陸稲苗の定植

 6月29日の土曜日、陸稲苗・ネリカの定植をした。育苗箱2つぶんである。6月5日前後に播種した同じネリカの種の様子はといえば、かなり成育が悪い。裏の畑の隅の日陰に植えた種と比べても、高さにして半分以下である。荒れ地では根が張るまではこんなものなのかもしれない……というレベルを超えているようだ。今日、定植をその成育の悪い場所の上方でやり始めたところ、あぁ、と今更ながら気づいたことがあった。
 これまで、牧場地内の焼畑も春に夏にいくつかの場所でやっており、それぞれ土質が異なっていたものだが、今回はどことも一線を画するような違いがある。通称でナラヤマと称している場所の北東傾斜部は礫が目立つ。目立つどころが礫しかないようなところさえある。火入れの前は一面、孟宗竹だったはずなのだが、同じ北東傾斜部でも上部にはかなり多様な植生が竹林下層部にあり、伐開後に続々と再生していたものだ。それに比して、下層の礫が多いところについては、再生竹と葛が出始めているのみ。火入れ前もそうだったろうか。  そう、表面部だけみれば北東傾斜部はそうなのだが、冒頭にあげたネリカの成育が悪い場所も、今回、苗を定植しようと鍬をいれてみれば、真砂になる前のような砂粒が多かったのだ。植物の成育にはきびしいだろう、これは。
 てなことを考えつつ、定植予定の場所を変更して、東部の上方へ。こちらは赤っぽい、やや粘土質の土壌だ。陸稲にはいいかもしれない。ただ、この場所は9月をまわると日照が悪くなる。  あぁ、そうそう。この場所、もともとは半分やけになりながら稗を鍬入れして条蒔きし、モチアワをダメ元でバラマキしたところでもある。
 稗はいまだ発芽せず、モチアワも同様。  ダメ元はやはりダメであったことがわかったのだが、1本も芽が出ていないというのは、こたえる(た)なあ。
 雨が降り始めたので、13時40分できりあげた。

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▲直播のネリカ(陸稲)。なんとか生きてくれ。結実したとしても粃が多くなるだろうなあと思いながら。

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▲高知のモロコシもがんばれ〜。

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▲島大で播種したモチアワは、ホンリーよりも出芽がよいようだ。こちらの斜面はもともと土の条件もよい。ここはホンリー、モチアワ、ツルアズキ、ハタササゲ、サツマイモの混植。

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▲礫の多いナラヤマ北東部斜面

シコクビエを育てるにあたって

 今年の焼畑でシコクビエを撒いてみるのだと。そう思い立ったのは1年ほど前だったと思う。理由は大小いくつかあるのだが、なぜこれほどまでに顧みられていないのか、それが気になっていたことが存外に大きいのかもしれない。

 この項、のちほど加筆するとして、とある資料をはっておく。

横浜市立大学記者発表資料 H29.9.5〜雑穀シコクビエのゲノムを高精度で解読食料安全保障と健康食品開発への貢献に期待

○出雲地方ではなんと呼ばれていたのか

 「出雲国産物帳名疏」を何度かみているものの、わからない。たとえば、アワ、ヒエ、キビ、ソバなどと比べるまでもなく、いまや、その存在すら知らない人が大半である。作業仮説的に、「出雲国産物名疏」中、ヒエの筆頭にある「赤稗」がシコクビエであったのではないかと、そうしておく。

 事典の類にも、記載はわずかである。小学館『日本大百科事典』『国語大辞典』、平凡社『世界大百科事典』からいえることは3つ。

・インドまたはアフリカ原産で、日本へは中国を経由して「かなり古い時代に」渡来した穀類。オヒシバと近縁。

・呼称は、こうぼうびえ、のらびえ、からびえ、かもまたきび。現在一般名となっているシコクビエは四国で多く栽培されていたから(という説もある程度か)。

・山間地域で捕食的に栽培されてきたが、現在ほとんどみられない。

○呼称いろいろひろってみる

 wikiからひいたものでは以下。

岐阜県…チョウセンビエ(朝鮮稗 徳山村郡上八幡)、アカビエ(徳山村)コウボウビエ(弘法稗)、タイコウビエ(太閤稗 荘内村)

