主要農作物種子法を廃止する法律についての雑感

 先月であったか、議会を通ったのは。主要農作物とは、稲、小麦、大豆だったかな。稲にとっては戦後何度目かの大きな曲がり角にはなると思う。これで、稲作が大打撃とか、壊滅とか、乗っ取られるとか、まあとにかく最近は煽りが多い。とりわけウェブ上には。

 たかが法律、されど法律。社会の仕組みの根幹をなすものでは、ある。だがしかし、これほど大事なことを法律だけに委ねてしまってきたのだから、それは甘んじて受け入れざるを得ないだろう。どのような運命・結末を招くにせよ。

 そもそも。

 種子は公共のものである。

 何を意味するか。

 行政、内閣、司法にゆだねるものではない、ということだ。ゆだねてまかせてブーたれるもんじゃない。公共とはそういうものだ。種子は食べることのおおもとである。市民であれ、農民であれ、労働者であれ、年金生活者であれ、無職であれ、食べることはみんなの問題なのだ。問題としてそこにタッチしないといけないし、毎日何を食べるかということの中にその意思や決定が反映していくものなのだ。

 そういう意味で、この法案の可決で日本の稲作がズタボロになるのであれば、その前に日本そのものが終わっている、としか言いようがない。

 種子の問題だけが問題ではない、食を生み出し整える人とものと制度は、みんなで、支えて、いくことだと、思う。

 参考文献をふたつあげておく。

西川芳昭,2004『作物遺伝資源の農民参加型管理ーー経済開発から人間開発へ』(農文協)

 西川氏は先の参議院農林水産委員会参考人として意見を述べられたが、発言の冒頭に意見の趣旨をこうまとめられている。

《種子は公共のものであるということです。誰か個人のものではない、または特定の企業が所有するものではない》

と。

 この著書は氏の博士論文を基調にしたものである。「その多くが農民によって作出・継承されてきた作物遺伝資源は、持続的農業を行なっていくための最大の資産である。これを専門家だけの手にゆだねるのでなく、NPOや農民の参加を含む多様な利用・管理のあり方を提唱」。

 専門家だけの手、行政だけの手にゆだねてはならない。

 その通りであり、そのためには、専門家、行政、市民、異なる立場をつなぐ存在が必要だ。こういうと、それをコーディネータとかリーダーとかキーマンとか様々な呼称をつけたい気持はわかる。わかるのだが、そりゃ違うんだと思う。強い専門家、すぐれた行政マン、すぐれた市民、の中からその役を一時的に担う「べき」なのだ。

 専業化への道は個別においてはありだが、制度や流れとして開くべきではなかろう。劣化がはやいと推察されるから。

 閑話休題。もう1冊はこれ。

増田昭子,2013『在来作物を受け継ぐ人々ーー種子(たね)は万人のもの』(農文協)

 「第4章 作物遺伝資源管理における公的研究機関と農民の協働」を今すぐにでも読みたい。〈内戦後のルワンダにおける在来作物品種の復活〉、〈広島におけるローカルジーンバンクと農民の協働〉。ちょいとググってみたのだが、先の西川氏の著書とあわせて読み、加筆することとしよう。

 各都道府県のジーンバンクへの影響はあるのだろうか。もしあるのだとしたら、それこそ県民がささえなければならんと思う。

船越 建明「広島県における在来種種子の保存とその利用の取り組みについて」特産種苗 第14号

 

 さて、私は焼畑をきっかけに種をとるということをはじめて2年目となる。素人のなぐさみ程度のものであるが、一粒1ミリほどのアマランサスの小さな種が、小さな小さな芽をだし根をのばし、2mを越す背丈となり、多くの種、私たちにとっては稔りをもたらすことを、「時」とともに体感知覚することの意味と意義を深めつつ、強くすぐれた市民たることをめざそう。

 以上を備忘的に記す。のちほど加筆整理します。

 

