ケタへの播種開始

ケタ焼きしたところへ、今日は午後から種まきに行ってきた。昨日やるはずだったのだが、ナラ山整備でいっぱいいっぱいで、できなくなったゆえ。

陸稲もここに植えることにしたので、その場所をまず決めた。陸稲はネリカ。水稲のように浸水してからがよいのかどうか。そこは迷うところだれど、というより、ようわからんのだけど、そのまままいてみようかと思う。なにせ雨が降らないので気を使うのだ。大事な種だもの。

今日のところは、北側から順にこんな具合だ。高知からやってきたモロコシ、赤穂のアマランサス、モチアワ、タカキビ。

モチアワは鍬で筋をかいて、斜面上部に3筋ほど撒いたところで終わり。あとはばらまいてみた。

アマランサスは最初からばらまき。

タカキビとモロコシだけは、ていねいに一粒ずつ間隔をあけてまいた。

小屋まわりと資材そばの草刈りも少々。茅が多いところの手刈りはしんどいなあ。手首がよう動かんようにまでなる。

明日はお休み(して家の畑と庭仕事を)、明後日はナラ山の整備と阿井へ。明々後日にまた播種かな。

出雲の山墾り〜竹の焼畑sec.11

5月11日(土)。
 春焼きに向けて、火入れ地整備の日です。10:00〜15:30、山村塾1名、里山理研究会5名、最高気温28℃。
 中山は里管で、楢山は塾で。

 塾の方は実質3時間で伐採竹の積み直しと生長してきた草木の刈り取り。急斜面でからまった竹をほぐしていくのは、想定していたよりも時間がかかることが判明。また、竹は最高度に乾燥しており、手ノコでは歯がたたないレベルのものもチラホラ。チェーンソーでもきついくらい。

 どこにどう積み直し、どこから火をつけて、どのように延焼させるのを基本とするか……も考えながらなので、そこも時間がかかった要因でもある。

 スパイク足袋でも気をつけないとすべるほどの急斜面なので、足場をとるのにも気をつかう。

 では、今後の段取りを見据えつつ、目論見を。

 堆積した竹葉は活かせるところはそのままいかし、延焼に巻き込むのが手数をけずるためにもいい。春焼きならば燃えてくれることは昨日のケタ焼きの状況からも期待できる。防火帯には昨年の秋焼きで炭がのこっているエリアを最大限利用する。

……以下、今晩加筆。

 写真は楢山から中山をのぞむ図。

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ケタ焼き☓焼畑の試みとして

令和元年5月10日。ケタ焼きではあるものの、焼畑、すなわちそこで作物を栽培することを、火入れを実行した。
資料とするべく、大急ぎでざっくりと概要だけでも記しておく。

準備に3日。草刈り2時間〜3時間が2回、草寄せ(防火帯)に2時間半ほどか。下見や計画なども含めれば、8時間ほどとみていい。
もっとも、もっとていねいに準備するなら2人で5時間(1日)の作業かもしれない。
刈払機が大半だが、手刈りも必要。今回、その手刈りを「まあいいか」と略した箇所が案の定、少しあぶなかった。

さて、当日の今日。予定はしていたが確定したのは昨日。
草刈りは7日前〜3日前にわけてやっているが、3日前の箇所も十分に乾燥していた。ここ数日の気温も高く、昨日も一昨日も少々風もあったことが大きい。また寒暖差があって朝露がおりる日もあった。いったん少し濡れてから風と日にあたるとさらに乾燥度があがるものだ。木材がそうなのだが、草もそうなのだろう。

前日に草寄せをしたときに、もう十分と判断してのことなのだが、草の下の土はやや湿ったところもあって、草の浅いところが延焼・燃焼するかがわからなかった。燃えなかったら、それもいやだ、困る。煙だけ多いとかえってあぶないし、時間もかかるし、やっかいだ。
なので、草寄せはひろげるよりも、厚めに斜面上部と上部平地に少しかかるくらいにおいた。
防火帯以外は基本、草刈り時のなりゆきまま。

さて、現地着が14時30分頃。軽トラに0.5㎥水タンクを積み給水。エンジンポンプやシューターを準備し、燃料補給やシューターへの水入れなどをしたあと、給水に30分はかかるとみて、現場(徒歩2分か)へ草寄せの続きに。当日やればいいとした作業を残していたのだ。
意外にあったなあと、急いでせっせと草を寄せていく。

