頓原で藁馬をつくる#1

10月28日。午後より頓原交流センターでトロヘイの藁馬づくりを教わる。講師は、現在、張戸地区の小正月行事・トロヘイにおいて、藁馬づくりを子どもたちに教えておられる方だ。最初に公民館長の石川さんから当該地区トロヘイの概要を教えていただく。”生徒”は私含めて3人ほどのプライベートレッスン的なもの。

正直最初は、つくるほうより聞くほうに専念しようかと思っていたくらいだが、やってみていろいろ思うところあった。藁をしつける上手い下手ってあきらかに才能だなあとか。私は下手。だからわかるのだ。たぶん自分が持っている空間認識の欠陥があって、ふつうの人ならふつうにできる藁細工のあることが決定的にできないのだと思われる。

挨拶をしてセンターの玄関を出る際に、これ(藁馬)いいよねえ。かわいいよねえとは女性2人の言。藁草履のほうが実用性もあるしいいじゃないかという趣旨のことを言ってみたら、どうせ使わないのだから、こっちがいいのだと返されたのには、そうなんだと蒙を啓かれた。

私はむしろ、わら草履をつくってみたいと今回思った。そんな時間ができることを願って。

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こちら(上写真)が、講師の先生のお手本。きれいだねえ。私のような初心者は、藁たたきをより入念にしっかりやって水分もしっかりもたせてやること。手がおそいので、やりすぎぐらいにやわらかくないとうまくできないものだ。繊維が切断されてはもともこうもないけど。

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こちらが。いつのものかはわからないけれど、親馬で現存するもの。親馬に袋を結びつけて、子馬といっしょに縁側に置く。親馬は餅やおやつの入った袋といっしょに持ち帰り、子馬はその家に残す。残された子馬は神棚に。かつては厩の棚におかれていたという。

今回、久しぶりにトロヘイの世界にふれて、やっておくべきことを再認識。石見についてもふりかえりつつ、知らなかった山口のそれともくらべてみたい。

日原のといとい

日原聞書のp367 に、といといのことが記されており、そこでは草履と餅を交換する儀礼としてある。要素としてこちら(日原)にないのは「水かけ」と「馬」である。以下に引く。

 といとい

といといの晩(一月一四日)になると子供たちはといといといって餅をもらって廻りました。学校ではあんなことをしてはいけんと先生から止められたが、一四日の日には遊びに行くと今日はといといじゃけえというて、餅を紙に包んでくれる家もありました。餅はどこの家にもありましたが、もらうとこれはわしの餅というて子供はよろこびました。

「もらうとこれはわしの餅というて子供はよろこびました」
日本の餅の本質として、食は共有する慣習が支配的な中、正月の餅だけは個のものであったという柳田国男以来の見立てを証するものがここにもある。
また、その日は遊びに行くだけでも餅をもらったということから、「子どもへの贈与」ということがといといの本質であるともいえよう。これだけではなんともいえないが。

 といといは子供や若い者がしましたが難儀なものは大人でもしました。伊勢十さァは婆さァと二人でおりましたが、とても藁仕事が上手で、草履も上手につくると「伊勢十さァの草履のような」と人がいいよりました。伊勢十さァはといといの日にはおいのこをもって心易い家を廻りました。そしてこれを姉さんにあげてつかあされえなどといって置きました。そうすると米の一升もあげよりました。薄原(畑から一里半)の方からも来て、草履を二、三足も配って廻りました。これにも米の一合も出してやりました。

…つづく

畑の柿を食す

裏の畑にある柿。もう枯れてもかまわないとばかり、強剪定してきたものだから、ここ数年実をつけはしなかった。今年、数年ぶりに数個の実をつけている。渋柿と甘柿、それぞれに。渋柿は3つ、甘柿は4つ。今日、甘柿のひとつを食した。渋みはなかった。固く、本当に固く、うまかった。甘みはさほどないがそれがいいのだ私には。むしろかすかなその香りとカリッとした食感を楽しみたい。
そして、柿は小さいほうがいい。大きく甘い柿はもはや好まれないのではないかとさえ思うのだが、どうだろう。市場に並んでいるものをみると、えぇ!というほど大きいものが多い。我がオリゼ畑にあって数年ぶりに実をつけた甘柿たちは小さい。柿の実はいつごろから大きくなってきたのか、それを確かめる術は多くなさそうだが、いつか詳しく知る人がいればたずねてみたい。

