粗々〜カブとクマゴの時間

標題の件、図書館での資料渉猟の折、メモすらしていないことをも含めて、まず書き残しつつ後ほどの整理に委ねる。
◆島根県出雲地方においては近世以降、水田を有しない耕作地帯はきわめて稀である(この件、要精査)。畑作なり漁撈なり、その比重の軽重こそあれ、水田稲作を基軸とした農耕文化がこの地域の特徴である、ように見える。が、しかし、である。大局的にはそう見えたとしても、個々の集落、ひとつひとつの儀礼、年中行事、それらを丁寧にみていくと、稲の儀礼にみえて、その基底に畑作があるのではないかとうかがわせたりするものがある(白石昭臣の論考との差異など補足)
◆地カブを供物とした儀礼がそうである。年取りカブ(正月カブ)と呼ばれる地カブは、文字通り、大晦日には欠かせぬものとされ、歳神さんを迎えるトシトコの飾りにはジンバソウなどと並んでこのカブをぶら下げる。また、この年取りカブは稲こぎにも米とならんで主役となる。
すなわち、稲こぎが終わったのちに、千歯こぎなど道具にお供えをするのだが、その供物とはカブと精米した米である。カブを一升枡に逆さに(尻が上に)おき、枡にはこぎおわった稲籾を精米した白米をなみなみと満たす。これを供えるものだ。
なぜカブなのか。なぜ米とカブなのか。
◆現在、森と畑と牛と、島根大学里山管理研究会が中心となって行っている「竹の焼畑」のフィールドは、旧奥出雲町の山方地区にあたるが、その山方と斐伊川をはさんでの隣地である林原、そして岩伏山をはさんだ向かいにあたる下布施地区は、かつての畑作優先地帯であり、焼畑をふくめた畑作文化がかつて濃厚にあった土地だった。尾原ダム建設(2011年:平成23年竣工)による集落移転によって、現在は無住地帯である。
◆白石昭臣は何度か調査に訪れ、その断片が論文・資料には残されている。白石の集大成的遺作ともいえる『農耕文化の民俗学的研究』(岩田書院)、集落移転を契機とした民俗調査報告書、島根県教育委員会, 1996『尾原の民俗 : 尾原ダム民俗文化財調査報告書』。  とりわけ「年取りカブ」に関するものとしては、前者のp.328にある一文は、後者より微妙に詳しい。ご本人にうかがえないことがくやまれる。

《〔事例11〕島根県仁多郡仁多町・大原郡木次町下布施一帯の山村では、大晦日に「トシトリのカミさん」と称して、ヒゲ(根)のついた地カブ(蕪)と二叉大根を、オモテの床の間の年棚に上方から吊す。これに大根ナマス、カブの味噌汁、ソバを供える。》

先の山方地域について2,3、気になることを記しておく。

ダム建設の残土置き場となったため、山中に点在していたものをここに合祀したときく。 伝承にも山の信仰の色がこい。※1
タイシコの雪隠し。馬にのってやってくる毘沙門天。尼寺の跡(姥石とも)。などなど。

ヌルデのこと
春といえば、美保神社(美保関)の青柴垣神事。 春は生命が芽吹くはじまりの季節。
◆青柴垣神事ではトコロイモ・里芋が重要な供物……4月1日には海でトコロイモ(野老)を洗うという神事あり。いまでは他の地方からもってこられるらしいですが、かつては山の畑でつくられていました。そう、焼畑で里芋をつくっていたエリアなのです。海の色彩とともに山の神信仰の色が濃い。
◆山村塾が焼畑をしている土地(旧仁多町山方)では、かつて関講があり、御札と稲魂のやどった種籾を美保神社に詣でて受け、各家々で札は水口に祭り、種籾は用意した種籾とまぜて苗をつくったものです。
◆そして、神事に用いられる負棒。かつては「もり木」であったと。もり木は消失した民俗儀礼に多出します。花嫁を背負う木でもあり婚姻時に用いたのち大事に保管し、その嫁が死する時にともに弔うあるいは骨を拾うときに使う箸にするなど。これはおそらくアイヌの神送りにまで連なるものですが、焼畑実践者であれば、おなじみ、ヌルデの木が材として使われます。椎葉でも、そして先に焼畑フォーラムが開催された井川でもありました。焼畑のあと、最初にはえてくる木、それがヌルデです。奥出雲の佐白でもそうであることは、焼畑地の草刈り参加者にはおなじみでしょう。
◆海とヌルデの関係は「塩」ということからも ヌルデといえば、椎葉のクニ子おばばとこんな話をしたのを思い出します。 クニ子「山にはなんでもあるから」 私「あ、でも、塩はないでしょう」 クニ子「ヌルデの実があるわね。塩の代わりになる」 ヌルデの実が白い粉をふいているのをなめると塩辛いです。粉はリンゴ酸カルシウム。塩(塩化ナトリウム)とは違うのだけれど、昔から山での塩分補給になっていました。
◆なぜ、ヌルデの木なのでしょう。生命の根源にある塩をふき、焼畑で最初に芽生える森の先導者。小正月では占いの木でもあり、魔除けの木でもある。 そう、焼畑の民にとってヌルデとは死と再生に深くかかわる木なのです。

