冬来る、畑と山の備忘録#3

斐川の畑の土を掘る

12月7日の作業より。
落ち葉など有機物を落とし込むために穴を掘っている。実家のある斐川の畑である。40〜50センチほどの深さに30センチほどの有機物+20〜30センチほどの覆土となる。幅は70センチほど、長さは投下資材の量に左右され、成り行きであるが、5〜6mほどか。深さ10〜20センチほどの土が0.7×5=3.5平米ぶんあまるが、今回掘らない畝に移す予定。

面積は17平米ほど、畑のごく一部を借りている。ここは50センチも掘れば砂質となる。3000年前は確実に海底だったところであり、斐伊川の堆積作用により沖積平野となるのに2000年ほど。実家の位置は奈良時代には、入江となった湖岸線に位置し、周囲よりほんの少し高い土地となっている。それら屋号である”高西”の由縁を物語る。

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借りているこの写真の位置より北に10mほどいけば砂質は消えて黒土となるというが、これも掘ってみなければわからない。その西には、斐川地域の例にもれず屋敷墓があるが、その墓のまわりと豚小屋のあたりは赤土だという。豚小屋といってもすでにないが、実家ではいまでもそれで通用する符牒である。およそ80年ほども前のこと、豚を飼っていた小屋があった位置をさしていて、墓の北側にあたる。

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三刀屋在来の里芋、その畑を見に行く

12月6日、ようやく訪ねることができた。カフェ・オリゼで晩秋から冬のはじめにかけてメニューにあがる里芋の里。おじいさんといっしょにつくってきたという方から毎年いただく。他の里芋と違って、形が細長いので、いまの市場では扱いにくいのだろう。が、しかし、味は格別。ホクホクとしてあまく美味しい。
山の水が染み込んでくる谷の畑である。里芋にはよい環境だ。

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出雲の山墾り、年の瀬へ向けて

12月12日、久しぶりの山仕事。出雲の山墾りも年内は残すところ数日となった。今年の秋は雨が多い。火入れは年内はできず。1月に積んだ竹で消炭をつくったりしながら整備は続けて、春の早い時期に火入れとしたい。
ドングリの様子をみに、この日はブラウンスイスが放牧されている山を尾根伝いにざっと歩いた。気温は平年より高かったのだが、風が強く、体が冷える。コナラはここにはほとんどなく、多いのは山栗だ。次に点々とシラカシ。わずかではあるが、アベマキとアラカシ。
アベマキは2本ほどだろうか。確認できる実も少ない。アベマキはドングリ族のなかでもいちはやく、9月下旬から実を落としはじめるという。
アベマキの実が少ないのは、イノシシやネズミたちに食べられてしまったのかもしれない。栗の実は栽培品種についてはイノシシが食べていたようだ。その場所に近い。シバグリの実が大量に落ちているところへはイノシシがやってきている形跡が少ない。じっさいたくさんあまっていたし、数ヶ月たったいまでも点々と残っている。いくつか拾ってきて、芽が出るのをまとうかと思ったくらい。シバグリがたくさんあるところは子牛たちの縄張りでもあるので、イノシシもそうそう近寄らないのだと、仮説としてたてておこう、令和3年初冬の時点として。

さて。アベマキのどんぐりは、地温が5℃以下になるまでは根を大地の下へ下へと伸ばしつづける。親木からもらった栄養だけを使って。春が来たら、葉を伸ばし、今度は自分のちからで、太陽と水と空気と土のなかのたくさんの生物とともに、生きていくのだ。
それでも根を伸ばしたまま春になったら死んでる子も多い。この子に春は来るのかな。

