今日の山畑、アマランサスの収穫のはじまり

 秋焼きの予定を週末に控え、天気予報を数時間おきに確かめてしまう日が続いている。
 10日ばかり前の予報では、今週は晴れの日が続くはずだった。ところが、日を追って曇りマークがふえ、雨マークがふえ、じょじょに降雨の時間もふえ、予想雨量もふえ続けている。お天気とはそんなものだ。人の期待や願望にそうものではない。あぁしかし、土日の降雨だけは……、と、いまのところこの願いくらいは叶えられそうだ。さて、春にまいたアマランサスは先週に収穫する予定であった。それが雨でながれ、明日に計画変更していたのだが、どうやら明日は雨になりそう。ならば、とれるもの、倒れやすそうなものだけでも今日取り込んでしまえと思い立ち、急遽刈り取った。 大きなものを6〜8本か。いちばん背の高いものをはかってみたら、2m70cm。でかい。播種したのが確か6月10日だったので、90日ほどでの収穫となる。
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ほか、いくつかの状況を確認したので、以下かんたんに。

 

陸稲 みてのとおり、よくない。元気がない。よい株もあるので、1ヶ月後に。 P1280715

サトイモ 焼き畑でサトイモというのは馴染みが薄い、かもしれないが、九州・四国の焼き畑ではかつてよくみられたものらしい。南方の焼畑文化の残存形態とみる有力説として、研究者には既知のことではある。それはさておき、夏の日照りにもよく生き残って、なんとか収穫できそうな感じですよ、これは。土を盛っておいたほうがよいかもしらん。三刀屋のとある農家のじいさんが地場のものをずっとつくっておられて、間接的にゆずってもらったものなのだ。うまくできたら、お返しせねば。
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◉ホンリー 小池教授の実験的栽培なのだ。赤、ピンク、黄色の彩りが美しい。まだ食べたことがないのだが、台湾キヌアと呼ばれているのだから、キヌアとしてあつかえばよいのでは、と思う。
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◉タカキビ 実の入りが悪い。そもそもが遅かったので、こうなるよね、というほどのこと。せめて秋雨がすぎて明日からでも晴天が続けばねえ。と思ってはみるのだ。
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◉モチアワ 忘れてた。鳥の存在を。そろそろ色づいてきたかなあというものから啄まれている。種取りしたいものだけでも網をかけようか。網、かう。
◉サツマイモ 2年前は、モチアワ、タカキビ、ホンリーが牛に食われて、サツマイモなどまったく口にされたものではなかったのに。今年はタカキビもホンリーも陸稲も、そちらには目もくれずにサツマイモの葉と茎がこれでもかとばかりに食われてしまった。どうして? とりあえず、こんなところ。

ウバユリの花

 ウバユリの花です。これは今年ずっと観察していた斜面で撮影したもの(7月23日)。
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 山にユリの根を掘りに行き崖から落ちて…というニュースをもう聞かなくなりましたね。かつて「食糧」のひとつであったことは確からしく、いまよりはるかにたくさんのユリが山中で咲き乱れている姿を幻のように記憶しているお年寄りの話が聞けるのもあと何年か。が、その幻を再び現実にしてみたくなる、こともあるのです。そう、ことしユバユリの花が焼畑4年目の場所に一株咲こうとしていました。鱗茎が生き残っていたのでしょうか。ケモノについてどこかからやってきたのでしょうか。ちょうど日陰の斜面もあることですし、ふやしてみたい誘惑にかられます。
 昭和53年発行の宮本巌『摘み草手帖』(山陰中央新報ふるさと文庫)には、ユリを食用としたいくつかの記録があっておもしろくおすすめです。ウバユリからつくるカタクリ粉の製法もあり。ユリは数少ない日本原産の「食用」植物なのだから、話には事欠かないようでいてそうでもないと最近知りました。
 さて、そんなことをも念頭におきつつ、明日は火入れ準備の活動をダムの見える牧場でやります。猛暑ですので、午前のうちにささっと。 汗をかいて昼には極上のビールを飲みたい方も、そうでないかたも、お気軽にぜひ、お越しください。 竹の焼畑春夏〜活動連絡頁