クマゴのこと
◆クマゴの記載のみられる町史等をみるに、こらまで島根県内で確認できたのは次のもの。広島県北部をまだあたっていない。三好市の図書館にいけばある程度そろうだろうか。 赤来町史 勝部正郊氏が取材執筆されており、聞き取りの要約であっても信頼がおける。 そのままひく

《さて明治から大正にかけての食事の概況を記すと次のようになる。この記録は昭和四十四年の夏、来島地区、赤名地区、谷地区における六十才以上の老婦人が語った若き日の食生活をまとめたものである。  主食といえば、米三分にクマゴ七分のものだった。朝はたいていが茶粥に漬物。昼は飯に漬物。ハシマには飯に漬物。夜も飯に漬物それに煮しめ。そして自家製の味噌でつくった味噌汁があった。味噌汁の中身はそれぞれ時節のものが入れられ、タカナ、ネギ、タケノコ、ナスビ、大根など……(中略)……主食の過半を占めたクマゴはこの昭和の初めまで用い、特に谷地区ではクマゴこなしの共同作業までみられた。》

大和村誌 p.638(第三章民俗慣習ー第ニ節食物) (江戸から明治にかけての食として)主食は米三分、クマゴ(粟)七分で、時によって粟のかわりに麦、甘藷、または大根や菜葉を細目に刻んだものを混ぜて炊いた。 羽須美村誌(下) p494

《第五項 くまご(こあわ) 麻畑の後作として、「くまご」を栽培した、これは麦と共に米の補給物として重要なものであった。  麻刈りした畑に、ほとんどがバラ蒔きをしていたので、水田の除草や、養蚕の合い間を縫って、手入れをするのだ。手入れといっても主に、間引きと除草である。(中略)反収二石も獲れれば上作である。  この「くまご」も年々減少して昭和十五、六年頃より極度に少なくなり、三十五、六年に至って殆ど姿を消してしまった。  昭和の初期までは、常食として米に混ぜて、ご飯に炊いていた極めて重要な食糧であった。御飯一升について二合ー四合(二割ー四割)を混ぜて食した。炊きたての温かいうちは、黄色で香りもよく、たべ易く味も悪くはなかったが一旦冷えると、香りもなくボロボロして食べ難いものであったように記憶している。》

ここで特筆すべきことはいくつかあるが、なんといってもくまごを「こあわ」としていること。
◆桜江町誌、旭町史にクマゴの記載はなし
どちらも食生活の項目に雑穀の記載はあって、その比重の大小は地域内の差はあれど、それなりに大きい。桜江町については粟食も濃厚でウルチ粟の飯を食していた記録もあるが、その粟をクマゴとは呼んでいない。旧石見町も山間部はそうであろうから(未確認)、クマゴの境界はちょうど瑞穂町のあたりとなろうか。
おそらくもっとも近年までくまごを食していたと思われる都賀行をあわせてみると、地カブをよく食していた地域と重なるのではなかろうか。
さらに西の地域を資料の渉猟と、森神、大元神、地神の残存、祖霊信仰とあわせて探っていきたい。
◆クマゴ、地カブについて大浦周辺で聞いてみるも、年寄りはみんなおらんようになった。とのこと。ただ、地カブと思しきカブはそこここに点在している。

 

※1…山中に点在していたのではなく、尾白峠周辺にあったものだろう。写真右に草に隠れて見えない石仏がある。双体の才ノ神で、『尾原の民俗』など参照。2022/02/06追記