富山県…マタビエ、ヨスケビエ(与助稗 利賀村)

・他にヤツマタ、エゾビエ、ダゴビエ、カモアシビエ、カラビエ

 自分が知る限りで以下。

・コウボウビエ…静岡県井川地方

カマシ(カモアシビエの転訛か)…石川県白山山麓(『聞き書 石川の食事』)

・カーラベ(カラビエの訛りか)…飛騨高山(特産種苗 第18号 シコクビエの栽培機械化)

○追記予定のもの資料

・石川の食事〜

・広島の食事〜

・井川の雑穀文化〜

山で仕事をする人

昨日は奥出雲町チェーンソー研修。ベテランコースは3人組で深い森の中へ。珍しげな鳥の鳴き声が響く木もれ陽のなか、「きこり」さんたちの話がとっても面白かった。「ひとりでやるのがいちばん安全だね、じぶんのペースでできるから」「ふたりのほうが効率はあがるけど、ゆとりがなくなるんだよ」「なんかしらんけど、あぶないとかいやな予感とか、危機察知というのは、ゆとりがないと感知できんからね」…などなど。  こうした言葉の端に、すーっと、糸のように細くはあるけれど何かがそこに流れ続けているような、そんな線を感じることができる…ような気がする。

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森の中のドクダミ

 庭や畑では、のび放題やりたい放題で、少々の抜き取りをものともせず拡大するもの、ドクダミ。その臭いは鼻につき、悪臭の類に入るのだろうが、そんなにひどいものでもないと私は感じる。薬草として重宝される(た)身近な植物であって、葉を乾燥させて炒り、茶として飲むことは、子供の頃には「美味しい」とさえ感じていたのだから、悪い印象はないのだ。

 かつて裏の畑はドクダミ畑かと見紛うほどのはびこり方であった。ずいぶんと縮小したとはいえ、少しでも地下茎が残っていれば、小さなほんの目立たぬ葉を地上に出し、少しずつでも再増殖をはじめる。そうしたところは手がやける厄介ものだ。茶にしようとしたこともあるが、けっこうな量の葉を集めねばならないことが、やってみてわかり、爾来、手をつけずにいる。

 今では、その白い花(構造上は花弁ではなく、本当の花は黄色く見える部分であるのだが)を摘んで飾るくらいのものにとどまっている。

 そのドクダミ。先日、奥出雲のチェーンソー研修の折、杉林の中で出会った。庭や畑では「猛威」をふるう強い存在感をもっているドクダミは、森の中では多くの「仲間」と共生する、ひとつの植物にすぎない。あぁ、この違いはなんなのだろう。

 

スペルト小麦の刈り取り

 スペルト小麦については、遅い梅雨入りとなっていることが幸いして、昨日、6月21日の午後、裏の畑ぶんを刈り取った。もう4日〜5日あればなあという色づきだった。ひと束半くらいはまだ青さが濃く残るものだったので残している。一畝ぶんだけなので微々たるもの。昨年の3分の1〜4分の1くらいではなかろうか。今年は山の畑に多く蒔き、その全部が牛に食べられてしまったので、まあ、種とりと少しがとれたくらいだろう。

 来年どうなるかは見えないところ大。まずは昨年の籾をねずみに食べられる前に脱ぷすることだ。
 あれこれ、考えるに、、、、とここから脱線する。

 いや目の前だけのことをやるのに精一杯であることの劣勢ぐあいが、ほんとに手におえなくなっているようで、やらないことをどんどんつくっていかねばと、こうして「やること」をあげるたびに思うのだった。
 そうすると、あぁ、夏焼だなと思う。
 とはいえ、まったく「焼かない」わけでもない。
 火入れという次元のものでなく、小さく、いくつかの区画を「燃やす」予定に切り替える。
 ざっと3〜4箇所あるし、そのうち2つくらいは、柵をつくれば、蕪の種をわずかばかりならまけそうである。つまり、「ひとりでもできる」範囲である。
 閑話休題
 さてスペルト小麦に戻る。
 えー、去年種まきしたのはいつだったかと。ブログの履歴をたどってみると、、、。

