相模原施設殺傷事件にどう向かうかは日本社会の重大な節目となる

 相模原施設殺傷事件から半年が経過した。

 私は新聞・テレビ・ネットを含めたメディアのニュースをほとんど見聞しない。理由は種々あれど、流れるニュースの大半はニュースとしての価値のない、たとえばいえば「今日はいい天気ですね」と同水準のもの、すなわち挨拶程度のものとしか受け取れないからである。私にとっては。

 そんな私が昨年最大の「ニュース」として今もその経過が気になるものが、この事件である。

 ネットから3つの記事をひろってみた。

 

NHKニュースウェブ「殺傷事件から半年 元職員は障害者冒とくの供述続ける」1月26日 4時05分

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170126/k10010853161000.html

 この記事がオブラートに包んでいるかもしれないことに、いや、妄想であってくれと思いたいのだが、私は戦慄を覚えざるを得ない。それというのも10日前には、こんな記事が出ているからだ。

朝日新聞デジタル「植松容疑者の鑑定留置、4週間延長 相模原殺傷事件」2017年1月17日19時58分

http://www.asahi.com/articles/ASK1K5RMDK1KULOB02K.html

 植松容疑者は、責任能力を有しているのだ。精神鑑定の延長はそれを徹底して確かめるためだと思われる。記事では取り調べの状況をこう記している。

《植松容疑者は、調べに対し、こうした主張(障害者やその家族を冒とくし、みずからの行動を正当化する内容:編注,記事前半より)を一貫して供述しているということで、捜査関係者によりますと、取り調べの中でその考えは問題があると指摘されると「わかっていない」などと反論していたということです》

 専門家による鑑定は、来月20日までの予定で、検察は鑑定結果などを踏まえて起訴について判断する見通しです。

 そして、昨日のシンポジウムの開催は京都ローカルの記事らしい。こんな小さな扱いでよいのだろうか。

朝日新聞デジタル「京都)相模原殺傷事件半年でシンポ 優生思想根深さ指摘」大村治郎,2017年1月28日03時00分

http://digital.asahi.com/articles/ASK1W3F5GK1WPLZB002.html?rm=381

 私の戦慄は、植松容疑者は優生思想というわかりやすく断罪されやすいものではない、古い型をもちながらも、21世紀に現出した新しい思想を宿しているという予感だ。

 共感し同調する人間が少なからずいるし、今後どんどん増えていくだろう。その場その場の損得だけで動く社会がとまらなくなってしまったのだ。

 だとしたら、私は戦わねばならない。思想を学ぶもの、知を愛するもの、人間を信じるものとして。思想と戦えるのは、法でも裁判でも戦車でもない。これは、正しさをめぐる思想と思想の戦いなのだ。

 生きるに値しない命などない。

 

2016年のガマズミ

 がまずみについて、記事に書いた記憶がありますが、見当たりませんので、これまでの概略を記します。
1. 2015年秋、さくらおろち湖周辺でガマズミを発見。荒廃竹林山林の再利用活動のなかで、低木で材の用途も広く、子どものおやつとしても、大人の滋養食としても、こりゃいいなあと思い、再生に取り組むことにした。ジャムはカフェオリゼで好評。「これはなんですか?」「おいしい」「好き」という声多数であった。
2. 2016年春、種の保存法が雑であったため、発芽は0となるものの、挿し木は何本かが成功。育成に向けての第一歩となる。出雲国の産物帳などにより、出雲地方での方言名は「かめがら」「かめんがら」であることなど文献で確認できたことなども多々。
 寒中見舞に記載の一文をひいておく。
【ガマズミの実】
 ガマズミは別名ヨソゾメ、ヨツズミ、また、方言名としてムシカリ、ズミ、ソゾミなどが知られているものの、奥出雲でどう呼ばれていたかは未だわからない。幹は鍬の柄に、枝は結束の縄として使ったという。果実は晩秋から初冬に甘くなり、疲労回復・利尿の効能があるようだ。染色にも使った。さて、その諸能も存在も忘れ去られようとしているが、この春、種からふやしてみようと思い立った。園芸ではなく、荒廃した山の道を切り開き点々と。うまくいけば五年後には実を結ぶだろう。
3. 2016年晩秋。諸事多忙につき、採集したものを黴びさせてしまったりもするが、小瓶3つ4つぶんのジャムはできた。実を干してドライにしたものは、おやつにはよいが人には出せないねなどと話す。
 昨年、妻につくってもらったジャムですが、「コツがわかった」とのこと。再度聞いて後ほど加筆しておきます。



