出雲の山墾り〜 R6-sec.23

令和6年10月18日。晴れのち曇り。最高気温は30℃にまで達したようだ。暑い。東の山の端から、積雲かと見紛うような雲が湧き上がるのを見た。車で葡萄園からオリゼに帰る途次、まだきれいな花をつけている萩をところどころに見つける。ブレーキを踏んで、ものの30秒もあれば、手折ることもできたのだがそうはせず。記憶とともにここに記しおくこととする。長く暑かった夏は、人の畑に不作をもたらし秋の実りをそぎはしたが、野の草木は秋を忘れることなく淡々と、咲くべきときに咲いている。強さ、逞しさ、というものではなく、美しさをこそ、認めたい。端整であることを表す「美」であるより、可憐と形容すべきだろうが、よりふさわしい和語を見つけられず。

さて、この日、目にし、感じたことの断片を散りばめておく。

オリゼの庭と裏の畑と

†. 金木犀の花がいっせいに散りはじめた
一瞬なにかと思うほどに、樹下の足元をオレンジに染めていた。香りはまだかすかに漂う。昨年、樹高をおさえるべく強剪定を施しており、樹勢は変わらずとも弱ってはいると思う。その割には花がつきすぎかとも思う。カボチャを丸い樹冠全体に這わせるようにして強い陽射しを当てないことが、あるいはよい作用をもたらしているのかもしらん。谷間にあるような裏庭の環境にあっては、夏は日照に恵まれた点のような場所だから、カボチャにとっては当然の所行で、金木犀を思ってのことではない。お互いの加減がよいようにみえる。

†. ケールの発芽を確認、九条ネギはまだ
5〜6日前に播種したセルにおいて。冬の間に雪をかぶりながらも成長生存できるだろうか。春に花がつけば種子をとれるだろうか。

†. シュウメイギクの白が昨日開花
オリゼの庭のシュウメイギク。一輪のみだが。明日は雨が降るというのに。

山の畑にて

火入れ後、4回めくらいの草刈りか。これが最後かもしれないくらいの秋の草。急傾斜斜面については来週再来週にできるとよいのだがと思う。

†. セイタカアワダチソウ
鮮やかな黄の色が、まだ枯れるのには間がありそうな鈍い草色の中に目立つようになった。目についたものは、どうであれまず刈り取る。また花をつけるだろうが、勢いをそぐために。ツルアズキの群生が見られた場所で急繁殖をはじめたようだが、遠目からの視認したのみ。後日確かめることとする。

†. 牛の侵入
なぜこんなところに糞が。一頭のみ。小柄なやつだ。のびた草がないでいるところをたどりながら推するに、蕪栽培跡地の急斜面から入ったようだ。クサギを数本切り倒して崖に投げ込むように置いた。数日内に様子をみて、補強する。蕪が無傷だったのがなにより。

†. 焼畑の蕪
前回移植したものは、大きなものは活着(というのだろうが)したようだ。1週間以内には間引かねばならぬ箇所が目についた。日曜には少しばかり抜こう。形状のよいもの、すなわち種をとりたいものについては移植、そうでないものは持ち帰ることとする。

†. 焼畑の大根
前回播種したものの半分ほどが発芽か。

†. 焼畑のコリアンダーとディルとケール
雨が続いたなか、一月遅れくらいでの発芽と成長。どこまで大きくなれるだろうか。

†. タカキビ
小さくともよい種子がついている、ばら撒き地のものを2本刈り取る。タカキビは日照大事。

†. 大豆
一粒種はとれそうだ。種子をつけることすら無理かとみていたので、胸をなでおろしたい。焼畑・山畑大豆の血である。

†. コナラとシラカシ
なんと、シラカシを刈払機で切ってしまった。地面10センチほどから上。下部に葉を残してはいるので、生き残ってください。コナラは背をずいぶんとのばした。170センチくらいか。今年の春、牛にほぼすべて食われたところからの回復である。

†. キバナアキギリ
夏焼地の東斜面脇に花をつけて群生。はじめて見た、はずはないのだが、20mあまりにわたって群生している様ははじめてである。焼畑をしたことの何らかの影響によると思う。きれいだ。北西に面した1〜2mほどの切立ちの下でゆるやかな坂路である。火入れ前に何度か草刈りをしたことで、他の競合植物が劣勢となり、地下茎をもつアキギリの株立がふえたのだろう。

山野の谷間に広くはえる多年草です。秋のキノコ狩りで、よく目にする花のひとつです。山で秋を告げる花です。

《飯南町の植物ガイドブック,H25,飯南町森の案内人会》に記されているが、キノコも今年の秋は多く目にする。まとまった降雨がつづき、土がつねに湿っているからという要因も、キバナアキギリの群生をひろげたと思われる。

