友達の家で、囲炉裏をひょいとまたいだら、その瞬間足を払われて鉄拳をもらった。コラとも、何が悪いとも、一言もない、大人は怒っていた。
いま60代(とおぼしき)男性が幼少の頃の記憶を語った言葉である。
何をしたら怒られたのか。
そんなことも、次々と時代の波に洗われて見えなくなっていく。
大人が何も言わずに怒ってげんこつで子供をなぐる。かれこれ50年も前のことになるのだろう。そんなことが”自然”であったのは。
なぜやってはいけないのか。大人に言葉はない。問答無用。
社会が今より少しは豊かさをもっていた時代。
懐かしさや良きものをそこに想定しているのではない。1960年代、昭和30年代後半から、日本の社会はいよいよ崩壊へ向かって走っていく頃なのだから。
しかしながら、ここで囲炉裏とはなんであったのかを、子供と大人の関係性とともに探り描くことは、とてもおもしろいことだと、私は思うのだ。
囲炉裏に限らない。「怒られた記憶」「何をしたら怒られたのか」ーー跡形もなく洗い流される前にスケッチしておきたい。
宿題がまたひとつ。無理のきかなくなった身体を奮い立たせるにはよい火種だ。
さて、出かけますか。