 さて、本題です。本日、「飯南町の植物ガイドブック」平成25年刊を見ておりましたら、ガマズミの項に気になる記述を発見。以下に引用しておきます。

 p19〜
 ガマズミ
 この地方では「カメガラ」と呼んでいました。細く真っ直ぐ伸びた木を、太鼓のバチに用いました。お宮の神事、神楽などの太鼓のバチはほとんどガマズミでした。
 真っ赤な実は甘酸っぱく、かつは子どもが食べました。また、噛みながら皮と種を除いて、わずかに残る果肉をチューインガムのように噛んで遊びました。

 ガムのように噛んで遊ぶということがわかりません。どういうことなんだ。「わずかに残る果肉」とは種にこびりついた果肉のことなのだろうか。はてさて。

家庭用精米機を使ったモチアワの脱っぷ

 1月8日の作業の結果だけを備忘に書きとめ。
 山本電気のRC-23(製造中止だが市場在庫がまだ豊富)を使った雑穀の脱っぷを実行に移しました。五穀用スクリーンの在庫がメーカーにあり2つ注文したことは以前に記したかもしれません。網目が小さいため、アワはすり抜けますね。

 デフォルト(雑穀向きに推奨されている基本設定)で4回まわしたのが、この上の写真の状態。そして、掬って拡大したのが下の写真です。これならきれい、使える。
 
 しかーし。写真には撮っていませんが、同じ量ほどが網からすり抜けて粉(米でいうなら糠)とともに受皿にたまっているのです。放置しておりまして、本日風選する予定でしたが、やり損ねました。明日、で、き、る、か、な、です。曇ならなんとか。
 そして、同じく写真には撮っていませんが、蕎麦を試してみました。黒皮は剥けず、剥けたものの大半は砕けて次々と粉になってしまうようです。蕎麦粉のよい香りを堪能するはめになりましたが、さて、どうしたもんじゃろのお。ちなみに2年前の玄そばに3年前の玄そばも4割程度混ざったものですが、これだけよい香りがすれば、まだまだ使えるなあと思いました。挽きたてにまさるものはなしということですかな。

ホトホトと鳥追い

島根県雲南市木次でのとんどさんは、あらたか先週末の7日か8日に行われ、元来の小正月である十五日に執り行うところはごくわずかだ。先週行ってきた頓原のトロヘイも、もともとは十五日の前夜にやるものであったのを、諸事情、すなわち人間の側の都合で土日にずらして行っている。神事であるよりは人事(イベント)なのだから、致し方ないことであるし、それが道理でもあろう。60年か70年ばかり前の時代に柳田國男が嘆いたのは、それがもともとなんであったのかを覚えているものもいなくなるという事態であった。それすらも過去のことになってどれほどがたつのだろう。この帰結がどうなるのか。嘆きとともにあったのは、まだ手をのばせば取り戻せるのにという無念であった。今の時代、その痕跡さえも失われてひさしい。だがしかしそれでも、追ってみたいものはある。僅かな残り香のようなものを頼りに。無為多忙なるに流されながら、せめてメモのような箇条書きを今日は記しておく。

