竹についての2つの話題

 NHKの4月22日のニュースです。リンク先はいずれ消えると思われます。

「建設現場の足場に竹 香港ならではの光景」

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170422/k10010957391000.html

 魚拓的に、テキストをひっぱっておきましょう。

《ビルが所狭しと建ち並ぶ香港では、建設現場の足場に今でも竹が使われています。数十階建ての高層ビルで職人たちが竹とナイロンのひもだけで次々と足場を組む様子は、香港ならではの光景です。竹が重宝されるのは、金属に比べて安くて軽いから。高い場所でも簡単に運搬でき、切って長さの調整も簡単です。竹の足場は100年以上前に中国本土から伝わったといわれ、1960年代以降の高層ビルの建設ラッシュとともに、香港で独自に技術が発達しました。今では、業界団体が資金を出し合い、無料で講義や実習を受けることができる竹の足場の訓練施設まであります。竹をひもで固定する方法をはじめ、足場の素早い登り方や落下しにくい姿勢など、若者たちが技術の習得に励んでいます。ところが、最近は竹に代わって鉄製の足場が普及しつつあります。鉄は組み立てが簡単で熟練した職人の技術が必要なく、このところ鉄の価格が下がっていることが背景にあります。

 こうした中、伝統の竹の技術を後世に残そうとする人もいます。竹の足場職人をしていた李家俊さん(49)は若者たちを率いて、粤劇(えつげき)と呼ばれる伝統芸能の巡回公演のために、竹組みの劇場を作り続けています。3000本以上の竹で劇場を組み立て、公演が終わると解体して、年間30回、香港各地を回ります。李さんは、竹組みを文化として残していきたいとの思いを強く持っていて、手がけた劇場は伝統の粤劇と抜群の調和を見せ、観客を魅了しています。香港のあちこちに見られる竹の足場には、独自に進化した技術への職人たちの熱い思いが込められているのです。》

 香港のみならず、台湾でもよく見る竹の足場。インドネシアでもよく見かけたと記憶しています。バリ島のGreen Villageあるいは○○が展開している竹の建築(構築物)の可能性について、まだ私たちはとらえていないのです。評価があまりにも低調なのは、開発と伝統の隙間にあるものだからでしょう。

 もうひとつの話題は竹にまつわる久しぶりの大著の刊行。

小林幹夫 著『原色植物分類図鑑 日本のタケ亜科植物』(北隆館)

 県立図書館に入りますように。

国家機構は交通形態から生まれる

「国家機構は交通形態から生まれる。つまり中央と地方を結ぶ「道」から生まれたということになるだろう。」

保立道久の研究雑記〜2017年4月21日 (金);基本の30冊、平川南『律令国郡里制の実像』

  至言。現代の政治においても、道路や新幹線の誘致・建設というものが、なぜあれほど熱をおびてしまうのかというそのワケを、このあたりから丁寧に読み解いてみることでその是非とともに、別な可能性を開くことができるのではなかろうか。

 道は必要。高速鉄道も必要。鉄道だって、橋だって、トンネルだって……。けれど、それじゃないし、なんか違うんじゃないか、という論がそこから生まれるかもしれない。

 それは、歴史をみる、その見方の問題であることがひとつ。そしてもうひとつ。民俗学のアプローチが有効であるような「道」と「交通」の問題である。

 目下の関心事としては、現大東の阿用、現在の日登(木次)へ通じる道、佐白(奥出雲)へ通じる道…など、日常通っている道からみていくべきであろう。

※別件ではあるが、湯町八川往還は、古代の道(ルート)に近いのではないかな。http://catalog.lib.kyushu-u.ac.jp/ja/recordID/1001575725

阿井の田んぼのオタマジャクシ

ようけおるのお。
ここの田圃は手植えでするけん、また手伝いにきてごせだと。

2017春のオタマジャクシ from Masaki Omojiro on Vimeo.


