JJの贈り物#002~地域とは問題が解決できなかった前回の地理的範囲より広い範囲のこと

 4年ばかり前のこと。島根県の邑南町へグリーンツーリズム研修で訪問したときに、こう言われたことが宿題のようにして耳に残っている。

雲南市。(われわれとは)レベルが違いますね(笑)。なんでもできるでしょう(から、われわれのことが参考になるかどうかはわかりませんが)」

 規模の大小が活動の質量ともに左右する。そういうシステム(社会の仕組み)の中で私たちは生きているという認識は、規模が小さければ小さいほどにリアルだ。痛いほどにわかってしまう。そして、大きなものの中に生きるものは、しばしばそれを忘れる。邑南町で耳にすることになった件の言葉には確かに、「あなたたちにはわからないかもしれない。わかりますか」という皮肉とも裏メッセージともつかない何かがあった。

 いやいや、雲南市だって十分に小さな自治体であるし、同じ課題を共有する仲間なんだよね、ということはその場にいた誰もが了解しているようでもあった。邑南町の件の発言者とて、そのうえで「痛み」を共有しようと試みたのかもしれない。わかってほしいということであったか。

 この「痛み・辛さ」というものは、時間的な先送り、空間的な排除、人的な選別によって、「押しつけ」が可能である。わからない人にはまったくわからなくなるものだ。たとえ目の前にあっても。なぜ、そんなことを思い出したのは、JJの『アメリカ大都市の死と生』第22章にある、糸のタイトルにあげた字句を目にしたときからだ。

《範囲は広いほど、また人口は多いほど、どちらも神の視点から見て、まとまりのない複雑な問題として、もっと合理的かつ容易に扱えます。「地域とは問題が解決できなかった前回の地理的範囲より文句なしに広い範囲のこと」という皮肉な批評は、この意味では皮肉ではありません。……(中略)……でも都市計画がこのように、取り組む問題の性質そのものについて根深い誤解に陥ってきた一方で、この誤りを負わされることなく非常に早く進歩しつつある生命科学は、都市計画に必要な概念の一部を提供してきました。》

 JJがいう、都市計画に必要な、生命科学の概念と手法とはなんだろう。明示されてはいないが、手法については、#001であげた、プロセスを考えること、帰納的に考えることなどがそう。

 そして重要なのは、《都市で起こるプロセスは、専門家だけが理解できる難解なものではありません。ほとんどだれにでも理解できます。一般人の多くはすでに理解しています。ただこれらのプロセスに名前をつけていないか、こういった原因と結果の普通の取り合わせを理解すればそれに方向づけできるということを考えたことがないだけです》という、一般人と専門家の「違い」である。

 都市計画を実質的に左右している官僚機構は、一般人でも専門家でもなく、そのBridgeたるべき存在である(べき)なのだが、まったくそうなっていないのはなぜか。一般人の思考回路をもたず(よって理解できず)、専門家の思考回路や概念すら理解しえないところだと私は考える。後者については個人にもよるが、前者については病理ともいえるもので、超えがたいものがある。

 …つづく。

 

「いまの日本酒は技術力」という言葉の意味

人がものをつくる過程において、さまざまな制約が、つくる人にのしかかる。時間、空間、材料、天候、などなど。時代によってそれらの比重は変化するが、本質は変わらない。制約要素そのものの数は計量可能であり、書籍の目次のように列挙はできる。だが、組み合わせは無限ともいえるほど存在し、少なくとも人間ひとりの処理能力の限界を超えている。だからこそ究極において「勘」による決定が、つくるものの質を左右するのだ。
勘と経験が混同されるようになった。いや経験という言葉の意味が変質したのだろう。経験値、経験知といわれるように、それは計量可能なものとしていまや多くの人が認識している。経験は「積む」ことで蓄積されるのだと。あるいは体験という言葉もそうであって、○○体験なるものが泡のように世間に溢れ出している。
よしあしでもなく、憂えているわけでもない。
そうした世の趨勢にあって、「ものそのもの」に向かう職から受ける示唆を大事にしたいなと思った土日の2日間であった。
また加筆したい。酒蔵で杜氏の話を伺う機会をへて、考えたこと、考えてみたいことについて。