浴室のコーキング

 気にはなっているけど、手をつけてないこと、つけられていないこと。そんなこと、誰にだって両手にあまるほどある、と思う。私のなかで、そのひとつがぽろっと足元に転がった。

 それは浴室のコーキング。

 そう。ずーっと気にはなっている。

 古い家でも浴室は新しくしてあるところが多い。新しくなった時代はそれぞれ、風呂釜の材質もそれぞれであろうが、水が漏れないということは大事な要素だ。築年50年以上の古い家を、少なくとも50以上は見てきたように思うが、壁材との間をコーキングでうめている場合が多い。最近じゃラバー状のもの(シリコン?)が多いのだろが。

 そして、このコーキング材は必ず劣化する。ひびが入るくらいならまだよいが、かけて穴があき、そこから水がダダ漏れとなるとかなりよろしくない。

 我が家の浴室の場合、収縮して隙間ができている。そのスリットはごくごく薄いものではあるが。ダダ漏れではなくても、それなりに水はもれている、はず、だ。気をつけてそこに水がかからないようにはしているけれど。

 もれた水がどこにたまるかはわからない。たまるまえに蒸発してくれていればよいが、湿度はつねに高い状態であると思われる。しかも、浴室の床下をどう施工しているかはわからん。密閉状態なのだ。もともと増築したところへつくってあるので、母屋に影響が少ないだろうことが救いではあるのだが。

 そういえば、と言いながら話をそらすことをお許しねがいたい。

 コーキングの補修が必要な浴室ではなく、古いほうの元浴室はおもしろい構造である。浴室、キッチン=台所という場所は家屋のなかでも変遷いちじるしい区画である。我が家の場合は、屋外に焚口があったのだろうが、なくなって、いまは土間だ。その片鱗は外壁にのこっている。戦後普及したとおぼしきピンク色のタイルが腰壁に残る浴室は、その後、灯油のボイラーで湯をわかす方式に変わった時代をへて、いまは物置となっている。腰から上は漆喰塗りだ。天井は板張りで中央に湯気を逃がしていたらしい四角い窓がある。あまり見ない形だ。

 さて、60年ほどの時を刻んできた小さな平屋の家。大切にするということは、手をかけていくということ。1週間は温泉に通う時期をつくって、乾燥させたのちにシールするんだろうね。多少けずったほうがよいのか、いまある上からいくのか。コーキングをとる道具もいくつかある。マイナスドライバーあるいは他の小さなスクレイパーでも事足りる、気も、する。そういえば買っていたような、気も、する。

 ……といったところまでで、1ヶ月後に再考ね。

 

竹の焼畑2017~sec.8

晴れのち曇り、西の風、ときおり強く、気温は12時で26℃くらい。暑さは感じず、快適でした。久しぶりの山仕事で、筋肉が張り手には豆をつくってしまいました。
さて作業時間は11時〜14時半(うち休憩20分)。参加者は1名です。
6月10日(土)
焼畑地状況:2017春焼地》
◉発芽成育状況
・ヒエ…順調。

・ホンリー…大量発芽。密です。2週間後に間引きか。


・タカキビ…発芽率4割程度か。順調。

・モチアワ…播種1ヶ月を経過して発芽率は1%以下です。追い蒔きするつもりでしたが、非耕起エリアにいくつかちいさな芽がみられるので、あと5日程度様子をみることにしました。他のイネ科の雑草かもしらんのですが。
20170610-P126002102
◉草刈り
蕎麦等栽培予定地を草刈り。
◉その他
牛が山を越えて2〜3回程度入ってきています。
ホンリー、タカキビ、ヒエは食べられるかもしれません。柵をつくれればつくりたい。
《2016夏焼後蕎麦跡地》
◉発芽状況
・アマランサス…やっと発芽を確認。ただし数量わずか。

・モチアワ…いまだ発芽0。
◉播種
上記の下の段に鍬入れしてアレチノギクをとりのぞいた後に、モチアワ(松本在来)を、その北西部にアマランサス(種取した赤穂中心)をまきました。