柳田国男の「小さきものたちへ」に所収されている「神に依りてきたる」。そこには、トロヘイ、ホトホト、トベトベ、と、地方地方でさまざまに呼ばれ、豊富なヴァリアントをもつ小正月の行事が羅列されている。そのもっとも深い本質は何か。柳田が標題にしたように、それは

《われわれは久しい間、少なくとも年に一度ずつ、神に扮して出る役目を持っていました。》

ということとして、整理してみるのがよい。  およその概略は伯耆・出雲の「ホトホト」が公約的なものであったのか、こう延べられている。

伯耆・出雲辺ではホトホトとよんでいました。正月十四日の夜、村内の若者が藁で作った馬・牛の綱、あるいは銭緡の類を以て人家の戸口に立ち、小さな作り声をしてホトホト、ホトホトというのです。そうすると家では盆に餅や銭を載せて、出て来てこれをくれるのですが、同時に作り声のだれであるかを見現そうとし、一方はあてられないようにするのをてがらとします。通例は、そっと水を汲んで来て不意に打ち掛け、びっくりする地声を聞こうとしました。》

これが東北・東日本では「鳥追い」として伝わっているものが多い。その意味付けはホトホトとは異なるが、家々を尋ね、餅や銭をもらうという点は同質であり、何より「子ども=神の代理」であることは変わらない。

ここに「とんど行事」と子供組、あるいは若者組の仮設小屋がどう関係してきたのかが、この小正月の神事の変遷を夢想してみる鍵となるだろう。

産屋が新たな生命を得る場として、日常世界から切り離された場に設けられたように、とんどの前に藁でかけられる小屋は、あらたな歳=たまを得るための忌み籠もる場であったのだと思われるし、それを仮説として、より奥へとわけいってみたい。  ……つづく。

大人のためのごんぎつね〜新見南吉童話集(本の話#0002)

記事タイトルであげたトークライブのお知らせです。

◉主 催:ナレッジ・ロフト「本とスパイス」&カフェ・オリゼ

◉日 時:1月27日(金)

 開 場…18:30

 トーク…19:00〜20:20(20:30〜22:00 食事)

◉場 所:カフェオリゼ(木次町里方)

◉参加費:2,500円(スリランカカレー/ドリンクセット含)

◉定 員:12名

◉申 込:「大人のためのごんぎつね」参加希望として、下記のメールアドレスまでお名前とご連絡先をお知らせください。返信のメールをもって受付終了とさせていただきます。メールはこちらまで anaomoshiro★gmail.com(★⇒@)

◉内 容

 「本とスパイス」提供の、月刊ペースで1冊の本を巡るトークライブ。第2回目となるお話は、大人のための「ごんぎつね」です。

 国語の教科書に採用されて以来、6000万人が読んだといわれる「ごん狐」ですが、同人誌「赤い鳥」に発表されたのは昭和7年、満州事変の翌年であり、著者、新見南吉19歳の時でした。

 南吉の童話作品の大半は発表されることなく、29歳と8ヶ月で没する数年間に故郷で書かれたものです。千葉俊二編「新見南吉童話集」の中から、遺作となった「狐」、「牛をつないだ椿の木」を読みながら、ごんぎつねと共通する南吉の世界に迫ります。

 さて、ごんぎつねには3つの原稿が存在します。

 広く読み知らされた「ごん狐」は、新見南吉の原稿に、鈴木三重吉が手を入れたものであります。従来、研究者の間では、三重吉が手を入れたことで「ごん狐」は名作となったとされてきました。しかし近年、「いや、それ違うんじゃないの」との読み方が出てきています。私も同様に考えます。そして、ごん狐には、南吉が郷里の半田市(愛知県)で伝承として聞いた「聞き書き版」が存在していました。

 ごんぎつねには3つの異なったバージョンがあるのです。とりわけ、物語の結末が、決定的に異なるのです。数文字の違いであり、オリジナル版の不自然さの中にこそある真実があったのだとすれば…………。