給水は400弱までとして。荷物を確認して現場へ。
風向きをみて、予定通りに小屋のところから火を入れることにする。
風下、微風、理想的。

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エンジンポンプの始動ともっとも燃えるものがある小屋の周辺に防火放水。
シューター、レイキを配置して、15時50分頃にガストーチで着火。
勢いよく延焼がはじまり、少々あせるが、やるべき3つのことを順序よくあたっていく。

1)草の寄せ直し
2)予定ラインを超えて延焼が起こっている場所へシューターで火消し
3)1)2)が計算できる落ち着きをみせたところで、エンジンポンプ始動しての防火放水

これらが一段落し、写真を撮るくらいの余裕ができた頃合いがこれ。

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そして、終盤、そろそろ迎え火を打とうかという頃合いがこのあたり。

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そして、鎮火。17時頃。約1時間ほどか。面積などまたのちほど加筆。

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活躍した3つの道具。

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ただし、ガストーチは今回、火付けに3箇所程度と迎え火2箇所の点火用のみ。
レーキは活躍したし、シューターは必須だと実感。達人はじょうろとバケツでやっておられるが、その域は、まだまだ雲の上を見上げるような遠くにかすかにある。
また、保険として用意し、いらないかなあと頭を何度かかすめたエンジンポンプとタンクもあってよかった。いやほんとに。

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以下、ざっくりとした備忘。

●イネ科系の細い葉っぱは生でもけっこう燃えて延焼にもいたりかねない。下に燃える枯れ葉の堆積がある程度あれば。
夏の焼畑の際、緑色の生きた(はえた)草は、火が近寄ってきてもなかなか燃えず、防火帯にすらなるのかなあと捉えていたが、いやいや、間違いでした。とくに春はいかん。
同様に、茅など地際で刈ったものから緑の葉がのびているくらいのものでも、ちょっとした乾いた箇所が残っているだけで、そこから火をあげて、延焼を促す。

だからね。
まあ、まず燃え広がることはないとみていた(それでも注意と準備はしていた)隣接する草原とて、まったく燃えないとは限らんと思いました。

●3年ほどの堆積があれば、こうした焼け方はふつうにできるのでは
火を入れずに草刈りを年に1〜2回程度の地であれば、そして茅がまじってその堆積があれば、燃材としては結構な量があるのだと思う。そして、どんなに火が強かろうが、地面に草がまったくなければ(当たり前だが)そこは燃えずに火がとまる。水をかけるよりも、一筋の土の線があればよいということだ。

●煙を出さずに焼くことの重要性
完全に燃焼させることの利点もだが、管理のしやすさ。
うまく燃えたし、そういうやり方をしたため、ごくわずかしか煙がもうもうとする場面はなかったが、火が見えなくなるし、咳き込むし、まあ、いかんわ。

●燃やすことを促進させながら、消し止める
燃える勢いの強いほうが、消火はある意味しやすい。広がる方向がわかりやすいこともある。

●かといって強すぎないように、いいあんばいに、風と状況をみて、草の位置や量を変えていく
これの見極めを向上させていきたい。地形や火入れ地の形状、風向きなどの条件がよかったので、今回はうまくできたほうだと思うが、よくわからんところとわかったところと半々なり。

さて、明日から種をまいていく。考え、集中して、楽しもうではないか。もう、寝る。

2019年5月8日の山畑

カフェオリゼの庭では、ナニワイバラの白い花が塀に鈴なり(とでも言うのだろうか)。ようやく春らしい暖かく過ごしやすい日が続いている。遅れている種まきやら草刈りやらを毎日少しずつこなすのにいい日和だ。

今日に限らず、気がついたこと、やっておくべきことなどを徒然に記しておく。

牧場の山畑にて

昨年春焼地の北東斜面を草刈り。草というよりは笹と竹なのだが、昨年刈った枝の堆積もあって、これは持ち上げて燃やしてしまうことにした。葉に覆われてはいるものの、下層にはオオアレチノギクが低い芽をひろげており、あぁ、2年目はこうなるのだなあということをつくづくも感じた。これはフラットな平地も同様。ただし、だ。里芋を掘り出した箇所については、その掘り返した地面だけは草ひとつはえていない。また、麦の周辺にも少ない。

さて、斜面にはアマランサスを播種する予定なのだが、タカキビでもいいのかもしれない。斜面での作業のしやすさからいうと、モチアワなどは選択肢からはずれる。中背という点でモロコシか。

スペルト小麦も裸麦もいまひとつ成育がよくない。スペルト小麦については、水はけのよくない粘土質土壌がよくないのだろうと思う。あるいはこの場所は、冬春秋の日照がよくないのだから、その影響も大か。土の問題と日照の問題、あとは播種が少し遅かったことか。同じ時期に播種した家の畑の小麦・大麦はよく育っているが、標高差は200mばかりあるのだから、そこらも加味して今後をかんがえねば。