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自然農=混作はきたなく見えるのか

「草だか野菜だかわからんし、きたない。どれだけとれるかもわかったもんじゃない」

 自然農へ向けられた苦言である。ただ誤解なきよう、これ直接面と向かって言われてるんだが、全然いやな気にならんのです。なぜだろう。発言者が農業を正面きってやってる人だからだろうと思う。こうして言語だけで記すとひどい発言に感じてしまうんのだけれど。

 さて、ひとつ前の投稿で「混作」へチャレンジするのだと書いたのだが、今日たまたま開いた、飯沼二郎,1980『日本の古代農業革命』にも同様の”混作きたない”をみて、なぜだろう、なんだろうと不思議な思いにとらわれたので、備忘として記す。すなわち飯沼はこう言う。

《このことは、東南アジアの農業の性質を考えるうえに重要である。東南アジアの農業、とくに畑作の一次的性格としてのミックス・ファーミングともいうべき間作、混作をまぜあわせたような形態(中尾氏も上述のように根菜農耕文化の一特徴としてあげている)が潜在的に存在していた。それはこんにちの焼畑のなかにのみ残存するのではなく、平地の畑にも残っている。……(略)……タイのサンパトンやビルマのインレー湖周辺の農村では、畑にいろいろの作物が雑然とつくられているようで、みためにはきたないが、その技術には伝来の習熟性がかんじられる。》

 対して、混作を「美しい」とは言わないが、ある感動をもって書き残しているのが六車由実である。2004『東北学』Vol.10中にある。

《たとえば、昨年の秋に、ラオス北部、ルアンパバンの周辺で目の当たりにした焼畑の光景は、私たちの想像をはるかに超えて豊かで感動的だった。ここでは平地には雄大な水田が広がっているが、そのすぐ先にある山では焼畑が拓かれ、陸稲だけでも10種類近くの稲が育てられ、隙間にはハトムギ、バナナ、ウリ、キャッサバ、トウモロコシ、ゴマ、オクラ、サトイモなどさまざまな作物が混植されている》

 うむ。その東南アジアの混作をまだ目にしたことがなく、これ以上の言を控え、加筆できるだけの材料をそろえていきたい。

竹の焼畑2017~sec.11

雨が足りない日が続いています。灌水設備をもつ野菜農家からも悲鳴がきこえてくる今日このごろですが、われらが山畑はいかに。
どうしたもんじゃろのお。これでは「人口減少局面における中山間地の新たな土地管理手法開発」などと、言えた口ではありません。が、しょんぼりしてる場合ではないのです。いま、かんがえはじめているのは、「焼かなくてもいいじゃね」的方法。
「焼く」ことに注力するあまり、ちょっと他に目が向きずらいという面もあるしですね。混作。これを試してみたい。
草との共存、いっそ、牛との共存です。
牛にくわれてもいいような、そんな農ができたらおもしろいなあ。
さて、本題です。
6月23日(金)焼畑地状況
◉発芽成育状況その1(2017春焼地)
・ホンリー…前週の2倍ほどには成長しています。育ちざかり。

・タカキビ…牛に食われたところは、まちがって密になっていたところです。パラパラとばらけていると食べられにくいのだということですね。

・モチアワ…ようやく伸びてきました。発芽率は悪いです。計算してませんが、2〜5%くらいか。

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・ヒエ…半分くらいは牛に食われました。トホホ。回復してくれればよいのですが。
・サツマイモとツルアズキは草に覆われており、確認を断念(すみません、最後に見たので疲労でちら見くらいしかできず)。
◉発芽成育状況その2(2016夏焼跡地)
・アマランサス…やっと。やっと。遠くからでも視認できるほどに生長してきました。カブ跡地にまいたものは、牛に食われる覚悟で放置していたのですが、どうやらまだ食われてません。いつ味をおぼえるか、それが問題。そうなるまえに背丈を伸ばしてくれれればいいのですが。

・モチアワ……中山エリアには松本在来をまいてますが、発芽率わるし。覆土の問題なのか、土の問題なのか、種の問題なのか、旱の問題なのか。考えすぎるのもいかんので、思い切って昨年とった岩手在来の種を適当にえいやっと方方にまきちらしました。どうなりますか。
・タカキビ……林原在来を10m一列ぶんほどまいて、あとは50粒程度を、これまたえいやっとほうぼうに放り投げました。