シソ科アキギリ属。学名はSalvia nipponica。日本のサルビアである。茶花として琴柱草(コトジソウ)の名としても知られる。《宮本巌,摘み草手帳,S53,山陰中央新報社》に、宮本はこう記す。

キバナアキギリは雪深い中国山地はいうまでもなく、雪の降る海岸山地でも十分見ることができる。仁摩町、大田市の後背を走る邇安山地、あるいは島根半島を縦走する島根山脈がそうである。かつて、約200万年も前、日本海ができたといわれるが、それ以来日本海がもたらす多量の積雪は新しい種の分化をうながし、かつそれに適応する数々の種を生み出した。地史的な要因によって作出される植物は他にもいろいろな要素があるが、こうした日本海の積雪が作り出した要素を特に日本海要素と呼ぶ。キバナアキギリはその日本海要素の一つである。春、残雪の消えやらぬころ、伸びた若芽を摘み、ゆでた後(塩)、ゴマあえ、辛子あえ、または油いためとする。

 

出雲の山墾り〜 R6-sec.23

令和6年8月18日。火入れは無事終了。よく燃えた。火―燃焼は天然自然の現象に属するものと通常理解もされ、常識とも齟齬のないものである。しかるに、目下この世の生物では、人だけがその操作を行える。このことに異議を唱える論を想像するのは難しい。この事がまた不思議な気にさせる。「火」はヒトが数万年をへて築き上げてきた文明の象徴ともなっている。火を操ることが、いわば、ヒトと自然とを分かつものでもあるからだ。

野でも山でも、火を放ち、燃やすことはそこにある生命圏(生態系)に大きな撹乱をもたらす。それはあくまで撹乱であり、破壊ではない、と、私は自覚意識しているのだが、今世に生きるヒトの大部分はそれを破壊とみるし考えるだろう。自然の撹乱なるものが何を指し示しているのかが、常識的な理解想像の範疇にないのだから、当然である。自然の撹乱は、自らがそこによってたつ生態系に火を放つということの経験あっての理解得心となる。

「野山に火を放つ」と、ここまでのところ述べてきた。焼畑と呼ばれる行為がそこには含まれる。焼くだけでなく畑をつくるということを示している熟語であるのだが、今世のヒトにとって理解想像を超えるがゆえに破壊としかとれない「焼」と、十分に理解想像の範疇に入る「畑」との組み合わせであることが、誤解の温床であろう。私もかつては「畑」の方に引っ張られていた。特殊で乏しい経験であるにもかかわらず、10シーズンをへていくにつれ、焼畑は畑という概念でくくられる行為とはずいぶん違うと感じ考えるし、それは他の地域、人、文化の焼畑でも同じようなことではないかと思われるのだ。

さて、このつづきは次回へ持ち越し、火入れの様子をあげていく。

まずは動画と写真をいくつかあげつつ、加筆をしていきたい。

 

 

出雲の山墾り〜 R6-sec.18-2

7月21日。大豆、なにものかに食われる。畑には2日前の7月19日に入って以来であるから、20日の夕暮れから晩にかけての出来事であったろうか。
タカキビは小ぶりな一株のみ根本から10センチのところまで食われている。いちばん大きなタカキビは踏み倒され、茎が一箇所折られるのみで、口をつけたあとはなかった。踏み散らかしたようなあとはみられず、牛、猪でないことはほぼ確実。消去法的に可能性のある獣は以下。鹿、狸、狐、穴熊、ヌートリア、猿。

わからない。仮に狸としておこう。刈払機で草刈りに入るのがあと2日早ければとは悔やんだ、正直。外周に竹の枝を差し込みつつ続きは次回。

*追記:この4日〜6日後、再度食われているのだ。

出雲の山墾り〜 R6.sec.18-1

7月18日の山墾り。夏がきたのだと知った。山に入ったのは夕方遅く。空と空気にはオレンジの色味がかかっていた。日陰の斜面でもあった。なのに。動けば汗が滝のように流れ出てくる。目に染みいって視界をさえぎるほど。2年畑のまわりでは、草がここ2週間ばかりで30センチはのびたのではなかろうか。
大豆のあるところだけ、黒い土がのぞいている。草たちが取り囲み、今にも押しいってやろうかという勢いである。周囲30センチほどを根の成長点からノコ鎌で刈り取る。その背後というか向こう側も軽く刈っておく。次回は刈払機でいっせいに始末しておかねば、獣が入ってこようぞ。
あぁ、それにしても単子葉植物の驚くべき成長力の凄まじさかな。美しさといってもいい。畑のこぼれダネから大きくなったタカキビも単子葉植物である。春先にダメ元でばら撒いていたタカキビの種子のうち、木綿のところのものがいくつか大きくなっていた。ちょうど牛が入った道で、踏耕ともいうべき土の掘り返しがあったところだ。草もそこだけ繁殖を控えているようで、5m先からも土の色が見えていた。イネ科雑草に取り囲まれたところにも何株かは負けじと成長していたが、茎が細く、踏耕の場所のそれと比べると弱々しい。周囲の草を刈って様子をみることにする。

