からっつゆでダム湖も干上がらんばかりであったのが、ここ数日降雨も続き、みながほっとしているところでしょうか。庭も畑も、草がぐんぐんのび、虫の姿もふえました。
畑のズッキーニ(ステラ)はウリハムシに食われ気味。今年は庭の草木が、さほど虫に食われないなあと思っていましたが、ここにきて大発生の予兆が……。様子見です。
下の写真は、ルリシジミかヤマトシジミか、判別できませんが、この日は飛んでいるのをよく目にしました。

そして、なんだろう、この子。あまり見かけませんが、アゲハかなにかでしょうか。

そういえば、数日前、裏の畑に猿がやってきたらしい。そうか。ついに……。
森のこと山のこと
チョウもバッタもイカだって
一昨日のこと、庭の草むしりをしていたら、小さなバッタと出くわした。久しぶりのことだった。1年前に山で見た記憶があるようなないような、そんなものだ。「あれ?いたのか」がそのときの感であるのなら、今回は「おぉ、いたのか」という、わかりやすくいえば「うれしさ」があった。
バッタなぞ、子どもの頃はあふれるほど草むらにはいたものだ。
感傷ではない。実利にもとづくうれしさでもある。
裏の畑の土がそこそこよくなってきたので、キャベツを植えてみようかと思い、そういえば3年前に苗をおいたらぜんぶ食われていたなあと。あれはモンシロチョウだったのだろうか。モンシロチョウの幼虫はバッタがいればけっこう食べてくれるということを聞いた。わかりやすくいえばバッタは益虫だと知ったわけだ。益虫だから認識を変えたわけではない。バッタについての知識がひとつ加わったこと。それもある。あるのだが、そのバッタ一般と目の前に現れたバッタとはまた違うものであるように感じた。それがなんなのか。いま、いろいろと考えている。
ともかくも、お前、がんばれよ、と声をかけておいた。
さて。
クロマグロもニホンウナギもいつのまにやら希少な生物となりにけり。今年はスルメイカもぱったり店頭に出てこない。日本海側(山陰)にはまわってこないのだろうか。ざっとググってみれば、「スルメイカが採れない 漁獲6割減 価格は2倍に」との記事によると、もともと山陰では秋から冬が旬ということか。
《1~2月にかけて東シナ海で生まれるスルメイカは、春から夏にかけて太平洋側を北上、秋以降は産卵のために日本海を南下する。》
大好きなウナギは、数年前から年に1〜2回食べるにとどめている。スルメイカもそうなってしまうのか、トホホ。自家製塩辛を楽しみに待つ妻のためにも、漁獲規制を望む。とりすぎなんよ。「妖精のためにとっておく」とは茸採りを終える決り文句であったか。そんな上品なものでなくても、「自分たちの利益のためにとっておく」ことすらできないのが、漁業という業界の難しさであるようだ。どうしたらいいのかという前に、消費者主権とやらを行使したつもりになりつつ、小さな記録をとることも、はじめてみようと思う。
庭にやってくるものたちの記録として。
今日はこのチョウ。
ベニシジミだと思う。
スイバやギシギシが食草。その手はたくさんはえてるし、ふえる傾向にもあるから当面は目にすることも多いでしょう。よろしくね。

竹の焼畑2017~sec.11
雨が足りない日が続いています。灌水設備をもつ野菜農家からも悲鳴がきこえてくる今日このごろですが、われらが山畑はいかに。
どうしたもんじゃろのお。これでは「人口減少局面における中山間地の新たな土地管理手法開発」などと、言えた口ではありません。が、しょんぼりしてる場合ではないのです。いま、かんがえはじめているのは、「焼かなくてもいいじゃね」的方法。
「焼く」ことに注力するあまり、ちょっと他に目が向きずらいという面もあるしですね。混作。これを試してみたい。
草との共存、いっそ、牛との共存です。
牛にくわれてもいいような、そんな農ができたらおもしろいなあ。
さて、本題です。
6月23日(金)焼畑地状況
◉発芽成育状況その1(2017春焼地)
・ホンリー…前週の2倍ほどには成長しています。育ちざかり。
・タカキビ…牛に食われたところは、まちがって密になっていたところです。パラパラとばらけていると食べられにくいのだということですね。