6月9日の春焼レポートをアップ

 6月9日の焼畑レポート(速報簡易版)をアップした。閲覧頒布はご自由に。

http://s-orochi.org/public/wp-content/uploads/2018/03/yakihata2018haruyakirepo.pdf

 さて、関係各所に郵送したり直接届けたりしているなか、呼び止められて、話をうかがう。

《木は切り立てのものもよく燃える。油があるから。ちょっと置いたものより。山ひとつやったときにはそうしたものだ。庭木にするような木はとくに》

 これ、ほんとかなということと、一理あるかもなあということと。「今度やってみます」と半ばから返事でこたえたものの、確かに冬の時分、雪がうすくつもっている頃に、それやったことがある。伐採後6ヶ月はたった乾燥したものが半分、その上に当日伐採した竹をさらに倍ほども積んで燃やしたのだが、よく燃えた。きれいに炭と灰になった。

・油は燃えるというより、水分をはじいて材が吸水するのを防ぐことで、へたに乾燥するよりはよいのだろうか。

・切り立ての木の枝が燃えるとは思えず、樹種によるのだろう、竹などはそうか。

 やってみるのが一番。冬にいろいろ試せればいいなあ。

春の火入れレポート

 6月9日の焼畑レポート(速報簡易版)をアップした。閲覧頒布はご自由に。

http://s-orochi.org/public/wp-content/uploads/2018/03/yakihata2018haruyakirepo.pdf

さて、関係各所に郵送したり直接届けたりしているなか、呼び止められて、話をうかがう。

《木は切り立てのものもよく燃える。油があるから。ちょっと置いたものより。山ひとつやったときにはそうしたものだ。庭木にするような木はとくに》

 これ、ほんとかなということと、一理あるかもなあということと。「今度やってみます」と半ばから返事でこたえたものの、確かに冬の時分、雪がうすくつもっている頃に、それやったことがある。伐採後6ヶ月はたった乾燥したものが半分、その上に当日伐採した竹をさらに倍ほども積んで燃やしたのだが、よく燃えた。きれいに炭と灰になった。

・油は燃えるというより、水分をはじいて材が吸水するのを防ぐことで、へたに乾燥するよりはよいのだろうか。

・切り立ての木の枝が燃えるとは思えず、樹種によるのだろう、竹などはそうか。

 やってみるのが一番。冬にいろいろ試せればいいなあ。

火入れの後、鍬を入れて腰を抜かしたこと

 6月9日に火を入れ、翌10日に播種やら苗の植え付けやらをやった。そして17日になり、サツマ芋の苗は枯れている。「枯れるの覚悟で植えるか」とは言っていたものの。火入れ後、地面に鍬を入れてみて、「なんじゃこりゃあ」と腰を抜かしたその意味はあまり理解されていなかったように思う。
 この土じゃあ無理です。条件がそろえばなんとかいけるかも、というところ。昨日は炎天下のなか、水をまくというので、アホかと。夕方以降に撒くのだということにしましたが、どうでしょうか。
 自分たちで、みて、かんがえて、きめて、やる、ことを促してきた「つもり」ですが、いかんですね、深く反省する時間を車を運転しながら、鍬をおろしながら持ちました。かくいう我も、陸稲の苗を「ダメかもしれないし、そうなるだろう前提」で、植え付けはじめたのですが、徒労感が先行し、ママゴトのような施業となりました。トホホ。保険のために、桁の斜面をキープしていたので、そこを急遽草刈りして、植え付けはじめたのですが、試しに鍬を入れた場所が幸運にもよかっただけで、砂利が多すぎ、難儀です。小一時間ほど格闘して断念。この斜面には、アマランサスを明日明後日にと決めて、別な手を思案しました。が、なにも思い浮かばない。あげくに、炎天下に放置した苗が収縮し黄色く変色しはじめる始末。
 そんなことがあった翌日ゆえ吉宗農園の投稿が新鮮でした。
 吉宗さん、農園見学について曰く。
「どんな方が来られてもすぐ仕事にしてもらえる洞察力と臨機応変に対応する知恵を身に付ける練習です。また、伝えることで自分自身理解を深める」と。
 来月再来月のどこかで見学を申し込もうとスケジュールをながめつつ、忘れぬようここに記しておくモノです。

