春、それは食える草の季節

 ”春は食える草の季節”――川上卓也の『貧乏真髄』にある至言である。

 春は、食えない草を探すほうが難しいという理屈やらなにやらではない。「食える」ということの歓び。地面さえあれば町の道端にだって食える草があるのが春なのである。飽食の世となって久しいが、ヘンゼルとグレーテルの「お菓子の家」に胸ときめかせた記憶は誰しも多少はあるだろう。それでも足りなければ、道端にコンビニ弁当やおにぎりが10mおきに落ちている状況を想像してもらえばいいのだろうか。

 ただ食えるというは食うに足るのみにあらず。それは「美味い」ということを、三文字に託しつつ静かな歓びを表してもいる。雪解けとともに、冬を越す野の草々は土を這うロゼッタの形状から、徐々に茎を持ち上げ葉を展開し、春の陽射しを全身で受けながら、小さな花をつけようとする。いわば「生命力全開」状態。そこを摘んで食べるのだから、力がつくに違いない。ただそれだけに少量であっても強いのだから、取りすぎてはあく(悪、飽)となる。

 

 さて、春の美味い草の話。

 タネツケバナが美味いのだ。ミチタネツケバナなのか、タネツケバナなのか、いまだにどちらかはわからねど、食べてみたらうまかった。

●タネツケバナの仲間

 近縁のオオバタネツケバナは、山菜として栽培、出荷もされているという。生食でじゅうぶんに美味いのだから、どうやって食べたらよいかをあれこれ想像してみた。

 雑煮かな。

 

 

焼畑の雑穀と玄米のご飯

”今日のオリゼランチは玄米と豆(ささげ、さくら豆、大豆)と雑穀(高黍、もちあわ)のごはんを炊いています。”と紹介いただいた。ありがたし。

 

●豆について

 ささげは畑ささげとして分類される野生化したササゲで、山形のとある集落で焼畑栽培の最終年に近い年に「栽培」されてきたもの。ヘミツルアズキと当地では呼ばれているという。奥出雲町佐白で焼畑を試行していることの縁で、「やってみてはどうか」とわけていただいたもの。種を継いで今年で3年めか。小粒であるが、白米にまぜて炊くとほんのり朱に染まって美しく、食感も味もよい。こうして玄米にいれてもよいということがわかる。食べてみれば。

 さくら豆は北海道厚沢部で栽培されているものを、これもわけていただいたもの。山畑では栽培してこなかったのだが、今年は試してみようと計画中。ほくほくとした食感とほどよい甘さがよい。

 大豆は、中生三河島枝豆で、茶園畑と山畑とで栽培中。山畑だと草に負けがちなので昨年はやっていない。今年は山の畑で再挑戦。

 

●雑穀について

 高黍は焼畑の主力にしていきたいもの。脱穀・調整の方法も少しずつ改良と技術の向上をみている。なんといっても鳥害にあわない(今のところ)のが大きい。実が大きいことアクが強いことが影響しているのではと思う。タカキビハンバーグが定番となっているように、モチ性があり、こねると肉に近い触感を出せる。味のアクセントとして、また玄米との相性がこれほどよいとは思わなんだというくらいに、これをうまくあわせると美味しい。

 モチアワは、鳥害にやられつづけているのと、発芽率やらなにやら課題が多いものの、来年は覆土とネット張りも併用しつつ、たくさんつくってみる計画。ある程度の量(面積)をつくらないと、(種々の要因で)うまくできないという考えによる。

 

 ……と、思いつくまま書いてみただけだが、美味しいご飯をありがとうと、ほんとうに頭を下げながら、食べたのだった。

 