・モチアワ…ようやく伸びてきました。発芽率は悪いです。計算してませんが、2〜5%くらいか。

・ヒエ…半分くらいは牛に食われました。トホホ。回復してくれればよいのですが。
・サツマイモとツルアズキは草に覆われており、確認を断念(すみません、最後に見たので疲労でちら見くらいしかできず)。
◉発芽成育状況その2(2016夏焼跡地)
・アマランサス…やっと。やっと。遠くからでも視認できるほどに生長してきました。カブ跡地にまいたものは、牛に食われる覚悟で放置していたのですが、どうやらまだ食われてません。いつ味をおぼえるか、それが問題。そうなるまえに背丈を伸ばしてくれれればいいのですが。
・モチアワ……中山エリアには松本在来をまいてますが、発芽率わるし。覆土の問題なのか、土の問題なのか、種の問題なのか、旱の問題なのか。考えすぎるのもいかんので、思い切って昨年とった岩手在来の種を適当にえいやっと方方にまきちらしました。どうなりますか。
・タカキビ……林原在来を10m一列ぶんほどまいて、あとは50粒程度を、これまたえいやっとほうぼうに放り投げました。
◉その他
春焼地の再生竹がいきおいをましております。畑地部分と周辺部で目立つものは刈り取りました。アマランサス、モチアワ、タカキビ、それぞれ最後の播種。数日以内で発芽すればなんとか収穫までいけるかもしらん。来週から大豆、ツルアズキ、土用豆をまきはじめます。
この日の実質作業時間3時間×1名。
おまけの1枚は100年(千年?)の森づくりをうたう山を削った斜面。どうなるんかハラハラしてしょうがない。昨年から地面の草類、落葉はすべて撤去する管理に移行したようで、はやくも急斜面の土壌流亡がめだってきた。芝の類でも植える計画なのだろうか。浅学ゆえ余計な心配が先にたつ。新たな自然管理手法と思われ、どなたがご教示いただければ幸い。
コンクリート護岸で失われていくもの
ランドスケープデザイナー・廣瀬俊介の『風景資本論』を読んでいる。2011年(平成23年)の11月、すなわち3.11の年に刊行されたものだ。3〜5年ほど前に書店で手に取って贖ったような気がする。大阪だったか東京であったか。そしてしばらくは、カフェ・オリゼの書棚のしかも目立つところにありながら、じっくり時間と腰をすえて読んだことは、これまで、なかった。何度も噛みしめるように読んでいた白井隆,2004『庭の旅』(TOTO出版)の隣に並んでいたのだから、背の「風景資本論」という言葉とその存在だけの痕跡が記憶の中にとどまり続けていた。きょう、その書を手にとり机の横においたのは、いま進めている”ビレッジ”のプランで、いかに風土設計を取り入れるかに腐心しているからに他ならない。デザインを職とはしていない私がデザインをしなければならないところに追い込まれているからこその「腐心」、「苦心」であるのだが、それは理不尽なことではない。廣瀬が本書の中でいうように、デザインの本義は職能ではない。
《「design」は本来、日本で誤解されているようにあるもののかたちを作品的または商業的につくる仕事ではない。あるもののあり方を考えるところから、そのあり方に則したかたちを成すまでの仕事が、本当の「デザイン」にあたる。》
別な言い方をすれば、デザインとは、コピー&ペーストができるものや参照するもの(今どきそれらを「アイデア」と呼ぶことが多いようである)ではないということだ。商業デザインのそれはむしろ「複製」できることがその本質であるかのように、今日の日本では、見える。みながそう感じ、とらえ、考えているように、思えるのだ。
廣瀬の言からすれば、デザインは「あるもののあり方」を考えるところからはじまる。地域づくりやまちづくりにデザインの手法が多用されるようになってからは(山崎亮の功績は大きい、罪もあるにせよ)、馴染みあることだ。しかしながら、《資本の管理と充実は、資本の内容が確認できてはじめて行えます。しかし、日本各地で目ざされる「まちづくり」「地域おこし」には、自然科学、社会科学、人文学を基礎とした確かな「地域資源」の調査方法をもたず、当てずっぽうに行われている例が多い…。》
心あたりのある方も多かろう。ワークショップと呼ばれる方法は「やらないよりまし」という言い方もされるし、ひょうたんからコマが出るように、当てずっぽうでも、当たるものは当たるし、当たらなくても、やること自体に意義はあるともいえる。だが、そうした「流れ」が何をもたらすかということに、もっと自覚が向いてもよい時期にきていると思わないか。
それは「風景資本論」所収の一枚の写真とキャプションが語るものでもある。
台風23号の災害写真で、治水を目的としたコンクリート地盤が後背地盤からの吐水の不十分さからはがれ落ち、隣接する石垣は崩れていない、その対照を映し出したものだ。とても象徴的な図絵であって、たくさんのことが思い起こされる。私的個人的な連想として。
そのひとつが宮本常一著作集21巻「庶民の発見」に所収された、石工の話である。
以下、引用しつつ、ひとまずとじたい。整理がつかないので。
《田舎をあるいていて何でもない田の岸などに見事な石のつみ方をしてあるのを見ると、心をうたれることがある。こんなところに、この石垣をついた石工は、どんなつもりでこんなに心をこめた仕事をしたのだろうと思って見る。村の人以外には見てくれる人もないのに……」と。》
《「しかし石垣つみは仕事をやっていると、やはりいい仕事がしたくなる。二度とくずれないような……。そしてそのことだけ考える。つきあげてしまえばそれきりその土地とも縁はきれる。が、いい仕事をしておくとたのしい。あとから来たものが他の家の田の石垣をつくとき、やっぱり粗末なことはできないものである。まえに仕事に来たものがザツな仕事をしておくと、こちらもついザツな仕事をする。また親方どりの請負仕事なら経費の関係で手をぬくこともあるが、そんな工事をすると大雨の降ったときはくずれはせぬか夜もねむれぬことがある。やっぱりいい仕事をしておくのがいい。結局いい仕事をしておけば、それは自分ばかりでなく、あとから来るものもその気持をうけついでくれるものだ。」》
「そのあり方に則したかたちを成すまでの仕事」を、かつての石工たちは「行為」としては、ひとりあるいは数人でなしてきた。彼らこそ真の意味でのデザイナーであった。
竹の焼畑2017~sec.10
6月18日(土)焼畑地状況(2017春焼)です。
この日、最高気温は28℃程度か。「梅雨入り」してからほとんど雨が降りません。梅雨の定義をよく知りませんが、もはや梅雨ではない、でしょう、これは。「作物栽培」にとってはシビアな日がつづきます。
◉発芽成育状況