◉その他
春焼地の再生竹がいきおいをましております。畑地部分と周辺部で目立つものは刈り取りました。アマランサス、モチアワ、タカキビ、それぞれ最後の播種。数日以内で発芽すればなんとか収穫までいけるかもしらん。来週から大豆、ツルアズキ、土用豆をまきはじめます。
この日の実質作業時間3時間×1名。
おまけの1枚は100年(千年?)の森づくりをうたう山を削った斜面。どうなるんかハラハラしてしょうがない。昨年から地面の草類、落葉はすべて撤去する管理に移行したようで、はやくも急斜面の土壌流亡がめだってきた。芝の類でも植える計画なのだろうか。浅学ゆえ余計な心配が先にたつ。新たな自然管理手法と思われ、どなたがご教示いただければ幸い。

JJ(ジェイン・ジェイコブズ)の贈り物#001〜序

 Jane Jacobs,1961″The Death and Life of Greate American Cities,『アメリカ大都市の死と生』山形浩生訳(鹿島出版会)。この本を読む資格を手にしているような気がする。読めなかったものが読めるようになっている。島根県吉賀町に引っ越してくる直前に買ったはずの本。帯の惹句にはこうある。「近代都市計画への強烈な批判、都市の多様性の魅力、都市とは明らかに複雑に結びついている有機体」。ジェイン・ジェイコブズ(以下JJ)を紹介する際に、この中の前ふたつでもってなされることが多い。わかりやすいしね。「都市計画への批判」「都市の多様性の魅力」この2つだけをとれば、JJを読まなくても、なにがしかの紹介文や解説を読んで、それらしくわかったようにはなれる。私の理解だって、それらとさほど変わりはしなかっただろう、これまでは。

 読み解くのは、惹句の中の3番目、「複雑に結びついている有機体である」。この言があらわそうとしている『アメリカ大都市の死と生』の可能性をあきらかにしていきたい。それは、有機体、すなわち生命とは何か、どうとらえるべきものなのか、ということでもある。

 22章 都市とはどういう種類の問題か から引用しよう。

生命科学では、特別な要素か量ーたとえば酵素ーを特定し、その複雑な関係と、他の要素や量との相互関連を苦労して学ぶことによって組織だった複雑性を扱っています。……中略……原理的には、これらは都市を理解して助けるのに用いられる方策とほぼ同じです》

 JJののちの著作『経済の本質-自然から学ぶ』では経済を生命現象としてとらえようとしている、その萌芽とみることもできよう。だが、この見方は補助線であって、JJが繰り返し主張する帰納的方法とは軌を異にするものだ。

 肝要にすえるべきものは、JJが「ここまで本書を読んできた方なら、これらの方策をあまり説明する必要はない」としてあげている「都市の理解で最も重要な思考習慣」、すなわち次の3つである。

《・プロセスを考える

 ・一般から個別事象へ、ではなく個別事象から一般へと帰納的に考える

 ・ごく小さな量からくる「非平均的」なヒントを探して、それがもっと大きくてもっと「平均的」数量が機能する方法を明らかにしてくれないか考える》

 どういうことだろう。それは、あと100回、このシリーズが続いたらば明らかになるであろうことだ、と思う。

 以上。

コンクリート護岸で失われていくもの

 ランドスケープデザイナー・廣瀬俊介の『風景資本論』を読んでいる。2011年(平成23年)の11月、すなわち3.11の年に刊行されたものだ。3〜5年ほど前に書店で手に取って贖ったような気がする。大阪だったか東京であったか。そしてしばらくは、カフェ・オリゼの書棚のしかも目立つところにありながら、じっくり時間と腰をすえて読んだことは、これまで、なかった。何度も噛みしめるように読んでいた白井隆,2004『庭の旅』(TOTO出版)の隣に並んでいたのだから、背の「風景資本論」という言葉とその存在だけの痕跡が記憶の中にとどまり続けていた。きょう、その書を手にとり机の横においたのは、いま進めている”ビレッジ”のプランで、いかに風土設計を取り入れるかに腐心しているからに他ならない。デザインを職とはしていない私がデザインをしなければならないところに追い込まれているからこその「腐心」、「苦心」であるのだが、それは理不尽なことではない。廣瀬が本書の中でいうように、デザインの本義は職能ではない。

《「design」は本来、日本で誤解されているようにあるもののかたちを作品的または商業的につくる仕事ではない。あるもののあり方を考えるところから、そのあり方に則したかたちを成すまでの仕事が、本当の「デザイン」にあたる。》