年取りカブのあるところ

2月23日(土)。1年半ぶりくらいに年取りカブのある谷へ。 谷に着いて車を降りると鶯の声。
Yさんのお宅まで畑をみながら歩く。2年前は雪が降り積もる谷を歩いたっけと不確かな記憶をなぞりつつ。
開口一番「鶯、鳴いてましたよ」といえば、「あぁ、2日前からないちょるね」と。  1時間半ばかりあれこれお話を伺った。

・里芋も去年はダメだったと。こたつの上に出されていたのは、よそから種芋をもらってきて育てたもの。地のものとは味が違うという。形を聞いたらば、昨年から塾でも栽培している三刀屋在来と同じ系統のようだ。大事に育てよ。

・「あんたつづれもしらんかね」といって、出してきてもらった「つぅづぅれ」。裂織の綴。ボロの着物のことだが、仁多郡ではぼろ布を裂き織りにして作ったそでなしの仕事着のこと。中国地方山間部で用いられてきた方言。ちょっとした雨ならぬれないし、あたたかいし、しょいものやらにもいいと。

「わたしゃ背が低いけん、こげにみじかいだども、もっと長いもんだけんね」 文化財データベースなどでみると、その意味がよくわかる。というより、こっち、現役ですから。文化財とか遺産ってものがほんとに陳腐にみえてくるほどに、ビビッときた。 からさでさんのこと、縄(にかわ)のこと、ききそこねたこと多数。干し柿いただいた。ありがたし。

春、それは食える草の季節

 ”春は食える草の季節”――川上卓也の『貧乏真髄』にある至言である。

 春は、食えない草を探すほうが難しいという理屈やらなにやらではない。「食える」ということの歓び。地面さえあれば町の道端にだって食える草があるのが春なのである。飽食の世となって久しいが、ヘンゼルとグレーテルの「お菓子の家」に胸ときめかせた記憶は誰しも多少はあるだろう。それでも足りなければ、道端にコンビニ弁当やおにぎりが10mおきに落ちている状況を想像してもらえばいいのだろうか。

 ただ食えるというは食うに足るのみにあらず。それは「美味い」ということを、三文字に託しつつ静かな歓びを表してもいる。雪解けとともに、冬を越す野の草々は土を這うロゼッタの形状から、徐々に茎を持ち上げ葉を展開し、春の陽射しを全身で受けながら、小さな花をつけようとする。いわば「生命力全開」状態。そこを摘んで食べるのだから、力がつくに違いない。ただそれだけに少量であっても強いのだから、取りすぎてはあく(悪、飽)となる。

 

 さて、春の美味い草の話。

 タネツケバナが美味いのだ。ミチタネツケバナなのか、タネツケバナなのか、いまだにどちらかはわからねど、食べてみたらうまかった。

●タネツケバナの仲間

 近縁のオオバタネツケバナは、山菜として栽培、出荷もされているという。生食でじゅうぶんに美味いのだから、どうやって食べたらよいかをあれこれ想像してみた。

 雑煮かな。

 

 

焼畑の雑穀と玄米のご飯

”今日のオリゼランチは玄米と豆(ささげ、さくら豆、大豆)と雑穀(高黍、もちあわ)のごはんを炊いています。”と紹介いただいた。ありがたし。

 

●豆について

 ささげは畑ささげとして分類される野生化したササゲで、山形のとある集落で焼畑栽培の最終年に近い年に「栽培」されてきたもの。ヘミツルアズキと当地では呼ばれているという。奥出雲町佐白で焼畑を試行していることの縁で、「やってみてはどうか」とわけていただいたもの。種を継いで今年で3年めか。小粒であるが、白米にまぜて炊くとほんのり朱に染まって美しく、食感も味もよい。こうして玄米にいれてもよいということがわかる。食べてみれば。

 さくら豆は北海道厚沢部で栽培されているものを、これもわけていただいたもの。山畑では栽培してこなかったのだが、今年は試してみようと計画中。ほくほくとした食感とほどよい甘さがよい。

 大豆は、中生三河島枝豆で、茶園畑と山畑とで栽培中。山畑だと草に負けがちなので昨年はやっていない。今年は山の畑で再挑戦。

 

