三所の家を片づけている。年内にはきれいにして鍵を返すのだ。昨日からの雪で気になっていた山側の庇屋根の応急処置だが、この程度の雪なら問題ないということは確認できた。大雪でも積もれば落ちるかもしらんが、素人大工仕事を重ねるよりは気になったら様子を見にくればいいと思い切ることにした。
それにしても雪がここまで積もるとは。30センチほどはある。四駆の軽トラでも下の写真の少し手前まできてとまった。雪をかきさえすれば家の前までつけれなくはないが、雪をあまくみてはいけない。土はぐずぐず、坂ですべって川にドボンあるいは横転という図がありえるのできっぱり断念。今日で終えるつもりだったことを、明日明後日と2回にわけてやればよい。
今日は部屋の掃き掃除を少々と、一番重い荷物である竹を漬け込んだ樽の整理を終えた。竹は平成27(2015)年の6月に漬けたもので全部で9樽ほどか。孟宗竹が7樽、真竹が2樽。竹林においた4樽は雪の中、運ぶかどうか迷ったが、水をバケツに汲み出しなどして片付けた。冬だからこそできること。夏にやったら虫がついてしまうだろう。空気にふれることは避けたいが、昼でも道路の温度計は0℃をさしており、水を汲み出しても、蓋をしておけば問題ない。移動する場所は某所へ4つ、某所へ5つといったところか。水がそばにないと困る。春になったら洗い出して日干し、繊維の束になってしまえば、どこにでもおいておける。
さて、驚いたのは、意外にもきれいだったこと。竹の中にいた発酵分解を行う微生物たちはうまく仕事をすると、3〜5ヶ月ほどで水を赤色に染める。3回ほどの春夏秋冬をくぐっているわけで、さまざまな腐朽菌も入り込んで、異臭を放っていることも想像されて気が重かったのだが、あれ、なんだというほどの拍子抜け。濁りの多寡はあるが、概ね黒や茶にはなっていない。水の中に浸かっており空気にふれていないことが大きいのかもしれない。
黒ずみがあったのは下の写真のように横においたのではなく縦においた樽のもの。水の蒸発によって竹が水面から出てしまっていたのだ。竹の切口部分が黒ずんでいたし、他のものより臭くて濁っていた。他の樽ではワインかと思う透明な色のものもあったのだが、こいつはしいて言えば葡萄ネクター。
また、3年仕込みともいえるものにもかかわらず、半年経過した段階から竹の状態すなわち繊維束のほぐれ具合は変わっていないようだ。1年半前くらいにいくつかの樽は様子をみたり、水を追加したりしていたが、それ以降はまったく見ていない。ものによっては3年開かずにいたものもある。どれがどれだかは記憶にないが。
さて、引っ越しがおわれば、春が来る前にもうひとつふたつみっつと準備をすすめていく。ほんとやることは盛りだくさんだが、漉いた竹紙で本をつくるという、3年前にはそこまで思ってもみなかったことが近づいてきた。零下の吹雪さえもが苦にはならないほどに愉快になるわけだ。
注記:ワインのような液体の中にあったのを水洗してこの状態。気温0℃で匂わないせいか美味しそうですらある。
投稿者: omojiro
タカキビ餅の仕込み〜平成30年12月
我が家の年取り餅に使うタカキビの仕込みは夜なべ仕事。トーミで選別すれば早いのだが、いかんせん雨が続いて出番待ちする間にせっぱつまってしまったのだ。ゆえに夜なべ。昼に小さな土間の勝手で脱穀をはじめた。先ごろ手に入れた足踏み脱穀機でやってみたかった。これも雨のせいにしておく。
風選は夜。勝手口のドアをあけ、ボウルに小分けしたキビを暗闇に向かってふーふー吹き、殻やゴミをとっていく。
最初のうち、脱ぷ(殻をとること)は、すりこぎでやっていた。これも先ごろ購入した循環式精米機の出番のはずなのだが、こちらはまだ一度も試運転していないので、せっぱつまった状況では使えない。で、1合ほどを進めたところで、家庭用精米機を使うことにした。以前使ったときには、粒がくだけてしまい、大変歩留まりが悪く、もったないことになった。すりこぎを使うのは「もったいない」からだが、もちに使うぶんにはよいのではと考え直した次第。
結果、コツのようなものを会得できた。