 別な言い方をすれば、デザインとは、コピー&ペーストができるものや参照するもの(今どきそれらを「アイデア」と呼ぶことが多いようである)ではないということだ。商業デザインのそれはむしろ「複製」できることがその本質であるかのように、今日の日本では、見える。みながそう感じ、とらえ、考えているように、思えるのだ。
 廣瀬の言からすれば、デザインは「あるもののあり方」を考えるところからはじまる。地域づくりやまちづくりにデザインの手法が多用されるようになってからは(山崎亮の功績は大きい、罪もあるにせよ)、馴染みあることだ。しかしながら、《資本の管理と充実は、資本の内容が確認できてはじめて行えます。しかし、日本各地で目ざされる「まちづくり」「地域おこし」には、自然科学、社会科学、人文学を基礎とした確かな「地域資源」の調査方法をもたず、当てずっぽうに行われている例が多い…。》
 心あたりのある方も多かろう。ワークショップと呼ばれる方法は「やらないよりまし」という言い方もされるし、ひょうたんからコマが出るように、当てずっぽうでも、当たるものは当たるし、当たらなくても、やること自体に意義はあるともいえる。だが、そうした「流れ」が何をもたらすかということに、もっと自覚が向いてもよい時期にきていると思わないか。
 それは「風景資本論」所収の一枚の写真とキャプションが語るものでもある。
 台風23号の災害写真で、治水を目的としたコンクリート地盤が後背地盤からの吐水の不十分さからはがれ落ち、隣接する石垣は崩れていない、その対照を映し出したものだ。とても象徴的な図絵であって、たくさんのことが思い起こされる。私的個人的な連想として。
 そのひとつが宮本常一著作集21巻「庶民の発見」に所収された、石工の話である。
 以下、引用しつつ、ひとまずとじたい。整理がつかないので。

《田舎をあるいていて何でもない田の岸などに見事な石のつみ方をしてあるのを見ると、心をうたれることがある。こんなところに、この石垣をついた石工は、どんなつもりでこんなに心をこめた仕事をしたのだろうと思って見る。村の人以外には見てくれる人もないのに……」と。》

《「しかし石垣つみは仕事をやっていると、やはりいい仕事がしたくなる。二度とくずれないような……。そしてそのことだけ考える。つきあげてしまえばそれきりその土地とも縁はきれる。が、いい仕事をしておくとたのしい。あとから来たものが他の家の田の石垣をつくとき、やっぱり粗末なことはできないものである。まえに仕事に来たものがザツな仕事をしておくと、こちらもついザツな仕事をする。また親方どりの請負仕事なら経費の関係で手をぬくこともあるが、そんな工事をすると大雨の降ったときはくずれはせぬか夜もねむれぬことがある。やっぱりいい仕事をしておくのがいい。結局いい仕事をしておけば、それは自分ばかりでなく、あとから来るものもその気持をうけついでくれるものだ。」》

 「そのあり方に則したかたちを成すまでの仕事」を、かつての石工たちは「行為」としては、ひとりあるいは数人でなしてきた。彼らこそ真の意味でのデザイナーであった。
 

都市農村交流の本気とは

 本気でやるとはどういうことか。

 端的には生死がかかっているということ。ことの軽重にかかわらず。それは、個が、身体的なもの、感覚的なものを通して、世界との接続がある場合である。

 ただ、生死を賭する経験など21世紀の日本社会ではのぞむべくもないし、それどころか、さらに、ますます、どうしようもなく、そうした経験を削ぎ続けようとするのが「時代の流れ」である。わかりやすく、この流れを、安心・安全至上主義社会と呼んでみる。

 道路の側溝におちて誰かが怪我をしたとしよう。さて、こうした場合、本人の落ち度はともかく、誰かの責任が追究・計量されねばならない。なぜなら、側溝に落ちて怪我をするということは「あってはならない」ことだからだ。交通事故とくらべるとその対象性がよくわかるだろう。交通事故は道路のせいでも車のせいでもない。事故にあってしまった当事者の双方がその責任を分担して担うということに「都合上」なっている。この都合は社会の仕組みに深く組み込まれているので、ふだん自覚することはない。社会内に発生する件数が膨大であることからもそうしてしまっている。

 いっぽうで、側溝に落ちるという事故は件数もすくなければ問題となることもない。いやなかった。問題となりはじめたのは近年のことである。つまり、たとえば、ガードレールを設置しろという陳情が管轄部署に入るのだそうだ。さすがにそれはおかしいという意見が今現在においては多数をしめるうようで、見聞したニュースの構成もそういう展開になっていた。「おかしいよね」と。