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冬来る、畑と山の備忘録#2

11月29日は快晴。ふだん通ることの少ない斐伊川右岸を車で走った。旧加茂町と旧斐川町の側である。出雲市雲南市を結ぶ幹線となっている右岸とは違って交通量が少なく、山が近い。木々は冬支度を終えた、ほっとするようななやさしさをたたえながら、残った紅葉を風とともに散らせている。そのとき、山は美しく輝いている。あぁ、気持ちいい、なんて心地よい道なんだろう。200mほど離れた対岸とは、世界が違う。いつか歩いて、その心地よさの理由を確かめてみたい。

ユーカリを庭へ定植

さて、所要いくつかを昼過ぎまでにこなした後、妻がユーカリを定植するのを手伝う。小さな庭ゆえ場所が定まらず、なかなか地面へ移せなかったものだ。思い切って塀に近くとも、庇から落ちてくるだろう雪が直撃するだろう場所を、あえて選んだ。そうした環境で育つように世話してあげるしかないのだと思って。ひとつ、高さは人の背丈までにおさえる。ひとつ、樹形を整えてなるべく垂直にたてていく。うまくできるかな。
穴の底に消炭少々、そして腐葉土、そこへ苗をおき、少しの落ち葉を側面にはさみ入れながら移し終えた。地にある生命よ、競いながら、補いあいながら、この木とともに、世の終わりまであらんことを。

山の草刈りと道の整備

2時間。短い時間であったが、山仕事。あぶなくて近寄れなかった断崖の再生竹を何本か始末した。あぶないというのは、足場の見えなさとハチの存在とほかいくつか。ハチは不在、足場もだいぶ見やすくなっていたので、1年ぶりかにとりかかることができた。あともう2日もやれば、すっきりすることだろう。
さて、気温が10℃前後となって牛にとっては快適な気候。山に入る頭数も増えていることが糞の量と場所でわかる。いつの雨かはわからないが、道が流水で、一部崩れかけているところに、少しテコ入れ。直径15センチ前後の枝木を配置するなどちょっとしたことをやっておいた。水落ち箇所にあった根株が転がり落ちていたが、牛の仕業か豪雨の際に流れたのか。根株は機会があればひろいとっておこう。手を入れたこの道は大事な道だが、長い直線なので豪雨ともなれば掘削が進む。ちょっとしたことが、今年はそれなりに保全の役を果たしたようで、崩れ方が昨年よりはずいぶんと軽いのだ。よって方針継続でのぞむべし。
車両が通るようにはしておきたい。タンクをのせて軽トラでのぼるには少々つらい登坂となっているが、雪が積もる前にやっておかねば。

堆肥づくりの新手

野積みにしたり、穴をほってみたり、箱に入れてみたり。あれこれやってみたところで、水分調整が肝だとは思う。屋根であったり蓋であったりするものとして、茅を束ねたり、笹を束ねたものが使えるのではなかろうかと。藁もそうだが、水をはじくという点では稲藁よりは麦藁のほうがいいだろう。茅かあ。しばし思案してみるべし。米ぬかはバケツをつねに積んでおいて、手に入るところでは即入手できるようにしておこう。
ともあれ、12月いっぱいは落ち葉集めを優先に。

冬来る、畑と山の備忘録#1

そう。明日は採って帰ったままのガマズミをきれいにして、ジャムにしておかなければと思い出しつつ、幾多の棚ざらし案件をあげながら、些末なまとらまらないことどもなども記しておこう。

どんぐりの実ポッド

コナラの実はもう根を出しているものもいくつか。それらを土におきつつ、ほかのものは浸水選別して、ポッドに入れていくべし。シラカシ、ツブラジイ、ナラガシワについても同様。牧場の山にありそうな他の実も、雪が降る前にひろっておこう。アベマキの大きな木があるところへは必ず。もりとはたけとうしのがっこうへむけて、どんぐりひろいの記事をつくっておこうではないか。
もう葉が散ってしまって、見分けが難しくなる樹種もあるだろうが、どんぐりのなる木ならば、幹や落ちている実で見分けがつきやすそうだ。こちらの頁など、参考にしながら。
◆どんぐりの見分け方4(どんぐりの木の樹皮)

