死んだらどうなるの?
子どもの質問。大人が言ってもいい。言わないだけで言いたくなるときもあるだろう。が、大人であるなら、めったに発することのない問いである。素朴にみえて暴力的。根源的な問い。問いではあるものの解答は存在しない。
暴力性は「死」というテーマ性ではなく、単純明快さを求める問いの形式にある。
テーマは、哲学でも、宗教でも、医学でも生物学でも法学でもない。
求められているのは、表現の見かけの素朴さとはおよそかけ離れたもの。求められているのは誠実さ、そして自らの責任をもってこたえるということだ。そう私は思い考える。
魂の永続性について
問をさまざまな仕方で換言してみよう。
ひとつめ。
死んだら「私」はどうなるの?
私を私たらしめているもの、これを自我と呼ぶにせよそうでないせよ、the self =自己同一性は、民族・文化を超えて共通してあるのだと、そこまではいえるのかな。
ウィキよりパーソナルアイデンティの項、J.ロックへの参照箇所を引用する。
According to Locke, personal identity (the self) “depends on consciousness, not on substance” nor on the soul. We are the same person to the extent that we are conscious of the past and future thoughts and actions in the same way as we are conscious of present thoughts and actions. If consciousness is this “thought” which “goes along with the substance […] which makes the same person”, then personal identity is only founded on the repeated act of consciousness: “This may show us wherein personal identity consists: not in the identity of substance, but […] in the identity of consciousness”. For example, one may claim to be a reincarnation of Plato, therefore having the same soul substance. However, one would be the same person as Plato only if one had the same consciousness of Plato’s thoughts and actions that he himself did. Therefore, self-identity is not based on the soul. One soul may have various personalities.
意識(conciousness)の特権化とでもいうものがここにはある。魂の意味もたとえば日本での一般通念とは異なる。
つづく…