◉その他
牧場で依頼しているきこりさんの草刈りが入りました。きれいに刈られましたねえ。3人役で0.7日くらいか。

《2016夏焼後カブ跡地》
◉発芽状況
モチアワ、アマランサスともに認められず。0。

竹の焼畑2017〜sec.7

明日、山へ行って発芽状況の確認をする予定。状況によっては追い蒔きも。そして耕起&種蒔きと苗植え少々もある。その前に前回の記録をさくっと。遅ればせながら。
6月4日(日)最高気温24℃(おそらくこのくらい)
11時30分〜14時00分 1名にて作業。
・中山の再生竹処理(伐採あるいは頭切)
・草取り、発芽状況確認。

西志和の焼土の風景

 宮本常一著作集21「庶民の発見」を借りてきて読んでいる。じつは24巻の「食生活雑考」を借りるつもりが間違えたのだ。図書館に地下書庫から出してもらい、中をみずに持ち帰ってしまった。しまったなあと思いながら読み進めると、しかし、これぞ僥倖であった。いくつもの発見があったのだが、「粗朶ってなあに?」でも書いた焼土の風景もそのひとつ。

《三月の夜の野は冷たく静かだったが、煙のすっぱいようなにおいが一面にただようていた。そして田圃のところどころから煙がたちのぼっているのが夜の目に見えた。焼土を行っているのである。夕方、田圃のそこここで大きな火をもやしているのを見かけた。その上に土をかぶせておけば土がやける。ここではそうして土を若がえらせている。そのほの白いけむりと甘ずっぱいようなにおいが私のこころにしみた》

 宮本はこの村の人物をたずねている。「丸山さん」と呼んでいる当時の村長である。「百姓の血の中には野の草のような根づよさがひそんでいる。丸山さんはそうした百姓の血をもった一人である」。その丸山さんがはじめたことなのか、その昔からあった風景なのかはわからない。「おしゃべりが大変好きだ」と自白しながら書き進める宮本はなにを、ここに感じていたのか。

 太田川の支流の奥にひろがる盆地であって、それはひどい湿田地帯だった村を、仲間とともに乾田へと「改良」していった丸山さん。それは暗渠排水の工事だというが、「その苦心はひととおりのものではなかった」という。

 竹はこの地域にはなかったようだ。であれば明治の終わりから昭和のはじめにかけて行われたその工事には粗朶をつかったのではないだろうか。焼土の煙は粗朶を燃やすものであったように思えるが、思えるだけであって、いまだ臆見にすぎない。ただ、この宮本が見た風景を、まぶたの奥にこれからなんどが浮かべながら、他の資料をあたってみようと思う。

《峠の上に立って見るとその白いけむりが平らに海のようにただようて、村の家々はその下にかくされていた。不思議にものしずかな、しかししの白さが星の光を反射してかほのあかるい風景であった》

 そう。昔あったその風景を写真ではないものから想像してみるのは、楽しく、刺激的なことなのだが、この宮本のテキストからは、絵になる前の何かを、それを絵たらしめてる何かへの思いがたちこめているのだ。

 そう。宮本がつくったというあの有名な句を思い起こしてみよう。

「自然は寂しい。しかし、人の手が加わると暖かくなる。その暖かなものを求めて歩いてみよう」

 資料にあたる。いまから数十年前には探し求めればあった「その暖かなもの」はいまはさらに少ない。いや、だからこそ、車をおりて、歩いてみようと思う。

 同じく「歩く人」であった、宇沢弘文が車を使わず走って大学まで通ったその意味とも重ねながら。

今年はチョウの姿を見ない

 5月に実をつけ、楽しみにとっていた庭のジューンベリー。昨年はヒヨドリと競争になり、けっこう負けていた。今年はそこにスズメも参戦してきたので、われら人間のとりぶんはずいぶんと減ったのだった。ヒヨドリは単独でやってきてぺろっとまるごと食べるのだが、スズメの口には実が大きすぎて、そうはいかない。よって、食べかけの食い散らかしが多くなるし、枝にとまる時間も長いので、スズメ同士でも喧嘩になるようだ。たいてい3羽くらいがせりあってチーチーと叫びあっていた。