渋柿はもう少し熟したら干し柿にしようと思っている。葉の陰にかくれたひとつは完熟しゼリー状になっているのを確認した。干し柿といえば、高開でよばれたあの白い粉をふいた固く美味い干し柿が忘れられない。死ぬまでにあれをもう一度食べてみたい。つくってみたい。

2017年11月18日撮影。いちばん左がわからないが、真ん中と右は半自生の野柿。

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徒然なるままに、ダーウィンと土と小麦

小麦の種子をまかんとして、畑を整えるところまで。今日のところは。つづきは明日。
畝を整えんとして、畝間の土を掘り起こした。その際、ミミズを何匹かやってしまったと思う。小さなものが多かった。大きなやつ一匹については、頭をのぞかせたくらいだったので生きていると思う。深いところの土はネバマサ?ってやつか。深く掘り下げていけばマサが出てくるはずなのだが……いつかやってみたい。

種の起源』で知られるチャールズ・ダーウィンは地質学者を名乗っていた。借りてきた本を読みながら、どこか千葉徳爾を連想させるものがあって、あぁ、そうかもしれないとも思う。「方法」というものに意識的であったという点。大きくは科学と呼ばれるもの、であるだろうけれど。

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ユクスキュルの『生物から見た世界』、ダーウィンの『ミミズと土』、伊澤加恵の『おすそわけ』。ここに戻って、また思考を編んでいくのだ。小麦の種子をまきながら。

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『土中環境』の著者、高田宏臣氏はウェブの日記中で、こう記しておられる。
《無理な手入れを施せば、このモミジたちも暴れ出し、そしてあっという間に健康も美観も損なってしまうのです。無理をせずにコントロールすること、木々との対話が手入れの極意です。》

そう。無理をしいれば、樹々は暴れ弱って死んでいく。ここ数年、あれこれと思い当たることを反芻しつつ、木と土に向かっていこう。
拾ってきたドングリは数個なのだが、もっと拾ってたくさん育ててみよう。籾殻をもらい、わらをもらい、落ち葉をひろい、と、いろいろすることはあるが、これは楽しく人を募ってやっていこう。まず、ひとりでできるところから。
高田氏がいうようにコナラの力は大きいと思う。

《なぜ、私がコナラを主木に用い続けてきたか、それは、一般的な庭で扱いやすい樹種の中でとびぬけて環境改善効果が高いことが、主木として扱い続けてきた大きな要因の一つです。
環境改善効果が高いということは、夏場の生命活動が盛んで、生育が早いということでもあります。
しかも、この木はモミジなどと違い、日陰で扱うことができないため、成長スピードのコントロールは常に人為的な手入れ作業に委ねるしかないのです。》

《最大9m程度の樹高を想定しなければならない》かあ。オリゼの庭では無理があるが、斐川の家なら可能だろう。まして牧場ならOK。
さて、コナラの生命感を彼は感じているのだが、それがどこからくるものなのか。もっと感じとっててみようと思う。まず、ドングリをひろうところから。

小麦の種子を撒くのに、小さな畑なので、もちろん手まきなのだが、岡本よりたか氏がおもしろいことをfacebookに記しておられた。

《皮膚常在菌、腸内細菌、土壌菌。この三つは密接に繋がってる。腸内細菌は土壌菌と似ていて、土壌で作り出される野菜や穀物を食べることで腸内細菌が増えていく。そして、その腸内細菌が増えていく人ほど皮膚常在菌も増えていく。だから、種に皮膚常在菌を纏(まと)わせてみようと思って。
種を健康に芽吹かせようとすると、この三つの菌の連携が必要になる。信じられないかもしれないけど、子供のように皮膚常在菌の多い人が蒔くと、野菜は健康に育つ。しかし、腸の調子が悪い人、基礎疾患のある人が蒔くと種が病気になることがある。これ、事実なんだよね。経験則として。》

