本の記録〜2018年12月15日

島根県立図書館にて。半月ほど前に借りたものなども含めて。

◆借りた本
†.現代思想臨時増刊,2016.6『微生物の世界』(青土社)
†.D.モンゴメリー,A.ビクレー『土と内臓―微生物がつくる世界』(築地書館)
†.小泉武夫,1984『灰の文化誌』(リブロポート)
†.小泉武夫,1989『発酵―ミクロの巨人たちの神秘』(中公新書)
†.美篶堂,2009『はじめての手製本―製本屋さんが教える本のつくりかた』(美術出版社)
†.美篶堂著・本づくり協会監修,2017『美篶堂とはじめる本の修理と仕立て直し』(河出書房新社)
†.マイケル・ポーラン『人間は料理をする・下』(Michael Pollan 2013,Penguin Press,Cooked: A  Natural History of Transformation/2014,NTT出版)
†.金子信博,2007『土壌生態学入門』(東海大学出版局)
†.保立道久,2012『歴史のなかの大地動乱―奈良・平安の地震と天皇』 (岩波新書)

【釈】
◉マイケル・ポーラン『人間は料理をする・下』
マイケル・ポーランはジャーナリストのようでありそうではない。そうとらえないほうがいいという意味で。大学教授、料理研究家、園芸家…複数の顔をもつ? それもこれも、彼が「食」に対してラディカルな問をもって向かうからだ。工業化された製品としての食が大量に市場に供給され、私たちはそれを「選択」し「消費」する。料理をする時間をけずり、また料理をしないのに、わたしたちは料理をつくる番組に釘付けになる。それはなぜか?ーーそれはこの書籍の邦題にあらわれている。人間は料理をする動物だから。
また、この本はわたしたちに「出会い」を用意するものでもある。食べ物のことで、世間の流れに違和感を抱いている人にとって、とびきりの出会いが。

「第4部 土〜発酵の冷たい火」はこうはじまる。
《死が身近に迫っていることについて、しばし考えてほしい。いや、対向車がハンドルを切り損ねるとか、ベビーカーに爆弾が仕掛けられているといったことではない。熟した果実の皮の上にいる大量の酵母菌のことだ。彼らはその皮が破れたら甘い果実に侵入して腐らせようと待ち構えている。あるいは同様の目的を持ってキャベツの上で待機している乳酸菌や、さらには、わたしたちが連れ歩いている目に見えない微生物のことを》
発酵の力とは分解する力であり、そのゴール(目的)は有機体の死である。有機物を無機物へと変えていくこと。そしてその死をもたらすものは目に見えない小さな無数の存在として、世界の中に偏在しているし、私たち自身の内部にも皮膚の上にもあって、いまかいまかと待ち構えているのだと。
この想像力と抽象力でもって、発酵というテーマが語りはじめられる。

※2019/01/05訂正加筆

本の記録〜2018年10月24日

島根県立図書館にて。
◆借りた本
◉佐藤洋一郎,加藤鎌司,2010『麦の自然史ー人と自然が育んだムギ農耕』(北海道大学出版局)… ムギ栽培について、とりわけ日本でのムギ栽培について知りたいのだが、あるようでないのだよねあと日頃思っていたところ、開架で見つけた。とりわけ、第13章 大田正次「日常の生活が育んだ在来コムギの品種多様性〜難脱穀性コムギの遺存的栽培と伝統的利用をめぐって」は、脱穀・籾摺り・製粉をどうしようかと思案しているスペルト小麦の利用について、資するものである。大田氏によるイラン北部、スペイン北部、中央ヨーロッパでの調査が簡潔に触れられている。20年ばかり前の調査の再録であるようだが、栽培が途絶えていない地域では、「手間だけれど」自家用につくる、主となったパン小麦よりも美味しいから、親がつくってきたから、という動機の表明があることが興味深い。日本の焼畑における在来蕎麦やカブなどと共通する。しかしあるいは、これは調査者特有の認識フレームがそういう言説を誘導するのかもしれない。
特殊な石臼で「籾」をとるというのは、この調査で出てくるどの地域でもそうだ。脱穀はイラン北部の場合は、手摘みで穂だけをとり、スペイン北部だと千歯こぎに似た刃物でとる方式。粉にしてパンにすることのほか、粒食の文化もあるというのは初見であって、ここを端緒として小麦の粒食についてもう少し掘り下げてみれそうだ。
またトリビアルではあるが、知らなったこと。欧米圏ではムギにあたる単語が存在しないということ。中国・日本独自ということなのか!? JKナレッジで簡単にあたってみるに、確かにそう。ウェブリオの翻訳では麦の英訳は、wheat, barley, oats,rye, etc.。小麦はwheat、大麦はbarley、ryeはライ麦であって、これらを総称する「麦」なる概念はないということだ。平凡社世界大百科は「〈麦〉は,日本や中国などで使用されてきた多面的な内容をもつ独特な用語で,これに相当することばは欧米にはない」としている。

