2019年5月8日の山畑

カフェオリゼの庭では、ナニワイバラの白い花が塀に鈴なり(とでも言うのだろうか)。ようやく春らしい暖かく過ごしやすい日が続いている。遅れている種まきやら草刈りやらを毎日少しずつこなすのにいい日和だ。

今日に限らず、気がついたこと、やっておくべきことなどを徒然に記しておく。

牧場の山畑にて

昨年春焼地の北東斜面を草刈り。草というよりは笹と竹なのだが、昨年刈った枝の堆積もあって、これは持ち上げて燃やしてしまうことにした。葉に覆われてはいるものの、下層にはオオアレチノギクが低い芽をひろげており、あぁ、2年目はこうなるのだなあということをつくづくも感じた。これはフラットな平地も同様。ただし、だ。里芋を掘り出した箇所については、その掘り返した地面だけは草ひとつはえていない。また、麦の周辺にも少ない。

さて、斜面にはアマランサスを播種する予定なのだが、タカキビでもいいのかもしれない。斜面での作業のしやすさからいうと、モチアワなどは選択肢からはずれる。中背という点でモロコシか。

スペルト小麦も裸麦もいまひとつ成育がよくない。スペルト小麦については、水はけのよくない粘土質土壌がよくないのだろうと思う。あるいはこの場所は、冬春秋の日照がよくないのだから、その影響も大か。土の問題と日照の問題、あとは播種が少し遅かったことか。同じ時期に播種した家の畑の小麦・大麦はよく育っているが、標高差は200mばかりあるのだから、そこらも加味して今後をかんがえねば。

案件としては、そう、この昨年春焼地には大豆を主に播種する予定なのだが、考え直したほうがいいのかもしらん。思い切って斜面ぎわにキクイモを植えてみたりもしているが、うむ。

枝豆としてもいける白大豆を中心に早めの播種でいってみるか、どうか、というところか。

パープルサルシファイの発芽を確認した。あまりに雨が降らないので、先端が枯れているものもあったが、発芽率は9割以上だと思われる。

道が倒木で塞がれているところが3箇所。来週チェーンソーで片付けよう。

昨年の春焼地、焼いたところにはアレチノギクがびっしりなのだが、焼いてないところにはそんなことはなく他の雑草が優越している。なんで? ざっくり説明できるようにはしておくべし。

牧場のケタ地にて

刈った草はよく乾いていて、明日にでも燃やせそう。量も乾燥してみれば、これっぽっちかという印象。明日、整えて、金曜日には焼いてしまうことにする。広がるほどの燃料はないから、シューターのみでよいだろう。念のため、タンクも用意するにせよ。よって、明日はポンプの始動確認と草寄せ、時間があれば、茅草の抜き取り。

キクイモはこの日は植えず。寒暖差がある日当たりのよい場所といえば、このケタ地のほうだろうから、ここを中心に。来週草刈りに行く阿井には少しだけお試し的に。そのぶんは少し土に戻しておいたほうがよいのかもしらん。

その他

ウツギはまだ花を見ない。下旬かな。

鹿沼土を用意したので、挿し木の準備を。カメンガラ(ガマズミ)が中心だが、ジューンベリーやダメ元でいろいろやってみよう。

みざわの地蔵と麦の春

3月24日、三沢、見覚えのあるサイノカミさん。以前見た場所からここまで移ってこられたのか、それとも兄弟姉妹関係にあるようなものなのか。確かめようと4年前だか5年前だかに撮影した写真を探してみるが出てこない。もとあった場所というのも、土から掘り出され、このあたりにあったのだろうと数メートルか数十メートルは場所を変えている。藪に覆われるようなところだったから、なくなっちゃいけないと、雨もしのげるこの場所に移されたのかも、しれない。
いったいいつ頃つくられたものなのかという問も含めて、気になるので、ここに置いておく。

焼畑地は麦の様子だけ確認。 スペルト小麦

裸麦

畝間に草をしくかどうか、思案中。ススキなり笹なり、そばにあるものがよいだろうと思う。
それにしても、家の裏の菜園畑とくらべると、草が少ないなあと思う。量も種類も。
冬はもともと雪で覆われる場所だから、ということもあるだろうけれど。

出雲の山墾り〜阿井の竹林でその1

出雲の山墾り特別編ということで、阿井の竹林へ行ってきました。
荒れた竹林を「きれいに」しつつ、タケノコ林として「再生」したいという希望に「ここは無理を押してでもいかねば」と、赴いた次第。草にしろ竹にしろ邪魔者扱いだけでうごくケースが大半な中、「ここのタケノコは白くて甘くて」というような愛がある。稀有なことなのです。
というわけで、写真をいくつか。

出雲の山墾り〜sec.6

 2月16日(土)。くもりと言えましょうが、数秒ほど陽がさしもすれば、1分ほど雨がパラパラときたりもし、風が一時的に強く吹いたりもする、そんなお天気。気温は6℃。11時頃から中山を歩き状態を観察した。30分ほどは学生らがカブの間引きをする間に、倒して玉切りしてある竹を積む。かれこれ2時間弱の仕事でした。

 例年ならば雪がつねに山の斜面をカバーしていたものですが、今年は10日くらい前から裸の草土がむき出しになっています。草のカバーがないところは土が流れはじめており、場所によっては崩れてもいますね。わずかではありますが。ロゼッタをなす越年草も里の方では葉を起こし、花をつけはじめているなあ、、と思ったのは10日ほど前か。
 雪がないことによる変化は牛の山あがりに顕著でした。けっこうあがっています。食べられる春の草は標高50mほどの里にはあふれはじめていますが、ここいら200mほどのところではまだ枯野でありますが、食べられるものを食べているのです。