竹ポッドもいくつかを試作のこと。まずは山で何本かを伐採しておいておく。12月いっぱいにまでに切れるものを切っておく。

火入れと消炭づくり

11月も雨が多かった。少なくともここ数年と比較してかなり多いことは気象データで確認済み。気のせいではない。多雨によって作業ができないのと、タイミングが測れないことで、12月頭の火入れは延期確定。なりゆきで1月でも2月でも時期を探ってはいこう。タンクを移動することと、竹の移動(一部の整理伐採含め)はすませておけばよいだろう。
一方で、火入れというよりは消炭づくりシーズンの到来でもある。中腹にあるタンクの移動と、エンジンポンプの試運転などをすませておきたい。

キクイモの収穫

山のキクイモをだれかが掘っている。イノシシにしては丁寧なほりっぷりである。タヌキか? 奇妙なのは、掘り起こしているだけで、あまり食べてはいなさそうなのだ。かじりかけはぱっと見たところ皆無。散乱しているが、ひろって食用とするには、獣の接触具合がわからないので、そのまま放置するか、拾い集めて燃えるゴミとして処理するかに多少悩む。放置すれば、また獣を呼ぶかもしれない。
旬はもう少し先。12月下旬から1月にかけてがいちばん美味しくなるはずである。幸い、ほりかえしていない区画もある。手をつけられないことを願いつつ、今後のことを考えねばなるまい。

落ち葉ひろいと必要なものなど

道に落ちているものは、ここ1〜2週間がラストチャンス。雨でない日はあつめておくべし。袋につめていくぶんでもいい。斐川用は袋のほうが運びやすいだろうし。
もみがらは足りると思う。藁も斐川にある。くん炭は買ったものと、ゼオライトや消炭をくだいたもので代用するか。置きっぱなしにしている消炭もあるし、D氏のところでつくることも検討。来年の懸案でよいだろうが。木嶋利男,2009『伝承農法を活かす家庭菜園の科学』講談社ブルーバックス.には、菌根菌の活性化のために施用する炭やくん炭について、《10平米あたり4kg以下であると効果は発現せず、15kg以上であると障害を発生させます》としている。つまり、10平米あたり8kgほどを目処として施用すればよいのではと考える。5平米あたりであれば4kgほど。結構な量である。1m幅の畝であれば5mほどか。ざっくり1m×1mの区画に1kgほどを入れてみるというところでどうだろう。多孔質の資材で代用するならば、ゼオライトがあるから試してみようと思う。大田の山でとれる天然鉱石を使った商品「元気農場」は20kgでおよそ1500円。カタログをみると、1平米あたり1kgを畑への施用指標としているから、齟齬はない。販売しているところがわからないから、明日、問い合わせてみよう。
菌根菌について、先の書籍で要点がよくまとめられているので、引いておく。

《菌根菌は野菜からエネルギー源として炭水化物の供給を受け、土壌中からリン酸やミネラルを集め野菜に与えるなど、野菜類と菌根菌は共存・共栄の関係にあります。菌根菌は一般的な土壌微生物との競合には弱い菌であるため、有機物が豊富で微生物活性の高い土壌には繁殖できません。また、肥料や農薬が他投入された圃場では繁殖しがたい傾向にあります。そこで、菌根菌を活性化するためには、栄養分をほとんど含まず、一般的な土壌微生物が繁殖しにくい資材を用います》

今日のところはこれまで。屋根や雨樋補修のこと、堆肥づくりのことなど、次回へ。

樹を診る

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11月14日。奥出雲町チェーンソー研修の一コマである。
 自伐林家育成のための町民向け。とはいえ、みなさん、自伐林家をめざしているわけではない。自分の山を持っている山主が9割だろうか。町では間伐材・林地残材の出荷をうながずために、搬出に助成金を出している。それでも出す人は限られているし、出荷量も出荷者数も目標としている数値を下回りがちだ。