ウバユリ、チガヤ、ハチク

 火入れから4年を経過した、通称「中山」では、植生のきわだった変化が見られる。
 今年(2018年)春の徴を忘れぬうちに書きとどめておく。

 写真にみえるウバユリ、これまで牧場地ではまったく見られなかったものだ。種がどこから運ばれてきたのか、休眠していたものが芽生えたのか……。通称”中山”のなかで古い通し道から1段あがったところにある。日陰で水のあるところに植生の適応があるはずの植物だから、なぜにここに?しかも単独でという?がつきまとう。来春また観察してみよう。

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・昨年目立ったミツマタはどこへ行ったのか、今年は開花をみることができなかった。知らぬ間に(夏の草刈り等で)短く切り詰められてしまったのか。

・イタドリがふえた。

・春に開花するアザミがやや減った。

・火入れ1年目には単一植生で山を占有していたアレチノギクの姿がうすい。これからなのか。ただ、昨年夏の火入れ地にはボツボツと「きゃつら」とこぼれだねからの蕎麦だけが芽を出している。 
 牧場の火入れ地に関してはまずこれだけ。まだまだありそう、あるはずで、思い出したら追記しておく。

 さて、住まいする木次町30区の山道、道路の脇に出ていたハチクを切ってきた。時期は遅い。多くは、背丈を超えるほどにのびている。喰えるかどうか。結論として、さすがに背丈ほどのものは筋張っていて食べるのには難あり。だが、根本に近い部分のほうが先端よりもより食しやすくはあった。

 チガヤはここ数週間で穂に花をつけている。「シューッとぬいて」、茎の下をかじりながら吸ってみると、甘いような気がしないではない。少なくとも苦みはなく、2本、3本とかじってみるうちにくせになりそうだ。子どものおやつにはちょうどいいのではないか、これくらいの甘さが。

 ジューンベリーは、最近、鳥がしつこくこなくなったせいか、人が食べるぶんもけっこう残った。毎日つまみぐいしている。とりたてがいちばんおいしい。山にたくさん植えても鳥の餌にしかならないだろうから、庭に植えて楽しむのがいいんだろう。果実が実る木をもっと世にふやしたいものだ。

 実生から育てられないものか、ちょい挑戦してみようか。ガマズミの実は今年も芽を出しそうもない。やり方をかえて、また来年チャレンジしよう。そろそろ挿し木用に山から枝をとってこなくては。

竹の焼畑2018-春の火入れ前に

 記録が残せていない。  2018/05/27時点。  春の火入れ準備へ向けて、7〜10回の活動日を経過したところで、ざっくりと、遺漏もあること前提で、ほんとうにざっくりと記しておこう。

◆2017年の夏焼地あとの状況

・蕎麦も温海カブも成育はよくなかった。土質、地形、気候、種子、など各種要因と相互連関の複雑さからいって、「原因」たるものを記しがたい。どれも、『栽培」にとってよいとはいいがたいものがあるという点はあった。

・カブは種取りのために残してある。蕎麦の跡地を中心に古代小麦を11月ごろ撒種して、発芽そのものはよかった。春からの成育が遅かったのは山地特有のものだとしても、春先に鹿(だろうと思われる)の食害にあい、その後の乾燥もあって、枯れてしまうような区画が3〜4割あった。

・そして、昨日、5月26日の写真を下にあげる。

◉温海カブの春

 小鳥、おそらくスズメではないか。ほとんどの実が食べられてしまった。

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5月16日の状況がこうであった。

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ここから10日が経過していたわけで、そりゃ間があきすぎていた。枯れるのも早い。一昨年は6月の上旬に種取りをしていたから、遅すぎるというわけでもない。平地では時期としてはまだ少し早いくらいだから。ただ、もともと食害にあっているということ、そして水持ちが悪い場所にあった(馬の背部分)ということ、今年は植物の開花・結実が平年より2週間あまり早いということを考えれば、もっと早くに動いていれば、ここまでひどいことにはならなかったろう。