そんな微細なものがほんとに? と思う人が大半だろうし私も一瞬そう思いかけた。あぁ、ただそれはあるか、と。たとえば、アマランサスのあの小さなごま粒のような種子は数ヶ月で人の背をこえるほどに成長するのだ。いま世界を席巻しているるcovid19だって、最初はひとりかふたりの人間からひろがったものだ。

ドングリをひろうときに、苗床をつくり、それをうえるときに、それを感じてみよう。

金木犀がようやく花を咲かせる頃に小麦の種をまく令和3年10月25日

金木犀の蕾がいまにも開かんとして微香を漂わせている日。例年ならば9月の半ばにその香りを開花とともに芬々とさせているものである。気温、降雨、日照、気象の種々が平年とは異なる年であるとともに、ここのところ毎年のようにそんな異常が続いている。それでも花が咲くことは嬉しいことだ。ことに自分の家の裏、勝手口を出た目の前にある木であるのだから。

そんな日、スペルト小麦の種子を温水につけ冷蔵庫にしまった。明日播種の予定である。アマランサスの脱穀も少々。明日は斐川の分も脱穀か。水曜日は松江、木曜日は頓原、金曜日からはスリランカカリーの3日間である。慌ただしい。

セイタカアワダチソウは食えるのか

3日続けての草刈り。今日は2時間半ほどであった。日は暮れているものの足元はまだ見えるという午後5時30分ほどであったかと思うが、牛たちはすでにみんな牛舎に入って搾乳をみな終えていた。

セイタカアワダチソウ群落。半分強は切り倒せたか。勢いよくバサバサできるところもあれば気をつけるところもある。斜面や窪地や切捨てたままの杉が転がっているところ、などなど。もっとも気をつけるのは残すべき草木がそばにあるとき。列挙以下。

クサギ

アカメガシワ

・ヤマグワ

ネムノキ

タラノキはできれば残しているものの、ばっさりいくことが多い。
ヤマグワとネムノキは小さく細いので、気がついたら切ってしまっていることも多々。それぞれに残す理由はあるが、クサギアカメガシワはけっこう多いので、葉っぱをとって食べてやろうという魂胆もあってのこと。それを妻に話したら、
セイタカアワダチソウをなんとかすればいいんじゃない? お茶とかできないの? そんだけたくさんあるんなら」と。
あぁ、こういうのをなんと言うのだろう。考えてもみなかった。
花は若いうちのを天ぷらにしたら美味いとは聞いたことがある。ウェブに潜ってみれば、いろいろと出ているが、どうなのだろう。次回、蕾の多く残っているものを持ち帰ってみよう。もしくはもう少しするといっせいに再生する時期がくるだろうから、そのときを狙ってもいい。
さて、できるかな。

セイタカアワダチソウとアカメガシワとクサギは同じところにいる

昨日に引き続き今日も草刈り。2時間ほどだが、休憩なしだったのでそれなりに汗はかいた。肌寒い日だったが気温が摂氏10℃以上あれば、シャツで充分ということは改めてわかった。ほんとうにちょうどよい気候。これが冬になると脱いだり着たりする必要が出てくるのでね。

六角棒レンチを忘れていたので、牧場で借りて刈払機の刃を交換。シュルシュルと音がしていたので、ゴミを飛ばしてグリースも打っておいた。次回はエアクリーナーもみておこう。都度借りているものだが、来年は買おうと思う。今年の計画にあげていたとおり、草刈りの頻度を増やして植生を管理していこうと思うことによる。ナイロンカッターを使うには自前のものでていねいにやる必要があるということと、斐川の実家の草刈りにも必要かと思われるので。

候補はゼノアのBCZ265L-DCでナイロンカッターや肩掛けハーネスがセットになっているもの(農機具通販店agris)。ループハンドルは山の急傾斜面や竹をはじめとした切株が多い場所が多いので。BCZシリーズはプロ用の位置づけだが、家庭用という位置づけがそもそもおかしいのである。チェーンソーのときもそうだったが、耐久性や使い回しなどなど考えると、購入時に多少高くてもしゃあない。