 このことについては、また、おいおい書いていきたい。今日はこの切株をめぐっての断章を。

 檜林である。林内で3班にわかれて伐倒、枝払い、玉切りをやっていた。久しぶりの快晴であり暖かい日差しが届く。よい香りがたちこめ、午後に入ると、10本に満たないとはいえ切った木の樹冠があくことで、陽が林内に差し込み明るくなっていた。

 で、この木である。
 なかなか倒れなかったのだ。地上10mくらいのところで二股になり樹勢は弱いものだったが、他と比べても径は太め。癖があるといえばそうだが、無茶な暴れ木でもない。しかし、これが、倒れるところまでいっても倒れない。ここまでいけばと、楔を打ち込み、傾きはじめ、「おーい」と回りに声をかけても、そこから先に進まない。
 隣の班からも異常を察してか、人が集まってきて、ああだこうだと言いはじめる。やっと倒れたら、みながこの切株にどうなってるんだと集まってきた。
 写真では少しわかりづらいかもしれないが、芯が偏りながらねじれているのである。通常、そうした異常は受口をつくったときに視認できることがあるのだが、うまく隠れている。あとから、そのつもりでよーくみればわかるのだが。

 樹を診るということ。
 医療が人に向かうのと同じく、一本一本(一人ひとり)違うのだというとこがおもしろく、むずかしくも、奥深い。

夕陽に向かって脱穀三昧

令和3年は畑に出る時間が少なく、気候も不順で、大麦は鳥にも食べられて、ともかく作物がうまくできなかった年。安定しているアマランサスとタカキビでさえ、である。そのアマランサスの脱穀をしながら、少しずつ振り返ってみようと思う。

焼畑での初栽培は、2016年。今年で6年目となるアマランサス。収穫が少ないので、脱穀は計3〜4時間で終わると思う。斐川で脱穀し佐白で唐箕にかける。斐川(の実家車庫の軒先)は、西に向かって遮るもののない平野である。西からの風は強いが、西に見える地平の空は山がちな島根にあっては奇特なものだ。その西の空に向かってコンコン・カンカンと棒をアマランサスの穂に向かって打ち続けるのだ。1時間強なら、どうってことない。少し腕がだるくなる程度だ。もし来年、予定どおりの作付と収穫ができたなら、今年の5倍〜10倍となろう。ざっと20〜40時間か。一日5時間として4日〜8日。5日が限度かもなんて皮算用は無用なり。そううまくはいかんだろうから。

そもそも今年はもっとたくさんとれる予定だったのだし。斐川の畑で今年はじめてつくったタカキビもアマランサスも下方予想をぐっと下まわる不調であった。土は肥沃なはずなのだが、天候不順で土の生態バランスの悪さが加重されたためか。
アマランサスは葉の虫くいがひどかった。茎が太くならず、実入りも悪いままで秋を迎えた。タカキビは茎が部分的に腐敗するほどになってしまった。実もほとんどつかず、茎が細いからバタバタ倒れた。一方で黒大豆・赤名黒姫丸はその斐川のタカキビのすぐとなりの畝だが、悪くないのだ。木次のオリゼ畑の黒大豆はどうやら実の入りが極端に悪そうなのに。オリゼ畑のもうひとつの豆、さくら豆もよくない。タカキビとアマランサスもよくないとはいえ、斐川ほどではない。この違いはなんなのか。

今年の不作は豆について特に耳にする。稲は平年並のようだ。これらをどう捉えたらよかろうか。机の上に出しておこう。

ともあれ、冬に土を育ててみようと思う。来年も天候が不順であっても作物たちが踏ん張れるように。春にモチアワを蒔くために。作付は、これまでのなんでもとにかくやってみるのから少し絞り込み、雑穀は3種としよう。アマランサス、モチアワ、タカキビ。これにとうもろこしをいれるかどうか。モチアワは鳥に食べられてしまうのを網でしか防ぐことができないから中断してしまったのだが、斐川の畑なら柱もたてやすくはれるのではということ。そして、アワはつづけていきたいという希望による。交雑しなければウルチアワもやってみたいのだが、それは春焼き地で。