 やむを得ない。一昨年の種が若干残っている。発芽率は落ちているだろうが、それらを撒くことと、保険として昨年購入しておいた温海カブの種子を今年は使う。

古代小麦の春

こういう状況だ。

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出穂も得られた。問題はここから先。少なくとも鳥には食われないように、開花後2週間後くらいには防鳥の網をかぶせることとする。 きびしいなかでのかすかな希望でもある。カブも蕎麦もダメであったし、鳥からも獣からも食われていまうという状況のなかで、どういう結果が得られるか、もう少しだけねばってみたい。

サクラの春、ウバユリの春

 木次の土手のソメイヨシノは今日明日で満開になるだろうか。花見に訪れる車が臨時の駐車場にも並んでいるのがみえた。平年よりも数日早い開花のようだが、確かなことはようわからん。

 古来、春の開花のタイミングというのは農事にとって重要なサインであった。指標となる花の木がいくつかはあったものだとはいくつかの民俗学の書に記されてはいるものの、個別具体的なことを耳目にしたことはない。これからもないのか、あるのか、あったらいいなとは願っている。あるいは自らがつくれればそれもうれしい。

 種を植える、苗をおろす、土を起こす、水を田に入れる、それらひとつひとつの行為は、早すぎてもならず、遅すぎてもならず、しかもその適期は短い。天候にも恵まれ、災難にもあわず、よき稔りを迎えるための、”勝負”とでもいえようか。

 そう思ってみれば、春はチューニング、音あわせの時間なのだ。舞台にはさまざまな草木がそれぞれの音を奏でるためにあがってくる。サクラもその中のひとつだが、ツクシ、ホトケノザ、ワラビ、フキノトウ、タケノコ、スミレ、……それぞれが土の中から、木の芽から、舞台にあがってくるのだ。はじけでるように。

 Spring has come!

 昨日は、この目で見ることのなかった演奏者のひとりを豆腐屋さんからの帰路、峠の崖地でみつけた。

 ウバユリである。

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 その根は澱粉質を含み、食糧のひとつとして重要なものであった「らしい」。

 日本国語大辞典にはこうある。

《夏、茎を出し、その頂に緑白色で長さ七〜一〇センチメートルにもなる漏斗形の花が横向きに咲く。地下に卵形の鱗茎(りんけい)があり、良質のでんぷんがとれる。葉は楕円状心臓形で先がとがり、長さ約二〇センチメートル。若葉は食用となる。かばゆり。ねずみゆり。学名はCardiocrinum cordatum》

 

 若葉、すなわち、今土から出ているこの鮮やかな葉だが、アクが強いものの、食べられるというのだから食べてもよいのだが、なにせ量が少ない。見守りつつ、来年増えるようだったらそのぶんをとってみたい。山の谷一面にこの花が咲く景観をみることができたのはいつの時代までであったろうか。古名をがはゆり(がわゆり)と呼ぶと同じ辞典には記されている。樹陰で湿度を要する植物であるから、ギボウシ=ゴロビナ=ウルイともその生存条件は近い。

 ともあれ、これから、ゆっくりみていこう。

坊主と風は10時から出る

 3月27日、三瓶西の原の火入れにボランティアとして参加してきました。受付も含めた総員は約130名ほどでした。報道では延焼したこととか、逃げ遅れた消防車が1台焼け死んだことがとりあげられていましたね。「消防車が焼けちゃった」というのはそりゃニュースにはなる。犬が人をかんでもニュースにもならないが、人が犬をかんだらニュースになるという理屈において、ではありますが。

 なぜそうなったのかということについて、どこぞの新聞は「強風で」と書いてました。が、強風ではありませんで、「強風ということにした」のでありましょう。

 これは、強風などの自然要因であれば「不可抗力」として人的責任を問われないがためであります。

 2010年10月、静岡県御殿場市陸上自衛隊東富士演習場での野焼き中に、男性3人が焼死した事件では、一審で責任者2名が有罪判決を受けていますが、安全対策は万全にとっていたが、「強風による不可抗力だった」というのが、被告の言い分でありました。

 いや、三瓶の一件でもだれかに責任があるということを言いたいのではありませんよ。むしろその逆。草原自然で起こることは複雑であって、個別の要因に絞り込むのは危ういことです。リスト化してチェックしていけばつぶしきれるものではないということです。