「ごん、お前だったのか」

 そう、誰もが覚えているこの言葉の後です。

 戦争で失われたのは人の命だけではありません。滅んでいったものがたくさんあり(い)ます。南吉は、童話としての完成度よりも、失われていくものの真実=物語をこの世に残したかったのです。それがなんだったのか。銃に撃たれたごんの願いとともに、物語の奥へと、たどっていきたいと思います。

今回のお話は、キツネ、オオカミ、ウマ、ウシ、クマ、サル、あるいはカッパやオロチ……、私たちの身近にいた生き物との関係を、信仰と民俗と物語=童話、を通じて探っていくものです。また、編集者として作家の原稿をどう読むのかという関係性をも考えながら、読み解いていきます。

おいしい雑穀づくりと小屋づくりと山畑の手入れetc.~1月7日

 快晴となったのは午前2時頃までだったと思います。またも出遅れ!てしまいましたが、仕方ない、なるようになれよと、思い、ます。アマランサスは少々。そしてヒエをはじめて脱穀しました。

 ◉今日の作業

場 所:奥出雲町三所

時 間:13:30〜15:40

参加者:1名

内 容:アマランサス脱穀少々(2回、6束程度か)。ヒエの脱穀はアワと同様に洗濯板でやりました。快調快調。もともと脱粒しやすいものだけに、アワよりもさらに楽ちん。脱穀に限ればもっとも手間がかからないものですね、これは。

 問題は風選です。トーミにかけると、実の入ったものも飛ばされていきます。重量によって3つの口から出るものですが、アワやアマランサスではあまり出ない2番口からもけっこうな量が出てきます。何パターンが調整を試みましたが、さほど変化はない。

 手にすくった感覚だと、たしかに1番口のほうがしっかり実が入っていて重いのは明らかです。しかし、2番口のものがまったくスカスカの中身なしかというとそうでもない。

 3番というか排出口からのものは明らかに軽く、実が入っていると思しきものも混入しているようでしたが、廃棄しました。

 手間のかかるだっぷの段階で、2番が使えるかどうか、試してみたいと思います。

頓原張戸のトロヘイ

来訪神がちょっとしたブームかもしれません。日本でもっとも知られているのは秋田のナマハゲですが、近年、子供への虐待なのでやめてほしいという苦情・訴えによって存続があやぶまれているとか。一方でナマハゲ含め日本の来訪神行事をユネスコの人類無形文化遺産へ「登録すべく」申請中でもあるとか。

文化庁が申請中の「来訪神:仮面・仮装の神々」にあげられているのは、以下のものです。

・甑島(こしきじま)のトシドン(鹿児島県薩摩川内市)
・男鹿(おが)のナマハゲ(秋田県男鹿市)
・能登のアマメハギ(石川県輪島市・能登町)
・宮古島のパーントゥ(沖縄県宮古島市)
・遊佐(ゆざ)の小正月行事(アマハゲ)(山形県遊佐町)
・米川(よねかわ)の水かぶり(宮城県登米市)…宮城県登米市「米川の水かぶり」小考 | 文化遺産の世界
・見島(みしま)のカセドリ(佐賀県佐賀市)
・吉浜(よしはま)のスネカ(岩手県大船渡市)

のちほど、動画のリンクなどはっておきましょうぞ。

さて、トロヘイです。昨日1月7日に頓原張戸でやると聞いたので見学してきました。知る限り、県内で現存しているのは、頓原地区のみです。かつて、島根県内では、現在の雲南市、奥出雲町、飯南町、安来市、旧簸川郡、美郷町、浜田市など、ひろく行われていたものです。まとまった記録をみたことがありませんが、金城の西中国山地民具を守る会で、1988年に《古老による「トロヘイ」の復元、記録作成 (1988年2月)》を実践されています。
あるいは映像記録が一部でも残っているやもしれません。(以前「実践民俗学」の記録について隅田氏に聞いたところでは、大半が残っていないと聞きました)。
奥出雲町阿井では大正時代に風紀紊乱を理由に禁止されたトロヘイ。日本国語大辞典では簡潔にこう定義しています。《小正月に村の青年などが変装して家々を訪れ、銭や餠(もち)をもらって歩く行事を、広島県あたりでいう。》  ………
えー、のちほど加筆するとして、今日のところは写真をアップしておしまいにします。眠いのですまん。  ここでも何度かなくなり復活しを繰り返されているようです。現在は頓原の公民館活動のひとつですが、最大の理由は子供の数が少なくなってしまったから。今年の張戸地区の子供(小学生までか)は5人。

