都市農村交流の本気とは

 本気でやるとはどういうことか。

 端的には生死がかかっているということ。ことの軽重にかかわらず。それは、個が、身体的なもの、感覚的なものを通して、世界との接続がある場合である。

 ただ、生死を賭する経験など21世紀の日本社会ではのぞむべくもないし、それどころか、さらに、ますます、どうしようもなく、そうした経験を削ぎ続けようとするのが「時代の流れ」である。わかりやすく、この流れを、安心・安全至上主義社会と呼んでみる。

 道路の側溝におちて誰かが怪我をしたとしよう。さて、こうした場合、本人の落ち度はともかく、誰かの責任が追究・計量されねばならない。なぜなら、側溝に落ちて怪我をするということは「あってはならない」ことだからだ。交通事故とくらべるとその対象性がよくわかるだろう。交通事故は道路のせいでも車のせいでもない。事故にあってしまった当事者の双方がその責任を分担して担うということに「都合上」なっている。この都合は社会の仕組みに深く組み込まれているので、ふだん自覚することはない。社会内に発生する件数が膨大であることからもそうしてしまっている。

 いっぽうで、側溝に落ちるという事故は件数もすくなければ問題となることもない。いやなかった。問題となりはじめたのは近年のことである。つまり、たとえば、ガードレールを設置しろという陳情が管轄部署に入るのだそうだ。さすがにそれはおかしいという意見が今現在においては多数をしめるうようで、見聞したニュースの構成もそういう展開になっていた。「おかしいよね」と。

 さて、日本の風景の特徴のひとつが、どこまでいっても道路にガードレールがあるということだ。しばしば思う。人の少なくなる田舎に特区をつくるとしたら、ガードレールを撤去すればよい。それだけでずいぶんと景色がよくなるはずだし、見えなかったものが見えてくると思う。それだけではない。心理が変わるはずだ。不安だ危険だと感じるのであれば、車のスピードを落とせばいいだけのことだ。ゆっくり走ることで、そこでの出会いが豊かになるはず、と夢想してしまう。

 さて、ここまででおわかりになるだろうか。唐突ではあるが。そう。「安心・安全」は、人から本気を奪っていく。そう思いませんか? 整理軸その1を展開するとこうなる。

  

安心・安全 |  本気

   人工 |  自然

 安心・安全と対になるのは、不安・危険ではないかという向きもあるだろうが、ここで整理した二項は対立軸ではない。整理軸その2として補訂を以下に。

安心・安全 |  本気

   人工 |  自然

  同一性 |  異質性

  経験知 |  経験

 電脳空間 |  現実世界

あらゆる道にガードレールがめぐらされた世界 |  そうでない世界

 さて、ここでなぜ都市農村交流が出てくるのか。

 都市農村交流とは、その本質において、上の左と右の世界が交流するということだからだ。しかるに、いまのニッポンでは農村がかぎりなく左の世界に傾いている。これじゃ都市農村交流にならんという事例にみちみちている。

 だから、である。「本気」で都市農村交流を目論むのであれば、もはや、海外を視野にいれる必要がでてきていると、そう訴えたいのだ。

 たとえば、獣害。

 獣害対策がジビエにしろなんにしろ、じつはうまくいきそうもないということを最近耳目にすることが多い。ならば、ミャンマー、タイから狩猟民族を呼ぶべきである、いまこそ。交流なので、こちらからも出向く。

 とどのつまりが、焼畑と狩猟を本気でやってみようじゃないか。ということです。はい。

 なぜか。彼らは本気だから。

 本気というのがどういうもの・ことなのか。

 学ぶことがあまりに多すぎて目眩がするだろう。どうです。

 で き る か な。

竹の焼畑2017~sec.10

6月18日(土)焼畑地状況(2017春焼)です。
この日、最高気温は28℃程度か。「梅雨入り」してからほとんど雨が降りません。梅雨の定義をよく知りませんが、もはや梅雨ではない、でしょう、これは。「作物栽培」にとってはシビアな日がつづきます。
◉発芽成育状況