●雑穀について

 高黍は焼畑の主力にしていきたいもの。脱穀・調整の方法も少しずつ改良と技術の向上をみている。なんといっても鳥害にあわない(今のところ)のが大きい。実が大きいことアクが強いことが影響しているのではと思う。タカキビハンバーグが定番となっているように、モチ性があり、こねると肉に近い触感を出せる。味のアクセントとして、また玄米との相性がこれほどよいとは思わなんだというくらいに、これをうまくあわせると美味しい。

 モチアワは、鳥害にやられつづけているのと、発芽率やらなにやら課題が多いものの、来年は覆土とネット張りも併用しつつ、たくさんつくってみる計画。ある程度の量(面積)をつくらないと、(種々の要因で)うまくできないという考えによる。

 

 ……と、思いつくまま書いてみただけだが、美味しいご飯をありがとうと、ほんとうに頭を下げながら、食べたのだった。

 

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ホウコ餅はやはり美味かった

 ホウコ餅を昨年の春に搗いて食べている。が、その記録がまったく見当たらない。どこかにメモ程度でも残っていればと昨年の手帳を改めてもなし。今朝の雑煮に、冷凍庫にあったホウコ餅を食した。つくったのはいつだったろうか、ホウコはどれくらい入れたんだっけ。確かめようとしたらこの始末。忘れぬうちに今日の感想といくつかの課題を書き記す。
 年末に搗いた糯米10割の白餅と比べてみたら歴然。のびが違う。食感からいえばほうこ餅が断然うまい。それだけではない。味もいいのだ。ここまで違うと搗き方や米の性質が影響大なのかもとも思う。
 春に食べたときには、そんなに美味しいということはなかった。配った方々からはおいしかったといわれていたが、まずかったとはいえないだろうし、どこまでなのかが不明であった。
 ただ春についてはホウコ餅、焼いて食べたのだと思う。今回、鮎出汁の雑煮で食べているというその違いもあるのかもしらん。
 ただ「のび」については、ほうこ餅をついているときから「うぁあ」というほどの違い(あまりにのびるので驚いた)があったので、ホウコの影響であることは確か。そしてなぜ「美味しく」なるのかについては、単に食感だけの問題にとどまらないかもしれない。これはこの春、何度かついてみることで証していきたい。
 両方とも餅つき機を使っているが、ホウコ餅の方は蒸しはせいろでやって搗くのは機械。糯米はグッディ三刀屋点で買ったものだったか。一升ほどをつくった。
 白餅の方は蒸すのも搗くのもひとつの機械。2升を一度に蒸して搗いているのでとくに蒸す工程がせいろで少量ずつやったものとは何かが違うはず。糯米は手元にも少し残っているので、比べてみることができる。これは近々に。
 そして課題をふたつ。
ホウコをもっとたくさん採る。そしてここらへん(木次、雲南、仁多)で見なくなった理由を考え、ふやしていく試みを。 
雑穀にホウコを入れて搗く(糯米を使わないタイプを試す) 雑穀の餅のつき方の最後に記しているように、雑穀をホウコと一緒に搗くということ、これをやってみたい。
あるよ、と妻から送られてきた写真。感謝。

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春にホウコ餅を搗いたときの写真。日付は5月18日。

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年取りのタカキビ餅

タカキビ餅の仕込み~平成30年12月のその後。
タカキビは最終的に4合ほどを調製し、昨年のもの半合ほどを材料に。
うち今年のもの2合ほどはミキサーにかけてひき割りに。4分の3ほどが割れたと思う。粉状になったものは今回は使わず。半合弱ほどか。
よって、というか、つまりというか、材料は以下となった。製法とあわせて記す。