 さて、日本の風景の特徴のひとつが、どこまでいっても道路にガードレールがあるということだ。しばしば思う。人の少なくなる田舎に特区をつくるとしたら、ガードレールを撤去すればよい。それだけでずいぶんと景色がよくなるはずだし、見えなかったものが見えてくると思う。それだけではない。心理が変わるはずだ。不安だ危険だと感じるのであれば、車のスピードを落とせばいいだけのことだ。ゆっくり走ることで、そこでの出会いが豊かになるはず、と夢想してしまう。

 さて、ここまででおわかりになるだろうか。唐突ではあるが。そう。「安心・安全」は、人から本気を奪っていく。そう思いませんか? 整理軸その1を展開するとこうなる。

  

安心・安全 |  本気

   人工 |  自然

 安心・安全と対になるのは、不安・危険ではないかという向きもあるだろうが、ここで整理した二項は対立軸ではない。整理軸その2として補訂を以下に。

安心・安全 |  本気

   人工 |  自然

  同一性 |  異質性

  経験知 |  経験

 電脳空間 |  現実世界

あらゆる道にガードレールがめぐらされた世界 |  そうでない世界

 さて、ここでなぜ都市農村交流が出てくるのか。

 都市農村交流とは、その本質において、上の左と右の世界が交流するということだからだ。しかるに、いまのニッポンでは農村がかぎりなく左の世界に傾いている。これじゃ都市農村交流にならんという事例にみちみちている。

 だから、である。「本気」で都市農村交流を目論むのであれば、もはや、海外を視野にいれる必要がでてきていると、そう訴えたいのだ。

 たとえば、獣害。

 獣害対策がジビエにしろなんにしろ、じつはうまくいきそうもないということを最近耳目にすることが多い。ならば、ミャンマー、タイから狩猟民族を呼ぶべきである、いまこそ。交流なので、こちらからも出向く。

 とどのつまりが、焼畑と狩猟を本気でやってみようじゃないか。ということです。はい。

 なぜか。彼らは本気だから。

 本気というのがどういうもの・ことなのか。

 学ぶことがあまりに多すぎて目眩がするだろう。どうです。

 で き る か な。

竹の焼畑2017~sec.10

6月18日(土)焼畑地状況(2017春焼)です。
この日、最高気温は28℃程度か。「梅雨入り」してからほとんど雨が降りません。梅雨の定義をよく知りませんが、もはや梅雨ではない、でしょう、これは。「作物栽培」にとってはシビアな日がつづきます。
◉発芽成育状況

・ホンリー…順調です。同じヒユ科である昨年のアマランサスと比較するに発芽が均一で、大きさが揃っています。
・タカキビ…発芽ステージは終了か。手がまわらずまけてないところ多数。蒔きたいところ。

・モチアワ…播種から1ヶ月以上たって多少出てきました。部分的にでも追い蒔きしつつ、少しでも追っかけ種をまいていきます。
・ヒエ…順調。この倍くらいは隣地にまきたかったのですが、今年は断念します。牛が少し食べてました。昨年は誰か(シカ?)にごそっと食べられたのですが、タカキビ、ホンリーには手を出していないところをみると、ヒエはうまいのかもしらんですね。
・サツマイモ…草にうもれつつありますが、まだ大丈夫でしょう。
・ツルアズキ…発芽は確認できず。
◉草刈り
東端裾が薮化しつつあったので刈払。
◉その他
モチアワ、アマランサスは6月播種でも収獲までいけるかもしらん。中山のほうが土がやわらかいので、そちらでまくのもよいのですが、この場所は土が粘土質&竹の根がまだガチガチのために、鍬の刃がたたず、耕起難。機械でとも思うのですが、大変危険ですね。刃の使えなくなった刈払機で浅くかいてまくかとか、思案中。です。

しゃえんば

「畑には家の近くにある菜園場(しゃえんば)と、家から離れた畑にわかれる。前者では四季折々の野菜をつくり、それは毎日の食卓にのった。また少し離れた畑では、麦、大豆、粟、きび、とうもろこしなどの雑穀類のほか芋類、朝を栽培した。大正になると養蚕が始まり、菜園場以外は桑畑にして盛んに桑を作り養蚕をした」(新修木次町誌、平成16)