馬と水の組み合わせにいたく刺激され、帰路、いろいろと妄想いたしました。 大正2年刊の『高田郡誌』では年中行事の2月の項にあらわれている。

《前高田諸村は陰暦十三日、後高田、奥高田は十四日、トノヘイ又はトロヘイ、トトラヘイ、鳥追幣杯と稱し貧家の少年或いは奴僕等郡をなして来り、大家の門前に喧騒し、牛馬の索沓等を献ず、餅又は米銭を與えて去らしむ、古来此日には人の門に立つを恥とせざる風俗と云う、其何故たるを知らず、或は戦国武士の流落身を寄するなき者の為に貧民食を請うの遺風にて、殿への意にはあらずやと云ふ、未だ其証を得ず近年此風殆んど廃す。》

乞食原理の風に重きをおいた記載です。風紀紊乱を理由として禁止される向きにはこの風が著しくあらわれた時代においてでしょう。ただ、乞食原理というも、もとをたどれば神の訪れと軌をならべることもあり、なかなかに事情は複雑です。  柳田国男は『食物と心臓』のなかでこう記しています。

《小正月の前の宵に家々の門をたたいて、餅をもらいあるく行事は全国的で、地方によってカパカパ・チャセゴ・カセギドリ・カサトリ・ホトホト・トベトベなど、十数種の異名のあることはすでに知られているが、これにも家々の幸福を主として祝うものと、訪問者自身の必要のためにするものとがあって、その堺は犬牙交錯している。岡山県北部のコトコトは厄年の男女の心願であったといい、四国の大部分から中国へかけての粥釣りなども、名の起こりはまたこの七軒乞食であったらしいのである》

おいしい雑穀づくりと小屋づくりと山畑の手入れetc.~1月6日

 晴れました。とりわけ午後からは青空が広がるという、山陰の冬としては大変にめでたい日和でした。そんなよい日に出足が遅れ、脱穀集中日のはずが、2時間弱にとどまったのは悔しいです。本当にまったく………。さっ! 明日も快晴の予報! 気を取り直していきます!
◉今日の作業
場 所:奥出雲町三所
時 間:15:00〜17:00
参加者:1名
内 容:アマランサス脱穀。叩き方が甘かったせいだろうか、唐箕にかけた後の籾殻やゴミ等の残存率が高かった。ていねいにやらないぶんだけ、出来は悪くなるのだなあ。ちょっとの手抜きが結果に出るだけ、繊細な作業なのだろうね。今更ではあったが、赤い花をつけたものが2本たまたまそろってあったので、種まき用として外のものとはわけて選別した。

 夕方になると雲もけっこう広がってきたが、午後5時前には夕陽がまだ西に見え、ものの姿かたちをよく見ることができる。黄昏時よりは少しばかり前の、何はともあれ、仕事の終わりの安楽感を胸に軽トラで道に出ようとしたときのこと、ひょこひょこと近づいてくる者あり。
 警戒心が薄い。カメラを取り出し、おさえておきましたとさ。
 どうやらイタチのようです。

チドメグサとよく似たものたち

 チドメグサ、ツボクサを探しはじめた。
 地方名がわかればそれもみておきたい。薬草として、ツボクサの利用がかつての山野にあったのかなかったのか。などなど。
 昨日、そらやま団地の山にある一畑さんを確かめに行った際に、山の入口で見つけたのがこれ。