 野焼き、山焼きで事故が起こるたびに、対策、対策と叫ばれ、マニュアルが整備されたり、より多くの人員や予算や時間が割かれるようになります。

 私、これ、間違っているのでは?と考えるのです。このたび参加した三瓶の火入れでその思いをさらに深くしました。回を追って述べていきたいと思います。

 今回は、ほんのさわりとして標題のコトバがあるのです。風の動きをどうとらえるか、という話のきっかけにすぎませんで、さほど深いコトバではありません。

 火入れに際して、強風のおそれがあれば、それは当日であっても中止です。当然のこと。突発的な強風があるではないかといわれるかもしれません。それあくまで突発的で長い時間にわたるものではござらん。そもそも火入れをすれば、熱風によって風の向きや強さは複雑に変化します。

 坊主も風も10時から動くというのは、太陽熱による温度の差が生じることによる風の発生を意味しています。風は目に見えませんが、大きな動きは雲で見ることができます。ただ、火入れに際しての風はそれ以上に向きが重要なのであります。

 山野に火を入れる際の基本は、風下から点火するということ。ゆっくり火を動かすことと、しっかり焼くことがその効果です。

 しっかり焼く。これ大変重要で、灰になるまで焼けていれば、それ以上焼けることはありません。くすぶった炭が残っているとそこからまた再発火してしまうので、いかんのです。また、火入れの効果として一定温度で長く焼くことで得られることもいろいろあるのでね。

 野焼きの場合、次に重要なのが、「迎え火を打つ」ということ。風向が一定であればことは簡単で、風下から点火したあと、両脇にも火を入れ、かまぼこ状に展開した火が3分の2〜4分の3ほども進んだところで、風上から点火するというのが理想。

 そして、理想どおりいくことなどほぼありません。

 さて、どうするか。ここで安全第一を優先すると、まったく安全第一にならないという矛盾が生じることとなります。

 どういうことは、次回以降にて。

 (つづく)

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焼畑でイセヒカリ

”竹の焼畑2018”を策定中。

地道にとはいえ、これ(写真)をひとりで伏せ込みなおすのはどうなのだろう。

自棄になっているわけではない。今日あらためて現場を検分し、冷静に考えて、ひょっとしたらできるのかなと思ったのだ。

昨年度の様子から、今年はだれも集まらないかなと想定していたので、そのなか3名が残ったのは朗報だった。だが、うち2名は学生OBであるし、学生1名では動かないほうがいいだろう。

ただ、例年そうであるように、火入れ当日の人は確保できる。

問題は準備と栽培の手入れにほとんど人が入らないということ。

さて、そんななか、今年は陸稲に取り組むことにきめた。

焼畑イセヒカリ、である。陸稲といえば糯性のものが大半かと思いきや、粳もあって、なかでもイセヒカリは取り組んでいる人も多い。

焼畑で栽培される作物は時代と環境によって変化してきたものだ。陸稲を試すべきとは1年ほど前から考えていたことだが、ここへきて踏み切るのにはいくつかの理由がある。

・雑穀栽培を続け周辺へひろめていくうえでは「機械化」に取り組むべき時期にきている。とくに籾摺り、脱ぷなどの調製過程。機械はほぼすべて米に特化してつくられていて、オプションの機具をつかえば雑穀にも対応できるというまでのもの。

有機栽培、自然栽培の農家がいよいよなくなってしまうのではないかとこのごろ思う。お店と数家族が養えるくらいの米と大豆と少々の野菜は確保しておきたい。その道をいまからつけておきたい。市場に出さないものでよいのだから。水をつかう水稲は最上流の田んぼでもない限り無理だろうから、畑地、しかも僻地の畑地に限られる。焼畑のできる土地と条件はほぼ同じだ。

・米の単位面積あたりの収量は他の雑穀を大きくしのぐ。稲わらがとれるのも魅力だ。稲作を見直す意味でもこれはいまから取り組みたい。

・参加者の昼食用に。ま、これはおまけ。

 さて、相性を考えて、モチアワ、タカキビ、センニンコク、ダイズ、アズキ、ヒエ、などと混植。

5月下旬の梅雨入り前に火入れだとして、イネは苗を移植するか。直播は時期と土とからして難だろう。

 育苗をどうすべえということなど、なにかと複雑じゃが、まあなんとか、したい、です。