精読と訓読と積読と#2

あれこれと気がついた些末なことを書き留めておく。

†. 開高健,1960『ロビンソンの末裔』角川文庫,昭和39年(1964)

「上野駅には七時頃に行きました」。語りは場所の光景ではじまる。いつものように混乱、おびただしい数の人びとのひしめき、そして「高い鉄骨の丸天井のしたには靴音と声が潮のようにみちて、ゆれ、ふるえていました」と。

昨今の上野駅は真新しくもなったが、ここで描写される空間は変わらぬものがあるのだと思った。照度とは別にどこか暗いものと、音の響きと、そして鉄骨の丸天井と。

覚えておきたいことは、私が女房子供と一緒に抱えてきた荷物の中身である。バケツの一つに茶碗や箸や庖丁といった食器の類、もう一つに高粱、米、大豆。風呂敷包みには毛布と衣類。釜が風呂敷包みの中にあり、高粱八分に米二分が炊き込んである。

穀類の主たるものが高粱なのか。高粱八分に米八分か。麦でも黍でもなく高粱。高粱はタカキビである。小説とはいえ意外であることに加え、高粱八分である。三次の史誌に残る熊子飯の配合について、熊子八分に米二分という率を思い起こさせた。タカキビをたくさんつくれた年に試してもみたい気もする。

†. 杉浦日向子,〔1986〕『東のエデン』筑摩書房,杉浦日向子全集第5巻,1996

標題作品の初出が1986年。全集第5巻に収められている作品は。1983年から1984年にかけて雑誌に掲載されたものが大半であるが、未発表作品も2,3収められている。全集収録前にはちくま文庫の『ニッポニア・ニッポン』『東のエデン』に入っていたものも多い。杉浦日向子の文庫はすべて持っていたはずだが散逸してしまったのと、先の2冊はこの書を買ったあとに、誰かに譲った(売った)。

「江戸そのもの」とでもいうものは、あったとしてもそれとは気づけないのだろうが、ここにはあると信じられる。それは杉浦日向子という作家性に依拠するのではなく、その向こうにある無名の地平へと杉浦を媒として私たちが爪先なりと指先なりと、「かける」ことができるからだと思う。その”味わい”は空気とも場とも言い難い何か。そう言いたくなるが違うのは、「時」を持っているからだ。それこそが、「語り」なのだろう。時をともなうもの。

さて、今日、この書を紐解いたのは、国東治兵衛の『紙漉重宝記』の一丁「楮苧売買のこと」をみていて起こった疑問を解けないかというところから。

†. 國東治兵衛,1798(寛政10)『紙漉重宝記』

國東治兵衛像についての再考は「国東治兵衛を読む#01」。

その墓所とされた地を訪れたのは、5年も前になるか。くにさきという地名はなくなっており、「くにさき苑」という福祉施設だけが残っている。やがてここが「くにさき」と呼ばれていた時代も忘れ去られる日がくるのだと思う。

国東治兵衛 著 ほか『紙漉重宝記』,秋田屋太右衛門[ほか3名],文政7 [1824]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2537086 (参照 2026-06-22)

†. 大江健三郎,1884「もうひとり和泉式部が生まれた日」『いかに木を殺すか』文藝春秋,昭和59(1984)

作品名が思い出せなかったが、木次図書館で一度借りて読んだ記憶を頼りに、もう一度探してみた。何年か前にも読み返そうとして見つからなかった。たまたま閉架に大江の作品がかなり入っていることがわかったので探してみたのだ。3冊ほどあたりをつけて出してもらい、めくってみてすぐにわかった。谷のそこにもあらなくに!

 

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