 これは、<昭和30年代まで残存していたもの>として、町誌が記載しているものだ。新修版が出る前、昭和47年刊の「木次町誌」には「しゃえんば」という言葉はなかったと思う。もう一度図書館で確認してみたい。気になって仕方がないから。

 件の新修版の記述は、《記憶からも消えてしまう前にここに記すものだ》として書きすすめられている。昭和47年刊の旧町村ごとに記された民俗編の詳細さと比べれば、ずいぶんとあっさりそぎおとされている。それでも、「しゃえんば」が出てくるのは編集・執筆子がもつ傾向もあるのだろうが、しゃんばがいよいよ、どんなものだかわからなくなっていく時代だったからではないか。

 それが証のひとつとして、新修版では家の近くにある畑をしゃえんばと語る一方で、家から離れた畑をなんと呼ぶかがない。いや明示はされていないのだが、菜園場の次項としてある焼畑であろう。そして焼かない焼畑もあった、同箇所に「場所のよいところは削って山畑にする場合もあった」とある「山畑」は焼畑を包含する概念として「菜園畑」と対になるものではないか。

 ここで仮説をたててみよう。

 山陰地方において山畑という呼称は江戸の終わりごろからあらわれて、昭和30年代をもって消えていったのだ、と。

 次回は、『聞き書島根の食事』にあらわれる「山畑」の比較を整理してみたい。農文協から平成3年(1991)に刊行されている「聞き書」である。この本、聞き書きされているその内容が、困ったことにいつの年代のことかがわからない。さまざまなところから類推するに、おおむね昭和20年代から30年代の生活のようだ。要するに戦後しばらくの生活。民俗調査も盛んだった頃だから、納得もされようが、これがやややっかいなのは、明治の終わりから大正にかけての生活の激変時代を通過しているという問題がひとつ。そして戦後の生活改善運動の影響をどうこうむっているのかがよく見えないということ。このふたつに留意したい。したいのだが、そのためにはもっともっと読み、聞きを重ねないと「読めない」のだと思う。ただ読める前に寿命がきてしまうことをおそれ、ここに断っておくだ。自戒もこめて。

 

 さて、この稿では辞書からのアプローチをやってみる(おいおい整理する)。

 菜園が方言としてさまざまなバリエーションをもっていることが国語辞典や方言辞典をみるとわかるのだが、島根県ではとくにその数も多いようなのだ。

 日本国語辞典では「菜園」の項は、こうなっている。※数字は出典番号である。

「さいえん(菜園)」の変化した語。

*玉塵抄〔1563〕五「これからしてはたけさえんなど心がけてひっこうでいもほりしてすぎうと云に学圃とかくぞ」

*和訓栞〔1777〜1862〕「さえん 菜園也、今対馬にて、さいえんと云へり」

(1) 菜園。野菜畑。主に、自家用のものを作る畑や、屋敷内の畑を言う。 山形県139/ 兵庫県652664/ 島根県725/ 広島県054776/ 香川県小豆島・豊島829/ 愛媛県840/ 熊本県919/ 大分県938/ 鹿児島県薩摩963/ 肝属郡970

《さーえん》 熊本県芦北郡919

《さえもんばたけ【―物畑】》 香川県大川郡829

《さえんじ【―地】》 香川県小豆島829

《さえんじり》 高知県土佐郡866

《さえんだ【―田】》 福井県武生市430

《さえんば【―場】》 青森県三戸郡083/ 兵庫県加古郡664/ 島根県725/ 広島県高田郡779/ 山口県阿武郡797/ 香川県綾歌郡・高見島829/ 愛媛県840/ 熊本県球磨郡919/ 鹿児島県肝属郡054

《さえんばた【―畑】》 静岡県磐田郡546/ 島根県石見725

《さえんばたけ》 青森県三戸郡083/ 新潟県佐渡348/ 島根県石見725/ 熊本県南部919

《さえんばつけ》 鹿児島県肝属郡970

《しゃーえんどころ【―所】》 熊本市919

《しゃえもんば【―物場】》 島根県簸川郡・出雲市725

《しゃえん》 山梨県455/ 南巨摩郡465/ 愛知県知多郡569/ 兵庫県淡路島671/ 和歌山県東牟婁郡704/ 鳥取県西伯郡719/ 島根県725/ 徳島県811/ 香川県829/ 愛媛県840

