大人のためのごんぎつね〜新見南吉童話集(本の話#0002)

記事タイトルであげたトークライブのお知らせです。

◉主 催:ナレッジ・ロフト「本とスパイス」&カフェ・オリゼ

◉日 時:1月27日(金)

 開 場…18:30

 トーク…19:00〜20:20(20:30〜22:00 食事)

◉場 所:カフェオリゼ(木次町里方)

◉参加費:2,500円(スリランカカレー/ドリンクセット含)

◉定 員:12名

◉申 込:「大人のためのごんぎつね」参加希望として、下記のメールアドレスまでお名前とご連絡先をお知らせください。返信のメールをもって受付終了とさせていただきます。メールはこちらまで anaomoshiro★gmail.com(★⇒@)

◉内 容

 「本とスパイス」提供の、月刊ペースで1冊の本を巡るトークライブ。第2回目となるお話は、大人のための「ごんぎつね」です。

 国語の教科書に採用されて以来、6000万人が読んだといわれる「ごん狐」ですが、同人誌「赤い鳥」に発表されたのは昭和7年、満州事変の翌年であり、著者、新見南吉19歳の時でした。

 南吉の童話作品の大半は発表されることなく、29歳と8ヶ月で没する数年間に故郷で書かれたものです。千葉俊二編「新見南吉童話集」の中から、遺作となった「狐」、「牛をつないだ椿の木」を読みながら、ごんぎつねと共通する南吉の世界に迫ります。

 さて、ごんぎつねには3つの原稿が存在します。

 広く読み知らされた「ごん狐」は、新見南吉の原稿に、鈴木三重吉が手を入れたものであります。従来、研究者の間では、三重吉が手を入れたことで「ごん狐」は名作となったとされてきました。しかし近年、「いや、それ違うんじゃないの」との読み方が出てきています。私も同様に考えます。そして、ごん狐には、南吉が郷里の半田市(愛知県)で伝承として聞いた「聞き書き版」が存在していました。

 ごんぎつねには3つの異なったバージョンがあるのです。とりわけ、物語の結末が、決定的に異なるのです。数文字の違いであり、オリジナル版の不自然さの中にこそある真実があったのだとすれば…………。

「ごん、お前だったのか」

 そう、誰もが覚えているこの言葉の後です。

 戦争で失われたのは人の命だけではありません。滅んでいったものがたくさんあり(い)ます。南吉は、童話としての完成度よりも、失われていくものの真実=物語をこの世に残したかったのです。それがなんだったのか。銃に撃たれたごんの願いとともに、物語の奥へと、たどっていきたいと思います。

今回のお話は、キツネ、オオカミ、ウマ、ウシ、クマ、サル、あるいはカッパやオロチ……、私たちの身近にいた生き物との関係を、信仰と民俗と物語=童話、を通じて探っていくものです。また、編集者として作家の原稿をどう読むのかという関係性をも考えながら、読み解いていきます。

おいしい雑穀づくりと小屋づくりと山畑の手入れetc.~1月7日

 快晴となったのは午前2時頃までだったと思います。またも出遅れ!てしまいましたが、仕方ない、なるようになれよと、思い、ます。アマランサスは少々。そしてヒエをはじめて脱穀しました。

 ◉今日の作業

場 所:奥出雲町三所

時 間:13:30〜15:40

参加者:1名

内 容:アマランサス脱穀少々(2回、6束程度か)。ヒエの脱穀はアワと同様に洗濯板でやりました。快調快調。もともと脱粒しやすいものだけに、アワよりもさらに楽ちん。脱穀に限ればもっとも手間がかからないものですね、これは。

 問題は風選です。トーミにかけると、実の入ったものも飛ばされていきます。重量によって3つの口から出るものですが、アワやアマランサスではあまり出ない2番口からもけっこうな量が出てきます。何パターンが調整を試みましたが、さほど変化はない。

 手にすくった感覚だと、たしかに1番口のほうがしっかり実が入っていて重いのは明らかです。しかし、2番口のものがまったくスカスカの中身なしかというとそうでもない。

 3番というか排出口からのものは明らかに軽く、実が入っていると思しきものも混入しているようでしたが、廃棄しました。

 手間のかかるだっぷの段階で、2番が使えるかどうか、試してみたいと思います。

頓原張戸のトロヘイ

来訪神がちょっとしたブームかもしれません。日本でもっとも知られているのは秋田のナマハゲですが、近年、子供への虐待なのでやめてほしいという苦情・訴えによって存続があやぶまれているとか。一方でナマハゲ含め日本の来訪神行事をユネスコの人類無形文化遺産へ「登録すべく」申請中でもあるとか。