・ホンリー…順調です。同じヒユ科である昨年のアマランサスと比較するに発芽が均一で、大きさが揃っています。
・タカキビ…発芽ステージは終了か。手がまわらずまけてないところ多数。蒔きたいところ。

・モチアワ…播種から1ヶ月以上たって多少出てきました。部分的にでも追い蒔きしつつ、少しでも追っかけ種をまいていきます。
・ヒエ…順調。この倍くらいは隣地にまきたかったのですが、今年は断念します。牛が少し食べてました。昨年は誰か(シカ?)にごそっと食べられたのですが、タカキビ、ホンリーには手を出していないところをみると、ヒエはうまいのかもしらんですね。
・サツマイモ…草にうもれつつありますが、まだ大丈夫でしょう。
・ツルアズキ…発芽は確認できず。
◉草刈り
東端裾が薮化しつつあったので刈払。
◉その他
モチアワ、アマランサスは6月播種でも収獲までいけるかもしらん。中山のほうが土がやわらかいので、そちらでまくのもよいのですが、この場所は土が粘土質&竹の根がまだガチガチのために、鍬の刃がたたず、耕起難。機械でとも思うのですが、大変危険ですね。刃の使えなくなった刈払機で浅くかいてまくかとか、思案中。です。

しゃえんば

「畑には家の近くにある菜園場(しゃえんば)と、家から離れた畑にわかれる。前者では四季折々の野菜をつくり、それは毎日の食卓にのった。また少し離れた畑では、麦、大豆、粟、きび、とうもろこしなどの雑穀類のほか芋類、朝を栽培した。大正になると養蚕が始まり、菜園場以外は桑畑にして盛んに桑を作り養蚕をした」(新修木次町誌、平成16)

 これは、<昭和30年代まで残存していたもの>として、町誌が記載しているものだ。新修版が出る前、昭和47年刊の「木次町誌」には「しゃえんば」という言葉はなかったと思う。もう一度図書館で確認してみたい。気になって仕方がないから。

 件の新修版の記述は、《記憶からも消えてしまう前にここに記すものだ》として書きすすめられている。昭和47年刊の旧町村ごとに記された民俗編の詳細さと比べれば、ずいぶんとあっさりそぎおとされている。それでも、「しゃえんば」が出てくるのは編集・執筆子がもつ傾向もあるのだろうが、しゃんばがいよいよ、どんなものだかわからなくなっていく時代だったからではないか。

 それが証のひとつとして、新修版では家の近くにある畑をしゃえんばと語る一方で、家から離れた畑をなんと呼ぶかがない。いや明示はされていないのだが、菜園場の次項としてある焼畑であろう。そして焼かない焼畑もあった、同箇所に「場所のよいところは削って山畑にする場合もあった」とある「山畑」は焼畑を包含する概念として「菜園畑」と対になるものではないか。

 ここで仮説をたててみよう。

 山陰地方において山畑という呼称は江戸の終わりごろからあらわれて、昭和30年代をもって消えていったのだ、と。

 次回は、『聞き書島根の食事』にあらわれる「山畑」の比較を整理してみたい。農文協から平成3年(1991)に刊行されている「聞き書」である。この本、聞き書きされているその内容が、困ったことにいつの年代のことかがわからない。さまざまなところから類推するに、おおむね昭和20年代から30年代の生活のようだ。要するに戦後しばらくの生活。民俗調査も盛んだった頃だから、納得もされようが、これがやややっかいなのは、明治の終わりから大正にかけての生活の激変時代を通過しているという問題がひとつ。そして戦後の生活改善運動の影響をどうこうむっているのかがよく見えないということ。このふたつに留意したい。したいのだが、そのためにはもっともっと読み、聞きを重ねないと「読めない」のだと思う。ただ読める前に寿命がきてしまうことをおそれ、ここに断っておくだ。自戒もこめて。

 