◉藤原俊六郎,2013『新版・図解土壌の基礎知識』(農文協)……一度しっかり学びたいものであるものの、手につかず、借りるのは2回め。今回はとりわけグライ土について確かめるべく。

◉畠山剛,『新版縄文人の末裔たちーヒエと木の実の生活史』(彩流社)……これを手に岩手県岩泉を訪れたいと思うほどの書。畠山氏、ご存命であれば、85歳(1933年、昭和8年生まれ)。

◉1994『岩波講座日本通史別巻2ー地域史研究の現状と課題』(岩波書店)……宮本常一が東北農村における土間住まいについて著している文献を参照したく検索したものだが、あきらかに違う。とはいえ、さらっとでも読んでおきたい事項が満載ゆえ借りてきた。香月洋一郎の「民俗学と地域研究」については、少々思うところもあり、改めて加筆の予定。

◆参照図書

◉『柿木村史 第2巻』……1.吉賀記について、ここまで詳述されているものをはじめてみた。資料として後日改めて複写するか、貸出されているものがあれば、そちらを。

 

アマランサスの脱穀

2018年10月9日。

アマランサスの脱穀を、午後も遅い時間からひとり、牧場の資材置き場でカンカン、ヒュンヒュンやった。15時10分頃から16時45分頃までの1時間半ほどで、570gほどの出来だ。試行錯誤の3年前よりはずいぶんと手慣れてきたものだと自分でも思う。

もっとよい方法もあるのだろう。岩手なり長野なりに取材にいけば、よい方法が得られるやもしれない。来年こそはと意をあらたにしつつも、今年はどうするのだと、オークションサイトをひらいて、精米機、籾すり機、足踏み脱穀機をチラチラと見る。

小麦と米の脱穀をどうするか、なのだが、量が少ないうちは、もう手でやるしかないだろうが、脱ぷについては、カンを頼りにミキサーやすりこぎでやるのは、そろそろやめにしたいし、失敗が多すぎるのは気持ちの問題ではなく、持続性の問題として。

あぁ、そして、小麦をまく準備をはじめなければ。手をかけない菜園畑でも、いまの時期は鍬を持ち出して畑をする方おおし。

大豆をつくればいいじゃないかと、オーナーからも言われているので、その作付けについても一考だ。小麦→大豆のローテーションをまわすためには、いつもより早く種をまいたほうがよいのかもしらん。

本の記録〜2018年10月8日

松江市立図書館にて。
記録を忘れていたので改めて。

◉奥野克巳,2018『ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと』(亜紀書房)
◉ダニエル・L.エヴェレット『ピダハンー「言語本能」を超える文化と世界観』(屋代通子・2012訳;みすず書房)
◉栗栖健,2004『日本人とオオカミ 世界でも特異なその関係と歴史』(雄山閣)

ウバユリ備忘

ウバユリのことをまとめておこうと書き記すもの。
記憶が散逸する前に、下書き段階からアップしはじめる。

◉宮本巌『摘み草手帖』
《早春、山野の藪や暗い谷間をのぞくと、色つやのよい放射状をした数枚の葉があちこちで顔を出している。この威勢のよい葉を見る限り、ウバユリの名は当たらない》
この名文ともいえる描写と簡潔なイラストが素晴らしい。なにが名文かって、植物の種類がとんとわからない私でさえ、この一文だけ読んでいた記憶が山の中でよみがえって、「これ、ウバユリじゃないか」と発見することが容易にできたこと。
そして、この記事があったからこそ、食べてみることを躊躇なく試みたわけだ。
油で揚げて、ほくほくのものを食した。

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◉日原町史の記述
のちほど。
地域名が記されていた。牛が食べたとも。人間は根を葛根と同様食用にしたと。