土を育てるためのあれこれを整理。
手元になく、買うものとしてまず、籾殻くん炭。高価ゆえあるぶんで。頓原の道の駅で出ているものが量もあってよかったと思う。
籾殻は大きな袋に入ったものが数十円と聞いたので2〜3袋か。
手間をかけてかき集めるのが落ち葉。そうこれから。

こちらは今年のオリゼ畑でいちばんのアマランサス。かなり実が細いのは毎年のものと比べてみればわかる。

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畑の柿を食す

裏の畑にある柿。もう枯れてもかまわないとばかり、強剪定してきたものだから、ここ数年実をつけはしなかった。今年、数年ぶりに数個の実をつけている。渋柿と甘柿、それぞれに。渋柿は3つ、甘柿は4つ。今日、甘柿のひとつを食した。渋みはなかった。固く、本当に固く、うまかった。甘みはさほどないがそれがいいのだ私には。むしろかすかなその香りとカリッとした食感を楽しみたい。
そして、柿は小さいほうがいい。大きく甘い柿はもはや好まれないのではないかとさえ思うのだが、どうだろう。市場に並んでいるものをみると、えぇ!というほど大きいものが多い。我がオリゼ畑にあって数年ぶりに実をつけた甘柿たちは小さい。柿の実はいつごろから大きくなってきたのか、それを確かめる術は多くなさそうだが、いつか詳しく知る人がいればたずねてみたい。

渋柿はもう少し熟したら干し柿にしようと思っている。葉の陰にかくれたひとつは完熟しゼリー状になっているのを確認した。干し柿といえば、高開でよばれたあの白い粉をふいた固く美味い干し柿が忘れられない。死ぬまでにあれをもう一度食べてみたい。つくってみたい。

2017年11月18日撮影。いちばん左がわからないが、真ん中と右は半自生の野柿。

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徒然なるままに、ダーウィンと土と小麦

小麦の種子をまかんとして、畑を整えるところまで。今日のところは。つづきは明日。
畝を整えんとして、畝間の土を掘り起こした。その際、ミミズを何匹かやってしまったと思う。小さなものが多かった。大きなやつ一匹については、頭をのぞかせたくらいだったので生きていると思う。深いところの土はネバマサ?ってやつか。深く掘り下げていけばマサが出てくるはずなのだが……いつかやってみたい。

種の起源』で知られるチャールズ・ダーウィンは地質学者を名乗っていた。借りてきた本を読みながら、どこか千葉徳爾を連想させるものがあって、あぁ、そうかもしれないとも思う。「方法」というものに意識的であったという点。大きくは科学と呼ばれるもの、であるだろうけれど。

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ユクスキュルの『生物から見た世界』、ダーウィンの『ミミズと土』、伊澤加恵の『おすそわけ』。ここに戻って、また思考を編んでいくのだ。小麦の種子をまきながら。

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『土中環境』の著者、高田宏臣氏はウェブの日記中で、こう記しておられる。
《無理な手入れを施せば、このモミジたちも暴れ出し、そしてあっという間に健康も美観も損なってしまうのです。無理をせずにコントロールすること、木々との対話が手入れの極意です。》

そう。無理をしいれば、樹々は暴れ弱って死んでいく。ここ数年、あれこれと思い当たることを反芻しつつ、木と土に向かっていこう。
拾ってきたドングリは数個なのだが、もっと拾ってたくさん育ててみよう。籾殻をもらい、わらをもらい、落ち葉をひろい、と、いろいろすることはあるが、これは楽しく人を募ってやっていこう。まず、ひとりでできるところから。
高田氏がいうようにコナラの力は大きいと思う。