《しゃえんじ》 山梨県南巨摩郡465/ 徳島県811/ 香川県大川郡・香川郡829

《しゃえんじり》 徳島県那賀郡813/ 愛媛県宇和島市040

《しゃえんば》 福井県武生市430/ 島根県725/ 香川県大川郡・三豊郡829/ 熊本県北部058919

《しゃえんばた》 愛知県中島郡567

《しゃえんばたけ》 島根県出雲725/ 熊本県919

《しゃえんやま【―山】》《しゃやんば》 島根県隠岐島725

《しゃんば》 島根県邇摩郡725

《しゃんやま》 島根県隠岐島725

《せーえん》 熊本県天草郡919

《せーん》 青森県上北郡082

《せんば》 福井県武生市430

《そえん》 鹿児島県大隅963

(2) 野菜類。 岩手県九戸郡088/ 新潟県佐渡 「さえん売り」348/ 長野県上伊那郡488/ 静岡県磐田郡546/ 山口県大島801/ 愛媛県840/ 高知県864/ 高知市 「うちの畠でさえんは充分に作ります」867

《さえもの【―物】》 宮城県栗原郡114/ 徳島県810

《さえんもの》 青森県三戸郡083/ 山形県139/ 福島県相馬161/ 新潟県佐渡352/ 静岡県520/ 兵庫県加古郡664/ 山口県防府市791

《しゃうえんもの》 愛知県海部郡・名古屋市549

《しゃえもん》 徳島県810

《しゃえん》 山梨県南巨摩郡463/ 長野県上伊那郡488/ 下伊那郡492/ 岐阜県羽島郡498/ 愛知県尾張567/ 愛媛県840/ 高知県861

《しゃえんもの》 山梨県南巨摩郡465/ 愛知県名古屋市562/ 島根県出雲・隠岐島725/ 徳島県809/ 香川県仲多度郡829

(3) 野菜を作ること。畑作。 青森県三戸郡 「さえんする」083

《しゃえん》 愛知県名古屋市562

《せーん》 青森県上北郡082

 一方「山畑」はどうか。これが意外にというかやはり(予想どおり)少ない。

やま‐ばた 【山畑・山畠】

山または山手にある畑。山間の畑地。やまばたけ。

*名語記〔1275〕六「山ばたなどにつくるきび、如何」

*為重集〔1380〕「山はたに立し烟の下蕨峰にもをにも今ぞもゆらし」

*大島奥津島神社文書‐明応元年〔1492〕一二月四日・奥島惣庄掟「さやうの人の山はたあるは、惣庄ち行となる可事」

*地方凡例録〔1794〕二「山畠と云は、村居に離れたる山方に畠地有〓之、本村下々畠よりも地面不〓宜」

方言

(1)山にある畑。《やまばた》香川県大川郡829

(2)焼畑。《やまばた》長野県上伊那郡012奈良県吉野郡688《やまはた》香川県三豊郡(山を焼いて蕎麦(そば)054《やんばた》長野県上伊那郡010

 今日のところはここまで。

境港で水揚げされたクロマグロに思う

facebookの投稿をみた。

「今朝の築地  境港から入荷したまき網のクロマグロは234本中、184本が売れ残り。何年経っても愚かな漁をしています。一番不味い時期に大量に獲る。世界の笑われ者です」

https://www.facebook.com/uminomirai/posts/620320924836450

日本にかぎらず、人間がつくる組織では、わかっちゃいるけど「止められない」事態はしばしば発生すると思う。巨大で複雑化すればするほど。巨大化・複雑化に対して部分最適を重ねることが、日本国内ではとてもよく発展してきた。電気や自動車をはじめとした多くの製造業がそうであるように。もっとも小さな企業でもよく見られる。とりわけ事業がうまくいっていないときはそうだ。

漁業についても、そうであろうことが、この短いコメントなどから伺いしれる。バカなことに見えるかもしれないが、存外バカでもないことも、なんとなくわかる。

これは、単純にみえるかもしれないが、とてもやっかいで、ただひとつ、私が思うのは、「言葉」をきちんと組み立てて話すということだ。具体的なことのひとつで、すぐにできることが、感情的な釣りをあまり使わないこと。愚かだとか。笑われ者だとか。

自戒もこめての感想。

境港方面へは、年に数回は訪れて美味しい海鮮丼のお店に行く。日本海海洋資源については「私たちの海」という感情も多少あり(目にするしその匂いを嗅ぐし、マグロはほとんど食べないが他の魚はよく食するし)、気に留まったので記しておく。