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ホウコ餅はやはり美味かった

 ホウコ餅を昨年の春に搗いて食べている。が、その記録がまったく見当たらない。どこかにメモ程度でも残っていればと昨年の手帳を改めてもなし。今朝の雑煮に、冷凍庫にあったホウコ餅を食した。つくったのはいつだったろうか、ホウコはどれくらい入れたんだっけ。確かめようとしたらこの始末。忘れぬうちに今日の感想といくつかの課題を書き記す。
 年末に搗いた糯米10割の白餅と比べてみたら歴然。のびが違う。食感からいえばほうこ餅が断然うまい。それだけではない。味もいいのだ。ここまで違うと搗き方や米の性質が影響大なのかもとも思う。
 春に食べたときには、そんなに美味しいということはなかった。配った方々からはおいしかったといわれていたが、まずかったとはいえないだろうし、どこまでなのかが不明であった。
 ただ春についてはホウコ餅、焼いて食べたのだと思う。今回、鮎出汁の雑煮で食べているというその違いもあるのかもしらん。
 ただ「のび」については、ほうこ餅をついているときから「うぁあ」というほどの違い(あまりにのびるので驚いた)があったので、ホウコの影響であることは確か。そしてなぜ「美味しく」なるのかについては、単に食感だけの問題にとどまらないかもしれない。これはこの春、何度かついてみることで証していきたい。
 両方とも餅つき機を使っているが、ホウコ餅の方は蒸しはせいろでやって搗くのは機械。糯米はグッディ三刀屋点で買ったものだったか。一升ほどをつくった。
 白餅の方は蒸すのも搗くのもひとつの機械。2升を一度に蒸して搗いているのでとくに蒸す工程がせいろで少量ずつやったものとは何かが違うはず。糯米は手元にも少し残っているので、比べてみることができる。これは近々に。
 そして課題をふたつ。
ホウコをもっとたくさん採る。そしてここらへん(木次、雲南、仁多)で見なくなった理由を考え、ふやしていく試みを。 
雑穀にホウコを入れて搗く(糯米を使わないタイプを試す) 雑穀の餅のつき方の最後に記しているように、雑穀をホウコと一緒に搗くということ、これをやってみたい。
あるよ、と妻から送られてきた写真。感謝。

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春にホウコ餅を搗いたときの写真。日付は5月18日。

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年取りのタカキビ餅

タカキビ餅の仕込み~平成30年12月のその後。
タカキビは最終的に4合ほどを調製し、昨年のもの半合ほどを材料に。
うち今年のもの2合ほどはミキサーにかけてひき割りに。4分の3ほどが割れたと思う。粉状になったものは今回は使わず。半合弱ほどか。
よって、というか、つまりというか、材料は以下となった。製法とあわせて記す。

【材料】
・モチ米…一升6合。仁多のモチ米。無肥料減農薬栽培と聞く縁故米的なもの。
・タカキビ…計4合。2合が今年の粒。3合半が今年の挽き割りと粒のミックス(割合は5:1か)。半合ほどが昨年の粒。
・水…700cc弱
【製法】
●下準備
・タカキビは2日半ほど水につけておいた。1日おきに水かえ。早めに腐敗っぽい膜が浮いてきた。昨年はこうではなかった。成育不十分なまま収穫したため、表面が白っぽい。もっと紅茶のような色に染まっている状態ならばこうはならないのではと思われた。ただそれがゆえに水につけるのが3日弱でもよかったのだろう。通常7日つけると、参考にした匹見の聞き書きにはあった。昨年は5日つけている。
・モチ米は通常どおり前日に水につけておき、朝方ざるにあけたもの
・昨年はモチアワも含めていた。今年は不作のため混入せず。
●搗き
タイガーの餅つき機を使用。「蒸す→搗く&こねる」。
雑穀を搗くときには上に軽いものをおいてこねてから搗くというが、餅つき機の場合は関係ないだろう……とはいえ、下にモチ米、上にタカキビをおいて蒸し始めた。より強く蒸されるのが鍋の下部であるならば、逆あるいはタカキビを挟むほうがよいのかもしれない。来年はそうしてみよう。
蒸し終わりまでは2升で40分〜50分ほどだろうか。蒸しきったところで機械が教えてくれる。それから搗き、捏ねに入る。10分ほど。
●丸餅に
打ち粉として売られている米粉と片栗粉を8対2くらいに混ぜたものを打ち粉として使用。2升分でおよそ80ほどをつくった。
【味見】
昨年よりもタカキビの割合が多く、より美味しくなった、つまりタカキビ餅らしくなったと思う。搗きたてをほおばってみたときの、つぶつぶを噛む食感とねばりと香ばしさのバランスがなんともよい。自画自賛。
そして、お配りした方からの感想で「思ったよりねばりがあっておいしかった」と。そういえばつきたてのモチを取り出すときにも、「のびるね〜」という声があった。なぜモチ米だけのものよりのびがあるのかといえば、質の異なるタカキビのモチ性が影響しているのでは。次回食べて気づくことがあれば、追記することとしよう。