《なぜ、私がコナラを主木に用い続けてきたか、それは、一般的な庭で扱いやすい樹種の中でとびぬけて環境改善効果が高いことが、主木として扱い続けてきた大きな要因の一つです。
環境改善効果が高いということは、夏場の生命活動が盛んで、生育が早いということでもあります。
しかも、この木はモミジなどと違い、日陰で扱うことができないため、成長スピードのコントロールは常に人為的な手入れ作業に委ねるしかないのです。》

《最大9m程度の樹高を想定しなければならない》かあ。オリゼの庭では無理があるが、斐川の家なら可能だろう。まして牧場ならOK。
さて、コナラの生命感を彼は感じているのだが、それがどこからくるものなのか。もっと感じとっててみようと思う。まず、ドングリをひろうところから。

小麦の種子を撒くのに、小さな畑なので、もちろん手まきなのだが、岡本よりたか氏がおもしろいことをfacebookに記しておられた。

《皮膚常在菌、腸内細菌、土壌菌。この三つは密接に繋がってる。腸内細菌は土壌菌と似ていて、土壌で作り出される野菜や穀物を食べることで腸内細菌が増えていく。そして、その腸内細菌が増えていく人ほど皮膚常在菌も増えていく。だから、種に皮膚常在菌を纏(まと)わせてみようと思って。
種を健康に芽吹かせようとすると、この三つの菌の連携が必要になる。信じられないかもしれないけど、子供のように皮膚常在菌の多い人が蒔くと、野菜は健康に育つ。しかし、腸の調子が悪い人、基礎疾患のある人が蒔くと種が病気になることがある。これ、事実なんだよね。経験則として。》

そんな微細なものがほんとに? と思う人が大半だろうし私も一瞬そう思いかけた。あぁ、ただそれはあるか、と。たとえば、アマランサスのあの小さなごま粒のような種子は数ヶ月で人の背をこえるほどに成長するのだ。いま世界を席巻しているるcovid19だって、最初はひとりかふたりの人間からひろがったものだ。

ドングリをひろうときに、苗床をつくり、それをうえるときに、それを感じてみよう。

金木犀がようやく花を咲かせる頃に小麦の種をまく令和3年10月25日

金木犀の蕾がいまにも開かんとして微香を漂わせている日。例年ならば9月の半ばにその香りを開花とともに芬々とさせているものである。気温、降雨、日照、気象の種々が平年とは異なる年であるとともに、ここのところ毎年のようにそんな異常が続いている。それでも花が咲くことは嬉しいことだ。ことに自分の家の裏、勝手口を出た目の前にある木であるのだから。

そんな日、スペルト小麦の種子を温水につけ冷蔵庫にしまった。明日播種の予定である。アマランサスの脱穀も少々。明日は斐川の分も脱穀か。水曜日は松江、木曜日は頓原、金曜日からはスリランカカリーの3日間である。慌ただしい。

セイタカアワダチソウは食えるのか

3日続けての草刈り。今日は2時間半ほどであった。日は暮れているものの足元はまだ見えるという午後5時30分ほどであったかと思うが、牛たちはすでにみんな牛舎に入って搾乳をみな終えていた。

セイタカアワダチソウ群落。半分強は切り倒せたか。勢いよくバサバサできるところもあれば気をつけるところもある。斜面や窪地や切捨てたままの杉が転がっているところ、などなど。もっとも気をつけるのは残すべき草木がそばにあるとき。列挙以下。