くだける手前でとめる。そんな当たり前のことなのだが、見ていて、荒かった殻の粒子がすーっと細かくなるポイントでとめる。忘れてしまいそう。だから、こうやって書き留めるのだ。
あの感じ、忘れぬよう。
さて、搗く日は30日の午前。1週間は水につけておかねばならぬと自分でも書いていたのだが(タカキビ餅のぜんざい)、はや4日しかない。ま、いろいろ考えてやる。 畑もちを搗く〜その2 では、出来上がったときにまた。
三所の家を片付けながら
4年ほどになろうか、借りていた家を片付けている。片付けという「作業」は頭で考える限り、後ろ向きなものだ。生産性はない。後始末ともいうだろうし、撤退という意味ではやりたくない仕事の筆頭にあがってくるものだ。実際、軽トラで向かう道中、冬の寒さと空の暗さもあいまって気は重い。が、しかし、やりはじめると、これはこれでのってくるものでもある。掃除、整理、処分、廃棄。たたむ、はく、切る、水を汲む、捨てる。……などなど。
今日は、いちばん気が重かった屋根の補修(応急処置)をした。もう1〜2年早くやっていればと思う。ま、この冬をしのげればいいと思えばこその応急処置であって、だからできたのだとも考える。
というわけで教訓。まずはやりたくないことから手をつければいい。できそうになければ、できる範囲でけりをつけておくべし。このブログも、canpanにおいたまま、当面続けることにした。出版も、次の1年も、焼畑も、調査も、みんな、そんなものなのだろう。2017年(平成29年)1月6日の「三所の家」。あぁ、年明けても脱穀をしていたのだな2年前も。今年もこうなりそう。場所は変わるけど。
下の写真は、2015年(平成27年)5月の「三所の家」。きれいに見えるのは気のせいか。トタン部分はここから3年でずいぶんと劣化した。この年に応急処置的にペンキを塗っていればよかったのかも、しらん。
そう、木次の家もそうであって、少しへこんできたなあというときに応急処置的に手を打っておけばずいぶんと助かるものなのだ。春から手がけるべし。
本の記録〜2018年12月15日
島根県立図書館にて。半月ほど前に借りたものなども含めて。
◆借りた本
†.現代思想臨時増刊,2016.6『微生物の世界』(青土社)
†.D.モンゴメリー,A.ビクレー『土と内臓―微生物がつくる世界』(築地書館)
†.小泉武夫,1984『灰の文化誌』(リブロポート)
†.小泉武夫,1989『発酵―ミクロの巨人たちの神秘』(中公新書)
†.美篶堂,2009『はじめての手製本―製本屋さんが教える本のつくりかた』(美術出版社)
†.美篶堂著・本づくり協会監修,2017『美篶堂とはじめる本の修理と仕立て直し』(河出書房新社)
†.マイケル・ポーラン『人間は料理をする・下』(Michael Pollan 2013,Penguin Press,Cooked: A Natural History of Transformation/2014,NTT出版)
†.金子信博,2007『土壌生態学入門』(東海大学出版局)
†.保立道久,2012『歴史のなかの大地動乱―奈良・平安の地震と天皇』 (岩波新書)
【釈】
◉マイケル・ポーラン『人間は料理をする・下』
マイケル・ポーランはジャーナリストのようでありそうではない。そうとらえないほうがいいという意味で。大学教授、料理研究家、園芸家…複数の顔をもつ? それもこれも、彼が「食」に対してラディカルな問をもって向かうからだ。工業化された製品としての食が大量に市場に供給され、私たちはそれを「選択」し「消費」する。料理をする時間をけずり、また料理をしないのに、わたしたちは料理をつくる番組に釘付けになる。それはなぜか?ーーそれはこの書籍の邦題にあらわれている。人間は料理をする動物だから。
また、この本はわたしたちに「出会い」を用意するものでもある。食べ物のことで、世間の流れに違和感を抱いている人にとって、とびきりの出会いが。
「第4部 土〜発酵の冷たい火」はこうはじまる。