閑話休題

草刈りしていて、標題のことに気がついたのだが、はて、パイオニアプランツということで一致はするものの、もう少し何かありそうだ。それについてはまた改めて。

アカメガシワの若葉の食慣行があることを今回知る。茶の葉もある。見つけ次第、遠慮なく切っていたのは、かつてこの葉の裏にいた毛虫に刺され、手が腫れるという痛い目にあった復讐心からだと思う。あるいは、コンクリートの隙間をはじめどこにでも隙間さえあれば侵入してしぶといということにもよるのか。岡山理科大の植物雑学辞典中にみられるように、アカメガシワの特性からも少し見直す必要がありそうだ。平凡社・世界大百科事典には、《秋には黄葉し,古来,歌人に愛された楸(ひさぎ)は本種とみなされる》と。
食慣行もあり、和歌にも多くみられる※1ことから、人との付き合いは長く深い。地方名も多数あるようなので、調べておこう。
以下にいくつかリンクを貼っておく。

・樹木図鑑のアカメガシワ

・アカメガシワの生存戦略(岡山理科大・植物雑学辞典より)

※1 二、三の和歌をみたところでは、アカメガシワでないような気もする。もっとひろいあげてみようと思う。

ぬばたまの夜のふけゆけば久木おふる清き河原に千鳥しば鳴く  山部赤人

令和3年10月23日のあれこれ

扇風機を掃除して片付けた。木酢液400倍希釈を少しばかり畑に撒く。続きは翌日に。家の裏の金木犀、花がようやく咲きそうだ。香りはじめている。例年よりおよそ一月半ほども遅れているか。

blog,こどもと読むたくさんのふしぎ。なんと、ダーウィンのミミズのお話だ。木次図書館で借りてこよう。

buchicat.hatenablog.com

ヴィクター・W・ターナー 『儀礼の過程』冨倉光雄訳,ちくま学芸文庫。津和野町立図書館から取寄せたものの返却期限が来週火曜日まで。これを返すときにでも。

小麦はいつ種をまき、カメンガラの実はいつとるか

カメンガラの赤い実が、葉を落とし始めた木々の間で鮮やかさを増してきた。もう少しさきだろうか、とれるのは。そう思いながら、何年か前に撮影したこの写真の日付を確かめると、12月の半ばであった。やや遅めの収穫だったと記憶する。うん、もう少しまとう。確かに紅葉の過ぎたあとくらいだった気がする。

昨年は結局取らずじまいだったので、記憶がぼけているのだ。

同様に、小麦の播種時期も曖昧だ。11月初旬に播種したこともあるが、10月中旬から下旬だったはず。早すぎて春の霜にあたったのが一昨年だった。今年は遅すぎて早い梅雨入りにやきもきもし、生育もよくなかった。さて、今年はどうするか。どうあれ11月では遅いだろう。そして、今日は10月22日である。月曜夜には浸水をして、水、木曜には播種できるようにしておこうと思う。

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アマランサスの脱穀は来週か。秋の始末と冬の準備と、あれやこれやが満載である。

令和3年10月22日備忘記

午後から取材撮影。事務所と除伐地、植林地の3箇所。植林は檜、たしか1年前の施業と聞いた。ちょうど今は地ごしらえの時期で、植林は早くて11月に入ってからだと。幼樹の緑と陽光映えるカットを撮りたいのだった。快晴の日を狙って日の出時刻から行くのがよいだろう。除伐地(間伐地)は佐白だったので、山村塾の合間をぬって行けるだろう。どんぐりの実が道に散乱していた。
案内してくださった方が、ハチの抗原検査のことを話されたので、毎年するのですかと聞くと、私は毎年ですけど陽性が出てる人は毎年じゃないかなあとの返。現場作業班ではなく事務方の人であったが、それでも毎年刺されるものだという。今時分、10月はまだまだ活動期だという。夏の暑い時期よりもやや涼しくなった秋が危ないというのは俗に言われる通り。先の植林地でも、「あの尾根を越えて谷に向かうと、ハチが多いのでよしたほうがいいですよ」と助言いただいた。ハチのテリトリーというのはおよそどれくらいの範囲なのだろうとは思うが、尾根を越えない谷単位であることは、これまでの経験からも伺いしれよう。おもしろいことだ。自然農のT氏が「夢は谷まるごと買い取って農地にすること」とおっしゃっておられたことを思い出す。