クサギ

アカメガシワ

・ヤマグワ

ネムノキ

タラノキはできれば残しているものの、ばっさりいくことが多い。
ヤマグワとネムノキは小さく細いので、気がついたら切ってしまっていることも多々。それぞれに残す理由はあるが、クサギアカメガシワはけっこう多いので、葉っぱをとって食べてやろうという魂胆もあってのこと。それを妻に話したら、
セイタカアワダチソウをなんとかすればいいんじゃない? お茶とかできないの? そんだけたくさんあるんなら」と。
あぁ、こういうのをなんと言うのだろう。考えてもみなかった。
花は若いうちのを天ぷらにしたら美味いとは聞いたことがある。ウェブに潜ってみれば、いろいろと出ているが、どうなのだろう。次回、蕾の多く残っているものを持ち帰ってみよう。もしくはもう少しするといっせいに再生する時期がくるだろうから、そのときを狙ってもいい。
さて、できるかな。

セイタカアワダチソウとアカメガシワとクサギは同じところにいる

昨日に引き続き今日も草刈り。2時間ほどだが、休憩なしだったのでそれなりに汗はかいた。肌寒い日だったが気温が摂氏10℃以上あれば、シャツで充分ということは改めてわかった。ほんとうにちょうどよい気候。これが冬になると脱いだり着たりする必要が出てくるのでね。

六角棒レンチを忘れていたので、牧場で借りて刈払機の刃を交換。シュルシュルと音がしていたので、ゴミを飛ばしてグリースも打っておいた。次回はエアクリーナーもみておこう。都度借りているものだが、来年は買おうと思う。今年の計画にあげていたとおり、草刈りの頻度を増やして植生を管理していこうと思うことによる。ナイロンカッターを使うには自前のものでていねいにやる必要があるということと、斐川の実家の草刈りにも必要かと思われるので。

候補はゼノアのBCZ265L-DCでナイロンカッターや肩掛けハーネスがセットになっているもの(農機具通販店agris)。ループハンドルは山の急傾斜面や竹をはじめとした切株が多い場所が多いので。BCZシリーズはプロ用の位置づけだが、家庭用という位置づけがそもそもおかしいのである。チェーンソーのときもそうだったが、耐久性や使い回しなどなど考えると、購入時に多少高くてもしゃあない。

閑話休題

草刈りしていて、標題のことに気がついたのだが、はて、パイオニアプランツということで一致はするものの、もう少し何かありそうだ。それについてはまた改めて。

アカメガシワの若葉の食慣行があることを今回知る。茶の葉もある。見つけ次第、遠慮なく切っていたのは、かつてこの葉の裏にいた毛虫に刺され、手が腫れるという痛い目にあった復讐心からだと思う。あるいは、コンクリートの隙間をはじめどこにでも隙間さえあれば侵入してしぶといということにもよるのか。岡山理科大の植物雑学辞典中にみられるように、アカメガシワの特性からも少し見直す必要がありそうだ。平凡社・世界大百科事典には、《秋には黄葉し,古来,歌人に愛された楸(ひさぎ)は本種とみなされる》と。
食慣行もあり、和歌にも多くみられる※1ことから、人との付き合いは長く深い。地方名も多数あるようなので、調べておこう。
以下にいくつかリンクを貼っておく。

・樹木図鑑のアカメガシワ

・アカメガシワの生存戦略(岡山理科大・植物雑学辞典より)

※1 二、三の和歌をみたところでは、アカメガシワでないような気もする。もっとひろいあげてみようと思う。

ぬばたまの夜のふけゆけば久木おふる清き河原に千鳥しば鳴く  山部赤人

令和3年10月23日のあれこれ

扇風機を掃除して片付けた。木酢液400倍希釈を少しばかり畑に撒く。続きは翌日に。家の裏の金木犀、花がようやく咲きそうだ。香りはじめている。例年よりおよそ一月半ほども遅れているか。

blog,こどもと読むたくさんのふしぎ。なんと、ダーウィンのミミズのお話だ。木次図書館で借りてこよう。

buchicat.hatenablog.com

ヴィクター・W・ターナー 『儀礼の過程』冨倉光雄訳,ちくま学芸文庫。津和野町立図書館から取寄せたものの返却期限が来週火曜日まで。これを返すときにでも。