本の話〜心の闇と光とー下條信輔『サブリミナル・マインド』

第4回となる「本の話」です。

心の闇と光と〜サブリミナル・マインド(本の話#0004)

◉主 催:ナレッジ・ロフト「本とスパイス」&カフェ・オリゼ

◉日 時:4月21日(金)

開 場…18:30

トーク…19:00〜20:30(20:30〜22:00 食事とカフェの時間)

◉場 所:カフェオリゼ(木次町里方)

◉参加費:2,500円(スリランカカレー/ドリンクセット含)

◉定 員:12名

◉申 込:「心の闇と光と」参加希望として、カフェオリゼ宛facebookメッセージか下記のメールアドレスまでお名前とご連絡先をお知らせください。返信のメールをもって受付終了とさせていただきます。メールはこちらまで anaomoshiro★gmail.com(★⇒@)

◉内 容

「本とスパイス」提供の、月刊ペースで1冊の本を巡るトークライブ。第4回目となるお話は、下條信輔『サブリミナル・マインド』。

今回は「私の知らない私の心」の話です。

心の中を探って、知らなかった本当の心がわかるようになる……という話ではありません。むしろその正反対、かもしれない。「心とは内面にある秘めたもの」ではなく、「私の心は私自身のものだ」とは到底おもえなくなります。

どういうことでしょう。

「それって無意識のことでしょ」

いえ。違います。無意識も含みますが、潜在的な認知過程を解説したものです。一般にいう無意識は意識と対になったもので、ちょっと悪さもするけれどあくまで意識が上位にあることに変わりはありません。潜在的な認知過程は意識下にあっても働いているものです。

わかりにくいと思います。そう。この本は私たちの、「心」に対する常識的観念を、ガラガラと突き崩すものとして、20年前に話題になりました。稀代の読書家にして博覧強記の評論家(テレビでもおなじみ)にインタビューした際、愚問とはいえ、これまで読んだなかでもっとも衝撃を受けた新書を一冊あげてほしいと問うたところ、この本を真っ先にあげたほど。

読みやすい=わかりやすい書ではありません。もとは東大教養学部の心理学講義を新書としてまとめたもので、発刊は1996年ですが今をときめく認知科学の射程や論点を満遍なくおさえてある教科書的新書です。

心理学の講義が元ですので、数多くの実験や学説が次から次へと登場します。新書のなかでも十分に単純化類型化されていますので、できるかぎり要約はしないで取り上げたいと思います。しかしそうするとあまりに時間が足りない。

そこで、参加者の声もききながら、どこかで切り上げることにします。そして次に副読本(サブテキスト)として、中井久夫『「つながり」の精神病理』をとりあげ、ふたつの本の重なるところから、お話をまとめていこうと考えています。たとえば、、、、。

「今の時代に欠けているのは、打算的理性的関係であり、絆やつながりは解いていくのがよい」と。

人間関係は意識できる認知レベルと意識にのぼらない閾値化のレベル、両者がバランスよく相互作用して健全な形成がはかれるものですが、現代社会は後者のサブリミナルな作用が強すぎるのです、少なからぬ人にとって、おそらく。

うまくお話できれば、意識と無意識が対立分断しているものではなく、お互いが協調し相互に助け合いながら、人の心と絆と社会をつくっているそのダイナミックな姿がエキサイティングに理解できる場となるはずです。心の闇は光を必要とし、光もまた闇を必要とする、相互に通じあっていることが、次なる時代の希望であることを、先端の認知科学をふまえて展開しましょうぞ(目標)。

◉案内人紹介

面代真樹(おもじろまさき) 季刊『本とスパイス』を創刊準備中。今回のテーマは「心」です。下條信輔氏には2008年刊の『サブリミナル・インパクト』もありますが、今回は基本編として”マインド”の方をとりあげます。「心」をテーマとして、こうした認知科学の立場から書かれたものと精神医学の臨床現場位置から書を、今後ともとりあげていきたいですし、トークできる方(案内人)も求めています。なにとぞよろしく。

岩のカマド

椎葉で見た岩のカマド。いいなあ、できそうだなあと思わせる。の、だが、そう簡単でもないと思う。開口のとりかたとか、内部のドーム構造のとり方とか、煙突の角度や長さなど。ピザ窯ほどではないにせよ、燃焼効率を高めるようなバランスをもっていないと、焚付のときに煙がかなり中にこもるはずだし、、。
まずは石と泥とで試作してみるべか。