《死が身近に迫っていることについて、しばし考えてほしい。いや、対向車がハンドルを切り損ねるとか、ベビーカーに爆弾が仕掛けられているといったことではない。熟した果実の皮の上にいる大量の酵母菌のことだ。彼らはその皮が破れたら甘い果実に侵入して腐らせようと待ち構えている。あるいは同様の目的を持ってキャベツの上で待機している乳酸菌や、さらには、わたしたちが連れ歩いている目に見えない微生物のことを》
発酵の力とは分解する力であり、そのゴール(目的)は有機体の死である。有機物を無機物へと変えていくこと。そしてその死をもたらすものは目に見えない小さな無数の存在として、世界の中に偏在しているし、私たち自身の内部にも皮膚の上にもあって、いまかいまかと待ち構えているのだと。
この想像力と抽象力でもって、発酵というテーマが語りはじめられる。
※2019/01/05訂正加筆
アマランサスの脱穀
2018年10月9日。
アマランサスの脱穀を、午後も遅い時間からひとり、牧場の資材置き場でカンカン、ヒュンヒュンやった。15時10分頃から16時45分頃までの1時間半ほどで、570gほどの出来だ。試行錯誤の3年前よりはずいぶんと手慣れてきたものだと自分でも思う。
もっとよい方法もあるのだろう。岩手なり長野なりに取材にいけば、よい方法が得られるやもしれない。来年こそはと意をあらたにしつつも、今年はどうするのだと、オークションサイトをひらいて、精米機、籾すり機、足踏み脱穀機をチラチラと見る。
小麦と米の脱穀をどうするか、なのだが、量が少ないうちは、もう手でやるしかないだろうが、脱ぷについては、カンを頼りにミキサーやすりこぎでやるのは、そろそろやめにしたいし、失敗が多すぎるのは気持ちの問題ではなく、持続性の問題として。
あぁ、そして、小麦をまく準備をはじめなければ。手をかけない菜園畑でも、いまの時期は鍬を持ち出して畑をする方おおし。
大豆をつくればいいじゃないかと、オーナーからも言われているので、その作付けについても一考だ。小麦→大豆のローテーションをまわすためには、いつもより早く種をまいたほうがよいのかもしらん。
ウバユリ備忘
ウバユリのことをまとめておこうと書き記すもの。
記憶が散逸する前に、下書き段階からアップしはじめる。
◉宮本巌『摘み草手帖』
《早春、山野の藪や暗い谷間をのぞくと、色つやのよい放射状をした数枚の葉があちこちで顔を出している。この威勢のよい葉を見る限り、ウバユリの名は当たらない》
この名文ともいえる描写と簡潔なイラストが素晴らしい。なにが名文かって、植物の種類がとんとわからない私でさえ、この一文だけ読んでいた記憶が山の中でよみがえって、「これ、ウバユリじゃないか」と発見することが容易にできたこと。
そして、この記事があったからこそ、食べてみることを躊躇なく試みたわけだ。
油で揚げて、ほくほくのものを食した。
◉日原町史の記述
のちほど。
地域名が記されていた。牛が食べたとも。人間は根を葛根と同様食用にしたと。
○奥出雲町阿井の山中にてみたもの
>
○椎葉クニ子
オスとメスが年によって交互にでる。
オスは茎をのばして花を咲かせるが、メスは茎を伸ばさない。根を食べるのはメスのみだと。これはどこにもそう書かれていたのをみたことがない。
○牧野富太郎の著述
のちほど。
本の記録〜2018年9月30日
島根県立図書館にて。台風24号・チャーミーが巻き起こす風雨がしだいに強まるなかで3時間程度滞在。
◉<a class=”keyword” href=”http://d.hatena.ne.jp/keyword/%B3%C1%CC%DA%C2%BC”>柿木村</a>誌編纂委員会,S61.『柿木村誌』自然編:宮本巌,歴史編:岩谷建三,民俗編:酒井薫美(柿木村)
◉<a class=”keyword” href=”http://d.hatena.ne.jp/keyword/%B8%BD%C2%E5%BB%D7%C1%DB”>現代思想</a>2017.3月臨時増刊号,総特集「人類学の時代」(青土社)