こいつの相談ということできたのです。ひとりでやっておられるとか10年以上も。えらいと思う。

けっこうな老木でも萌芽がこんなに。
「いい歳なんだから(そんなになにもかもできないし、やめておけばいいのに)」と奥さんはおっしゃっておられたのだが。生命の力が大地にみなぎっているのだ。そうした力に助けられ、また助けてもいるのだろう。

竹の焼畑はやりやすいか?

 5月の火入れに向けて年間の計画を見直している。整理されないままの資料のストックを並べ直すなかで、昨年の「焼畑2016-p0401」ファイルが目に入った。要改善項目として次にようにまとめている。

◉3.昨年うまくいかなかったことの改善

《伐開・火入れ・種蒔・収穫・加工(調理)技術の向上をはかること》

●うまく燃えなかったが、要因は複数指摘されている

 乾燥期間が足りない→6ヶ月は必要

 孟宗竹はそもそも燃えにくい→他の材を混ぜる。たとえば杉の枝など。そもそも丸太など大きな材は焼き畑に不適のようだ。

 8月下旬からの長雨の影響→節に水がたまったのも大。裂いておく必要があるのでは。

●伐採後の整備、防火帯づくりに時間がかかった

  →数本切ったら、玉切りしてまとめたほうがトータルでは効率的。

●蕪の種まきが密すぎて、間引きに苦労した。

●収穫する時間がなかった→想像以上によくできたともいえる。「売る」ことも考えておくべき。

 間引きに苦労したはずなのに、種蒔はさらに密になっていることなど、まったく改善されないことも多々あり、、、だ。

「燃えにくい」という点は「積む」ことでの解消ははかれたのが2016年だった。そして今年2017年は積みすぎないことで、効率をあげていきたい。

 そのためには、もう一度、「竹はやりやすい」という民俗学の報告を見直すところからだろう。

 白石昭臣『竹の民俗』はじめ、竹の焼畑が燃えやすく、作物の出来もよいことはしばしば記録に残されてきた。白石は志津見のそれをスズタケやハチクだと記述している。スズタケは笹に近いがハチクはその太さは明らかに竹だ。しかし細身の孟宗竹があるように、笹に近いハチクもある、たしかに。そう考えてしまえば、「孟宗はそもそも燃えにくい」ということで、「積む」しかないともいえる。あるいは鳥取大の佐野教授に示唆されたように最低6ヶ月は乾燥させてやることにチャレンジしてみることも必要だろう。いや、すでに2016年の9月の火入れは1年以上経過した竹を用いている。けっこう積んだものだが、それほど勢いがあったわけでもない。どうだろう。

 じつは椎葉村で配布しているクリアーフィアルの火入れのシーンに映っているのが「竹」なのだ。たしかに「竹」焼畑は椎葉や西米良で行われてきた。現地もみた。意外なほどに竹は多い。

 椎葉康喜・内海泰*「宮崎県椎葉村大河内地区における焼畑農業」(九大演報( B u l l . K y u s h u U n i v . F o r . ), 9 1 : 3 4 -3 9 , 2 0 1 0)には、こういう記述がある。

《ヒエを作るための春ヤボには大きな木が成長している土地が適地とされた。また,ハチクなどの竹藪やスズタケが優先している林もヒエを作るのに適しており,竹の焼畑の1 年目は地下茎が残っていて扱いにくかったが,2年目は根が腐り,良い肥料となった。》

 《2年目は根が腐り》も気になったところだ。感覚ではというか、土に鍬を入れた感覚ではそうだ。今年の春の地面。あきらかに掘りやすくなっている。

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 本題に戻り、竹のやりやすさについて。

 2015年のセミナー資料をひもときつつ、もうちょい資料をあたってみることして次回へ。

 

 

ゴロビナはハリギリか?