蕾を楽しむ櫻祭

 昨年の今頃は下の写真ほどには咲いていた櫻は、今年は蕾のままである。祭りという天地自然との絆が根底にあるべきものも、いまの世は、人の都合が優先されるがため、櫻の未ださかない櫻祭りが今日と明日、住まいしている木次で開かれている。
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 あぁ、しかし、春らしい日和だ。
 櫻の咲いてない櫻祭は蕾を観て楽しむ。そう、あの蕾の中には山のほうから降りてきた「サ」が、遠い昔から私たちがそう呼んできたものたちが、いまかいまかと大地に飛び散りいでるのを待っている。目には見えねど、たしかにそこにあるものの存在を祝う日。
 そうこう書いている間に、電話が何本かかかってきて、カフェの手伝いに加わるのである。つつきはまた今晩。

食事と心と学生の子供化と

みすず書房から中井久夫集全十一巻が出る。
斎藤環の毎日新聞書評をみて知った。
夜の12時を過ぎて学生から電話。
私はケースワーカーか。。。教授も苦言していた通り、大人の行為とはいえないが、知性ある、人間らしい行為である。社会学的側面に寄っていえば、包摂的関係をプラスの価値としてプリンティングされている集団であるのだから、その文脈にそってコミュニケートするのがよいだろう。
これがいわゆるマイルドヤンキー=エグザイルワールドとなると、まったく対処が異なる。具体的には書き記せない今回の「騒動」は、当該学生集団が、アンダークラスとミドルクラスの境界にあることを、感じさせた。
そして中井を読みなおす。
斎藤は全集第1巻の書評を「脆弱性」をキーワードとしてこういう。

《「バルセロナ宣言」にみるとおり、ヨーロッパ的倫理観では「脆弱性」こそが自律性の前提とみなされる。すべての人間は脆弱性を抱えており、それゆえ他者と関わり、時に依存し合う必要があるのだ》

脆弱性という概念がさらりと使われていて、補足をと思い、あたってみるが、なかなか。
中井久夫『つながりの精神病理』を読み直しみようと、思い立ったのでここに記し、加筆をしていこうと思う。
昨晩のトークイベント「ごはんの100年」〜瀬川清子『食生活の歴史』にひきつけた引用をひとつ。
 人と人とのきずなは、「刷り込み」や「取り入れ」といったサブリミナル(意識下・意識外・無意識)のもとで生まれることには、容易に同意できる。中井はその例として、女子学生の寄宿舎では月経が同期化すること、商社や銀行マンが初対面でもどこの会社かがわかることなどをとりあげた後、そうした「きずな」も年齢に従って消長するほうへ話しをもっていく。
 そして、精神科医がよくいう「定説」というよりは「常識」の類にあるものとして、次のように述べ始める。

精神科医は、三十歳くらいで人間の人格が固まるとよくいうが、食事習慣の固まりと人格の固まりとは深い関係があるだろう。食事は味覚だけでなく視覚や嗅覚、触覚、さらに香辛料の一部には三叉神経を介する痛覚が参与し、重量感、内蔵感覚、食卓の対人感覚、過去の個人的・集団的体験、知識、雰囲気、儀式も大きな意味を持って参加する対人的な事象である。。文化人類学者が異文化と接触してまず行うことは、共同の食事である》

 食事と文化の重要性とは、人と人との関係性を、その社会がどう築いているかに係ることなのだと。とりあえずここでは考えておこう。
(つづく)

春がきた♪野山の手入れ@奥出雲Iwachiの谷~sec.3

3月19日(日)/晴れ/9℃~15℃/参加4名+子供3名+見学4名/10時〜16時
内容:北の角にて古竹伐倒と整理(運び出し)・昼食づくり

施業前の写真を撮っていませんでしたので、わかりにくいかと思いますが、枯竹が倒れたり掛かったり散乱したりしていた場所です。2016年の春焼き地の南側、一段高くなった平場となっていますが、1年生の竹がほとんどありません。春焼きの後、急速にカビがついたり、樹勢が衰えたり……少なくとも下から観ていてそう感じられた場所です。これから迎える筍の季節、どこまで出るかを記録してみましょうか。生えていた本数。そして平均直径などもはかっていきましょう。
筍観察林という札をたてる必要があるなあ。