・ホンリー…順調です。同じヒユ科である昨年のアマランサスと比較するに発芽が均一で、大きさが揃っています。
・タカキビ…発芽ステージは終了か。手がまわらずまけてないところ多数。蒔きたいところ。

・モチアワ…播種から1ヶ月以上たって多少出てきました。部分的にでも追い蒔きしつつ、少しでも追っかけ種をまいていきます。
・ヒエ…順調。この倍くらいは隣地にまきたかったのですが、今年は断念します。牛が少し食べてました。昨年は誰か(シカ?)にごそっと食べられたのですが、タカキビ、ホンリーには手を出していないところをみると、ヒエはうまいのかもしらんですね。
・サツマイモ…草にうもれつつありますが、まだ大丈夫でしょう。
・ツルアズキ…発芽は確認できず。
◉草刈り
東端裾が薮化しつつあったので刈払。
◉その他
モチアワ、アマランサスは6月播種でも収獲までいけるかもしらん。中山のほうが土がやわらかいので、そちらでまくのもよいのですが、この場所は土が粘土質&竹の根がまだガチガチのために、鍬の刃がたたず、耕起難。機械でとも思うのですが、大変危険ですね。刃の使えなくなった刈払機で浅くかいてまくかとか、思案中。です。

竹の焼畑2017~sec.8
晴れのち曇り、西の風、ときおり強く、気温は12時で26℃くらい。暑さは感じず、快適でした。久しぶりの山仕事で、筋肉が張り手には豆をつくってしまいました。
さて作業時間は11時〜14時半(うち休憩20分)。参加者は1名です。
6月10日(土)
《焼畑地状況:2017春焼地》
◉発芽成育状況
・ヒエ…順調。

・ホンリー…大量発芽。密です。2週間後に間引きか。


・タカキビ…発芽率4割程度か。順調。

・モチアワ…播種1ヶ月を経過して発芽率は1%以下です。追い蒔きするつもりでしたが、非耕起エリアにいくつかちいさな芽がみられるので、あと5日程度様子をみることにしました。他のイネ科の雑草かもしらんのですが。