タカキビ餅の仕込み〜平成30年12月

我が家の年取り餅に使うタカキビの仕込みは夜なべ仕事。トーミで選別すれば早いのだが、いかんせん雨が続いて出番待ちする間にせっぱつまってしまったのだ。ゆえに夜なべ。昼に小さな土間の勝手で脱穀をはじめた。先ごろ手に入れた足踏み脱穀機でやってみたかった。これも雨のせいにしておく。
風選は夜。勝手口のドアをあけ、ボウルに小分けしたキビを暗闇に向かってふーふー吹き、殻やゴミをとっていく。
最初のうち、脱ぷ(殻をとること)は、すりこぎでやっていた。これも先ごろ購入した循環式精米機の出番のはずなのだが、こちらはまだ一度も試運転していないので、せっぱつまった状況では使えない。で、1合ほどを進めたところで、家庭用精米機を使うことにした。以前使ったときには、粒がくだけてしまい、大変歩留まりが悪く、もったないことになった。すりこぎを使うのは「もったいない」からだが、もちに使うぶんにはよいのではと考え直した次第。
結果、コツのようなものを会得できた。
くだける手前でとめる。そんな当たり前のことなのだが、見ていて、荒かった殻の粒子がすーっと細かくなるポイントでとめる。忘れてしまいそう。だから、こうやって書き留めるのだ。
あの感じ、忘れぬよう。

さて、搗く日は30日の午前。1週間は水につけておかねばならぬと自分でも書いていたのだが(タカキビ餅のぜんざい)、はや4日しかない。ま、いろいろ考えてやる。  畑もちを搗く〜その2  では、出来上がったときにまた。

ウバユリ備忘

ウバユリのことをまとめておこうと書き記すもの。
記憶が散逸する前に、下書き段階からアップしはじめる。

◉宮本巌『摘み草手帖』
《早春、山野の藪や暗い谷間をのぞくと、色つやのよい放射状をした数枚の葉があちこちで顔を出している。この威勢のよい葉を見る限り、ウバユリの名は当たらない》
この名文ともいえる描写と簡潔なイラストが素晴らしい。なにが名文かって、植物の種類がとんとわからない私でさえ、この一文だけ読んでいた記憶が山の中でよみがえって、「これ、ウバユリじゃないか」と発見することが容易にできたこと。
そして、この記事があったからこそ、食べてみることを躊躇なく試みたわけだ。
油で揚げて、ほくほくのものを食した。

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◉日原町史の記述
のちほど。
地域名が記されていた。牛が食べたとも。人間は根を葛根と同様食用にしたと。

○今年になってからの観察(写真)
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○奥出雲町阿井の山中にてみたもの

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○椎葉クニ子
オスとメスが年によって交互にでる。
オスは茎をのばして花を咲かせるが、メスは茎を伸ばさない。根を食べるのはメスのみだと。これはどこにもそう書かれていたのをみたことがない。

○牧野富太郎の著述
のちほど。

ずんべらはチガヤのことなのか〜食べる草

 春がきた。「春は喰える草の季節」とは清少納言枕草子ではなく、川上卓也の『貧乏神髄』の名句であるが、心して迎えたい。平成も終わろうかという時代、子どもたちに草を食べる楽しみを伝えていきたいものだ。

 草を食べるといえば、野山の果実であれ草であれ「あれをたべた、こんなものをたべた」と語る女性は一様に美食家である。母親に教えられた、兄に教えられた、おじいさんに教わった…、その伝承のかたちはさまざまなれど。さもありなん。酸いも甘いも辛いも苦いも、化学調味のそれではなく、野生のそれを幼少の頃に摂取した体験がタネとなり、長じてなにが美味しいものなのかを分別する力能をしっかり保持する人となるのである。

 さて、一昨日に聞いた幼少の頃に食べた草の話。
 広島出身で松江在住のその女性は、思いつくままに3つをあげられた。備忘にのせておく。

 

◉ずんべら

「白い穂が出て甘い」

 チガヤであろう。しかるに、ずんべらと呼ぶというのははじめて聞いた。八坂書房『日本植物方言集成』をのちほど要確認であるが、手元でひける小学館の『日本方言大辞典』にある「すいば」「ずんばら」のバリエーションか。以下に全方言をあげておく。