昼のまかないです。焼畑産物をひとつでも思いアマランサスを。

春焼き地に落とした竹ですが、この上にさらに1年前に伐って積んである竹を落としていき、その竹から先に運んでいきます。春焼きが燃えすぎる難があるのならば、1週間前に新たに伐った竹を上に積むとよいのだがなあと思いつつ(いやそれは手間がかかりすぎ)。

子供に教えるのは上手だよ。
———
最近、ひとりふたりでの活動が多かったので、4人もいると、はかどり方が違います。そして、2日目は身体にこたえることもわかりましたが、そろそろ身体の使い方になれないといけませんね。面代の個人の課題のようにみえて、仕事がデスクワーク主体となった大多数の「労働者」の課題でもありましょう。
さて、ここでいう課題とは「意識すべきこと」+「ほのかな希望」という昨今の使い方とは一線を画すものです。書きながら思いつきました。課題という言葉は使いたくないと、これまで意識して使わずにきましたが、これからはむしろ積極的に使っていこうと。
課題という流行り言葉が覆い隠してしまっているものに、気付き、反抗し、転覆し、脱構築していくために。(つづく)

味噌と納豆を仕込む

 3月13日(月)。曇り時々晴れ。カフェ・オリゼで味噌を仕込んだ日。
 黒大豆の味噌づくりは、オリゼにとってははじめてです。頓原にある森の圃ここぺりでとれた赤名黒姫丸(固定種)ですが、お味噌にするにはもったいないほど粒がきれいでしっかりした大豆です。豆は基本的に無肥料栽培しやすいのですが、肥料使ってもここまでのものをつくるには農薬による管理もしないと難しいのだろうなあ、などと思いながら眺めている……暇はありませんでした。

 シートをひろげ、何度も拭き、アルコール殺菌し、などなど。とはいえ、つくるのは妻の仕事になっておりまして、自然栽培米の白大豆を使って仕込む”味噌仲間”ひとりと一緒に仕込み作業に入る間は、事務作業のほうにかかっていたのですが。
 

 あわせて17kgほどを仕込んだ味噌。樽明けは1年後となります。
 そして今年こそは焼畑地の山畑で大豆をつくり、「焼畑味噌」をつくるのです。
 ともに大豆をつくり、味噌をつくる仲間を募集中!
 こちらからお問合せください。
 奥出雲山村塾(焼畑倶楽部)
 また、竹の葉で納豆をつくる試験にも挑戦。結果はまたのちほど。

 

春がきた♪野山の手入れ@奥出雲Iwachiの谷〜sec.1

3月11日(土)/快晴/8℃〜10℃/風速1〜2m。作業日和でした。動いているとうっすら汗をかくくらいなのでちょうどよい気温ともいえます。
島根大里山理研究会から1名、山村塾から1名、計2名での活動でした。
・土壌の確認……昨年の春焼地・北の角を鍬で軽く掘ってみました。竹の根はいまだガチガチに張っています。が、少し緩んできたような気もします。分解が進んだのでしょうか。

・北の角の北東部分は焼いた後に何も植えず、草も刈っていません。そのためためか再生竹の繁茂が目立ちます。夏秋にはさほど目立たなかったのですが、他の草が枯れている間に、早春の日差しを浴びて着々と力をつけていってる感がしました。春にはここ(下の写真には写っていない右側)に竹を運び込んで燃やす方向で計画中です。

・その再生竹をバリバリと食していたのは黒の乳牛くん。もっと食べてくれよ〜と思うのですが、なにがしかの好みがあるようですべてを食べるわけではないのが不思議なところです。

・活動は10時〜16時まででしたが、うち12時〜14時を打合せと昼食にあてていますので、実質4時間弱といったところ。春焼きの準備ですが、15人くらいでかかれば2日で終わるのではと楽観視しています。もちろん、その前に数回段取りを整えておかねばなりませんが。
・まとまりのないレポートです。また加筆修正することとし、今日はここまで。
おつかさまでした。

住まいの床下は土であるべきと私は考える

 森と畑と牛と=MHU.が手がける奥出雲の小さな風の谷のプラン(自然地形としての谷にとって大事なのは水と風が淀まず流れ続けることです)。そこにはどんな建物がどこに配置されていくべきなのか。…てなことを皮切りに、忘却の箱にいれたままだった建築のことを少しずつ思い出しています。