そうそう、大豆・タカキビ畑の周囲を草刈りしているときに、トマトの匂いがした。もしやと丁寧にすすめていくと、果たしてトマトの株が3つほど。ブラックチェリーである。昨年はその種しか植えていないので間違いはない。うまくすれば9月の半ばに美味しい実が食べられるかもしれない。

さて、春焼畑。繰り返すがタカキビは単子葉。驚くべき成長である。前回7月12日のものと比べてみても。

出雲の山墾り〜 R6.sec.17-7

7月12日の山墾り。豪雨や東京行で、行けない日が続いた。この日は時間の隙間を縫い、様子見だけでもと春焼きの畑に入った。牛は入っておらず、ほっとしたが、そろそろ猪・狸らにも注意せねば。端的には周辺部の夏草を伸ばし放題にしないことである。柵の補修補強は次回でよしと。6月8日の火入れから一ヶ月が過ぎた。タカキビの成育はよろしくない。こんな状況。

場所によって生育にばらつきがかなりある。笹の地下茎が多いところはまあよくないのだが、そればかりが要因というほどでもない。もともと土壌がやせているがゆえに藪化していく傾向がみられた所なので首を傾げるほどではないのだが。ところで、藪を焼く焼畑については、「竹の焼畑」の名で白石昭臣氏が書籍にも残しておられる。ソバ・アワ・ヒエを初作とすること、夏焼きが多いこと、竹・笹を焼くこと、この3点が特徴ではなかったか(要確認)。だとすると、タカキビはやや不適であること、春焼きであること、竹・笹は混じっているが主な燃焼材ではないこと(もともとの植生には少なく、低灌木主体)、この3点が出雲・石見地方で見られた「竹の焼畑」の特徴からはややそれそうだ。民俗誌を再度参照して確かめること、タカキビの特性を確かめること、備忘としてここに記しおく。

さて、笹の新芽と葛の新生をよく取り除いた。ヨウシュヤマゴボウもよく育っていたので、除去。ヨウシュヤマゴボウが出ているところは黒ボク土である、この斜面では。昨年春に焼いたところほどではないものの。そこに、ハグラウリと地這キュウリを播種した。

斜面を一段さがったところには、大津くんたちが木綿を播種していたが、見当たらなかった(この日あとで、聞いたら、発芽はして育っているとのこと。踏まないように気を付けるべし)。斜面にまいたアマランサスは密にまきすぎたのだが、よく育っている。間引きしたほうがよいのかもしれないが、密植したことが笹の侵食と拮抗しうるとも思われる。いましばらく様子をみてみる。

 

出雲の山墾り〜 R5.sec.17-5

6/29の山墾り。明日から長雨となる予報が出ていて、積み残しは多々あれど、やれるところまではやって帰るつもりでいた。具体的には草刈り少々と柵の保守、それにアマランサスの播種。しかるに、着いてまず目にしたのが、柵がひとつ、牛に突破されている状況であった。優先順位を入れ替え、やれやれと補修作業に入る。動かしながら、運びながら、どうするかを考え考え、構えをつくっていく。陽射しがきつい。汗で目がしみる。なにぶん応急的処置であるから、今日はここまで!として終える。柵でなくバリケードである。塞ぐことを優先し使うことを考慮していない。つまり人が通れない、すなわち私も通れない。

人には迂回という知恵がある。別ルートで畑地に入ることにする。たぶん半年ぶりくらいに通るルートであって、なにが出てくるか少し不安でもあった。牛はここまできてるのかあ、でもここでさすがに行き止まりだよね、突破は無理というところの向こう側へ足を踏み入れる。人もなかなか入りにくい、ゆえにか新竹がまとまってあるのを発見した。では、切っていくかと手鋸と山ナタをふるい、4本目くらいのところだったろうか、新竹の柔らかい切り口に突き立てていた山ナタを喪失。カランカランと伐倒して足元に敷かれている竹の上を転がる音がした。地面は昨日の雨で湿っているし、6月も終わろうかという時期ゆえ、草の茂りも増している。竹をどかし、草木を整理しながら探し続けるもなかなかこれ見つけられない。

一旦チェーンソーの置いてあるところまで帰って、力技的にバシバシ太稈として地を覆っている竹を切っては外していくしかないと思い立ちつつも、もう少し、、と続けていたところ、足元にキラリと光る刃が目に入り、あれ、踏んでたのか?という発見であった。スパイクつきの長靴であたし、まったくわからなかった。おそらく何度も踏みつけるうちに土にめりこんでいったのだろう。よかった、ほっとした。