○今年になってからの観察(写真)
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○奥出雲町阿井の山中にてみたもの

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○椎葉クニ子
オスとメスが年によって交互にでる。
オスは茎をのばして花を咲かせるが、メスは茎を伸ばさない。根を食べるのはメスのみだと。これはどこにもそう書かれていたのをみたことがない。

○牧野富太郎の著述
のちほど。

本の記録〜2018年9月30日

島根県立図書館にて。台風24号・チャーミーが巻き起こす風雨がしだいに強まるなかで3時間程度滞在。

◉<a class=”keyword” href=”http://d.hatena.ne.jp/keyword/%B3%C1%CC%DA%C2%BC”>柿木村</a>誌編纂委員会,S61.『柿木村誌』自然編:宮本巌,歴史編:岩谷建三,民俗編:酒井薫美(柿木村)
◉<a class=”keyword” href=”http://d.hatena.ne.jp/keyword/%B8%BD%C2%E5%BB%D7%C1%DB”>現代思想</a>2017.3月臨時増刊号,総特集「人類学の時代」(青土社)
◉<a class=”keyword” href=”http://d.hatena.ne.jp/keyword/%CA%BF%B4%E4%CA%C6%B5%C8″>平岩米吉</a>,1992『新装版・狼ーその生態と歴史』(築地書館)
◉森山徹,2011『ダンゴムシに心はあるのか』(PHP)
◉岡ノ谷一夫,2010『さえずり言語起源論ー新版 小鳥の歌から人の言葉へ』(岩波書店)

ほか、あたったものをあげておく。
◆松浦章,昭和18『焼土の肥効と利用法』富民協会……一部複写
◆古長敏明,1966『大分県椎茸史』(大分県農業振興運動協議会,農振教養シリーズ;3)……一部複写

秋の火入れ雑感

 火入れが近づくにつれ、そのことばかり考えることになる。「とらわれてしまう」あるいは「まよいなやむ」ともいえるが、数式を何度か組み替えて計算し直す感じに近い。たとえば、さまざまなシミュレーションを繰り返すという形をとる。前提条件がひとつかわれば経過も結果もかわってくる。そのパターンはじつに多岐にわたる。雨が3日前に降った場合、2日前に少し降った場合、当日朝から北西の風2mの場合、無風だが午後から北東の風となる予報の場合、15人集まる予定が10人となった場合、次の日が雨になりそうな場合、前日の雨がひどく延期を決めた場合……、などなど。ファクターは組み合わせも含めると人間の思考回路にとっては無限ともいえるほどにあるのだから、いくらやってもおっつきはしない。
 だが、今回ばかりはいつもにましてかなり限定的であった。
「まず燃えない」
 これが大前提。 まかり間違って勢いよく、いつもどおりに燃えた場合ーーを考慮した準備をどこまでするか。これに少々頭を使ったくらいなものだ。だからこそ、余計なことを考えてしまった。とくに終わってから。
 予期した範囲を少し下まわるくらいに、燃えなかった(=延焼が起きず、予定区画の2割弱を燃やした)。燃えるって何だろう、ということや、これまでの振り返りなど。 「ぜんぜん燃えてなかったね」と遠くから眺めた人がいうよりは燃えている。ちょっと写真でみてみよう。 車で通る道から眺めるとこんな具合。
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近寄ってみれば、こんな具合。
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さて、燃えるって何ということについて。今回、11時ごろに着火して、19時くらいまでは燃やし続けているので、8時間かけている。これが「燃えた」といえるときならば、どうなのか。
 約5倍の面積と量を4時間以内で終えているだろう。
 この違いはなんなのかということがひとつ。さらに敷衍するのならば、「燃える」ことの違いを「酸化反応」とあわせて、解いてみると、焼畑がなんなのかってことも、また違った面で捉えられるのかなと思った。錆びるのも燃えるのも同じ酸化であり、発生する(放出される)エネルギーも変わらないはず。
 ゆっくり燃えるか、早く燃えるかの違い、なのか、どうなのか。などなど 。
 下の写真は時間内に燃えきらんかったので、火切りをしている様子。
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本の記録〜2018年9月17日