◉草刈り
蕎麦等栽培予定地を草刈り。
◉その他
牛が山を越えて2〜3回程度入ってきています。
ホンリー、タカキビ、ヒエは食べられるかもしれません。柵をつくれればつくりたい。
《2016夏焼後蕎麦跡地》
◉発芽状況
・アマランサス…やっと発芽を確認。ただし数量わずか。

・モチアワ…いまだ発芽0。
◉播種
上記の下の段に鍬入れしてアレチノギクをとりのぞいた後に、モチアワ(松本在来)を、その北西部にアマランサス(種取した赤穂中心)をまきました。

◉その他
牧場で依頼しているきこりさんの草刈りが入りました。きれいに刈られましたねえ。3人役で0.7日くらいか。

《2016夏焼後カブ跡地》
◉発芽状況
モチアワ、アマランサスともに認められず。0。
西志和の焼土の風景
宮本常一著作集21「庶民の発見」を借りてきて読んでいる。じつは24巻の「食生活雑考」を借りるつもりが間違えたのだ。図書館に地下書庫から出してもらい、中をみずに持ち帰ってしまった。しまったなあと思いながら読み進めると、しかし、これぞ僥倖であった。いくつもの発見があったのだが、「粗朶ってなあに?」でも書いた焼土の風景もそのひとつ。
《三月の夜の野は冷たく静かだったが、煙のすっぱいようなにおいが一面にただようていた。そして田圃のところどころから煙がたちのぼっているのが夜の目に見えた。焼土を行っているのである。夕方、田圃のそこここで大きな火をもやしているのを見かけた。その上に土をかぶせておけば土がやける。ここではそうして土を若がえらせている。そのほの白いけむりと甘ずっぱいようなにおいが私のこころにしみた》
宮本はこの村の人物をたずねている。「丸山さん」と呼んでいる当時の村長である。「百姓の血の中には野の草のような根づよさがひそんでいる。丸山さんはそうした百姓の血をもった一人である」。その丸山さんがはじめたことなのか、その昔からあった風景なのかはわからない。「おしゃべりが大変好きだ」と自白しながら書き進める宮本はなにを、ここに感じていたのか。
太田川の支流の奥にひろがる盆地であって、それはひどい湿田地帯だった村を、仲間とともに乾田へと「改良」していった丸山さん。それは暗渠排水の工事だというが、「その苦心はひととおりのものではなかった」という。
竹はこの地域にはなかったようだ。であれば明治の終わりから昭和のはじめにかけて行われたその工事には粗朶をつかったのではないだろうか。焼土の煙は粗朶を燃やすものであったように思えるが、思えるだけであって、いまだ臆見にすぎない。ただ、この宮本が見た風景を、まぶたの奥にこれからなんどが浮かべながら、他の資料をあたってみようと思う。
《峠の上に立って見るとその白いけむりが平らに海のようにただようて、村の家々はその下にかくされていた。不思議にものしずかな、しかししの白さが星の光を反射してかほのあかるい風景であった》
そう。昔あったその風景を写真ではないものから想像してみるのは、楽しく、刺激的なことなのだが、この宮本のテキストからは、絵になる前の何かを、それを絵たらしめてる何かへの思いがたちこめているのだ。
そう。宮本がつくったというあの有名な句を思い起こしてみよう。
「自然は寂しい。しかし、人の手が加わると暖かくなる。その暖かなものを求めて歩いてみよう」
資料にあたる。いまから数十年前には探し求めればあった「その暖かなもの」はいまはさらに少ない。いや、だからこそ、車をおりて、歩いてみようと思う。
同じく「歩く人」であった、宇沢弘文が車を使わず走って大学まで通ったその意味とも重ねながら。
今年はチョウの姿を見ない
5月に実をつけ、楽しみにとっていた庭のジューンベリー。昨年はヒヨドリと競争になり、けっこう負けていた。今年はそこにスズメも参戦してきたので、われら人間のとりぶんはずいぶんと減ったのだった。ヒヨドリは単独でやってきてぺろっとまるごと食べるのだが、スズメの口には実が大きすぎて、そうはいかない。よって、食べかけの食い散らかしが多くなるし、枝にとまる時間も長いので、スズメ同士でも喧嘩になるようだ。たいてい3羽くらいがせりあってチーチーと叫びあっていた。