文化庁が申請中の「来訪神:仮面・仮装の神々」にあげられているのは、以下のものです。

・甑島(こしきじま)のトシドン(鹿児島県薩摩川内市)
・男鹿(おが)のナマハゲ(秋田県男鹿市)
・能登のアマメハギ(石川県輪島市・能登町)
・宮古島のパーントゥ(沖縄県宮古島市)
・遊佐(ゆざ)の小正月行事(アマハゲ)(山形県遊佐町)
・米川(よねかわ)の水かぶり(宮城県登米市)…宮城県登米市「米川の水かぶり」小考 | 文化遺産の世界
・見島(みしま)のカセドリ(佐賀県佐賀市)
・吉浜(よしはま)のスネカ(岩手県大船渡市)

のちほど、動画のリンクなどはっておきましょうぞ。

さて、トロヘイです。昨日1月7日に頓原張戸でやると聞いたので見学してきました。知る限り、県内で現存しているのは、頓原地区のみです。かつて、島根県内では、現在の雲南市、奥出雲町、飯南町、安来市、旧簸川郡、美郷町、浜田市など、ひろく行われていたものです。まとまった記録をみたことがありませんが、金城の西中国山地民具を守る会で、1988年に《古老による「トロヘイ」の復元、記録作成 (1988年2月)》を実践されています。
あるいは映像記録が一部でも残っているやもしれません。(以前「実践民俗学」の記録について隅田氏に聞いたところでは、大半が残っていないと聞きました)。
奥出雲町阿井では大正時代に風紀紊乱を理由に禁止されたトロヘイ。日本国語大辞典では簡潔にこう定義しています。《小正月に村の青年などが変装して家々を訪れ、銭や餠(もち)をもらって歩く行事を、広島県あたりでいう。》  ………
えー、のちほど加筆するとして、今日のところは写真をアップしておしまいにします。眠いのですまん。  ここでも何度かなくなり復活しを繰り返されているようです。現在は頓原の公民館活動のひとつですが、最大の理由は子供の数が少なくなってしまったから。今年の張戸地区の子供(小学生までか)は5人。

馬と水の組み合わせにいたく刺激され、帰路、いろいろと妄想いたしました。 大正2年刊の『高田郡誌』では年中行事の2月の項にあらわれている。

《前高田諸村は陰暦十三日、後高田、奥高田は十四日、トノヘイ又はトロヘイ、トトラヘイ、鳥追幣杯と稱し貧家の少年或いは奴僕等郡をなして来り、大家の門前に喧騒し、牛馬の索沓等を献ず、餅又は米銭を與えて去らしむ、古来此日には人の門に立つを恥とせざる風俗と云う、其何故たるを知らず、或は戦国武士の流落身を寄するなき者の為に貧民食を請うの遺風にて、殿への意にはあらずやと云ふ、未だ其証を得ず近年此風殆んど廃す。》

乞食原理の風に重きをおいた記載です。風紀紊乱を理由として禁止される向きにはこの風が著しくあらわれた時代においてでしょう。ただ、乞食原理というも、もとをたどれば神の訪れと軌をならべることもあり、なかなかに事情は複雑です。  柳田国男は『食物と心臓』のなかでこう記しています。

《小正月の前の宵に家々の門をたたいて、餅をもらいあるく行事は全国的で、地方によってカパカパ・チャセゴ・カセギドリ・カサトリ・ホトホト・トベトベなど、十数種の異名のあることはすでに知られているが、これにも家々の幸福を主として祝うものと、訪問者自身の必要のためにするものとがあって、その堺は犬牙交錯している。岡山県北部のコトコトは厄年の男女の心願であったといい、四国の大部分から中国へかけての粥釣りなども、名の起こりはまたこの七軒乞食であったらしいのである》

おいしい雑穀づくりと小屋づくりと山畑の手入れetc.~1月6日

 晴れました。とりわけ午後からは青空が広がるという、山陰の冬としては大変にめでたい日和でした。そんなよい日に出足が遅れ、脱穀集中日のはずが、2時間弱にとどまったのは悔しいです。本当にまったく………。さっ! 明日も快晴の予報! 気を取り直していきます!
◉今日の作業
場 所:奥出雲町三所
時 間:15:00〜17:00
参加者:1名
内 容:アマランサス脱穀。叩き方が甘かったせいだろうか、唐箕にかけた後の籾殻やゴミ等の残存率が高かった。ていねいにやらないぶんだけ、出来は悪くなるのだなあ。ちょっとの手抜きが結果に出るだけ、繊細な作業なのだろうね。今更ではあったが、赤い花をつけたものが2本たまたまそろってあったので、種まき用として外のものとはわけて選別した。