松江市立中央図書館にて。

オオカミ関連と椎葉クニ子さんの著作を借りるべく。

◉大橋昌人『信州のオオカミ(山犬)ー伝承と歴史』2018,ほおずき書籍
◉ショーン・エリス,ペニー・ジェーノ『狼の群れと暮らした男』小牟田康彦・訳,2012,築地書館(2009,THE MAN WHO LIVES WITH WOLVES)
◉栗栖健『日本人とオオカミー世界でも特異なその関係と歴史』2004,雄山閣
◉千葉徳爾『オオカミはなぜ消えたかー日本人と獣の話』1995,新人物往来社
◉小倉美惠子『オオカミの護符』2011,新潮社
◉佐々木章・椎葉クニ子『おばあさんの山里日記』1998,葦書房
◉斉藤政美・椎葉クニ子『おばあさんの植物図鑑』1995,葦書房
◉ダニエル・L・エヴェレット『ピダハンー「言語能力」を超える文化と世界観』2012,みすず書房(2008, DON’T SLEEP, THERE ARE SNAKES – Life and Language in the Amazonian Jungle)

大橋の『信州のオオカミ』は2018年2月に刊行された新しい本。これまでこうしたまとめはなかったようで、資料として貴重。「のどに刺さった骨を取る」話は、送り狼と比べればはるかに少ないが、ふたつみっつは記録があることがわかる。日原村聞書にあるものとはバリアントは異なるし、六日市で田中幾太郎氏が採取した「足の裏にささったうさぎの骨のトゲをとる」というものともいくばくかの違いはあるが、「ささったトゲをとってやる」→「お礼のものか行為が差し出される」という図は同じ。のちほど整理してみたい。話すということ、コミュニケーションということにフォーカスして何が見えてくるか、である。

千葉の『オオカミはなぜ消えたか』は、オオカミというより獣全般について。

『狼の群れと暮らした男』は以前、県立LIB.で借りたものの読めずにいたもの。そうだった。筆者はキツネとの交歓のなかで狼と”暮らす”土台を得ていたともとれるのだった。

そんなこんなで、とまらないので、また加筆できたらする。

借りた本の備忘としての役割は最低限果たしておきたい。

秋焼きの準備

 今週末、「夏の忘れ物」をとりにいく。焼畑の火入れである。 島根大学里山理研究会が中心となって、昨年から竹を切り、動かし、準備してきた場所である。当初の計画では、8月に火入れして、4年ほど種取りを続けてきたカブ(山形県一霞の温海かぶ)を蒔く段取りであった。が、いかんせん、準備(人手)が足りず、延期に延期をかさね、ここまできた。秋雨が続いていて、一度はカラカラに乾いていた土も竹も、ずいぶんと湿ってしまっている。焼けるかどうかは微妙なところだ。
 火入れ地は、北向きの斜面であって、日照こそよくないが、土はよい。だから8月上旬の暑い時期にまいても、発芽直後に死なせてしまうリスクも低かったろう。 昨年は8月10日(だったか)に蕎麦をまいたのだが、その後、雨がまったく降らず、土も固く(馬の背にあたる土地)、ずいぶんと種を死なせてしまった。9月も下旬になると、今回火入れする斜面はほとんど陽があたらない。場所にもよるが平均して1日1〜3時間ほどではなかろうか。ここにカブを蒔くのは少々遅すぎる。小さくとも育たなくはないだろうが、虫に食べられやすい幼葉の期間が長くなり、コオロギたちにとっては喜ばしい限りであろうが、カブとして成育する前に食べつくされてしまうかもしれない。

† 1. そうした虫害を少なくするためには、日当たりのよい場所へ虫が食べ尽くせないほどに厚めに蒔く、そして適切に間引きするということがポイントのひとつとなる。  下の写真は昨年10月5日。8月上旬に火入れした場所で、蕎麦が育たなかった場所へ、8月下旬〜9月初旬、カブの種をまいたところのもの。
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† 2. 今回の利点は、土がよい(おそらく)ということ。諦めてしまったもの、試したかったものを少量まぜてみるのもよい。多品種混作である。候補は津田カブと地カブ(正月カブ)。地カブの種が残っているかがこころもとない。家の庭で芽を出し始めているので、移植するのもありかもしらん。 けれども、交配しやすいものを置くのはちょいと気が引ける。数年は面倒をみないといけないから。春に花が咲く前に取り除くこと。発芽しなかった種は遅れて咲くので、それらも気をつけておかねばならんし。やめときましょ。言い出したことだけど。津田カブは1年目に撒いて、おそろしく発芽率が悪かったので、山の畑、焼畑には向かないのだろうという仮の結論を出して、2年めからはやっていない。