 2017年…10月26日

 山畑にスペルト小麦の種を蒔く

 2018年…10月25日頃

 カブと小麦

 ほぼ同時期なのだね。確か昨年はもっと早めようと予定しつつ、結果同じ時期になったのだった。
 今年の秋はもう1週間早めて10月18〜20日ごろとしよう。山の畑については10月15日でいいだろう。 

レジ袋有料化へむけて

 

題にあげたものはたまたま、目の前で新聞をひろげている人がいて、大きな見出しで入っていたから。そんなに大きなことなのでしょうか? バーゼル条約、廃プラ輸出入、リサイクル法、廃棄物処理法……、いくつかの用語が浮かんではくるものの、はっきりはしないので、与太話として少々。

朝日新聞デジタルの記事をひいておきます。2019年6月15日づけです。

見出し:レジ袋、来年4月から有料義務化 対策迫られるコンビニ

経産省によると、容器包装リサイクル法の省令改正を念頭に置く。同法の所管は環境、経産、財務、厚生労働、農林水産の5省にまたがるため、調整を進める。対象となるレジ袋の大きさや素材、業種、中小企業への配慮策なども検討していく。》

記事には、同法の所管が各省にまたがるとありますが、容リ法は厚労省が主管です。公益財団法人日本容器包装リサイクル協会は、厚労省が容リ法制定とともにつくった団体です。

レジ袋有料化は厚労省の利権に、経産省が手をつっこんでくるということです。

すでにスーパーのレジ袋の多くは有料化されているわけです。朝日新聞のこの見出しにも「コンビニ」がターゲットであるように印象づけられています。有料化というのは、コストのつけかえでしょうけれど、コンビニやドラッグストア利用者にとってのレジ袋は必須だと思いますし、コンビニの収益にのっかる可能性もあります。そうしたところに、バーゼル条約やら、資源争奪競争やら、さまざまなものがかかわっているのでしょう。 

余談その1
これ、国家単位での物流の問題でもあります。梱包費、梱包資材費、それらふくめて、そりゃ「やらねば」の案件です。

 余談その2。

〈株式会社みんなの農業〉から次の記事をひいておきます。

http://bit.ly/2wVEL9s

《例えばトマト等の農産物の場合には種苗の購入代や、ハウス等の施設の償却費、圃場作業をする人々の人件費(または農家所得)等の生産コスト、そして選別・包装等のコスト、卸売市場や小売店まで運ぶ輸送コスト、JAや卸売業者、小売業者(スーパー等)等のマージン、等々です。

これらのうち生産コスト以外のコスト、すなわち前文の「そして」以下のコストは、一括して「流通コスト」といえます。小売価格のうちどれだけが生産コストで、どれだけが流通コストかとなると、価格を見るだけではもちろん分かりません。

しかし、価格の中に生産コストと流通コストが含まれていることは誰もが知っています。それゆえ、少なくとも生産コストと流通コストは表示価格以下であると認識できます。

ただし、ここで留意しなければならないことは、小売価格の中の流通コストは消費者が購入する時点までのコストだということです。当然と言えば当然のことでありますが、実はこのことがほとんど理解されていません》

 そう、ここから先に、お店までの交通費、自動車を利用する場合にはその償却費、書物に行く人の人件費、をあげているのです、藤島さんは。

 そして、です。藤島さんがあげなかったもうひとつの重要なコストがあります。そう、なぜレジ袋=容リ法にこの話がつくのか。私たちは商品を買うときに、商品そのものだけを買うのではありません。容器ごとかうのです。そして容器は棄てられるものとして、その処理費負担、捨てる手間(分別する手間)がかかっています。容器の大半は自治体が負担しているので、さらに見えにくいのですが、見えなくはありません。調べてみてもおもしろいかも。こういうの夏休みの自由研究にいかがでしょう?