そんな5月も今日で終わり、ジューンベリー狂騒曲もFin.となったのか、庭がずいぶんと静かだ。今年はいろんな鳥たちの声が聞こえる。おそらく、生息域が大きく変化したせいだろう。冬の時期にすぐそばの河川の河畔林が皆伐された。サギの一大コロニーとなっていて、裏山にもずいぶんと巣をつくっていたものだが、今年はさすがに激減、というより絶滅・壊滅にひとしいありさまだ。
どうなるかなあと思っていたのだが、他に生息地を見つけたのだろう。この地からはおそらく数百から千のオーダーでサギがいなくなったことになる。人為的改変によって。すると、当然、サギに追いやられていた他の競合種が勢力を伸ばす余地がドカンと生まれたことになる。
私が鳥の声や種類がふえたと感じるのは、そうした変化によるものなのだろうと思う。
一方で、減った(と感じる)ものがチョウである。もともと少なかったのだが、今年はとくに見かけない。裏の畑でモンシロチョウをみたのと、黒い羽のものを線路のそばで見たくらいではないか。鳥とどう関係するのかはわからないが。草刈りや水路の影響だろうか。降雨が少なく気温が高い今年の気象の影響だろうか。
10年くらい住み続ければ、変化に対してもっと言えたりわかったりするのだろう。2017年・平成29年の春の終わりの感想として、端書してみた。
粗朶ってなあに?
粗朶(そだ)ってなあに?
あれだよ、あれ。川の護岸に使ったり。弥生時代からみられるというから、そりゃ由緒あるもんだよ。簡単にいってしまえば、木の枝を編みまとめた束だね。
へー。木の枝なんて、今じゃゴミ扱いなのにね。燃やそうにも、いろいろめんどうだしね。
もったいない話だよ。で、その粗朶だけど、灰小屋(ハンヤ)で土と重ねて燃やしてたという記載を見つけたんだ。なんで?ばかな?と思ったんだが、まてよと。
なんらかの理由で使わなくなったものをそのままもってきて燃やしたのだと思うんだ。たとえば、壊れたもの。肥沃な土砂もからまっているのがよかったりして。運ぶ手間は相当なものだろうけど。
農文協『聞き書き広島の食事』をみてみたら、ハンヤが出てくるのは中部台地で、ため池灌漑による水田耕作地帯だ。ただ、この本の聞き書き調査が行われた頃の「焼土」は変容した形態ではないのか。こう書いてある。
《(春の行事として)冬の間に用意したやあはを使って焼土もする。灰屋か田の中で、やあはと田の土とを交互に重ねて焼きあげ、麦の肥料にする。重い土をもっこで担ぐ重労働である》
もう少し調べてみるよ。
あぁ、いいけどさ、そういうやりかけの調べもの、そうとうたまってない?
すまんすまん。いや、でもね、ぜんぶつながってるんだって。
ふーん。で、いつそれつながるの?
★【灰小屋】とは(ひろしま文化大百科)……
《灰小屋とか灰焼場、ハンゴヤ、ハンヤなどと呼ばれ、県内に広く分布した草木灰、焼土などを製造する小家屋。
安芸中南部では、水田の農道わきなどに設置され、20アールに1基の割合で存在した。広島市安佐北区、旧高田郡南部、東広島市、旧賀茂郡などの水田地帯に、最も多く、独特の田園風景となっていた。この地方では、水田の土を、粗朶(そだ)、ごみなどとともに焼いて、麦作の肥料とした。焼土法とか燻焼土(くんしょうど)法で、全国的に見ても古い自給肥料づくりの農法であった。
備後地方では、家の周辺に設置し、主として草木灰を製造、麦や大豆、そばなどの肥料とした。
灰小屋は、農家にとって、重要な役割を持つ施設。「灰小屋を見れば農民の腕前が分かる」といわれた。火をたくところだけに、構造は頑丈に出来ている。腰壁は、石と赤土をこねた大きな固まりで積み上げ、厚さは50センチ内外。小屋の4本柱は、「灰小屋柱」といいクリの巨木を使う。屋根は、草屋根で、9尺4方以下の灰小屋には寄棟が多い。一戸建が普通だが、大きな農家になると、連棟式4室という豪壮なものもあった。》