時間があったので、山の草刈り。雨が降る直前までセイタカアワダチソウが群落形成しているところを中心に40分程度ほど。刈払い機の刃はもう変えないといかん。

カメンガラ追記

カメンガラとよく似た樹と実があり、違いはどうなっているのだろうと。ざっと調べてみたところ、「森と水の郷あきた」の樹木シリーズ45に詳しくあった。また、ガマズミについて全体にわかりやすく丁寧に整理してあって、ことに果実については要を得ていて得心したので、引いておく。

果実・・・核果で、9~10月に赤く熟し、霜が降りる頃になると、白い粉をふいて甘くなり、食べられる。クエン酸が豊富で酸味が強く、レモン果汁に似ている。食べごろに熟すと、甘味も増して味のバランスが良くなる。果実が黄色に熟す品種をキミノガマズミという。》

そうなのだ。白い粉をふいた頃がとりごろだった。それは「霜が降りる頃」である。忘れぬよう覚えておこう。

ほか、このサイトの記述で得心したのが「鳥がよく食べる」ということの指摘。あぁ、そうだったのかと。挿し木にして育てたものを庭に定植して2年目。たくさんついていた実がすっかり少なくなっていて、落ちたのか鳥が食べたのか、気になっていたのだ。食べる鳥については、ヒヨドリツグミジョウビタキ、キジ、キジバトコジュケイメジロオナガアオゲラ、ヤマドリなど」とあげている。ここまであげているのなら、うちの場合、スズメではなかろうかと思う。メジロオナガヒヨドリも考えられるが。

肝心のガマズミの見分け方だが、ミヤマガマズミとガマズミについては鋸歯の有無がわかりやすそうだ。

†.ガマズミの葉・・・円形で側脈が目立ち、表裏とも全面に毛が生え、特に葉脈は長い毛に覆われ、フサフサした手触り。葉柄に粗い毛が多い。 

†.ミヤマガマズミの葉・・葉先は急に細くなって尖り、縁に浅い三角形の鋸歯がある。葉柄は赤みを帯びることが多く、長い毛が散生する。

岩屋寺のある山で

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 今日は午後から、森林作業道敷設の取材。昭和51年ごろの植林でほとんど手入れはしていないという山主の言。確かに一見荒れているのだが、どの木も健康に見える。切ってみると「目のつまった色艶のいい材」。「手入れするといい山になるよ〜、これは」とは森の名手・響さんの言。その響さんとて「最初来たときは、あぁ、引き受けるんじゃなかった」と言っておられたように、よさがすぐにはわからない。けれど、なんとなく、気持ちいいのだ。下層植生も貧弱なのだが、よくみると、小さく少ないとはいえじつに多種多様な樹が散らばっている。
 少し大きな谷に出て、その水の美しさに引き寄せられおりてみた。上の写真。
 帰宅後たしかめてみたら、岩屋寺の切開へと至る谷だった。国の天然記念物で、”切開の峡谷底部に伏在する断層破砕帯の存在が明らかに”なったのは2005年。ウィキの解説が詳しく新しい。日をあらためて行ってみますか。

