5月15日の日曜日。晴れ晴れ晴れ〜! 晴天でした。やや疲れも見え始めてた人もいますが、それはここまでがんばってきた証。取りかかった8名の皆さん、脚も腕もパンパンに張っていることでしょう。
この日は防火帯の整備を中心に竹を移動し、落ち葉を掃き集めて取り除き、水タンクを運び上げ、といって作業を行いました。
来週はいよいよ火入れです。
森のこと山のこと
竹の焼き畑2016-sec.3が終了
レポートです。
5月7日のこの日は参加者5名。朝方に思わぬ降雨がありましたが、10時過ぎにはあがり、昼前からは快晴となりました。なんとか火入れが見えてきましたよ。連休の最中、いい汗をかいたみなさん、おつかれさまでした!
以下、箇条書きにて御免。
《概要》
日 時…5月7日(土)9:30現地集合〜15:30現地解散
参加者…5名
主内容…春焼き確定地の整備。作業量の確認と山手側へ火入れ地を拡大することに決定し、竹の伐倒と玉切り。意見交換、課題確認。
《確定事項》
1●燃焼テスト2回目を実行。火つきも悪く、燃焼もきわめて悪かった。これを受けて、膝上の高さ以上に材を積むことを必須とする。
†.膝上以上、腰高以下の高さに材を積み上げる。あるいは崩すこと。
2●火入れ区画の拡張
3●粟の播種量の決定……200〜300g
種の代金はカフェオリゼから出資。
《次回作業日までの調整事項》
1●火入れ予定日の参加人数の確保(最低10名)。
2●播き方を調べて、確定する。
《その他》
1●焼き畑って何?を初参加・初心者メンバーに向けて映像を見せたりするなどの勉強会・上映会を開催する必要がある。→奥出雲ラボ・多根自然博物館研修室などを候補に準備していく。
†.上映材料と機材がそろえば発車。
上映材料…椿山など。
竹の焼き畑2016-sec.2が終了
2回目が終了。おつかれ、おつかれ。暑かったです。最高気温が22℃だったのかな。風もそこそこ強かったです。そして、試し焼きは、想定以上にうまくいきました。はずみがつきますね。後半バテ気味で、チェーンソーの刃で石を削ってしまったり、燠火で焼いていた極旨のタケノコを乳牛に食われてしまうなどのアクシデントもありましたが、無事に楽しく作業を終えることができました。
次回のsec.3は5月7日(土)です。
まとめ中ですが、記録は以下。
《概要》
時 間…9:30現地集合〜15:40現地解散
参加者…9名
主内容…春焼き試し焼き(燃焼テスト)。春焼き確定地の整備。意見交換、課題確認。
《確定事項》
1●試し焼き(燃焼テスト)の成功。大変よく燃えた。うまくいったことを踏まえて春焼きにのぞむ。
†.密着度(その場にいた人にわかるレベルの把握でよいが)を高めておく。最低限竹の幹の向きをきっちりそろえて重ねる。
†.高さは腰高程度を基準に。
†.燃えているものを崩してひろげる方法はできない。よく燃えるので近づけない。よってブロック単位で燃やしていく方法か。ある程度燃え切った後で、炭の厚いところを慣らしひろげる程度。
†.( m× m)区画での燃焼での時間経過を以下に記す。(面代の記憶で書いているので、参加者で気づいた人は、、補足と訂正を入れてみてください)
10分経過でほぼ全体に火がまわる
20分経過で嵩が落ちて、地が見える。燃焼はあらかた終わり、残り火と炭火。
40分経過でほぼ鎮火。炭火のみ。
1時間半経過で
3時間でほとんどが灰になっているが、炭も若干残る。
2●火入れ区画の拡張とマーキングし直し。
†.平面測定値と図は中村さんの方から
3●情報伝達共有メディアについて
†.3つ主として、他は従。
・ライン:参加者への活動参加呼びかけと集計
・Evernote:計画・確定事項と課題の確認及び記録・内部情報共有
・facebook:イベントページによる参加者募集
サブ
・メール、携帯電話:参加者と事務局内部重要事項伝達
・ウェブ・メルマガ:情報公開
・奥出雲ラボ内外の張り紙、ボード、地図など
4●春焼きの作物について
アマランサスを上段、アワを下段。量については2●の面積と3●の蒔き方をもとに算出、発注。
5●調製の道具について
唐箕は1台は確保(高嶋)。ただし動作確認は未。
6●次回は5月7日(土)
天候をみて変更可能性あり。
※あと4回で整備終了、火入れとなると。プランとしては以下。できればあと3回で整備終了としたい。
5/7(土)sec.3
5/14(土)sec.4
5/15(日)sec.5
5/21(土)sec.6
5/22(日)火入れ
7●ホースの長さは25m+7mで、32メートルまでが牧場のポンプの性能上のマックス