もうひとつの突破箇所に竹を持ち込みはじめたところ、下方に葛が樹冠を覆いつつある低木2〜3本を発見。とりのぞくべく降りていき、巻きついている蔓を処理していく。そして崖にくずれを見て驚く。ここを登ったのか牛、と。いやここもふさぐのは容易ではないな、どうしようかと思案しつつ、クサギナ数本を切ってふさぐように置いてみることにした。

日があがってくると小さな傾斜、短い登攀でも上り下りは体力消耗度が激しいものだ。気温は30℃には届いていないが、湿度が高い。

午前10時過ぎから午後1時過ぎまでの仕事であった。道具やヘルメットをクサギナがたつ木陰においていたので、そこで休みをしばしばとった。身体を休めると、小鳥の声がきこえてくる。身体を動かしているときも鳴いてはいるのだろうが、そして耳にも入っているのだろうが、意識がとらえてはいない、少なくとも記憶には残っていない。なんの鳥だろうかと、休んでいるときには思う。今日はじめて聞く鳴き声であった。数回聴くことがあれば、覚えて調べてもみれるだろう。伐開をはじめて10年ほどにもなるが、明らかに鳥の種類も数もふえている。もっと増えるだろうし、そうなってほしいと、そうしてまた身体を動かすのだ。動けと念じないと、まず動かないほどにはクタクタになってしまうものだ。

牛に入られたのは春焼き畑も、昨年焼いて今年大豆をつくる畑もだ。

大豆はまだ双葉から次の葉が出始めるくらいの段階だった。まったく口をつけていないのがおもしろいというか興味深い。同じような背丈のタカキビなどは根元近くまでかじられているのにだ。ほっと胸をなでおろしたい。また、おもしろいのは、よくかじられていたコナラの幼木はその後放置されていて、小さな若芽が育ちつつある。なんとか再生することを願う。そして、ヤマウルシは小さな葉ひとつ残らず、食されている。好みの問題なのかなんなのか、このあたりよくわからない。

梅雨に入って、作業しづらい日が続くだろうが、週に一度は柵を手入れしていきたい。

出雲の山墾り〜 R6.sec.17-4

新竹を除伐。5〜6本ほど。足場が未整理で少し動くのにもたいそう手間がかかる。枝葉はまだ展開されていないが、稈の硬化は進んでいる。もう2〜3週間ほど早ければもっと楽にできたと思うが、それは言うまい。一応間に合ったとは言えよう。

大豆は1週間前の播種にしては、もうずいぶんとのびている。牛に入られて少し踏み荒らされているが、打撃はわずか。こぼれ種子から発芽成長していたタカキビは大半がかじられていた。1本残っていたのが救いだ。久しぶりに腹が少し立った。牛に半分、自分に半分。もくもくと追加の柵=バリケードに、竹を運んだ。

春焼き畑のタカキビは播種から16日たつのに、わずかしか伸びていない。今日は6月26日。うまく稔ってくれるかなあ。ギリギリだなあと思う。

下の写真は昨年のタカキビ。6月11日撮影。

そんなこんなで、心細い思いを抱きながら、出てきた竹の新芽を除いていった。ばらまいたアワもヒエも発芽はしていない。タカキビの成長の遅さもだが、土の状態はよくなさそうだ。

手足を動かして、土にさわっていれば、気がつくこと、気になること、やらねばならぬことが、次々と浮かびあがってきて、まぁ、そんなことを繰り返していくのだな。

出雲の山墾り〜sec.1-4

令和6年2月4日(日)

私事につき休みが続いた。この日は、1月14日以来となる山仕事を2時間ほど。雪はほとんど残っていない。竹の伐倒15本程度と、運搬少々。伐倒は杉が密集しているところで2〜3本。かかり木となる。わずかでも杉の枝にかかると手こずることを思い知る。どれだけ手間がかかっても、ロープでの牽引を試してみるべきか。幾度となく懸案として持ち上がっては消えていったが、一度試してみたい、今年は。
雪に埋もれた竹を引き起こすときに、手袋を突き抜けて枝が指に刺さる。少し苛立っていたのかもしれない。ゆっくりいきましょうという警告である。

春の火入れは小面積でもやったほうがいいし、できるなという手応え。伐倒を2月下旬には終えて、運び出しを2ヶ月かけてできれば。北側斜面にとりかかるのは3月からでもよい。夏以降の火入れにまわすものだから。

夕刻前の短時間、暖かく静かな日であった。鳥の声がまったくなかった。チェーンソーの音で、逃げて近寄らなかったからだろう。