天気予報に「夏日」「真夏日」の語が頻出する日が過ぎ、やや穏やか、とはいっても最高気温は30℃あたりまでは届くここ数日。明日は雨、しあさっても雨。どうやら梅雨入りということになるようだ。
梅雨。つゆ。rainy season。
写真は昨年の令和5年、吉野にて。
スペルト小麦を収穫した。出来はよくないが、播種の遅れに由来するものと、元来よくない畝の土に由来するものとふたつ。あとにはアマランサスをまくつもりでいるが、
笹巻きの会。カフェオリゼにて、6月16日に開催。前日の15日は山へ笹採りに。島根県奥出雲地方のチュウゴクザサであり、地元では単にササ、またはクマザサと呼ぶ。会は今年で3年め。出雲地方では、田植えが終わる頃に家族でつくり身内で食することが多い。オーナーは島根県石見地方の出身で、なじみがなかったが、教員である友人が赴任地で笹巻きに「はまり」、その教授を受けたことから、教わりながらやってみようということではじまった。
出雲地方に育った40歳代くらいまでであれば、多かれ少なかれ、幼少の頃に体験した記憶を持っている。作り方はおぼろげに記憶にあれど、伝授まではされていない経験をもつ人が大半である。いまさら親にも聞きにくいし、そもそもつくる機会もない。だから、つくってみたい人はいるのだ。いまや「買う時代」であるが、買うとなかなかに高価なものだ。
今年の参加者は10名ほど。興味ふかい、おもしろい話もいくつかあるが、それらは追って加筆してみたい。
まずは写真をあげておく。
民具の写真の中に稲扱ぎ箸を見つけて驚いたことがある。現在の島根県邑南町、川本町、美郷町のどこかである。
国内ではおよそ元禄時代前後から脱穀の方法が変化する。直接的には千歯扱きの発明と普及による効率向上によるが、都市への人口流入(人口増加)、新田開発の進展、等々の複合的変化。社会構造の転換がある。荻生徂徠『政談』参照。
その転換以前の社会の姿を端的に表しているのが、稲扱ぎ箸だと考えるのだ。
宮崎安貞『農業全書』にある図を掲げておく。元禄10年刊行。
6月19日は晴れ。最高気温30℃。斐川の実家の工場の屋根を補修。雨漏りするとおぼしき箇所をラバー塗料で処理。うまくいくかは豪雨を待って確かめることに。また、畑に黒大豆を播種。
6月18日。例年なら梅雨空を眺めているだろう日。最高気温が30℃をこえることも珍しくなく、数字だけみれば夏である。
とはいえ6月は6月。夏と呼ぶにはまだ早く、梅雨と呼びたい月なのだ。松江気象台の観測データをみれば、例年6月中旬の最高気温は27℃ほどである。室内のデスクワークであれば、快適というに無理はない。そんな日も偽?の夏にまじってあるにはある。今日もそんな日で、最高気温は28℃。外で働けば汗はかくが、バテるほどではない。
かような日の雑駁な出来事を羅列してみよう。
カフェオリゼのマーケット出店用おにぎり写真を撮影。試作された、わかめおにぎりをふたつ、板にのせ小皿にわかめを添えて。
今晩開催の会議に出す資料を作成。2時間ほどを午前中に。内容について、事務局長と電話とメールでやり取り。
朝のゴミ出しのあと、庭と畑をみて手入れを軽く。ミモザアカシアの剪定は梅雨入り前にできるかどうか。ユーカリを剪定して、小枝は使えそうか佐美さんきく。玄関に飾ろうかという。ドライになっているミモザを片付けて入れ替えるようだ。ほか気になるものを少し整理した。ものの数分ではあるが。
畑のスペルト小麦をみる。まだ青いものもあるが、明後日には刈り取りできるだろう。梅雨入りが遅かったからこその間に合い加減。昨秋の播種の遅れがなんとか辻褄あいそうだ。
昨日鉢から土に落としたりんごとレモン。一晩の雨もあって、異常はなし。根が早くのびてくれますように。
午後からは青野さんのところへ野菜をとりに。CiBO、小雨くらいでなんとかできるといいねと話す。ネギの美味しさを伝えると、路地だから少し繊維が強いけどと。いや、その強さもいいし、味(辛味、甘み、香りなど)のバランスがよいのだけどねと思う。
黒目の実家では屋根の補修、、の前の掃除をしながら方針を思案。畑でディルの種子をとりながら、黒豆をまかせてもらう場所を母と談判。明日か明後日に、屋根とあわせて。また、庭の梅をいただく2kgほどか。
木次図書館へ借りていた福原宣明著『魂の点火者―奥出雲の加藤歓一郎先生』の延長手続きとあわせて、下巻にあたる「日登教育と加藤歓一郎先生」の巻を借りに行く。
下巻は本というよりは「資料集」として読む体裁である。すなわち、読みづらい―リーダブルでない面も多々あるが、資料としては細工が少ないほうがよいのである。加藤の講演録がそのまま掲載されていたりするところなど。