長さは問題なし。できればポンプがもう1台ほしい。すなわち、消火設備はタンク2台、ポンプ1台(できればもう1台)。軽トラ2台。
《次回作業日までの調整事項》
1●種子の量を決めて発注できる手前まで(春焼き用のアワとアマランサス)
2●火入れ申請手続きの進捗確認
3●参加者募集と松江からの便確保・調整
4●チェーンソーの歯調整
5●予備ポンプが大学から借りられるか確認
6●在来作物再発見プロジェクト関係で小林先生と連絡〔面代)
《その他》
1●民俗調査助手募集中…奥出雲ラボを拠点利用する。
2●眠っている粟の種子がどうやら見つかりそう。今年種取り用に栽培し、来歴が確かなものであれば、次年度から使う。ジーンバンクへの登録も考慮。
3●雑穀の食べ方、調理方法を調べる。どんな食べ方をしたいか火入れまでにイメージを描いておく。
竹の焼き畑2016のはじまり
4月24日(日)、「竹の焼き畑2016(仮)」の最初の作業日が終了。
概要と確定事項を箇条書きにて記しておきます。
《概要》
時 間…9:30現地集合〜15:15現地解散
参加者…8名+見学3名
主内容…春焼き・夏焼きの候補地最終下見と場所の確定。春焼き確定地の整備。意見交換、課題確認。
《確定事項》
1●春焼きはダムの見える牧場で今年2月に伐倒・ふせこんである北西部に決定→木次乳業に計画変更届けを焼く前に出しておくこと。
2●5月下旬に火入れ(梅雨が来る前)する。5月21日(土)または22日(日)を第1候補→あと2〜3回の整備で準備終了となる。
†.次回は4月29日(金)、30日(土)、5月1日(日)のうち晴れた日で試し焼きを行う。その状況をみて整備の仕方をきめこむ。
†.24日でマーキングした境界よりもひろげていく。
3●土地所有者でもある奥出雲町への事業説明(火入れ申請打診と計画説明)は来週4月26日(火)または27日(水)。
4●南東部平坦地は7月に少し焼いて、豆をうえる(土用豆の予定)
→ダムの見える牧場へは昼食時説明しOKとのこと。1と同様、木次乳業へ計画変更の文書を届けておくこと。
その水はどこからくるのか
蛇口をひねれば水が出る。ありがたいことだ。感謝の気持ちを忘れようが粗末にしようがそのことの価値は変わらない。水を汲むという大仕事にかかわる時間をほかのことに振り向けることで、いまのわたしたちは、生と社会を営んでいるのだから。
だが、どうだろう。「蛇口から注ぎ出る水、その水はどこからくるのか」という問いに、はっと立ち止まり、いずまいをたださねばと思う大人の数のへりようは、見えないだけに、そらおろしいものがある。
ことは水にかぎらない。みずからを、家族を、地域を、国を、飢餓や差別や汚職やありとあらゆる不合理で理不尽なものにまみれながらも、成り立たせているものごとに対する「理解」が、徹底的にかけている人たちがまとめて出現するようになっていると、感じるのである。
どこかのステージで、それが常識であり正当であるとなったときに、戻ったり、修正したりはできない。。。。わけではない。それができる、ほとんど唯一の手段が活字メディア、「本」であり「雑誌」であるところの「出版」なのである。
さて、そうした抽象の水ではなく、具象の水たる、この水路の水。島根県雲南市木次町にある尾原農村公園の水路の水である。ときは天平の時代。この水を汲み、なにがしかの容れ物に大事にかかえて、この地から都におわす天皇のもとに、行かんとする男がいた。
その姿をどう想像したものか。そのときの風景はいかなものであったか。思い描くために、もう少し、書をめぐってみる。
美郷町君畑の焼き畑
白石昭臣『竹の民族誌』(2005;大河書房)。竹の焼き畑は、この書がなければやろうとは思わなかっただろう。実証とは遠く、実験というほどの体もなしえないようなもので、白石氏が究明しようとしていた「ブッシュフォロー」タイプの焼き畑がもっていた意味や技術への思いも足りないものではあったので、引き合いに出すのは心苦しくもある。しかし、辛さも乗り越えがんばったとは思うし、うまくカブが育ってくれれば、”竹の根や地下茎があるから、焼き畑は不可能では”という疑念にさらされた白石氏の面目を晴らす一石くらいにはなろう。
しかるに、私、まだ、きちんと読んでおらんのです。その大事な本を。これから、おそまきながら、というのが昨日、今日のこと。そして、いくつかの誤りが目についたりしたので、気をつけて読む必要を感じはじめてもいたそのときのこと(出雲国風土記のひとつめの鬼のことを意宇郡のこととしている→大原郡が正しい)。いや、私こそが、「見落としていた!」という節がありまして、ここに記します。