 夕方になると雲もけっこう広がってきたが、午後5時前には夕陽がまだ西に見え、ものの姿かたちをよく見ることができる。黄昏時よりは少しばかり前の、何はともあれ、仕事の終わりの安楽感を胸に軽トラで道に出ようとしたときのこと、ひょこひょこと近づいてくる者あり。
 警戒心が薄い。カメラを取り出し、おさえておきましたとさ。
 どうやらイタチのようです。

チドメグサとよく似たものたち

 チドメグサ、ツボクサを探しはじめた。
 地方名がわかればそれもみておきたい。薬草として、ツボクサの利用がかつての山野にあったのかなかったのか。などなど。
 昨日、そらやま団地の山にある一畑さんを確かめに行った際に、山の入口で見つけたのがこれ。

 チドメグサだと思うのだけど。はて。さて。
 松江花図鑑などを参照しながら、よく見てみよう。
●チドメグサに似た仲間
http://matsue-hana.com/yasou/kubetu/tidomegusa.html
●ツボクサ
http://matsue-hana.com/hana/tubokusa.html
●チドメグサ
http://matsue-hana.com/hana/tidomegusa.html
 ツボクサの利用について、世界大百科事典(平凡社)ではこう記述。

《マレーでは野菜の代用として食用にされ,東南アジア方面では葉をもんで傷口や皮膚のただれにはったり,下痢の薬として用いられることがある。》

 そして、薬用で一項を設けて、

《全草を積雪草(せきせつそう),連銭草(れんぜんそう)(日本ではこれらはふつうカキドオシをさすことが多いが誤りである)という。サポニンを含み,単独でまたは他の生薬と配合して下痢腹痛,黄疸,吐血,外傷の出血,食中毒などの際に煎服し,また搗(つ)き汁を外傷,疥癬(かいせん)などに外用する。》

と。
日本大百科事典(小学館)では、チドメグサとツボクサとの違いを簡潔にこう記述している。

《(ツボクサは)チドメグサ属に似るが、ツボクサ属は果実に網目状の脈があり、葉柄の基部が鞘(さや)となり、托葉(たくよう)がないので、チドメグサ属とは異なる。南アフリカを中心に世界に40種あり、日本には1種のみが分布する。》

 そうか、日本には1種のみか。
 さて、ツボクサの説明をみると、道ばたや林内でみられるという記述が多い。あたりまえに見られるものであるはずのものだが、あたりまえがあたりまえでなくなっていく時代だ。要因のひとつは除草剤の多用。ホームセンターでも農協でも取扱がすごい勢いでふえている。とある地域で、営農組合でタンクごと買って、各家庭で大量に撒いていることをきいた。
「外の家は、きれいに草一本なく枯れているから、もっとたくさん使わないとダメだと言われる。私は撒きたくないんだけどね」
「ここらでは、ヨモギもツクシも、とにかく野草はこわくてとらないし食べられないよ」
「野草を知ってる人は、もういない。80歳越えて元気な人ならともかくね。70歳代はそんなことはぜんぜん知らないよ」
 はい。民俗知の喪失は、単なる知の喪失にはとどまらないのです。

12月31日人間の条件(本の話#s001)

https://www.facebook.com/events/366693750334384/

「片つかぬことを抱えし年の瀬は月の晦日とさして変わらず」髙山宗東

 本日、快晴となった大晦日です。今晩の準備をしています。机に向かって。

 役に立つこと、必要なこと……古代ギリシアが軽蔑した概念は、侮蔑から称揚へと駆け上がり、いまや世界を覆い尽くさんとしています。なので、堂々と胸を張って「この話はなんの役にも立ちませんから!」とは言いません。誰も来ないであろう晦日の夜にひっそりと行われるのです。

 アーレント「人間の条件」は、本とスパイスの特別編として、来年各章ごとに読み進んでいく予定です。今回はそのさわりとしての開催です。

 さて、内容ですが、「役に立たないことこそが人間の人間たる条件」なのだ!ということを明らかにしていきます。

 アイヒマン問題(凡庸なる悪=知識・思考の奴隷化=役にたつ知識など糞だ問題)、カール・シュミット(自分の存在をおびやかすものを存在論敵に殲滅するのが政治)、キリスト教の愛(愛は最強の反政治性)、近代の最終形としてのひきこもり、動物化する世界……などを補助線として。

【参考便宜的図式を以下に】

oikos ーーー police

zoe ーーー bios

economy ーーー politics

private ーーー public

 ちょっと青空を見に出かけて夕方からささっとまとめましょうぞ。

焼畑の蕎麦

 1週間ほど前に蕎麦を脱穀した。奥出雲在来の横田小蕎麦を焼畑で栽培したもの。たったこれだけなのだ。島根大の里山理研究会の方に行ったものが量的に2倍くらいだろうか。
 以前も反省しつつ、来年どうすれば改善するのかが見えてないのだが、収獲が遅れたことによる脱粒も大きかった。