 そんな5月も今日で終わり、ジューンベリー狂騒曲もFin.となったのか、庭がずいぶんと静かだ。今年はいろんな鳥たちの声が聞こえる。おそらく、生息域が大きく変化したせいだろう。冬の時期にすぐそばの河川の河畔林が皆伐された。サギの一大コロニーとなっていて、裏山にもずいぶんと巣をつくっていたものだが、今年はさすがに激減、というより絶滅・壊滅にひとしいありさまだ。

 どうなるかなあと思っていたのだが、他に生息地を見つけたのだろう。この地からはおそらく数百から千のオーダーでサギがいなくなったことになる。人為的改変によって。すると、当然、サギに追いやられていた他の競合種が勢力を伸ばす余地がドカンと生まれたことになる。

 私が鳥の声や種類がふえたと感じるのは、そうした変化によるものなのだろうと思う。

 一方で、減った(と感じる)ものがチョウである。もともと少なかったのだが、今年はとくに見かけない。裏の畑でモンシロチョウをみたのと、黒い羽のものを線路のそばで見たくらいではないか。鳥とどう関係するのかはわからないが。草刈りや水路の影響だろうか。降雨が少なく気温が高い今年の気象の影響だろうか。

 10年くらい住み続ければ、変化に対してもっと言えたりわかったりするのだろう。2017年・平成29年の春の終わりの感想として、端書してみた。

【報道雑感】セブン、“コーヒーかす”を消臭剤に 全店舗に導入

http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1705/29/news148.html

ITメディアが報じている標題のニュースについて、感想を控えておく。

1. 成分を抽出したらリサイクル? 抽出後の残渣は相当量にのぼるような……。抽出過程で投入される資材、エネルギー投入はどうなっているのか?

2. コーヒーかすが通常の食品リサイクルのルートに入れないため、産廃処理コストが相当なものであり、またそれがゆえに研究も盛んであることは見聞していたが、このリリースはその中でも筋のいい話ではないようだけど……。

土の生命力を賦活させるための手法をあれこれ試したり、もがいたりしているなかで、気になったのです。コーヒーかす、、、かあ。と。多孔質の個体であろうが、炭などとは違って微生物の棲家としてはよくないらしい。その理由が、この記事中にある、抽出する成分である”コーヒー酸やキナ酸”であるとしたら。。。抽出後の滓の方こそが、じつは土壌改良等に有効な「売れる」資材であるのだったら、このニュースの効果は相当なものだと思うのだが、真相はいかに。

粗朶ってなあに?

粗朶(そだ)ってなあに?

あれだよ、あれ。川の護岸に使ったり。弥生時代からみられるというから、そりゃ由緒あるもんだよ。簡単にいってしまえば、木の枝を編みまとめた束だね。

新潟県粗朶業協同組合・若月学のテキスト

へー。木の枝なんて、今じゃゴミ扱いなのにね。燃やそうにも、いろいろめんどうだしね。

もったいない話だよ。で、その粗朶だけど、灰小屋(ハンヤ)で土と重ねて燃やしてたという記載を見つけたんだ。なんで?ばかな?と思ったんだが、まてよと。

なんらかの理由で使わなくなったものをそのままもってきて燃やしたのだと思うんだ。たとえば、壊れたもの。肥沃な土砂もからまっているのがよかったりして。運ぶ手間は相当なものだろうけど。

農文協『聞き書き広島の食事』をみてみたら、ハンヤが出てくるのは中部台地で、ため池灌漑による水田耕作地帯だ。ただ、この本の聞き書き調査が行われた頃の「焼土」は変容した形態ではないのか。こう書いてある。

《(春の行事として)冬の間に用意したやあはを使って焼土もする。灰屋か田の中で、やあはと田の土とを交互に重ねて焼きあげ、麦の肥料にする。重い土をもっこで担ぐ重労働である》

もう少し調べてみるよ。

あぁ、いいけどさ、そういうやりかけの調べもの、そうとうたまってない?