【事例3】島根県邑智郡邑智町君谷 この地区でも竹藪を主とするヤキヤマ(焼山)ともいう焼畑がみられた。このヤブ焼きは周辺の山をハンゲ過ぎに焼くもので、春にはじめに焼くこともある。数人の仲間で伐る。女竹や笹薮ばかりでなくクロコなどの竹林も焼く。飛火に注意しつつ竹を焼いたあとは灰が堆積する。そのなかにアワ、小豆、ナタネなどをローテーションを組んで播く。ソバをつくる人もいる。ソバを撒いた周辺に別の種を播くこともある。アワは春と秋に播く。ここでの作物は手をかけないが、美味である。3〜4年ののちに放置するが、その7年間、紙の原料であるミツマタを作るところもある(このヤブ焼きの伝承者は大正14年生まれで、現在も復原を試みることが可能と語る)。
この括弧内を見落としていたのです。復原の意思というか可能性を記すというのは、なにかがある。伝承者は大正14年生まれ。存命であれば90歳か。こりゃ、美郷町へ確かめにいく必要があります。志津見の件もあわせて、どこかで時間をとりましょう。
竹の樽あけ
ドキドキしながらふたをそーとあけると、赤く染まった液体。臭いはきついですが、いやではないかなあ。なれると平気。悪臭とは違うと思います。さてさて、7月初旬ごろにつけた真竹ですが、取り出してみました。水にさらすまえからさらさらとほぐれています。まだ若すぎかなあというものだったので、これは想定内。
そして、こちら孟宗竹です。トラックの荷台に積んで運び出し、民家裏の小さな竹林に、樽をおいて漬け込んだのは約100日前。今日、樽をあけて、軽く水で洗いました。よくほどけます。流水だけでバラバラになります。よしよし。合格。(鍋に入っていると、ほんと素麺にみえてしょうがない) さて、これから、網に入れて、山水にさらしておきたいのですが、いまに至るも、そんな奇特な場所は見つからず。なくはないのですが、小屋でもいいので、作業ができる屋根のあるところがベター。探しています。
◎水について……今回つくづく思うのは、竹などの材料はいささか遠くにあってもよいが、水(流れる水、きれいな山水)はそばにないと無理。
◎漬けた樽の置き場について……匂いはそれほどじゃありませんので、柿の木でもなんでも日陰ができる木、もしくは庇の下でもOK。
温海カブの種を蒔く
火入れが、度重なる延期で、9月に入ってもできそうになく、蕎麦蒔きは今年は断念しました。カブでいきます。温海カブの種を入手しました。津田カブも少し予定していましたので、今回は種とりをおこなわず、両方まきます。津田カブの種は2aぶんということでしたので、10〜15aぶん???
再計算してみますわ。
そして、種の袋に記載されていることへの注釈メモをいれておきます。
◎温海カブの種蒔きメモ
播種期:山形県の温海町一霞地区では8月中下旬→奥出雲町では9月上旬かなあとみてます
播種法:山の上部から火を入れ、燃え尽きて1時間後、灰の上に播く。→→この通りやりましょう
覆 土:散播後、木の枝でたたき、タネを灰や土と混ぜる→この通りに
発芽適温:20〜30℃
生育適温:10〜25℃
栽培法:播種後、降雨があれば数日で発芽する。生育状況により間引きや除草を行い…(後略)
用途:煮て食べるには堅い。収穫したカブは葉と根の先を切り、酢と砂糖塩を混ぜあわせた「甘酢漬け」にする。1〜2週間漬け込むと、酢で果肉全体が赤く染まり美しい
発芽率:75%以上→山形の在来種旧仁多町では、この温海カブを焼き畑で栽培していましたので、気候・土壌は適しているはずです。
種子数→6万粒購入しています
◎温海カブについて
まずは概要。
名称となっている温海町は合併によっていまでは鶴岡市の一地区となっている。この赤カブは旧温海町一霞地区で栽培されてきたカブである。映像作品として私が知るものでは、「よみがえりのレシピ」。そして、未見ながら、NHK山形が1993年10月に放映した27分作品「東北発見:赤カブに生きるー山形県温海町一霞」がある。
つづく。
蕎麦を播く
横田地方の在来種、横田小蕎麦6キロを入手しました。
通常は1反ぶんだそうです。焼き畑の場合、どうなのか。
これから追記して、まとめていきます。
まずは、種を届けてくださったYさんから聞いた話のメモ。
大事なことだけでもメモ書き。
・刈るとき……手刈りするとき、根が浅いので、すぐ抜ける。鎌でおさえるようにして、手を動かしてすっと切る感じで。
・乾燥……晴れた日などときどきシートの上にひろげるなどしないとなかなか乾かない。
・刈りどき……次々に実をつけるが、待つより、最初につけた段階で刈ってしまうのがよい
・小蕎麦は背丈が信州などの一般品種よりものびないものである
・他の品種と交替で植えたりしても、交配がすすんでしまう。
つづく。