【材料】
・モチ米…一升6合。仁多のモチ米。無肥料減農薬栽培と聞く縁故米的なもの。
・タカキビ…計4合。2合が今年の粒。3合半が今年の挽き割りと粒のミックス(割合は5:1か)。半合ほどが昨年の粒。
・水…700cc弱
【製法】
●下準備
・タカキビは2日半ほど水につけておいた。1日おきに水かえ。早めに腐敗っぽい膜が浮いてきた。昨年はこうではなかった。成育不十分なまま収穫したため、表面が白っぽい。もっと紅茶のような色に染まっている状態ならばこうはならないのではと思われた。ただそれがゆえに水につけるのが3日弱でもよかったのだろう。通常7日つけると、参考にした匹見の聞き書きにはあった。昨年は5日つけている。
・モチ米は通常どおり前日に水につけておき、朝方ざるにあけたもの
・昨年はモチアワも含めていた。今年は不作のため混入せず。
●搗き
タイガーの餅つき機を使用。「蒸す→搗く&こねる」。
雑穀を搗くときには上に軽いものをおいてこねてから搗くというが、餅つき機の場合は関係ないだろう……とはいえ、下にモチ米、上にタカキビをおいて蒸し始めた。より強く蒸されるのが鍋の下部であるならば、逆あるいはタカキビを挟むほうがよいのかもしれない。来年はそうしてみよう。
蒸し終わりまでは2升で40分〜50分ほどだろうか。蒸しきったところで機械が教えてくれる。それから搗き、捏ねに入る。10分ほど。
●丸餅に
打ち粉として売られている米粉と片栗粉を8対2くらいに混ぜたものを打ち粉として使用。2升分でおよそ80ほどをつくった。
【味見】
昨年よりもタカキビの割合が多く、より美味しくなった、つまりタカキビ餅らしくなったと思う。搗きたてをほおばってみたときの、つぶつぶを噛む食感とねばりと香ばしさのバランスがなんともよい。自画自賛。
そして、お配りした方からの感想で「思ったよりねばりがあっておいしかった」と。そういえばつきたてのモチを取り出すときにも、「のびるね〜」という声があった。なぜモチ米だけのものよりのびがあるのかといえば、質の異なるタカキビのモチ性が影響しているのでは。次回食べて気づくことがあれば、追記することとしよう。

タカキビ餅の仕込み〜平成30年12月

我が家の年取り餅に使うタカキビの仕込みは夜なべ仕事。トーミで選別すれば早いのだが、いかんせん雨が続いて出番待ちする間にせっぱつまってしまったのだ。ゆえに夜なべ。昼に小さな土間の勝手で脱穀をはじめた。先ごろ手に入れた足踏み脱穀機でやってみたかった。これも雨のせいにしておく。
風選は夜。勝手口のドアをあけ、ボウルに小分けしたキビを暗闇に向かってふーふー吹き、殻やゴミをとっていく。
最初のうち、脱ぷ(殻をとること)は、すりこぎでやっていた。これも先ごろ購入した循環式精米機の出番のはずなのだが、こちらはまだ一度も試運転していないので、せっぱつまった状況では使えない。で、1合ほどを進めたところで、家庭用精米機を使うことにした。以前使ったときには、粒がくだけてしまい、大変歩留まりが悪く、もったないことになった。すりこぎを使うのは「もったいない」からだが、もちに使うぶんにはよいのではと考え直した次第。
結果、コツのようなものを会得できた。
くだける手前でとめる。そんな当たり前のことなのだが、見ていて、荒かった殻の粒子がすーっと細かくなるポイントでとめる。忘れてしまいそう。だから、こうやって書き留めるのだ。
あの感じ、忘れぬよう。

さて、搗く日は30日の午前。1週間は水につけておかねばならぬと自分でも書いていたのだが(タカキビ餅のぜんざい)、はや4日しかない。ま、いろいろ考えてやる。  畑もちを搗く〜その2  では、出来上がったときにまた。

ウバユリ備忘

ウバユリのことをまとめておこうと書き記すもの。
記憶が散逸する前に、下書き段階からアップしはじめる。

◉宮本巌『摘み草手帖』
《早春、山野の藪や暗い谷間をのぞくと、色つやのよい放射状をした数枚の葉があちこちで顔を出している。この威勢のよい葉を見る限り、ウバユリの名は当たらない》
この名文ともいえる描写と簡潔なイラストが素晴らしい。なにが名文かって、植物の種類がとんとわからない私でさえ、この一文だけ読んでいた記憶が山の中でよみがえって、「これ、ウバユリじゃないか」と発見することが容易にできたこと。
そして、この記事があったからこそ、食べてみることを躊躇なく試みたわけだ。
油で揚げて、ほくほくのものを食した。

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◉日原町史の記述
のちほど。
地域名が記されていた。牛が食べたとも。人間は根を葛根と同様食用にしたと。

○今年になってからの観察(写真)
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○奥出雲町阿井の山中にてみたもの

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○椎葉クニ子
オスとメスが年によって交互にでる。
オスは茎をのばして花を咲かせるが、メスは茎を伸ばさない。根を食べるのはメスのみだと。これはどこにもそう書かれていたのをみたことがない。