ja.wikipedia.org

10月19日は晴れのち雨、午後から雷雨あり

 数日前から急に冷え込み、ストーブに火を入れた。つい2週間ほど前ではなかったか、扇風機を片付けたのは。裏の畑と庭を少しだけ手入れ。庭はナニワイバラの整理とバラに木酢液を噴霧した。およそ300〜500倍希釈にて。容量をはかるのに、スポイトではなく小さな容器があるとよいので明日調達の予定。ストウチュウ用の焼酎と穀物酢もあわせて。
 畑ではタカキビの様子をみて何本かとった。干してあるアマランサスの穂がもういい具合。来週は脱穀作業を段取りしなければと思う。忙しいな。
 一昨日色が濃くなっていた甘柿の実をひとつとり、昨日食べた。まだ渋みが芯にあったがうまかった。昨年よりよくなっていると思う。里芋はもう掘り上げてもよさそうだ。
 小麦、大麦の播種準備を進めねばと。明日、木酢をまいておこう。畝間には米ぬかか。
 ということを考えつつ、あれこれで、一日が終わった。
 あれこれのひとつとして、調べ物。碧雲湖棹歌が少し心にしみた。碧雲湖とは宍道湖をさし、永坂石埭の詩が嫁ヶ島にある石碑に刻まれている。 

 

 美人不見碧雲飛   美人は 見ず 碧雲は飛ぶ
 惆悵湖山入夕暉   惆悵す 湖山の 夕暉に入るに
 一幅淞波誰剪取   一幅の 淞波 誰か剪取したる
 春潮痕似嫁時衣   春潮 痕は似たり 嫁する時の衣に

 

 読書中のもの。

†. 岩田重則,2006『「お墓」の誕生ー死者祭祀の民俗誌』岩波書店

 

クサギ雑録

火入れの計画が流れてしまい、ひたすら草刈りを続けるなか、とても目につき気になる木がある。ひとつはホオノキ。高木になるものであるし、葉が目立つので、できるだけ切らないようにしてきた。それでも切ってしまうものだが、ここ2年で生き残ったものはぐんと背を伸ばした。そしてもうひとつがクサギ。とくに夏を過ぎてから目立つようになった。こちらは低木であるし、伐採地が森になっていけば消えていくものだろし、かなりの数にのぼるので、あまりに気にはとめていなかったものの、背丈をこえるものが出てきて、こんなにあったんだと驚くほど。

臭木と書くように、臭いというが意識したことはない。花の香りはジャスミンにも似てよい香りである。葉をとろうとすると臭いのだろう。
さて、以下は書きかけではあるが、公開してのち加筆していきたい。

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■広島県北にあったクサギナの食慣行

クサギナの食べ方についてもっとも詳しく書かれているものは、手元の資料では、『聞き書広島の食事』1967,農文協。神石郡油木町の聞き取りに「季節素材の利用法」のひとつとして出てくるほか、救荒食として県全域に見られた食慣行としてあげられている。前者の抜粋は以下。

くさぎな(くさぎ) とって帰ると、すぐに大釜でさっとゆでて水にとり、固くしぼってむしろに広げて干す。二日くらい日に干すとからからに乾く。これを缶や袋に入れて保存しておき、味噌汁の実やだんご汁の具、混ぜ飯の具にして、年中食べる。炒め煮も喜ばれる》

後者についてだが、明治までの救荒食として、くずだんご、ひえだんご、じょうぼ飯(りょうぶ)、たんばもち(ヤマコウバシ:クロモジ属)、笹の実だんご、どんぐりのだんご、以上6つをあげた次に、昭和初期の食の知恵のなかに出るのだ。
いずれも救荒食というよりは、主食を補う日常の食としてである。クサギナとリョウブはならべて挙げられることが他の地域では多いのだが、クサギナはより新しい食材ということだろうか。山の植生変化などとも関わりがありそうで興味深い。

くさぎな汁 くさぎなの若芽を摘み、ゆでてあく抜きしたものをそのまま汁に入れるか、乾燥保存して使う。一年たったものがおいしいといわれる。粃やくず米の粉でつくっただんご汁に入れたり、白あえにして食べる。》

くさぎな汁のほかに挙げられているものは、大根葉のぞうすい、あずりこ、かんころ、うけじゃ、かもち、である。これだけではなんのことかわからないだろう。そう、大事なものはそういうものだ。思い切ってすべてあげておく。

あずりこ 白菜や大根を切りこんで、味噌または醤油味の汁をつくり、これにそば粉をふりこんだ料理である。「あずる」というのは、神石郡で「補給」という意味に使われる。》