◉<a class=”keyword” href=”http://d.hatena.ne.jp/keyword/%CA%BF%B4%E4%CA%C6%B5%C8″>平岩米吉</a>,1992『新装版・狼ーその生態と歴史』(築地書館)
◉森山徹,2011『ダンゴムシに心はあるのか』(PHP)
◉岡ノ谷一夫,2010『さえずり言語起源論ー新版 小鳥の歌から人の言葉へ』(岩波書店)
ほか、あたったものをあげておく。
◆松浦章,昭和18『焼土の肥効と利用法』富民協会……一部複写
◆古長敏明,1966『大分県椎茸史』(大分県農業振興運動協議会,農振教養シリーズ;3)……一部複写
秋の火入れ雑感
火入れが近づくにつれ、そのことばかり考えることになる。「とらわれてしまう」あるいは「まよいなやむ」ともいえるが、数式を何度か組み替えて計算し直す感じに近い。たとえば、さまざまなシミュレーションを繰り返すという形をとる。前提条件がひとつかわれば経過も結果もかわってくる。そのパターンはじつに多岐にわたる。雨が3日前に降った場合、2日前に少し降った場合、当日朝から北西の風2mの場合、無風だが午後から北東の風となる予報の場合、15人集まる予定が10人となった場合、次の日が雨になりそうな場合、前日の雨がひどく延期を決めた場合……、などなど。ファクターは組み合わせも含めると人間の思考回路にとっては無限ともいえるほどにあるのだから、いくらやってもおっつきはしない。
だが、今回ばかりはいつもにましてかなり限定的であった。
「まず燃えない」
これが大前提。 まかり間違って勢いよく、いつもどおりに燃えた場合ーーを考慮した準備をどこまでするか。これに少々頭を使ったくらいなものだ。だからこそ、余計なことを考えてしまった。とくに終わってから。
予期した範囲を少し下まわるくらいに、燃えなかった(=延焼が起きず、予定区画の2割弱を燃やした)。燃えるって何だろう、ということや、これまでの振り返りなど。 「ぜんぜん燃えてなかったね」と遠くから眺めた人がいうよりは燃えている。ちょっと写真でみてみよう。 車で通る道から眺めるとこんな具合。
近寄ってみれば、こんな具合。
さて、燃えるって何ということについて。今回、11時ごろに着火して、19時くらいまでは燃やし続けているので、8時間かけている。これが「燃えた」といえるときならば、どうなのか。
約5倍の面積と量を4時間以内で終えているだろう。
この違いはなんなのかということがひとつ。さらに敷衍するのならば、「燃える」ことの違いを「酸化反応」とあわせて、解いてみると、焼畑がなんなのかってことも、また違った面で捉えられるのかなと思った。錆びるのも燃えるのも同じ酸化であり、発生する(放出される)エネルギーも変わらないはず。
ゆっくり燃えるか、早く燃えるかの違い、なのか、どうなのか。などなど 。
下の写真は時間内に燃えきらんかったので、火切りをしている様子。
秋焼きの準備
今週末、「夏の忘れ物」をとりにいく。焼畑の火入れである。 島根大学里山管理研究会が中心となって、昨年から竹を切り、動かし、準備してきた場所である。当初の計画では、8月に火入れして、4年ほど種取りを続けてきたカブ(山形県一霞の温海かぶ)を蒔く段取りであった。が、いかんせん、準備(人手)が足りず、延期に延期をかさね、ここまできた。秋雨が続いていて、一度はカラカラに乾いていた土も竹も、ずいぶんと湿ってしまっている。焼けるかどうかは微妙なところだ。
火入れ地は、北向きの斜面であって、日照こそよくないが、土はよい。だから8月上旬の暑い時期にまいても、発芽直後に死なせてしまうリスクも低かったろう。 昨年は8月10日(だったか)に蕎麦をまいたのだが、その後、雨がまったく降らず、土も固く(馬の背にあたる土地)、ずいぶんと種を死なせてしまった。9月も下旬になると、今回火入れする斜面はほとんど陽があたらない。場所にもよるが平均して1日1〜3時間ほどではなかろうか。ここにカブを蒔くのは少々遅すぎる。小さくとも育たなくはないだろうが、虫に食べられやすい幼葉の期間が長くなり、コオロギたちにとっては喜ばしい限りであろうが、カブとして成育する前に食べつくされてしまうかもしれない。