”下巻”の第35話「公民館の設立と社会教育」の項に、日登公民館の機能の図式が、「公民館報1号による。昭和26年刊」として載っているのだが、見てみたい。『記念誌』と福原が記している日登公民館四十年を記念して編集されたもの(平成3年11月刊、公民館長藤井暁)の中にもあるかもしれない。
そうそう。
宮澤賢治と加藤をつなぐ線を探してみよう。政治と宗教と文学と農学がひとつものであったその時代に
そう書いた何年か前のやりかけ(の続き)にようやく手が届きつつあるのだった。
私事につき休みが続いた。この日は、1月14日以来となる山仕事を2時間ほど。雪はほとんど残っていない。竹の伐倒15本程度と、運搬少々。伐倒は杉が密集しているところで2〜3本。かかり木となる。わずかでも杉の枝にかかると手こずることを思い知る。どれだけ手間がかかっても、ロープでの牽引を試してみるべきか。幾度となく懸案として持ち上がっては消えていったが、一度試してみたい、今年は。
雪に埋もれた竹を引き起こすときに、手袋を突き抜けて枝が指に刺さる。少し苛立っていたのかもしれない。ゆっくりいきましょうという警告である。
春の火入れは小面積でもやったほうがいいし、できるなという手応え。伐倒を2月下旬には終えて、運び出しを2ヶ月かけてできれば。北側斜面にとりかかるのは3月からでもよい。夏以降の火入れにまわすものだから。
夕刻前の短時間、暖かく静かな日であった。鳥の声がまったくなかった。チェーンソーの音で、逃げて近寄らなかったからだろう。
令和5年も続けることができた。感謝する。もろもろすべてに。妻に。そして令和6年のはじまりである。よろしくお願いします。
1月4日と1月5日、2日続けてそれぞれ2時間ほど竹の伐採と運搬整理をしている。1月はとにかく伐る時期である。5日にはちょっとあぶない場面もあった。はじめと終わりにみられる雑になる場面。ゆっくりゆっくり進めていくべし。
この時期、残っている赤い実は少ない。カメンガラ(ガマズミ)は残っているが、もう食べても美味しくはない。そして枯れた草木の間にあって蔓性のヒヨドリジョウゴが目立つ。これは食えないが。いや食えるのではないかとも思うが、加熱しても毒成分は変化しないのだったなあ。さて、そんな中、まだ、冬いちごが思いの他多く実をつけているのが見られる。合間につまむ、はじめにつまむ、最後にもつまむ。つまりは旨いのだ。
12月は、例年より冷え込むときもあったが、それ以上に驚くほど暖かい、むしろ暑いともいえるような日がいくつかった。冬いちごの多さは、その影響だろうか。日陰にあってさほど実をつけずに終わっているだろう場所のそれが、まとまって実をつけている。12月上旬に食べられるような甘さはない。が、酸味が勝ちつつも野のものらしい甘さとあいまって、美味なり!と頷けるものができている。
実にはふたつの形態がみられる。オレンジ系でつぶが小さいものと、赤系でつぶが大きいもの。葉の形が違うような気もする。どうだっけ。オレンジ系のものが9割を占めて優勢ではある。いくつか種があるはずで、確かめておきたい。
今年のタカキビ餅は、日と場所をわけて2回搗いた。28日にカフェオリゼで2升、30日にしろうさぎで2升である。もち米は都加賀のものが2kg。木次の道の駅「たんびにきてや」で購ったもの。あとはSさんに例年お願いしているJA雲南からのものである。
タカキビの配合割合は例年と同じく2割だが、今年はひき割りを忘れて水につけたものがあり、怪我の功名とでもいおうか、搗く前にすり鉢で適度につぶしたものを使ったが、これがよかった。
まず、ひき割りにする比率が確認しやすい。次に挽き割って選別するより、手間が少ない。水につけやすいのもいいし、歩留まりもよさそうだ。次回からは直前にすり鉢でくだくという方法一択でいこう。
カフェオリゼでやったときには、タカキビをまぜない白餅も5合強ほど搗いた。来年は1升ほどついて確かめてみてもよいのが、「搗きたてのタカキビ餅は白餅よりも熱い」ということ。今回、量が違っていたこともあるが、たしかにそうかも。というのも、しろうさぎで同じ2升ずつ搗くときにも、タカキビ餅のほうが熱い気がするので。
もうひとつ、確かめたいことがある。今年のタカキビ餅は腰が弱かったのでは?搗きすぎだったのでは?ということ。煮餅にしたときにも、白よりも崩れるのが早いようだ。どれも、形・大きさ・保存状態などで比較しないとなんともいえん。これ、タカキビをすり鉢でつぶしたことの影響もあるのかもしらん。
よりうまいタカキビ餅を目指して、来年の火入れと栽培へ向かうのだ。
10月31日、山の大豆から4株ほどを収穫した。まだ少し早いが、獣に取られる前にと。この日はくにびき学園からの見学もあって、終了後、大石さん大津さんとの雑談のなかで、「タヌキはよく来ている」と聞いたことも影響。干す場所がないなあと少し悩んだが、斐川に多少スペースがあるので、そちらに持っていくことにした。