案件としては、そう、この昨年春焼地には大豆を主に播種する予定なのだが、考え直したほうがいいのかもしらん。思い切って斜面ぎわにキクイモを植えてみたりもしているが、うむ。

枝豆としてもいける白大豆を中心に早めの播種でいってみるか、どうか、というところか。

パープルサルシファイの発芽を確認した。あまりに雨が降らないので、先端が枯れているものもあったが、発芽率は9割以上だと思われる。

道が倒木で塞がれているところが3箇所。来週チェーンソーで片付けよう。

昨年の春焼地、焼いたところにはアレチノギクがびっしりなのだが、焼いてないところにはそんなことはなく他の雑草が優越している。なんで? ざっくり説明できるようにはしておくべし。

牧場のケタ地にて

刈った草はよく乾いていて、明日にでも燃やせそう。量も乾燥してみれば、これっぽっちかという印象。明日、整えて、金曜日には焼いてしまうことにする。広がるほどの燃料はないから、シューターのみでよいだろう。念のため、タンクも用意するにせよ。よって、明日はポンプの始動確認と草寄せ、時間があれば、茅草の抜き取り。

キクイモはこの日は植えず。寒暖差がある日当たりのよい場所といえば、このケタ地のほうだろうから、ここを中心に。来週草刈りに行く阿井には少しだけお試し的に。そのぶんは少し土に戻しておいたほうがよいのかもしらん。

その他

ウツギはまだ花を見ない。下旬かな。

鹿沼土を用意したので、挿し木の準備を。カメンガラ(ガマズミ)が中心だが、ジューンベリーやダメ元でいろいろやってみよう。

みざわの地蔵と麦の春

3月24日、三沢、見覚えのあるサイノカミさん。以前見た場所からここまで移ってこられたのか、それとも兄弟姉妹関係にあるようなものなのか。確かめようと4年前だか5年前だかに撮影した写真を探してみるが出てこない。もとあった場所というのも、土から掘り出され、このあたりにあったのだろうと数メートルか数十メートルは場所を変えている。藪に覆われるようなところだったから、なくなっちゃいけないと、雨もしのげるこの場所に移されたのかも、しれない。
いったいいつ頃つくられたものなのかという問も含めて、気になるので、ここに置いておく。

焼畑地は麦の様子だけ確認。 スペルト小麦

裸麦

畝間に草をしくかどうか、思案中。ススキなり笹なり、そばにあるものがよいだろうと思う。
それにしても、家の裏の菜園畑とくらべると、草が少ないなあと思う。量も種類も。
冬はもともと雪で覆われる場所だから、ということもあるだろうけれど。

出雲の山墾り〜阿井の竹林でその1

出雲の山墾り特別編ということで、阿井の竹林へ行ってきました。
荒れた竹林を「きれいに」しつつ、タケノコ林として「再生」したいという希望に「ここは無理を押してでもいかねば」と、赴いた次第。草にしろ竹にしろ邪魔者扱いだけでうごくケースが大半な中、「ここのタケノコは白くて甘くて」というような愛がある。稀有なことなのです。
というわけで、写真をいくつか。

出雲の山墾り〜sec.6

 2月16日(土)。くもりと言えましょうが、数秒ほど陽がさしもすれば、1分ほど雨がパラパラときたりもし、風が一時的に強く吹いたりもする、そんなお天気。気温は6℃。11時頃から中山を歩き状態を観察した。30分ほどは学生らがカブの間引きをする間に、倒して玉切りしてある竹を積む。かれこれ2時間弱の仕事でした。

 例年ならば雪がつねに山の斜面をカバーしていたものですが、今年は10日くらい前から裸の草土がむき出しになっています。草のカバーがないところは土が流れはじめており、場所によっては崩れてもいますね。わずかではありますが。ロゼッタをなす越年草も里の方では葉を起こし、花をつけはじめているなあ、、と思ったのは10日ほど前か。
 雪がないことによる変化は牛の山あがりに顕著でした。けっこうあがっています。食べられる春の草は標高50mほどの里にはあふれはじめていますが、ここいら200mほどのところではまだ枯野でありますが、食べられるものを食べているのです。