 さて、この稿では辞書からのアプローチをやってみる(おいおい整理する)。

 菜園が方言としてさまざまなバリエーションをもっていることが国語辞典や方言辞典をみるとわかるのだが、島根県ではとくにその数も多いようなのだ。

 日本国語辞典では「菜園」の項は、こうなっている。※数字は出典番号である。

「さいえん(菜園)」の変化した語。

*玉塵抄〔1563〕五「これからしてはたけさえんなど心がけてひっこうでいもほりしてすぎうと云に学圃とかくぞ」

*和訓栞〔1777〜1862〕「さえん 菜園也、今対馬にて、さいえんと云へり」

(1) 菜園。野菜畑。主に、自家用のものを作る畑や、屋敷内の畑を言う。 山形県139/ 兵庫県652664/ 島根県725/ 広島県054776/ 香川県小豆島・豊島829/ 愛媛県840/ 熊本県919/ 大分県938/ 鹿児島県薩摩963/ 肝属郡970

《さーえん》 熊本県芦北郡919

《さえもんばたけ【―物畑】》 香川県大川郡829

《さえんじ【―地】》 香川県小豆島829

《さえんじり》 高知県土佐郡866

《さえんだ【―田】》 福井県武生市430

《さえんば【―場】》 青森県三戸郡083/ 兵庫県加古郡664/ 島根県725/ 広島県高田郡779/ 山口県阿武郡797/ 香川県綾歌郡・高見島829/ 愛媛県840/ 熊本県球磨郡919/ 鹿児島県肝属郡054

《さえんばた【―畑】》 静岡県磐田郡546/ 島根県石見725

《さえんばたけ》 青森県三戸郡083/ 新潟県佐渡348/ 島根県石見725/ 熊本県南部919

《さえんばつけ》 鹿児島県肝属郡970

《しゃーえんどころ【―所】》 熊本市919

《しゃえもんば【―物場】》 島根県簸川郡・出雲市725

《しゃえん》 山梨県455/ 南巨摩郡465/ 愛知県知多郡569/ 兵庫県淡路島671/ 和歌山県東牟婁郡704/ 鳥取県西伯郡719/ 島根県725/ 徳島県811/ 香川県829/ 愛媛県840

《しゃえんじ》 山梨県南巨摩郡465/ 徳島県811/ 香川県大川郡・香川郡829

《しゃえんじり》 徳島県那賀郡813/ 愛媛県宇和島市040

《しゃえんば》 福井県武生市430/ 島根県725/ 香川県大川郡・三豊郡829/ 熊本県北部058919

《しゃえんばた》 愛知県中島郡567

《しゃえんばたけ》 島根県出雲725/ 熊本県919

《しゃえんやま【―山】》《しゃやんば》 島根県隠岐島725

《しゃんば》 島根県邇摩郡725

《しゃんやま》 島根県隠岐島725

《せーえん》 熊本県天草郡919

《せーん》 青森県上北郡082

《せんば》 福井県武生市430

《そえん》 鹿児島県大隅963

(2) 野菜類。 岩手県九戸郡088/ 新潟県佐渡 「さえん売り」348/ 長野県上伊那郡488/ 静岡県磐田郡546/ 山口県大島801/ 愛媛県840/ 高知県864/ 高知市 「うちの畠でさえんは充分に作ります」867