 チドメグサだと思うのだけど。はて。さて。
 松江花図鑑などを参照しながら、よく見てみよう。
●チドメグサに似た仲間
http://matsue-hana.com/yasou/kubetu/tidomegusa.html
●ツボクサ
http://matsue-hana.com/hana/tubokusa.html
●チドメグサ
http://matsue-hana.com/hana/tidomegusa.html
 ツボクサの利用について、世界大百科事典(平凡社)ではこう記述。

《マレーでは野菜の代用として食用にされ,東南アジア方面では葉をもんで傷口や皮膚のただれにはったり,下痢の薬として用いられることがある。》

 そして、薬用で一項を設けて、

《全草を積雪草(せきせつそう),連銭草(れんぜんそう)(日本ではこれらはふつうカキドオシをさすことが多いが誤りである)という。サポニンを含み,単独でまたは他の生薬と配合して下痢腹痛,黄疸,吐血,外傷の出血,食中毒などの際に煎服し,また搗(つ)き汁を外傷,疥癬(かいせん)などに外用する。》

と。
日本大百科事典(小学館)では、チドメグサとツボクサとの違いを簡潔にこう記述している。

《(ツボクサは)チドメグサ属に似るが、ツボクサ属は果実に網目状の脈があり、葉柄の基部が鞘(さや)となり、托葉(たくよう)がないので、チドメグサ属とは異なる。南アフリカを中心に世界に40種あり、日本には1種のみが分布する。》

 そうか、日本には1種のみか。
 さて、ツボクサの説明をみると、道ばたや林内でみられるという記述が多い。あたりまえに見られるものであるはずのものだが、あたりまえがあたりまえでなくなっていく時代だ。要因のひとつは除草剤の多用。ホームセンターでも農協でも取扱がすごい勢いでふえている。とある地域で、営農組合でタンクごと買って、各家庭で大量に撒いていることをきいた。
「外の家は、きれいに草一本なく枯れているから、もっとたくさん使わないとダメだと言われる。私は撒きたくないんだけどね」
「ここらでは、ヨモギもツクシも、とにかく野草はこわくてとらないし食べられないよ」
「野草を知ってる人は、もういない。80歳越えて元気な人ならともかくね。70歳代はそんなことはぜんぜん知らないよ」
 はい。民俗知の喪失は、単なる知の喪失にはとどまらないのです。

12月31日人間の条件(本の話#s001)

https://www.facebook.com/events/366693750334384/

「片つかぬことを抱えし年の瀬は月の晦日とさして変わらず」髙山宗東

 本日、快晴となった大晦日です。今晩の準備をしています。机に向かって。

 役に立つこと、必要なこと……古代ギリシアが軽蔑した概念は、侮蔑から称揚へと駆け上がり、いまや世界を覆い尽くさんとしています。なので、堂々と胸を張って「この話はなんの役にも立ちませんから!」とは言いません。誰も来ないであろう晦日の夜にひっそりと行われるのです。

 アーレント「人間の条件」は、本とスパイスの特別編として、来年各章ごとに読み進んでいく予定です。今回はそのさわりとしての開催です。

 さて、内容ですが、「役に立たないことこそが人間の人間たる条件」なのだ!ということを明らかにしていきます。

 アイヒマン問題(凡庸なる悪=知識・思考の奴隷化=役にたつ知識など糞だ問題)、カール・シュミット(自分の存在をおびやかすものを存在論敵に殲滅するのが政治)、キリスト教の愛(愛は最強の反政治性)、近代の最終形としてのひきこもり、動物化する世界……などを補助線として。

【参考便宜的図式を以下に】

oikos ーーー police

zoe ーーー bios

economy ーーー politics

private ーーー public

 ちょっと青空を見に出かけて夕方からささっとまとめましょうぞ。