○牧野富太郎の著述
のちほど。

ずんべらはチガヤのことなのか〜食べる草

 春がきた。「春は喰える草の季節」とは清少納言枕草子ではなく、川上卓也の『貧乏神髄』の名句であるが、心して迎えたい。平成も終わろうかという時代、子どもたちに草を食べる楽しみを伝えていきたいものだ。

 草を食べるといえば、野山の果実であれ草であれ「あれをたべた、こんなものをたべた」と語る女性は一様に美食家である。母親に教えられた、兄に教えられた、おじいさんに教わった…、その伝承のかたちはさまざまなれど。さもありなん。酸いも甘いも辛いも苦いも、化学調味のそれではなく、野生のそれを幼少の頃に摂取した体験がタネとなり、長じてなにが美味しいものなのかを分別する力能をしっかり保持する人となるのである。

 さて、一昨日に聞いた幼少の頃に食べた草の話。
 広島出身で松江在住のその女性は、思いつくままに3つをあげられた。備忘にのせておく。

 

◉ずんべら

「白い穂が出て甘い」

 チガヤであろう。しかるに、ずんべらと呼ぶというのははじめて聞いた。八坂書房『日本植物方言集成』をのちほど要確認であるが、手元でひける小学館の『日本方言大辞典』にある「すいば」「ずんばら」のバリエーションか。以下に全方言をあげておく。

《あまかや/あまた/あまちか/あまちこ/あまちゃ/あまちゅー/あまね/あまみ/あまめ/おーの/おなごがや/おばな/かにすかし/かや/かやご/かやぼ/こーじ/ささね/ささみ/ささみぐさ/ささめ/しば/しばはな/しばめ/じょーめぐさ/しらがや/しろつばな/すいすい/すいば/ずいば/ずいぼー/ずば/ずばな/ずぶな/ずぼ/すぼー/ずぼー/ずぼーな/ずぼーなー/ずぼな/ずむな/ずわ/すんば/ずんば/ずんばい/ずんばら/ずんばらこ/ずんぼ/ずんぼー/ずんぼな/ぜにこ/ちぐさ/ちぶく/つあのみ/つぃばな/ついばな/つば/つばくろ/つばころ/つばなこ/つばね/つばねこ/つばのこ/つばめ/つばんこ/つばんこー/つぶな/つぼ/つぼー/つぼーばな/つぼな/つぼみ/つんつんば/つんつんばな/つんば/つんばな/つんばね/つんばら/つんぼ/つんぼー/つんぼば/とまがや/とまぐさ/とますげ/とわば/なつし/のぎ のとと/のぶし/のぼし/のぼせ/のまぎ/ぴーぴーくさ/ひがや/ひるぬき/へびしば/まかや/まがや/まくさ/まはや/まひや/みのかや/みのがや/みのくさ/みのげ/めがや/めんがや/やまわら/わらいぐさ》

◉たきんぽ
「竹に似ている」
これはイタドリだろうと思う。

◉名称不明 赤い茎 すっぱい
筋をとって食べるという。たきんぽと同じ?

タカキビ餅のぜんざい

うまし。

タカキビ餅と名乗っているものの、原料の8割5分ほどは餅米である。若干のモチアワも含まれている。1割2分ほどだろうかタカキビの入っている割合は。されど、しっかりとタカキビらしい味わいというか野性味というか深みというかそんなものがある。

タカキビは今年の焼畑で収穫したもの。ミキサーで軽く挽き割って使っているが、粒のままのものが6〜7割はあるだろう。つきたてのときはほんのり紅がさしたようなきれいな色を出していた。

タカキビ10割でつくのであれば、粉状にまで挽き割って、搗くといううよりはこねるのではなかろうか。以前、つくりかたは記したので繰り返しになるが、タカキビは水にひたすこと1週間、水は最初は毎日かえるのがよい。温度があがりすぎると腐敗するので、冬期なら土間など冷えたところに静置すること。

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さて、小豆である。

これは、自然栽培の小豆なのだ。

じつは小豆を作らないかという話があって、種子もくれるし、栽培法も指導してくれるのだと。虫がつきやすいので駆除するための農薬はいろいろあるらしい。

新しく土地を借りるのであれば、まずは雑穀でならして、土のバランスがとれたところで豆類だろうなあと考える。放棄地であっても火はいれてスタートしたい。小さな納屋がそばにあればなおよし。竹がはびこってしまった山もあるとよい。

そんなことを、食べながら考えていたのだった。