そば粉のふりこみ方が気になる。そばがきとは違うし、つぶ食でもない。が、粒で粥のように食していたかたちの残存か、などと。

かんころ さつまいもは、そのまま蒸したり焼いたりして食べるほか、かんころにして保存しておき年中食べる。かんころは、さつまいもをそのままか、皮をむいてごく薄い輪切りにし、天日で乾燥したものである。さつまいもの堀りだち(堀りたて)につくるよりは、年が明けてつくったほうがうまい。このかんころは、春先から新しいいものとれる九月いっぱい、夏の暑い時期を中心に食べる。》

晩冬に天日乾燥する(できる)のは、山間部とはいえ山陽の気候がなせるものか。

うけじゃ かんころは、そのまま食べてもよいが「うけじゃ」にして食べることもある。ささげまたは小豆一合に対してかんころを五合くらい使い、ひたひたの水でやわらかく煮てきんとんのように仕上げる。塩で味をつける。暑いときは、冷たい水かお茶をかけて食べる。》

かもち 「いかわもち」がなまってこう呼ぶ。さつまいもの皮をとり、かぶるほどの水を入れてやわらかく煮る。水が少し残っているときにだんご麦(もち麦)の粉をふり入れ、すり棒(すりこぎ)でつぶす。ふたをしてとろ火で一〇分くらい蒸す。これをもちにするときには、よもぎを入れることもある。また、さつまいもにもち米やもち米の粉と小麦粉を混ぜてつくる人もいる。

かんころ、うけじゃ、かもち、すべてサツマイモの料理である。この芋の普及が、いかに救荒食として他に抜きん出ていたかを物語ってもいると思う。

さて、同書には薬効のあるものがあげられてもいるが、そこでもクサギナは出てくる。梅、青松葉、にんにく、はみ、などとともに。やや記述がくわしくなり、採取時期が初夏であったり、保存がゆでてから乾燥させることであったり。また、冬から春のふだんのおかずとして使うものだが、薬としても使用するとのことで、その際には「くさぎな汁」だという。苦味が腹によいとされ、食べすぎの際の整腸剤、虫下し、そして疲労回復にきくのだと。つくり方の一例もくわしいので、ひいておく。

《くさぎな汁のつくり方の一例は、まず乾燥したくさぎなを一日くらい水につけてもどし、しぼって一にぎりくらいを小さく切っておく。また、水につけた大豆を茶わん一杯用意して切りきざみ、くさぎなと一緒になべに入れ、大豆がやわらかくなるまで煮て、味噌仕立ての汁とする。》

農文協の聞書きシリーズは中国五県は手元にあるが、クサギナの記載があるのは広島県のみである。かといって、他県にないか、なかったかといえばそんなことはない。古い記録や調査などから大ざっぱにみるに、吉備高原をはじめ中国地方いたるところで多く見られた食である。ほか記録は四国、鹿児島、宮崎、奈良、静岡、で確認できる。

記録のみならず、特産として売り出しているのは、宮崎県椎葉村、岡山ではJAつやま、広島では庄原市比和町といったところ。レシピも豊富で、かつての救荒食を思わせるものから、豪華な晴れの食事でもあったことがわかる。おもしろい。
岡山県吉備中央町吉川の郷土料理、くさぎなのかけ飯。KBSの取材。

youtu.be

■日原、横田、飯南町のクサギナ

島根県内でわかる資料は限られるので、現在手元にある4つをすべてあげておく。

†. あえものとして食べるという「摘み草手帖」
宮本巌著、山陰中央新報のふるさと文庫で出ている標題の書籍は昭和53年の刊行。山陰地方の摘み草をまとめた名著である。そのクサギの項。
浜田市沖合にある馬島はかつて兎が離され、多くの草木が手当たりしだいに食されるなか、兎が口をつけない植物があることがわかった。それがクサギだという紹介のあとに、短く食し方がのっている。