† 3.  牛を入らせないための柵をつくる手間の問題もある。どの程度の面積に、どう配置するかということ含め。また、なにも蒔かない場所をつくるのかどうか。裸地をつくるのは土がよい(別視点からみれば流亡しやすい)だけに回避すべき。
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† 4. 基本方針としては、柵をつくった内側にカブ。虫にやられてしまい、生育に希望がもてない場合、10月下旬に古代小麦をまく。柵の外側はのらぼう菜を少し。か。

本の記録〜2018年9月13日

秋雨。長い。地面がかわくことなく曇りと雨と束の間の晴れ間が続いている。
今日は松江行。久しぶりに湖北線を通った。曇った空ときれいにないだ鈍色の湖面が気持ちよかった。県立図書館は午後3時過ぎから3時間半ほどの滞在。
閲覧したもので記憶に残っているものを急ぎ記す。
◉『大東の食事(だったか、なんだったか)』→貸出可の郷土資料にあった。複写待ちの間に書架をみていたら、「あれっ」と。ふらまい、たいしこ、などの項目を斜め読み。たいしこが出てくるのは塩田地区のみか。「名前の由来はわからない。昭和3年頃まではやっていた。11月下旬頃に団子をつくった」などと記されていた。阿井で残っていた時代はもっとくだるのではないか。
◉『人と動物の人類学ーシリーズ来たるべき人類学』奥野克巳/編著、2012、春風社
→禁帯本・郷土資料開架。なぜ郷土資料にあるのかといえば、隠岐の島の民俗調査の記録があるから。期待していたものはなし。問題の整理をしてみました的なものか。
◉『消えゆく六日市の野生動物』田中幾太郎、1982、田中幾太郎
→禁帯本・郷土資料開架。『郷土石見』に掲載されているものと同じか。どちらが先かがわからないが、ほぼ同時期のはず。
ツキノワグマの項目の一部(p.114〜131)とオオカミの項目(p.155〜159)を複写した。
『郷土石見』第1号〜3号/第4〜6号/第7〜9号/第9〜14号/第15〜20号
バックナンバーを合冊したもので閉架にあるものをざっとみた。
椎茸の栽培、とりわけ広見の三平にまつわることがあればとみてみた。参考資料として下記の『石見物語』があげられていたので、参照するも、見当たらず。
『豊後の茸師 : シイタケづくり名人記』 青木繁著,1966.2 ,大阪 : 富民協会島根大学付属図書館にあるようなので、行ってみる。
『椎茸の作り方』永井行夫 著,1952 , 朝倉書店 (農業百科文庫 ; 第19) 。これは国立国会図書館/図書館送信参加館内公開となっているので、次回の県立図書館で見てみよう。
◉その他雑記
†.民話「水とめの桃」の出処を確かめる
まんが日本昔話のデータベースには、原書が「仁多郡誌」と明記。確か木次町図書館にもあったのでと、今回はほかからせめてみるも、みあたらず。はてさて。
†.吉賀記については、文化年間に編纂されたものだとの記載が、復刻資料にあり。次回より詳細に確かめておこう。
さて、ようやく本題。今回借りた本。5冊です。
田中幾太郎『いのちの森ー西中国山地』1995,光陽出版社
木村晩翠『随筆石見物語』昭和57復刻,河内八幡宮式年大祭奉賛会(昭和7年刊と昭和25年刊の続編との合冊)
メアリアン・ウルフ著,小松淳子訳『プルーストとイカー読書は脳をどのように変えるのか?』2008,インターシフト
森 徹『ダンゴムシに心はあるのか』2011,PHPサイエンス・ワールド新書(グーグルプレビューで立ち読み)
日原町『日原町史・下巻』昭和39
田中幾太郎氏の『いのちの森ー西中国山地』は改訂復刻すべきと考える一冊。
ツキノワグマが滅びるとき島根もまた死ぬだろう〜田中幾太郎『いのちの森 西中国山地』#001
忘れられた高津川のアユ〜田中幾太郎『いのちの森 中国山地』#002
このときからとまっているので、もう一度時計を動かしてみる。