本の記録〜令和3年6月3日

†.  野本寛一『採集民俗論』2020,昭和堂/県立中央図書館より借
 椎茸、ウバユリ、オオバギボウシなどの項を拾うために手元に寄せたもの。大著だけに断片を拾うだけのつもりだったが、一度通読してみたくなった。腰を落ち着かせて……、と書きかけて、あぁしかし、そうやって向かいたい本を数え上げただけで日が暮れてしまいそうだ。拙速は巧遅に勝るのか。いや、拙速でも巧遅でもない、そうした二極にみえる状況そのものを転覆してみたい、と思う。
本書における椎茸民俗の採取は明治以降の栽培化以降、大正生まれの世代からの聞き書きが主となるためか、他の採集草木と比して異貌の感を強くした。この違和感を携えて奥へと分け入りたい。
そう、御蔵島の採集椎茸について、野本氏は〈シケミミ〉の名をもって以下のように記している。
《シイの古木の幹の一部や枝は台風などで倒れたり落ちたりする。台風がやってくると、そうした倒木や腐木に大量のシイタケが出た。島ではこれを「シケミミ」と呼んだ。シケミミは薄くて足が長いのが特徴である。シケミミがたくさん出るムラ山(共有山)は、事前に区画を割って定めておき、シケミミの採取権を入札で決めていた。……略……シケミミは、菌打ち栽培化以前の採集シイタケだった。シケミミは自生シイタケの組織的な共同管理・採集・加工の貴重な事例である》
中村克哉『シイタケ栽培の史的研究』に記されているスダジイの根本を焼いて枯らす方については野本は触れていない。

†.  『東北学vol.8−総特集:飢えの記憶』2003.4,東北文化研究センター/前掲書のなかで、野老の民俗について金田久璋の論考からの引用を目にして購入。
 

コメントを残す