《さえもの【―物】》 宮城県栗原郡114/ 徳島県810

《さえんもの》 青森県三戸郡083/ 山形県139/ 福島県相馬161/ 新潟県佐渡352/ 静岡県520/ 兵庫県加古郡664/ 山口県防府市791

《しゃうえんもの》 愛知県海部郡・名古屋市549

《しゃえもん》 徳島県810

《しゃえん》 山梨県南巨摩郡463/ 長野県上伊那郡488/ 下伊那郡492/ 岐阜県羽島郡498/ 愛知県尾張567/ 愛媛県840/ 高知県861

《しゃえんもの》 山梨県南巨摩郡465/ 愛知県名古屋市562/ 島根県出雲・隠岐島725/ 徳島県809/ 香川県仲多度郡829

(3) 野菜を作ること。畑作。 青森県三戸郡 「さえんする」083

《しゃえん》 愛知県名古屋市562

《せーん》 青森県上北郡082

 一方「山畑」はどうか。これが意外にというかやはり(予想どおり)少ない。

やま‐ばた 【山畑・山畠】

山または山手にある畑。山間の畑地。やまばたけ。

*名語記〔1275〕六「山ばたなどにつくるきび、如何」

*為重集〔1380〕「山はたに立し烟の下蕨峰にもをにも今ぞもゆらし」

*大島奥津島神社文書‐明応元年〔1492〕一二月四日・奥島惣庄掟「さやうの人の山はたあるは、惣庄ち行となる可事」

*地方凡例録〔1794〕二「山畠と云は、村居に離れたる山方に畠地有〓之、本村下々畠よりも地面不〓宜」

方言

(1)山にある畑。《やまばた》香川県大川郡829

(2)焼畑。《やまばた》長野県上伊那郡012奈良県吉野郡688《やまはた》香川県三豊郡(山を焼いて蕎麦(そば)054《やんばた》長野県上伊那郡010

 今日のところはここまで。

境港で水揚げされたクロマグロに思う

facebookの投稿をみた。

「今朝の築地  境港から入荷したまき網のクロマグロは234本中、184本が売れ残り。何年経っても愚かな漁をしています。一番不味い時期に大量に獲る。世界の笑われ者です」

https://www.facebook.com/uminomirai/posts/620320924836450

日本にかぎらず、人間がつくる組織では、わかっちゃいるけど「止められない」事態はしばしば発生すると思う。巨大で複雑化すればするほど。巨大化・複雑化に対して部分最適を重ねることが、日本国内ではとてもよく発展してきた。電気や自動車をはじめとした多くの製造業がそうであるように。もっとも小さな企業でもよく見られる。とりわけ事業がうまくいっていないときはそうだ。

漁業についても、そうであろうことが、この短いコメントなどから伺いしれる。バカなことに見えるかもしれないが、存外バカでもないことも、なんとなくわかる。

これは、単純にみえるかもしれないが、とてもやっかいで、ただひとつ、私が思うのは、「言葉」をきちんと組み立てて話すということだ。具体的なことのひとつで、すぐにできることが、感情的な釣りをあまり使わないこと。愚かだとか。笑われ者だとか。

自戒もこめての感想。

境港方面へは、年に数回は訪れて美味しい海鮮丼のお店に行く。日本海海洋資源については「私たちの海」という感情も多少あり(目にするしその匂いを嗅ぐし、マグロはほとんど食べないが他の魚はよく食するし)、気に留まったので記しておく。

主要農作物種子法を廃止する法律についての雑感

 先月であったか、議会を通ったのは。主要農作物とは、稲、小麦、大豆だったかな。稲にとっては戦後何度目かの大きな曲がり角にはなると思う。これで、稲作が大打撃とか、壊滅とか、乗っ取られるとか、まあとにかく最近は煽りが多い。とりわけウェブ上には。

 たかが法律、されど法律。社会の仕組みの根幹をなすものでは、ある。だがしかし、これほど大事なことを法律だけに委ねてしまってきたのだから、それは甘んじて受け入れざるを得ないだろう。どのような運命・結末を招くにせよ。

 そもそも。

 種子は公共のものである。

 何を意味するか。

 行政、内閣、司法にゆだねるものではない、ということだ。ゆだねてまかせてブーたれるもんじゃない。公共とはそういうものだ。種子は食べることのおおもとである。市民であれ、農民であれ、労働者であれ、年金生活者であれ、無職であれ、食べることはみんなの問題なのだ。問題としてそこにタッチしないといけないし、毎日何を食べるかということの中にその意思や決定が反映していくものなのだ。

 そういう意味で、この法案の可決で日本の稲作がズタボロになるのであれば、その前に日本そのものが終わっている、としか言いようがない。

 種子の問題だけが問題ではない、食を生み出し整える人とものと制度は、みんなで、支えて、いくことだと、思う。

 参考文献をふたつあげておく。

西川芳昭,2004『作物遺伝資源の農民参加型管理ーー経済開発から人間開発へ』(農文協)