すまんすまん。いや、でもね、ぜんぶつながってるんだって。

ふーん。で、いつそれつながるの?

★【灰小屋】とは(ひろしま文化大百科)……
《灰小屋とか灰焼場、ハンゴヤ、ハンヤなどと呼ばれ、県内に広く分布した草木灰、焼土などを製造する小家屋。

安芸中南部では、水田の農道わきなどに設置され、20アールに1基の割合で存在した。広島市安佐北区、旧高田郡南部、東広島市、旧賀茂郡などの水田地帯に、最も多く、独特の田園風景となっていた。この地方では、水田の土を、粗朶(そだ)、ごみなどとともに焼いて、麦作の肥料とした。焼土法とか燻焼土(くんしょうど)法で、全国的に見ても古い自給肥料づくりの農法であった。

備後地方では、家の周辺に設置し、主として草木灰を製造、麦や大豆、そばなどの肥料とした。

灰小屋は、農家にとって、重要な役割を持つ施設。「灰小屋を見れば農民の腕前が分かる」といわれた。火をたくところだけに、構造は頑丈に出来ている。腰壁は、石と赤土をこねた大きな固まりで積み上げ、厚さは50センチ内外。小屋の4本柱は、「灰小屋柱」といいクリの巨木を使う。屋根は、草屋根で、9尺4方以下の灰小屋には寄棟が多い。一戸建が普通だが、大きな農家になると、連棟式4室という豪壮なものもあった。》

土地の記憶、風景の記憶-001

 正確さを期する、あるいはよけいなことを考えず誤解や混乱を避けるのであれば、「土地の記録、風景の記憶」と標すべきなのだろう。いたずらにそうしてみたという向きもなくはないのだが、確信とまではいえないまでも、こうすることで、なにかを発することができればいい、はかない望みであることを承知したうえで、浪漫主義的との謗りや、あれやこれやを引き受けつつ。

 いや、それは、一顧だにされないことへの不安の一形態に過ぎない、ともいえよう。複雑さをよそおった欺瞞であると。

 閑話休題(といってみよう)。

 風景の記憶は、一枚の写真へと還元されうる。一方、土地の記憶とはそう足り得ない、重層的なものだ。だからこそ「記憶」という表現は不適切だとふつうは考える。そして、風景の記録と言い換えたくもなるし、実際のところ、土地=地域の「履歴」「歴史」「記録」といったことでくくられることどもは「記録」という固定的であるがゆえに、複雑さを許容内包しうる概念へと集約可能だ。

 しかし、ここで私が「記憶」という一枚のイメージに還元されうる概念を使ったのは、ひとりの個人の記憶がもつ普遍性あるいは可能性へと世界をつないでみたかったからに他ならない。

 to be continued.

竹の焼畑2017〜sec.3-4:焼畑への種蒔き

2017/05/18
昨年の焼畑で蕎麦をまき、発芽不良でうまくいかなかったところにアマランサス、モチアワをうえていく予定。オオアレチノギクの占有率ほぼ100%となっている。引き抜いてうえていく。
この日は90分ほどの作業時間。

2017/05/21
【北の角】
植えたものA
ヤマハンノキの苗木
・ホンリー
植えたものB
・ヒエ(2016焼畑種取)
・タカキビ(林原在来2016種取)

【中山】
植えたもの
・アマランサス(新入手:赤穂)
18日の続き。オオアレチノギクをひたすら抜いて種をまき、レーキでならす。
13時〜15時で観察半分、作業半分。