 諸戸北郎「大日本有用樹木効用編」明38.10刊が、国会図書館デジタルライブラリーで公開されている。
 阿井の山野に自生している草木で宿題になっている「ゴロビナ」の候補、あぶらぎりの項をみてみた。

 別称として「ヤマギリ」があがっている。そしてヤマギリはハリギリの別称でもある。
 ハリギリは山菜としてけっこうメジャーだ。食したことはないが、コシアブラに似て美味なりという。そういえば、阿井の山野…には、コシアブラが出てこない。
 コシアブラといえば、寺田晃「古代塗料・こしあぶら(金漆)の語源」。寺田ほかによれば、「金漆(ごんぜつ)」と呼ばれる黄金色に輝く古代の塗料はコシアブラの樹液、しかも冬季にのみ採取できるものである。そしてごんぜつは地方によってとれる樹種が異なっていた。コシアブラとは樹木の名称であるより、そこからとれる「あぶら」をさしていたものなのだ、元来、おそらく。
 さすれば、ゴロビナに対する見方も変わってくる。
 そして、コシアブラもハリギリもウコギ科として類縁関係にある。
 さて、問題はコシアブラとアブラギリの類縁性はいかにあるか、という点。アブラつながりというのは強引だろうか。
  ハリギリの芽はこんなやつ。
◉2017/04/20追記
 昨日、阿井の福原に行ったら「ゴロビナ」はよく聞くよ。どれといわれてもわからないけどと。山菜であることはたしからしい。祖母にきけばわかるだろうというので、紙1枚わたしてきました。農家(百姓)はいまの時期とりわけ多忙です。田植えが終わるまでは取材はおやすみ。じぶんらの畑も庭も山も、去年からの脱穀(ヒエ)も終わってないのだからして。

【記録】タケノコ山の春遊び其の三

4月16日(日)。晴れ。最高気温は26℃。陽射しもきつい1日でした。
13名が参加。いつもそうではありますが、今回は島根大学里山理研究会が大半(12名)でした。
とれたタケノコはわずかに1本ながら、タケヤブの中で動く経験はあとからきいてくるはずです。
そして、今日はじめて気づいたのですが、昨年の春焼きに参加した大学のメンバーは全員が卒業し、経験者が0ということ(小池先生のぞく)。
記録(DNA)を参照しようとするところまでいなかい、模倣子(RNA)もないという状態に近いのか。そんな集団でもつねにアドバンテージはある。しがらみや旧弊(わずか2年とはいえ)とはまったく無縁であるとなのかもしらん。昨年はこうだったああだったというんでないところで、アプローチしていかねばと思った次第。
作業はほとんどできてないのが、想定外だったので、ちょっと組み立てを再検討です。



【記録】タケノコ山の春遊び其の二

4月15日(土)。日中の最高気温は22℃まであがった。
朝の4時頃から、木次エリアは雷とどろく雨となり、中止かとも考えたのだが、結果からいえば、集合時間にはからりと晴れてしまった。タケノコの方はまずまずの収獲。ヨモギやツクシもまじえて、いろいろつくって食べてと。山に入って何かするというはじめの一歩ということでだろうか、ほとんどが初参加という総勢22名での「春遊び」。
焼畑3年めの土からなぜかスミレがたくさん。なぜだ〜。三椏の花が去年よりぐんと増えたのも気になる。