 西川氏は先の参議院農林水産委員会参考人として意見を述べられたが、発言の冒頭に意見の趣旨をこうまとめられている。

《種子は公共のものであるということです。誰か個人のものではない、または特定の企業が所有するものではない》

と。

 この著書は氏の博士論文を基調にしたものである。「その多くが農民によって作出・継承されてきた作物遺伝資源は、持続的農業を行なっていくための最大の資産である。これを専門家だけの手にゆだねるのでなく、NPOや農民の参加を含む多様な利用・管理のあり方を提唱」。

 専門家だけの手、行政だけの手にゆだねてはならない。

 その通りであり、そのためには、専門家、行政、市民、異なる立場をつなぐ存在が必要だ。こういうと、それをコーディネータとかリーダーとかキーマンとか様々な呼称をつけたい気持はわかる。わかるのだが、そりゃ違うんだと思う。強い専門家、すぐれた行政マン、すぐれた市民、の中からその役を一時的に担う「べき」なのだ。

 専業化への道は個別においてはありだが、制度や流れとして開くべきではなかろう。劣化がはやいと推察されるから。

 閑話休題。もう1冊はこれ。

増田昭子,2013『在来作物を受け継ぐ人々ーー種子(たね)は万人のもの』(農文協)

 「第4章 作物遺伝資源管理における公的研究機関と農民の協働」を今すぐにでも読みたい。〈内戦後のルワンダにおける在来作物品種の復活〉、〈広島におけるローカルジーンバンクと農民の協働〉。ちょいとググってみたのだが、先の西川氏の著書とあわせて読み、加筆することとしよう。

 各都道府県のジーンバンクへの影響はあるのだろうか。もしあるのだとしたら、それこそ県民がささえなければならんと思う。

船越 建明「広島県における在来種種子の保存とその利用の取り組みについて」特産種苗 第14号

 

 さて、私は焼畑をきっかけに種をとるということをはじめて2年目となる。素人のなぐさみ程度のものであるが、一粒1ミリほどのアマランサスの小さな種が、小さな小さな芽をだし根をのばし、2mを越す背丈となり、多くの種、私たちにとっては稔りをもたらすことを、「時」とともに体感知覚することの意味と意義を深めつつ、強くすぐれた市民たることをめざそう。

 以上を備忘的に記す。のちほど加筆整理します。

 

浴室のコーキング

 気にはなっているけど、手をつけてないこと、つけられていないこと。そんなこと、誰にだって両手にあまるほどある、と思う。私のなかで、そのひとつがぽろっと足元に転がった。

 それは浴室のコーキング。

 そう。ずーっと気にはなっている。

 古い家でも浴室は新しくしてあるところが多い。新しくなった時代はそれぞれ、風呂釜の材質もそれぞれであろうが、水が漏れないということは大事な要素だ。築年50年以上の古い家を、少なくとも50以上は見てきたように思うが、壁材との間をコーキングでうめている場合が多い。最近じゃラバー状のもの(シリコン?)が多いのだろが。

 そして、このコーキング材は必ず劣化する。ひびが入るくらいならまだよいが、かけて穴があき、そこから水がダダ漏れとなるとかなりよろしくない。

 我が家の浴室の場合、収縮して隙間ができている。そのスリットはごくごく薄いものではあるが。ダダ漏れではなくても、それなりに水はもれている、はず、だ。気をつけてそこに水がかからないようにはしているけれど。

 もれた水がどこにたまるかはわからない。たまるまえに蒸発してくれていればよいが、湿度はつねに高い状態であると思われる。しかも、浴室の床下をどう施工しているかはわからん。密閉状態なのだ。もともと増築したところへつくってあるので、母屋に影響が少ないだろうことが救いではあるのだが。