《あまかや/あまた/あまちか/あまちこ/あまちゃ/あまちゅー/あまね/あまみ/あまめ/おーの/おなごがや/おばな/かにすかし/かや/かやご/かやぼ/こーじ/ささね/ささみ/ささみぐさ/ささめ/しば/しばはな/しばめ/じょーめぐさ/しらがや/しろつばな/すいすい/すいば/ずいば/ずいぼー/ずば/ずばな/ずぶな/ずぼ/すぼー/ずぼー/ずぼーな/ずぼーなー/ずぼな/ずむな/ずわ/すんば/ずんば/ずんばい/ずんばら/ずんばらこ/ずんぼ/ずんぼー/ずんぼな/ぜにこ/ちぐさ/ちぶく/つあのみ/つぃばな/ついばな/つば/つばくろ/つばころ/つばなこ/つばね/つばねこ/つばのこ/つばめ/つばんこ/つばんこー/つぶな/つぼ/つぼー/つぼーばな/つぼな/つぼみ/つんつんば/つんつんばな/つんば/つんばな/つんばね/つんばら/つんぼ/つんぼー/つんぼば/とまがや/とまぐさ/とますげ/とわば/なつし/のぎ のとと/のぶし/のぼし/のぼせ/のまぎ/ぴーぴーくさ/ひがや/ひるぬき/へびしば/まかや/まがや/まくさ/まはや/まひや/みのかや/みのがや/みのくさ/みのげ/めがや/めんがや/やまわら/わらいぐさ》

◉たきんぽ
「竹に似ている」
これはイタドリだろうと思う。

◉名称不明 赤い茎 すっぱい
筋をとって食べるという。たきんぽと同じ?

タカキビ餅のぜんざい

うまし。

タカキビ餅と名乗っているものの、原料の8割5分ほどは餅米である。若干のモチアワも含まれている。1割2分ほどだろうかタカキビの入っている割合は。されど、しっかりとタカキビらしい味わいというか野性味というか深みというかそんなものがある。

タカキビは今年の焼畑で収穫したもの。ミキサーで軽く挽き割って使っているが、粒のままのものが6〜7割はあるだろう。つきたてのときはほんのり紅がさしたようなきれいな色を出していた。

タカキビ10割でつくのであれば、粉状にまで挽き割って、搗くといううよりはこねるのではなかろうか。以前、つくりかたは記したので繰り返しになるが、タカキビは水にひたすこと1週間、水は最初は毎日かえるのがよい。温度があがりすぎると腐敗するので、冬期なら土間など冷えたところに静置すること。

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さて、小豆である。

これは、自然栽培の小豆なのだ。

じつは小豆を作らないかという話があって、種子もくれるし、栽培法も指導してくれるのだと。虫がつきやすいので駆除するための農薬はいろいろあるらしい。

新しく土地を借りるのであれば、まずは雑穀でならして、土のバランスがとれたところで豆類だろうなあと考える。放棄地であっても火はいれてスタートしたい。小さな納屋がそばにあればなおよし。竹がはびこってしまった山もあるとよい。

そんなことを、食べながら考えていたのだった。

牛乳からバターをつくる

 When was the last time you made your own butter?

 あなたが、最後に自分でバターをつくったのはいつのことですか?

 

 大変興味深い台詞なのだ、これは。

 ”バターづくり体験”は、日本でもありふれたものになりつつあって、子供あるいは親子で体験するものとして、ひろく知られてもいる。そのルーツが知りたいと思い、調べてみたのだが、いまひとつわからないのだ。

 どうしたもんじゃろのおー、と投げやり気分でぼんやりとウェブの画面をながめていたら、冒頭の英文が飛び込んできて、はたと何かがひらめいたのだ。

 おそらくという括弧づきではあるが、いえるのはこういうことだろう。

◉バターづくり体験はどこからきたのか

1. ありがちな話であるが、欧米からの輸入。ウェブの検索に限るがアメリカ生まれかと思われる。冒頭の英文も、幼稚園の頃、先生からミルクをわけられて、みんなで瓶を振った記憶が……と続く。また、アメリカの民俗資料動画のなかに、チャーンでバターをつくっている子供の姿があった。

2. ヨーロッパにはない文化かもしらん。バターをホームメイドでつくるというのは。乳製品の代表はバターではなくチーズ。しかもアルプス以北に限られる。むしろバターをよく使うのはインドの食文化ではないか、と。

3. 牛乳をたくさん飲むというのはアメリカの食文化では(だと思う)? ガロン単位で売られていて、添加されるものも含めていくつもの種類があり、大きな冷蔵庫があり、という土台があってこそか。