 種として残してもよいのだが、いかんせん出来も悪いので、すり鉢で皮を剥いて、炒ってみようかと思っている。

おいしい雑穀づくりと小屋づくりと山畑の手入れetc.~12月18日

2016/12/18(日)のことを備忘として。

11:30三所着

トーミ組み立て1時間

脱穀13:00〜15:30

という按配でした。

そう、トーミを買ったのです。組み立てました。本格稼働は後日となるのですが、買って正解。想像以上によいです。選別の精度はかなり高い。決め手となっているのは、落とすところのスリットです。雑穀の細かい粒の場合、このスリットが細いほうがよいのです。新品ならばまだ甘くなっていないので、狭く細いスリットから落とせるのであります。

 使い込むにつれて甘くなっていくことが想定されますし、もっと均一な幅でのスリットであればと思うので、箱状のものを取り付けられないかなあと考えてもみます。当面はこれでいろいろ試してみましょうぞ。

軽トラくん、ありがとう、お世話になりました

 昨日まで野山を果敢に駆けまわるように走ってくれた軽トラ。あちこちにサビが浮いた姿は私にはかっこよく頼もしく見えたものですが、はたからみると壊れそうな車が公道を走っているという不安もあったようです。

 「もう引退させてあげなよ」と妻からも、車屋からも言われていました。数ヶ月前に今度の車検12月24日(なんとクリスマスイブ)までには、交替をと決めていて、後任も決まっていたのです。後任もそこそこ年季のいったベテランであり、溶接して強化してもらいたいところもあり整備に時間がかかっておりました。そして、整備完了納車OKの連絡があり、昨日が「仕事納め」となったわけです。

 1年前から、エンジンこそ調子よくまわりはするものの、おそらくキャブレターの不調などが疑われ、回転は不安定で、冬になると急激に燃費が悪く調子も悪くなっていたのが昨年のこと。くわえて数ヶ月前にウィンカーの調子が悪く電気系統を配線からやりなおさないといかんようなことになっていて応急処置をしていました。マフラーが落ちそうになっていたので、これも応急処置です。荷台はサビでサイドが使えず、穴は運転席のアクセルペダルの下にも空いていて、冬は足元が寒かった。寒いだけならともかく、そろそろぱこっと抜けてもおかしくない有様で、パッチ(溶接)は必須事項となりつつある状態でした。

 もう2年くらいは乗れたと思いますが、雪の山中で立ち往生するのは少々危険でもあることですし、引退宣言となったわけです。

 これといったセレモニーもなく、さらりと別れましたが、感謝の気持が胸からあふれても困るので、ひとことだけ記しておきます。

 ありがとう。お世話になりました。Good bye!!

おいしい雑穀づくりと小屋づくりと山畑の手入れetc.~12月17日

12月17日(土)
「収獲の宴」と称しつつ、残置していた竹を燃やして炭にし、牧場の土壌改良(実験的水脈づくりり)に挑んだ日です。参加者は島根大から10名と地元2名の計12名。
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9:10 先発隊ダムの見える牧場着
11:00 後発隊着
13:00頃〜2班にわかれて収獲の宴
17:30 燃焼終了
18:50 作業終了
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前日の雪をのけるべく積んであった竹を積み直す作業に1時間程度かかりました。積み直した竹材の高さは腰高くらいはあったこと、降雨降雪が続いていたとはいえ、冬季でもあり、また竹を叩いたときに生じる音からしても含水率はさほど高くないと思われました。要するに燃えるだろうと踏んだのです。そして、着火。いやあ燃えない燃えない。常に材を整理して置き直していかないと消えてしまいます。
かれこれ6時間ほどかかりました。30〜40本ほどの孟宗竹を炭にまでするに。
並行して穴をほっておりました。
牧場は残土の埋立地ですが、表層には黒ボクや堆肥が20センチ〜30センチ積んであります。その下に真砂っぽい土が20センチ程度でしょうか。その下は瓦礫というのがふさわしいような石のかたまりがごろごろしています。瓦礫層(仮称)まで掘ったところで、水が湧いてきて、1時間ほどで満水となりました。
穴は大小3箇所。
できた消し炭を投入し、掘った土で埋め戻します。
埋めた直後は多少ズブズブとしていましたが、翌日現場検証した時点ではがっちりとかたまっていました。牛が足をとられることはないだろうと思います。
もう少しやらないと水はけがよくなるなどの改善はないと思いますが、掘った場所の草の生え具合など、経過をみていきます。
さて、カブ料理はスープとマリネ風のものでした。料理に関しては、もっと「教える」ことがあるなあと。思います。責務として。はい。