 そういえば、と言いながら話をそらすことをお許しねがいたい。

 コーキングの補修が必要な浴室ではなく、古いほうの元浴室はおもしろい構造である。浴室、キッチン=台所という場所は家屋のなかでも変遷いちじるしい区画である。我が家の場合は、屋外に焚口があったのだろうが、なくなって、いまは土間だ。その片鱗は外壁にのこっている。戦後普及したとおぼしきピンク色のタイルが腰壁に残る浴室は、その後、灯油のボイラーで湯をわかす方式に変わった時代をへて、いまは物置となっている。腰から上は漆喰塗りだ。天井は板張りで中央に湯気を逃がしていたらしい四角い窓がある。あまり見ない形だ。

 さて、60年ほどの時を刻んできた小さな平屋の家。大切にするということは、手をかけていくということ。1週間は温泉に通う時期をつくって、乾燥させたのちにシールするんだろうね。多少けずったほうがよいのか、いまある上からいくのか。コーキングをとる道具もいくつかある。マイナスドライバーあるいは他の小さなスクレイパーでも事足りる、気も、する。そういえば買っていたような、気も、する。

 ……といったところまでで、1ヶ月後に再考ね。

 

竹の焼畑2017~sec.8

晴れのち曇り、西の風、ときおり強く、気温は12時で26℃くらい。暑さは感じず、快適でした。久しぶりの山仕事で、筋肉が張り手には豆をつくってしまいました。
さて作業時間は11時〜14時半(うち休憩20分)。参加者は1名です。
6月10日(土)
焼畑地状況:2017春焼地》
◉発芽成育状況
・ヒエ…順調。

・ホンリー…大量発芽。密です。2週間後に間引きか。


・タカキビ…発芽率4割程度か。順調。

・モチアワ…播種1ヶ月を経過して発芽率は1%以下です。追い蒔きするつもりでしたが、非耕起エリアにいくつかちいさな芽がみられるので、あと5日程度様子をみることにしました。他のイネ科の雑草かもしらんのですが。
20170610-P126002102
◉草刈り
蕎麦等栽培予定地を草刈り。
◉その他
牛が山を越えて2〜3回程度入ってきています。
ホンリー、タカキビ、ヒエは食べられるかもしれません。柵をつくれればつくりたい。
《2016夏焼後蕎麦跡地》
◉発芽状況
・アマランサス…やっと発芽を確認。ただし数量わずか。

・モチアワ…いまだ発芽0。
◉播種
上記の下の段に鍬入れしてアレチノギクをとりのぞいた後に、モチアワ(松本在来)を、その北西部にアマランサス(種取した赤穂中心)をまきました。

◉その他
牧場で依頼しているきこりさんの草刈りが入りました。きれいに刈られましたねえ。3人役で0.7日くらいか。

《2016夏焼後カブ跡地》
◉発芽状況
モチアワ、アマランサスともに認められず。0。

竹の焼畑2017〜sec.7

明日、山へ行って発芽状況の確認をする予定。状況によっては追い蒔きも。そして耕起&種蒔きと苗植え少々もある。その前に前回の記録をさくっと。遅ればせながら。
6月4日(日)最高気温24℃(おそらくこのくらい)
11時30分〜14時00分 1名にて作業。
・中山の再生竹処理(伐採あるいは頭切)
・草取り、発芽状況確認。

西志和の焼土の風景

 宮本常一著作集21「庶民の発見」を借りてきて読んでいる。じつは24巻の「食生活雑考」を借りるつもりが間違えたのだ。図書館に地下書庫から出してもらい、中をみずに持ち帰ってしまった。しまったなあと思いながら読み進めると、しかし、これぞ僥倖であった。いくつもの発見があったのだが、「粗朶ってなあに?」でも書いた焼土の風景もそのひとつ。

《三月の夜の野は冷たく静かだったが、煙のすっぱいようなにおいが一面にただようていた。そして田圃のところどころから煙がたちのぼっているのが夜の目に見えた。焼土を行っているのである。夕方、田圃のそこここで大きな火をもやしているのを見かけた。その上に土をかぶせておけば土がやける。ここではそうして土を若がえらせている。そのほの白いけむりと甘ずっぱいようなにおいが私のこころにしみた》