焼畑と表土、中低木のことなど雑感

 とりとめない種々雑感。
 奥出雲ラボへ久しぶりに寄る。明日の活動で使うものと、置きっぱなしであった里山理研究会の備品を移動するためだ。広い。天井が高い。改めて思う。おいてあった資料ファイルをめくってみた。あぁ、ここに置いてあったかというものあり。図書館に行って複写したものが、すでに複写済みでファイルしてあったのには苦笑を禁じ得ないというよりは、これは老化かと思いやや暗澹。
 さて、そのなかに焼畑における作付体系の論文がファイルされていた。主に東北での調査。このあたりのことは野本寛一氏の著作にあったかなかったか。読み返してみなければならないし、県立図書館経由で浜田から取り寄せてもらうのもいいだろう。また横道にそれたが、ようやく本題。
 古老からの聞き取りによる焼畑での作付をまとめたものであり、アワ・ソバを終わったらハンノキを植えろという、よく聞くものも含まれているが、以下に気になったもの、忘れがちな頭にも、いまも残っているものを記しておく。
●表土が流れたところには焼畑はするな(やってもむだ)…類似のもので一度表土が流れたら、なにをどうやってもうまくいかないからやめておけというものもあったと思う。
 ⇒焼畑をやると表土が失われるからダメだという老人の話を思い出した。1年前ほど前か。いや、そんなことはないよ、とそのときは思ったのだが、ちょっとこれらの資料をもって再訪してみようと思いたったこともあるし、なにせ焼畑について種々のものを読んだなかで表土流亡について言及されたものは初見であったので、「あれっ」という印象。雲南・奥出雲の山はなだらかなようでいて、きれるところはストンと急傾斜となっているタイプが多い。かんな流しで削った跡ということも多々あるのだろうけれど、マサ主体であるがゆえに崩れやすいのだからそうなるともいえよう。
 あわせて考えたいのが、牧場北西地の急斜面の今後について。今日の夕方、残置してある竹の量を目視で確かめようと立ち寄った折、夕方ではあったが、意外に陽があたっていたので、これ、焼いたらカブくらいはできるんじゃないのか、などと思い立ったこともある。そのあと、うまく道ができれば、牛が通ることくらいはできないかなあ、いや、崩れるでしょう、など、さまざま思った。さりとて、そのまま放置するのも。。。さらに上の竹を切って燃やすことをそのときは思ったのだが、いやいや残すべき。表土保全という観点から、マストでしょう、と今の段階では考えている。


●(作付をやめて)戻すときには火をいれて、その後は立ち入らない、草木をいじらない

⇒その後も採取利用するものであることを強調し「休閑ではないのだ」という焼畑利用のあり方を訴える人もいるので、ここまで断言されているのは新鮮であったし、「森に戻す前に」もういちど火を入れるなんていうのは初めて聞いた。これは再度チェックして土地と記録を確かめる価値がある。
うーん、あともう2つ3つ、気になる事項があったはず。明日確かめられればそうすることにしよう。
 中低木のことというのもこれにかかわるのだが、灌木ともみなされる低木への意識がどうして薄弱なのかと思っていた。つねひごろ。森というと高くて大きな木を多くの人が想起するだろう。林家とて有用性からいえばそうだろうかと思っていたらそうでもなかったということ。鋸谷茂氏が「お手本は天然の針葉樹」という題で『野山、里山、竹林、楽しむ活かす』農文協編・2011の中で述べておられる。

《上層木があって、中層木があり、下層植生がある。これが本来の健全な森林の姿です。……(略)……上層木が無くなっても中層木が上層木の機能を補ってくれます。中層があるかないかが、森林が健全かどうかの最も大きなポイントになります。》

 この後、間伐手遅れ林では、通常の間伐を繰り返していても健全な森とはならない。そしてどうするかが述べられていて、これまた後ほど精読を要することを記しておく。
 そうそう。表土と関連して作業道づくりを知ることも肝要である。これも購読すべきものをいくつかあたったので、備忘においておく。

写真図解 作業道づくり
– 2007/9/18
大橋 慶三郎/岡橋 清元 (著)
現場図解 道づくりの施工技術– 2014/4/26
岡橋清元 (著)
 

【記録】タケノコ山の春遊び其の一

4月9日(日)。小雨交じりの中、桜を観るではなく、竹山「あそび」という興趣に足を運び、手を動かした男女は12名でした。女性が半分を占めたというのは春の僥倖でありましょうか。
タケノコは不作(まだ早い)でしたが、いただきもののキクイモ、山から摘んできた茎立菜をとりまぜ、みなさん絶賛だった頓原の合鴨米、自家製味噌による豚汁(来年こそ猪汁を)を、おいしく、ありがたく食しましたぞよ。
次週こそタケノコがほれますように!
下の写真は翌日4月10日の木次の土手の桜
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本の話〜心の闇と光とー下條信輔『サブリミナル・マインド』