 切り崩された崖地にある草ですが、それだけに土の跳ね返りがなくきれいな草であるし、食べやすい?位置にあるからか、よく食べています。12月ごろからそれとなく見る限りでは、再生竹の葉はきれいに食べ残しないほどに食べていることとの共通点があるように思えます。カビなどの菌類にきわめて強いものたちで冬の青さが目立つもの、竹の秋は春ですが、この写真にある草はどうだったでしょう。思いつきついでに記しておけば、枯草菌との関係性もあるのかな。
 牛が秋から冬にかけて歩くところは春夏とは違うのだろうか。そういう問をたててみることにしました。これから見てゆきましょう。
 冬は草のカバーがないことによる斜面土壌の流亡が激しいのだと、ここ数年、里でも山でも、人工的に削った箇所で、そう思います。
 雲南、奥出雲の山は上はなだらか下はストン。爺さんらがそう言うことの理由と歴史的利用の履歴が、気候とあわせてそこから読み取れそうです。
 ブラウンスイスは走ったり跳ねたりと体力を持て余しているようでした。春には卒業なのかなあ? (現在は育牛状態。春から搾乳できる牧場へ移るのです、たぶん)

足踏み脱穀機の初運転

今年の冬はやる気ないんだろうか、昨日は日中の気温は14℃まであがっていたし、山肌に残っていた雪もすっかり消えている。裏の小さな畑では、カブの葉はロゼッタ状に地を這う形から、葉を立ててはじめ,蕾を抱えた薹まで立ちはじめた。

ちょっと待ってよと、言えるものなら言ってみたい。かたや、暖かいのは仕事がはかどることでもあるわけで……。

本来、秋のうちに終わっているべきことどもだって、片付けるチャンスなのだ。

やるか! という勢いにものって、足踏み脱穀機を軒の下からおろして、宿題を少し片付けた。

・残っていた大豆の脱穀

・残っていたタカキビの脱穀

・スペルト小麦の脱穀試し

ふたつが片付いた。スペルト小麦はやるなり無理だと判断。工夫の余地なしというくらいにうまくいかないのだった。

そして、まったくといっていいほどに意識していなかったのだが、足踏み脱穀機の初運転なのだった。めでたしめでたし。

大豆は650gほどまとまったので、味噌をつくるのだ。

出雲の山墾りsec.4雑感

昨日の活動(1名)。その雑感をつれづれなるままに。

1週間ほど山に行かないと「なまる」ものだと思う。鈍る。わざの冴えがにぶる、技量が落ちるの意をもって用いる言葉だが、刀剣の切れ味を一義としながらその刀剣の実際の使用が頻ならざる時代において用例が増えてきたものではなかろうか。すなわち武士の本態からすれば「なまる」ことなど考えられないことであるのだから。

よって、山に行かない日が続いたからといって「なまる」ということはおかしいのである。小学館の国語大辞典の「鈍る」、その第四義には「決心がにぶる。貫徹しようとする意志が弱まる」とあり、歌舞伎・早苗鳥伊達聞書(実録先代萩)二幕にある用例をあげている。

「拙者が心はなまらねど左言ふ貴殿の御胸中まことに以て心許なし」

決心とは何か。心が決断するとはどういうことなのか。今日のところで、3つのアプローチをあげておこう。

1. 決心より先に身体は動いている。私たちが「決心」したと意識しているものは「決心」ではない。……下條信輔『サブリミナル・マインド』(中公新書)を参照。

2. 決心とは閉じた個の作用ではなく、集合的集団的かつ公共的な現前である。……C.S.パースについての著作のいくつかを参照のこと。

パースは心についてこう述べている。「われわれはその表面に浮いているものであり、心がわれわれに属するというよりも、われわれが心に属しているのである」

Thus, all knowledge comes to us by observation, part of it forced upon us from without from Nature’s mind and part coming from the depths of that inward aspect of mind, which we egotistically call ours; though in truth it is we who float upon its surface and belong to it more than it belongs to us.

※The collected papers of Charles Sanders Peirce PDF へのリンク

《思考は、世界の残りのすべてから隠された自分だけの何かではなく、本質的に公共的である。思考はいわゆる個人の心の中に所在するのではなく、それを通してわれわれががコミュニケートする公的な記号構造の中に所在する》:コーネリス・ドヴァール,2013『パースの哲学について本当のことを知りたい人のために』(大沢秀介訳,勁草書房,2017)

3. 初心にかえるという語句がある。初めに思いたった心、最初の決心。あるいは、学問・芸能の道にはいったばかりであること。また、その人。というのが辞書的意味である。が、その解し方でいいのか、初心にかえるということは。安田登が、それは衣を切る、後戻りのできないその決断のことだと風姿花伝を参照しながら述べている。……『あわいの心』等を参照のこと。

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竹を切って倒す。

そこに宿る心とは。

心にとめおき、しばしこたえを待とう。