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 そもそも。

 こうしたことを考えてみたのは、去る半年ほど前に、サンデーマーケット・チーボで、このバターづくり体験をやったことに由来することだ。

 そもそも。

 参加者のひとりが言われた。

「クリームからつくるものだと思っていた。牛乳からとあるので変だなあとは思ったが」。

 そう。ふつうは生クリームからつくる。理由は「それがふつう。工場でつくる場合の手順も、手作りの場合でもそう」ということと、「そのほうが早くてかんたん。牛乳からつくることに比べたら」という2点。

 じゃあ、なぜ生クリームを使わなかったのか。その理由は3つだ。

理由1)ダムの見える牧場での活動をプレゼンする場でもあるのに、大山蒜山高原のクリームは使えないだろう。ただ自前の生クリームはない。集荷され他の牧場の乳も入ったものも可だろうとした場合には、木次乳業で販売されている生クリームが12月限定であることから、それは不可能。

理由2)以下にも記載するが、木次乳業のノンホモ牛乳から生クリームに近いものを取り出すことはそれほど難しくはない。しかし、気温もまだ高い9月の時期に、開封した牛乳をもとに原材料をつくり、それを持ち込むというのは、注意を払ったとしても少々こわい。マーケットという場ではなく、たとえばカフェ・オリゼでやるのなら、理由2がクリアーできて、やれただろう。

理由3)上記のふたつが消極的理由であるが、3つめは積極的理由だ。

 牛乳からバターをつくるということ。それは手間のかかること。手間がかかるということはなんなのか。食べることに手間をかけないでどうするんだという、そういう主張を込めたかったのだ。

 ホームメイドDIY方式で、牛乳からクリームを取り出すのに手間はいらない。冷蔵庫に1〜2日静置するのみ。なにが起こっているのかを時の経過とともに見て知って感じなければ、この意味はない。

まあ、それくらいはやろうよということでもある。さらに一歩進むのなら、牛の乳を搾って飲むというのもいいだろうし、その絞った乳を原料にバターをつくるのならさらにいい。

 乳搾りは体験として実践するならば、一瞬でしかない。

 そういうものは体験とはなりえない。

(つづく)

醤油の歴史雑考〜旧松江藩領・温泉村の安永十年(1781)

 温泉村(現雲南市)の安永10年(1781)の検地に際して、村三役が役人を接待した記録の一部をみるに、「大根牛蒡など、醤油にて煮〆をつくりもてなしたる」とある。「醤油にて」つくる煮しめがもてなし料理であるなら、醤油をつかわない煮しめがあったということだろうか。

 瀬川清子『食生活の歴史』には、「醤油の自家製造は非常に新しい流行で、味噌のたまりをとって使用した時代を入れても、ここ二、三世紀をさかのぼれない」とある。

 藩政時代から醤油の自家製造は許可制だったというのだが、そこで制限されている「醤油」と、タマリ、スマシと呼ばれた、味噌からとるものやなんやとはちがうわけだろうし、どうもいろいろごっちゃになっててようわからん。

 とはいえ、明治はじめの島根県の場合、醤油の自家製造の制限とは「1年一人につき七升ずつであった」というから、けっこうな量である。

 こんなことを思い出し、記してみたのにはわけがある。

「醤油絞り機、いりませんか?」

 先日、そんな電話がかかってきた。解体する家から出てきたという。古いものらしいが、100年はたっていないだろうと思われる。

……

 もらって、どうする?

 そりゃ、つくるさ、醤油を。

 えええ、どうやって?

 つくりたい人が現れたのさ、これは何かの縁だよ。

……

 さて、どうなりますか。

 下のは、2年前、とある醤油屋さんの蔵を特別に(本当に)見学させていただいた折の写真です。

 多種の膨大な菌が共生したある種の平衡状態、プラトーとでも呼ぶべき状態にあるらしい。

 少々の雑菌、たとえば大腸菌が入ってきたとしても、殲滅されてしまうのだという。

 近代以降の滅菌・殺菌の方法とは異なるやり方、というよりも思想ではないか。生命の思想ともいえよう。そうした話をふまえて、社長さんは、ここはひとつの宇宙だと言っておられた。

 醤油蔵はひとつの宇宙。

 しかし、ここ数十年の間、目の前で次々と消滅していくのをみてきたという。

 なんともやるせない。