第4回となる「本の話」です。

心の闇と光と〜サブリミナル・マインド(本の話#0004)

◉主 催:ナレッジ・ロフト「本とスパイス」&カフェ・オリゼ

◉日 時:4月21日(金)

開 場…18:30

トーク…19:00〜20:30(20:30〜22:00 食事とカフェの時間)

◉場 所:カフェオリゼ(木次町里方)

◉参加費:2,500円(スリランカカレー/ドリンクセット含)

◉定 員:12名

◉申 込:「心の闇と光と」参加希望として、カフェオリゼ宛facebookメッセージか下記のメールアドレスまでお名前とご連絡先をお知らせください。返信のメールをもって受付終了とさせていただきます。メールはこちらまで anaomoshiro★gmail.com(★⇒@)

◉内 容

「本とスパイス」提供の、月刊ペースで1冊の本を巡るトークライブ。第4回目となるお話は、下條信輔『サブリミナル・マインド』。

今回は「私の知らない私の心」の話です。

心の中を探って、知らなかった本当の心がわかるようになる……という話ではありません。むしろその正反対、かもしれない。「心とは内面にある秘めたもの」ではなく、「私の心は私自身のものだ」とは到底おもえなくなります。

どういうことでしょう。

「それって無意識のことでしょ」

いえ。違います。無意識も含みますが、潜在的な認知過程を解説したものです。一般にいう無意識は意識と対になったもので、ちょっと悪さもするけれどあくまで意識が上位にあることに変わりはありません。潜在的な認知過程は意識下にあっても働いているものです。

わかりにくいと思います。そう。この本は私たちの、「心」に対する常識的観念を、ガラガラと突き崩すものとして、20年前に話題になりました。稀代の読書家にして博覧強記の評論家(テレビでもおなじみ)にインタビューした際、愚問とはいえ、これまで読んだなかでもっとも衝撃を受けた新書を一冊あげてほしいと問うたところ、この本を真っ先にあげたほど。

読みやすい=わかりやすい書ではありません。もとは東大教養学部の心理学講義を新書としてまとめたもので、発刊は1996年ですが今をときめく認知科学の射程や論点を満遍なくおさえてある教科書的新書です。

心理学の講義が元ですので、数多くの実験や学説が次から次へと登場します。新書のなかでも十分に単純化類型化されていますので、できるかぎり要約はしないで取り上げたいと思います。しかしそうするとあまりに時間が足りない。

そこで、参加者の声もききながら、どこかで切り上げることにします。そして次に副読本(サブテキスト)として、中井久夫『「つながり」の精神病理』をとりあげ、ふたつの本の重なるところから、お話をまとめていこうと考えています。たとえば、、、、。

「今の時代に欠けているのは、打算的理性的関係であり、絆やつながりは解いていくのがよい」と。

人間関係は意識できる認知レベルと意識にのぼらない閾値化のレベル、両者がバランスよく相互作用して健全な形成がはかれるものですが、現代社会は後者のサブリミナルな作用が強すぎるのです、少なからぬ人にとって、おそらく。

うまくお話できれば、意識と無意識が対立分断しているものではなく、お互いが協調し相互に助け合いながら、人の心と絆と社会をつくっているそのダイナミックな姿がエキサイティングに理解できる場となるはずです。心の闇は光を必要とし、光もまた闇を必要とする、相互に通じあっていることが、次なる時代の希望であることを、先端の認知科学をふまえて展開しましょうぞ(目標)。

◉案内人紹介

面代真樹(おもじろまさき) 季刊『本とスパイス』を創刊準備中。今回のテーマは「心」です。下條信輔氏には2008年刊の『サブリミナル・インパクト』もありますが、今回は基本編として”マインド”の方をとりあげます。「心」をテーマとして、こうした認知科学の立場から書かれたものと精神医学の臨床現場位置から書を、今後ともとりあげていきたいですし、トークできる方(案内人)も求めています。なにとぞよろしく。