† 1. そうした虫害を少なくするためには、日当たりのよい場所へ虫が食べ尽くせないほどに厚めに蒔く、そして適切に間引きするということがポイントのひとつとなる。 下の写真は昨年10月5日。8月上旬に火入れした場所で、蕎麦が育たなかった場所へ、8月下旬〜9月初旬、カブの種をまいたところのもの。
† 2. 今回の利点は、土がよい(おそらく)ということ。諦めてしまったもの、試したかったものを少量まぜてみるのもよい。多品種混作である。候補は津田カブと地カブ(正月カブ)。地カブの種が残っているかがこころもとない。家の庭で芽を出し始めているので、移植するのもありかもしらん。 けれども、交配しやすいものを置くのはちょいと気が引ける。数年は面倒をみないといけないから。春に花が咲く前に取り除くこと。発芽しなかった種は遅れて咲くので、それらも気をつけておかねばならんし。やめときましょ。言い出したことだけど。津田カブは1年目に撒いて、おそろしく発芽率が悪かったので、山の畑、焼畑には向かないのだろうという仮の結論を出して、2年めからはやっていない。
† 3. 牛を入らせないための柵をつくる手間の問題もある。どの程度の面積に、どう配置するかということ含め。また、なにも蒔かない場所をつくるのかどうか。裸地をつくるのは土がよい(別視点からみれば流亡しやすい)だけに回避すべき。
† 4. 基本方針としては、柵をつくった内側にカブ。虫にやられてしまい、生育に希望がもてない場合、10月下旬に古代小麦をまく。柵の外側はのらぼう菜を少し。か。
今日の山畑、アマランサスの収穫のはじまり
秋焼きの予定を週末に控え、天気予報を数時間おきに確かめてしまう日が続いている。
10日ばかり前の予報では、今週は晴れの日が続くはずだった。ところが、日を追って曇りマークがふえ、雨マークがふえ、じょじょに降雨の時間もふえ、予想雨量もふえ続けている。お天気とはそんなものだ。人の期待や願望にそうものではない。あぁしかし、土日の降雨だけは……、と、いまのところこの願いくらいは叶えられそうだ。さて、春にまいたアマランサスは先週に収穫する予定であった。それが雨でながれ、明日に計画変更していたのだが、どうやら明日は雨になりそう。ならば、とれるもの、倒れやすそうなものだけでも今日取り込んでしまえと思い立ち、急遽刈り取った。 大きなものを6〜8本か。いちばん背の高いものをはかってみたら、2m70cm。でかい。播種したのが確か6月10日だったので、90日ほどでの収穫となる。
ほか、いくつかの状況を確認したので、以下かんたんに。
◉陸稲 みてのとおり、よくない。元気がない。よい株もあるので、1ヶ月後に。
◉サトイモ 焼き畑でサトイモというのは馴染みが薄い、かもしれないが、九州・四国の焼き畑ではかつてよくみられたものらしい。南方の焼畑文化の残存形態とみる有力説として、研究者には既知のことではある。それはさておき、夏の日照りにもよく生き残って、なんとか収穫できそうな感じですよ、これは。土を盛っておいたほうがよいかもしらん。三刀屋のとある農家のじいさんが地場のものをずっとつくっておられて、間接的にゆずってもらったものなのだ。うまくできたら、お返しせねば。
◉ホンリー 小池教授の実験的栽培なのだ。赤、ピンク、黄色の彩りが美しい。まだ食べたことがないのだが、台湾キヌアと呼ばれているのだから、キヌアとしてあつかえばよいのでは、と思う。
◉タカキビ 実の入りが悪い。そもそもが遅かったので、こうなるよね、というほどのこと。せめて秋雨がすぎて明日からでも晴天が続けばねえ。と思ってはみるのだ。
◉モチアワ 忘れてた。鳥の存在を。そろそろ色づいてきたかなあというものから啄まれている。種取りしたいものだけでも網をかけようか。網、かう。
◉サツマイモ 2年前は、モチアワ、タカキビ、ホンリーが牛に食われて、サツマイモなどまったく口にされたものではなかったのに。今年はタカキビもホンリーも陸稲も、そちらには目もくれずにサツマイモの葉と茎がこれでもかとばかりに食われてしまった。どうして? とりあえず、こんなところ。