 宮本はこの村の人物をたずねている。「丸山さん」と呼んでいる当時の村長である。「百姓の血の中には野の草のような根づよさがひそんでいる。丸山さんはそうした百姓の血をもった一人である」。その丸山さんがはじめたことなのか、その昔からあった風景なのかはわからない。「おしゃべりが大変好きだ」と自白しながら書き進める宮本はなにを、ここに感じていたのか。

 太田川の支流の奥にひろがる盆地であって、それはひどい湿田地帯だった村を、仲間とともに乾田へと「改良」していった丸山さん。それは暗渠排水の工事だというが、「その苦心はひととおりのものではなかった」という。

 竹はこの地域にはなかったようだ。であれば明治の終わりから昭和のはじめにかけて行われたその工事には粗朶をつかったのではないだろうか。焼土の煙は粗朶を燃やすものであったように思えるが、思えるだけであって、いまだ臆見にすぎない。ただ、この宮本が見た風景を、まぶたの奥にこれからなんどが浮かべながら、他の資料をあたってみようと思う。

《峠の上に立って見るとその白いけむりが平らに海のようにただようて、村の家々はその下にかくされていた。不思議にものしずかな、しかししの白さが星の光を反射してかほのあかるい風景であった》

 そう。昔あったその風景を写真ではないものから想像してみるのは、楽しく、刺激的なことなのだが、この宮本のテキストからは、絵になる前の何かを、それを絵たらしめてる何かへの思いがたちこめているのだ。

 そう。宮本がつくったというあの有名な句を思い起こしてみよう。

「自然は寂しい。しかし、人の手が加わると暖かくなる。その暖かなものを求めて歩いてみよう」

 資料にあたる。いまから数十年前には探し求めればあった「その暖かなもの」はいまはさらに少ない。いや、だからこそ、車をおりて、歩いてみようと思う。

 同じく「歩く人」であった、宇沢弘文が車を使わず走って大学まで通ったその意味とも重ねながら。

今年はチョウの姿を見ない

 5月に実をつけ、楽しみにとっていた庭のジューンベリー。昨年はヒヨドリと競争になり、けっこう負けていた。今年はそこにスズメも参戦してきたので、われら人間のとりぶんはずいぶんと減ったのだった。ヒヨドリは単独でやってきてぺろっとまるごと食べるのだが、スズメの口には実が大きすぎて、そうはいかない。よって、食べかけの食い散らかしが多くなるし、枝にとまる時間も長いので、スズメ同士でも喧嘩になるようだ。たいてい3羽くらいがせりあってチーチーと叫びあっていた。

 そんな5月も今日で終わり、ジューンベリー狂騒曲もFin.となったのか、庭がずいぶんと静かだ。今年はいろんな鳥たちの声が聞こえる。おそらく、生息域が大きく変化したせいだろう。冬の時期にすぐそばの河川の河畔林が皆伐された。サギの一大コロニーとなっていて、裏山にもずいぶんと巣をつくっていたものだが、今年はさすがに激減、というより絶滅・壊滅にひとしいありさまだ。

 どうなるかなあと思っていたのだが、他に生息地を見つけたのだろう。この地からはおそらく数百から千のオーダーでサギがいなくなったことになる。人為的改変によって。すると、当然、サギに追いやられていた他の競合種が勢力を伸ばす余地がドカンと生まれたことになる。

 私が鳥の声や種類がふえたと感じるのは、そうした変化によるものなのだろうと思う。

 一方で、減った(と感じる)ものがチョウである。もともと少なかったのだが、今年はとくに見かけない。裏の畑でモンシロチョウをみたのと、黒い羽のものを線路のそばで見たくらいではないか。鳥とどう関係するのかはわからないが。草刈りや水路の影響だろうか。降雨が少なく気温が高い今年の気象の影響だろうか。

 10年くらい住み続ければ、変化に対してもっと言えたりわかったりするのだろう。2017年・平成29年の春の終わりの感想として、端書してみた。