 下山眞司さんのブログを読みながら、こんな記事を発見。

アリヂゴク・・・・アリヂゴクが棲める床下

《一般に、床下は湿気ると言われている。

 たとえば、「住宅金融支援機構(以前の「住宅金融公庫」)」の「木造住宅工事仕様書」には、「床下は、地面からの湿気の蒸発等により湿気がたまりやすい・・・」と解説があり、「ベタ基礎」以外の場合は「防湿用のコンクリートの打設」または「防湿フィルムの敷詰め」とすることを求めている。 この解説にある「床下の湿気理論」について、かねてから私は疑問を抱いている。》

 かねてから、古民家にこの仕様を施す例を散見するにつれ、疑問がぬぐえなかったのですね。構造的補強の仕方もですが、ここで問題視されている湿気・通気に与える影響についてからも。だって、土は呼吸しているんですから。

 引き続き引用(というには長いのですが)。

《では、普通の土地で、床下をコンクリートを打設したりフィルムを敷き詰めると、どのような事態が起きるだろうか。

 床下の地面は、陽が当らないから、その温度は屋外の地面よりは低い。コンクリートやフィルムの表面温度も、地面の温度と同じになっているはず。そこへ、床下の地表温度よりも暖かい湿気た空気が入り込むと、どうなるか。コンクリートやフィルムの表面に結露するのである。夏の朝、雨も降らなかったのに、舗装道路が濡れているのも同じ現象。

 そうならないようにと「断熱材(保温材)」をコンクリートやフィルムの下に敷きこめばよい、と考える人がいる。そういう「仕様」もある。しかしそれは、「断熱材」の「断熱」の語に惑わされている証拠。どんなに厚く「断熱材(保温材)」を敷こうが、地温になるまでの時間がかかるだけに過ぎない、だから、コンクリートやフィルムの表面は地温に等しい、ということを忘れている。》

 なぜ「忘れる」のでしょう。理由はともかく、確かに忘れるのです。

《(前略)同じ理由で、私は「ベタ基礎」は使わない。地耐力が小さくても、別の手立てを考え、床下地面を確保する。》

 現場から(シロアリ屋のひとり言)からも、こんな写真が。

「古民家だから冬はすきま風が入って寒いです。密閉対策をしてほしいな」などと言われる我が家(一部店舗)ですが、隙間だらけでよかったね〜と思います。

 住まいの床下は土であるべきと私は考えますし、アリジコクとともにある住まいがいいなあと思います。

森と畑と牛と 4月に開くふたつのイベント

今日はお昼から森と畑と牛との幹事会。奥出雲地方は時折り小雪が舞う風の強い日。ダムの見える牧場事務所で事業の進捗と4月のイベントについてなどを話し合いました。
4月のイベントとは、筍掘り自然体験と焼畑シューの試作販売。後者の焼畑シュー販売は、今回はクリームに注力して生地に入れる雑穀はなしでいきます。その代わりといってはなんですが、焼畑産の仙人穀と糯粟で何かつくって試食してもらうことにしました。いくつか案はあるものの、何をつくって供するかは、カフェ・オリゼさんほかにご助言いただきながら進めていきまする。
日にちは4月29日(土)10時〜17時、奥出雲町の絲原記念館前の駐車場です。町内の新しい取組をはじめている団体・自営業7者を中心に出店するなかのひとつです。森と畑と牛含め(ありたいですし目指しますが)、独創性の高いちょっとおもしろいイベントになりそうです。親子で楽しめる体験をどの出店者も意をこらし考えをめぐらせて提供しますので、ぜひぜひ脚をはこんでみてくださいまし。
詳しいご案内はまた改めて!
そしてもうひとつの筍掘り自然体験についてーー。
森と畑と牛とのfieldでは、今年も竹林を皆伐施業したところがありまして、筍の大量発生がほぼ約束されています。あわせて伐採した竹が作業道に積まれたままです。さあ、どう料理してくれましょうか。アイデアだけは積んだままなので、落とし込みながら、またこれも近々にご案内します。お楽しみに〜♪

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昨年の4月、とれた筍をロケットストーブで煮るの図。