこに食えるし、被害にあわない。畑の隅でもかまわない。
が、50年もたてば世代がふたつはとぶだろう。
「子どもの頃に食べた味をもう一度」と語ったおじいさんももう70代後半ではなかったか。
いや、いいのだ。愛惜ではない。そうではないのだが、なかなか言葉をつづれない。
……というわけで、つづきはまた。
出雲の山墾り〜sec.2
昨日に続き、本日も暖かい。しかも数週間ぶりの青空が広がる晴天。思い立って遊びに出かけられる向きもずいぶん多かったようだ。
牧場の牛たちものどかに日向ぼっこ。そしてわれわれは、山へ入った。
気温は10時時点で7℃。最高気温は10℃までいったと思う。
◆大原山の荒廃地ー視察備忘 事前調査概要
・森と畑と牛との里山再生地として候補に。また火入れと雑穀類栽培地の候補。
・5〜6年前までは耕作に通っておられた。つまり耕作放棄後6年ほどが経過した土地。
・道はトレイルランコースに入っているため、年に一度は踏査と簡単な整備が入っている。山道ゆえ軽トラ4駆でのアプローチとなるが、道を補修しないと難しいだろうとのこと。
・水田面積は約8000平米。8反ほどある。グーグル・マップでの計測。住居跡の前に広がる平地は畑地だったかもしれない(H29の地理院地図では水田)がこちらが約3500平米。あわせて1町強ほどの耕作地。
・標高320m〜340m。かんな流し(砂鉄採取)の跡を水田にしたのだろうと地元談。
視察概要
・道は雲南市側からのルートを通った。軽トラを途中でとめ、約1kmを歩く。20分〜30分ほどか。道がえぐれているところがいくつかあるが、通れなくはなさそう。スペアタイヤは必須。一番の問題が大きな落石。1〜2トンほどはあろうか。造林帯を抜けて開けた谷底の水田跡に出ると、道は笹とススキで藪をなしている。
・谷が東西に走っていることもあり、日当たりはよい。
・水は小川からの取水も堰をつくれば容易。土嚢を積んでそうした跡もあった。
・炭焼き小屋は屋根がかろうじてもっていて、今春にでも補修すれば使えそう。木箱が積まれた小さな物置小屋も屋根の穴がなく、これも今春補修すれば維持できそう。
・水田の放棄地はススキがかなり大きくなっており、火入れが必須かもしらん。草刈りしてみての様子見。水のはけはよいようで水の溜りは見られなかった。夏に火入れしてカブをやり、春から雑穀。水はけがよく土が起こせるところであれば、畝をたててもよいかもしれない。
・1反ぶんからか。
・火入れをするには軽トラが入らないとポンプも入れられない。まずは車が入れるよう道を整備するか、佐白側からのルートの状況を踏査してみるべし。
・イノシシ除けの柵はない。すべて撤去されたのかそれほど出なかった場所なのか。
・北面南面とも山の斜面は多種の落葉広葉樹。クヌギ、コナラが多いようだった。アベマキもところどころに目立つ。日のあたる北面はとくに若い。近年まで薪炭林として利用されていたようだ。
・春の新緑はさぞかし美しいだろう。
・電線が農地の南方を東西に通っている。