《これほど臭いクサギの葉も、ゆでて(重)、水さらしにすると匂いがとれることを人は知っている。あえ物として食べる。》

†. 「日原町史・下巻」
 まず、村の生活ー救荒食の中に一行のみで簡略にこうある。

《クサギナの葉はいがいて川にさらして飯にまぜる。》

リョウボウの芽はいがいてさらし、干して俵に入れて保存しておくとあるが、クサギナではその記述はない。ただ、先にあげた『聞書き・広島の食事』と同様、おかずとしても食すのだから、利用意識は高いと思われるし、乾燥保存を旨としたことは変わらない。
採取は春。《待っていたように、芹、すい葉、こうがらせ、くさぎな等の若菜を採って汁の実・ひたしものにし、やがて蕗・蕨・ぜんまい・筍類が煮しめに出来ると共に、これを干して貯蔵した》。

†. 横田のクサギナ
 1968年刊の『横田町誌』。第七章教育と文化と生活のなかに山菜・野草・果実の簡略な一覧があってその中にクサギナがある。俗称クサギナ、本名クサギ、料理法としては油いためである。
1976年刊の『郷土料理 姫の食』は横田町食生活改善評議会が発行したものだが、提供部落:亀ヶ市として「くさぎの葉の油いため」があげられている。
作り方
1 くさぎの芽が四〜五cmくらいにのびた時にとってきてゆがく。
2 天火で乾かして保存しておく。
3 水にもどして、適当に切り、油でいためて好みの味でたべる。
勘どころ
乾燥したものを保存する場合、缶などに入れ湿気に充分注意する。

†. 飯南町のクサギナ
 2013年刊行の飯南町の植物ガイドブック』は、飯南町森の案内人会(教育委員会内)発行。この会は解散されたと聞くが、要確認。クサギはここでもクサギナと呼ばれていることがわかる。里山から山地の日当たりのよい所に広くはえる落葉低木。この特徴もどこにでも

1968年刊の『

……さて、つづきはまた。
資料として以下などをあげながら、乾燥商品が入手できればそれらの調理試食などもとりあげていきたい。
野本寛一「採集民俗文化論」

※2021年10月24日、備忘的加筆。

樹木シリーズ71 クサギ | あきた森づくり活動サポートセンターでクサギの項をみて、長野県や静岡県では「採り菜」と呼ばれたとあり、野本寛一が「採集民俗文化論」であげていた「といっぱ」とはそこからきているのかと。よってここに記しおく。

若葉は山菜・・・クサギは若葉を山菜として食用にしている。6月頃、採取した葉を熱湯で塩茹でして流水にさらしてアクを抜き(灰や重曹でもOK)、油炒めや佃煮にして食べる。茹でてから乾燥すると保存もできる。西日本では「臭木菜」、長野県や静岡県では「採り菜」と呼ぶ。禅寺の労働修行でクサギが利用されたことから「ボウズクサイ」、「オボックサイ」と、お坊さんに結びつけた別名もあったという。

■岡山のクサギナ

以下を令和6年10月25日追記。

†. くさぎなのかけ飯
『聞き書き岡山の食事』に、吉備高原の食として、久米南町における「くさぎなを使ったこちのかけ飯」が紹介されている。「かけ飯に必ず登場するのが、くさぎなである。くさぎなは薬草として知られている」と前置きしたあと、調理法がつづく。

くさぎなの若葉を摘み、ゆがして水に二日ほどさらしてあく抜きをする。途中で一、二回水をかえる。かごに入れて流れ川につけておく人もいる。水から上げて固くしぼり、むしろに広げて干す。十分乾燥したら紙袋に入れて保存しておく。
この乾燥したくさぎなを水にもどし、小さくきざみ、油で炒めて砂糖、醤油で味つけをする。

 

†. 哲生町生木地区の山菜
 昭和43年刊の『奥備中の民俗』。東京女子大学郷土調査団の調査報告である。山菜の代表としてよいのかどうかはわからないが、ヤマイモ、ワラビ、サンショとならぶ4つのなかのひとつとしてあげられている。「若芽をゆでて水にさらし、乾燥させて保存する。ソラマメ、大豆などといっしょに煮て食べる」とある。