飛ぶのが下手な鳥たちの季節

 飛ぶのが下手な子燕を水たまりの前で(わかりますでしょうか?小さい黒いの)。みっともなかろうが馬鹿にされようがそうやって飛んでいるうちにどんな風にものれるようになるさ。

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 初夏のこの季節はひな鳥たちが巣立ちする季節。ウグイスも「ホ…キョ」のようなつまった鳴き声だったのが、日に日にうまくなるころにはどこかへ旅立つようだ。

6月12日のイネとムギ

遠州、信州への旅から帰り、苗が生きていたことにほっとした昨日の晩。来週はこの苗を植えに山の畑へ。といきたいものの、これをどこにという問題もさることながら、いつものことで、やることが山盛りとなって立ちふさがります。ふみわけかきわけ少しは歯をくいしばり、微笑みながら前に進みたいものです。
ポット苗はネリカ。今年はじめての試み。火入れの3日後(6月5日)であったか直まきでまいてもいます。写真にある苗はその日からさかのぼること10日は前に、この箱に播種したものだと思います。長粒種なので、精米機での籾摺りがうまくいくかはやってみないとわかりません。
ポットの苗をはさむようにしてあるのは、イセヒカリ。熱帯ジャポニカの血をひくものと認識しているが、今年は休むつもりだったのを、藁がほしいなという動機で少しだけつくることに。

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今週はハダカムギ脱穀を晴れた日にと予定していたのだが、明日になるのかな。  スペルト小麦はようやく色づいてきた。2周間後くらいなのかな。雨とうまくタイミングがずれるとよいのだが。

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◆追記(2019/11/17)
ネリカの苗箱は5月25日頃の籾まきということになります。これ遅すぎました。11月に至ってほぼ無収穫という結果。イセヒカリならば5月下旬でもよかったのですが。
来年再チャレンジするのであれば、4月15日には籾まきかと。一箱ぶんくらいは種籾がとれないだろうかと思います。イセヒカリについても来年は4月中旬の籾まきとしたい。緑化期(苗を光に慣らす時期)の適温は昼間20〜25℃、夜間15〜20℃というから、5月上旬ほどが適期ではあるのですが。

火入れの翌日に

 竹株が水を地下から吸い上げている(であろう)ものですが、こうした株の周囲に炭化物が多いと糸状菌なのか放線菌なのかが大量に発生することが春焼きではよく起こります。 可能であれば、採取して、どんな菌なのかを知りたい。

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5月の草刈り

 田植えのシーズンが終わると、あちらこちらで草刈りが始まり、梅雨のくるまえに山でもケタでも燃やす光景があちらこちらでみられる。おもしろいなあと思うことがふたつある。

 ひとつには、草の都合ではなく人間の都合で切るものだから、だんだんと草の種類がしぼられていっているように見えること。頻度も少ないだろうし、成長点で切っておさえるのではなく、ともかくおさえこもうと、地際ぎりぎりを切ろうとする、場合によっては土ごと。

 すると成長点が地下にあるチガヤや地下茎をはびこらせるもの、あるいは草刈りのタイミングと花をつけ散種するタイミングをずらす草が年々優勢となっていく。草たちも互いがはげしく生存のための闘争を繰り広げているのだろうが、その場にうまく介入して国益ならぬ人益を確保しようというのとは少々異なる所業が繰り広げられているように感じるのは、草に肩入れする私の偏向だろうか。

 そして、もうひとつには、道路の草刈りのあとで、オオキンケイギクがみごとに刈残されている姿をこの春、木次で多く目にしたこと。最近ふえたから知らない人が多いのだろうか。あぁ、それとも、花が咲いているものをそうやすやすと刈払機では切れないという人のやさしさだったのかもしれない。

 特定外来生物なので、販売・栽培は禁止されているのだから、たとえどこかの家の庭で咲いていたとしても抜き取ってよいものではある。(私人の敷地内で無断で立ち入るという行為そのものが罪に問われることはあるかもしれないが)

 とことんふえたあとで、騒ぎがひろがるのかもしれない。すると、今度はともかく「やっつけろ」となるのだろう。それが悲しい。花がかわいそうなのではない、そうした人間の所業が悲しいのである。思わずなのかなんなのか道路に咲くそれを刈残した作業員は、どう思うだろうか。