 切り崩された崖地にある草ですが、それだけに土の跳ね返りがなくきれいな草であるし、食べやすい?位置にあるからか、よく食べています。12月ごろからそれとなく見る限りでは、再生竹の葉はきれいに食べ残しないほどに食べていることとの共通点があるように思えます。カビなどの菌類にきわめて強いものたちで冬の青さが目立つもの、竹の秋は春ですが、この写真にある草はどうだったでしょう。思いつきついでに記しておけば、枯草菌との関係性もあるのかな。
 牛が秋から冬にかけて歩くところは春夏とは違うのだろうか。そういう問をたててみることにしました。これから見てゆきましょう。
 冬は草のカバーがないことによる斜面土壌の流亡が激しいのだと、ここ数年、里でも山でも、人工的に削った箇所で、そう思います。
 雲南、奥出雲の山は上はなだらか下はストン。爺さんらがそう言うことの理由と歴史的利用の履歴が、気候とあわせてそこから読み取れそうです。
 ブラウンスイスは走ったり跳ねたりと体力を持て余しているようでした。春には卒業なのかなあ? (現在は育牛状態。春から搾乳できる牧場へ移るのです、たぶん)

足踏み脱穀機の初運転

今年の冬はやる気ないんだろうか、昨日は日中の気温は14℃まであがっていたし、山肌に残っていた雪もすっかり消えている。裏の小さな畑では、カブの葉はロゼッタ状に地を這う形から、葉を立ててはじめ,蕾を抱えた薹まで立ちはじめた。

ちょっと待ってよと、言えるものなら言ってみたい。かたや、暖かいのは仕事がはかどることでもあるわけで……。

本来、秋のうちに終わっているべきことどもだって、片付けるチャンスなのだ。

やるか! という勢いにものって、足踏み脱穀機を軒の下からおろして、宿題を少し片付けた。

・残っていた大豆の脱穀

・残っていたタカキビの脱穀

・スペルト小麦の脱穀試し

ふたつが片付いた。スペルト小麦はやるなり無理だと判断。工夫の余地なしというくらいにうまくいかないのだった。

そして、まったくといっていいほどに意識していなかったのだが、足踏み脱穀機の初運転なのだった。めでたしめでたし。

大豆は650gほどまとまったので、味噌をつくるのだ。

出雲の山墾りsec.4雑感

昨日の活動(1名)。その雑感をつれづれなるままに。

1週間ほど山に行かないと「なまる」ものだと思う。鈍る。わざの冴えがにぶる、技量が落ちるの意をもって用いる言葉だが、刀剣の切れ味を一義としながらその刀剣の実際の使用が頻ならざる時代において用例が増えてきたものではなかろうか。すなわち武士の本態からすれば「なまる」ことなど考えられないことであるのだから。

よって、山に行かない日が続いたからといって「なまる」ということはおかしいのである。小学館の国語大辞典の「鈍る」、その第四義には「決心がにぶる。貫徹しようとする意志が弱まる」とあり、歌舞伎・早苗鳥伊達聞書(実録先代萩)二幕にある用例をあげている。

「拙者が心はなまらねど左言ふ貴殿の御胸中まことに以て心許なし」

決心とは何か。心が決断するとはどういうことなのか。今日のところで、3つのアプローチをあげておこう。

1. 決心より先に身体は動いている。私たちが「決心」したと意識しているものは「決心」ではない。……下條信輔『サブリミナル・マインド』(中公新書)を参照。

2. 決心とは閉じた個の作用ではなく、集合的集団的かつ公共的な現前である。……C.S.パースについての著作のいくつかを参照のこと。

パースは心についてこう述べている。「われわれはその表面に浮いているものであり、心がわれわれに属するというよりも、われわれが心に属しているのである」

Thus, all knowledge comes to us by observation, part of it forced upon us from without from Nature’s mind and part coming from the depths of that inward aspect of mind, which we egotistically call ours; though in truth it is we who float upon its surface and belong to it more than it belongs to us.

※The collected papers of Charles Sanders Peirce PDF へのリンク

《思考は、世界の残りのすべてから隠された自分だけの何かではなく、本質的に公共的である。思考はいわゆる個人の心の中に所在するのではなく、それを通してわれわれががコミュニケートする公的な記号構造の中に所在する》:コーネリス・ドヴァール,2013『パースの哲学について本当のことを知りたい人のために』(大沢秀介訳,勁草書房,2017)

3. 初心にかえるという語句がある。初めに思いたった心、最初の決心。あるいは、学問・芸能の道にはいったばかりであること。また、その人。というのが辞書的意味である。が、その解し方でいいのか、初心にかえるということは。安田登が、それは衣を切る、後戻りのできないその決断のことだと風姿花伝を参照しながら述べている。……『あわいの心』等を参照のこと。

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竹を切って倒す。

そこに宿る心とは。

心にとめおき、しばしこたえを待とう。

出雲の山墾り〜sec.5

 朝から青空が広がっていた。10時半頃に牧場に着いたが、日陰の水たまりは厚い氷が張ったままだった。北向きの斜面だと雪は2〜5センチ程度残っている。竹炭をつくるのにはちょうどいい。1時時点での気温は10℃。切り捨ててあった竹を集めはじめたが、思ったよりも時間がかかる。雪に足をとられるからかすぐに息があがってしまう。
 うまく着火したら儲けもの、火をつけながら積んでいけると、ガストーチでで火をあててはみたが、こりゃ無理だとあきらめた。やってできなくはないが、夕方までかかってしまう。今日のところは竹を切って積んでいくことにした。
 途中、ノグルミの枝に竹をかけてしまい、処理に手こずってしまった。だもんで、結局積めたのはこれくらい。


 来週の土曜日。雨がふらなければここで燃やして消し炭をつくる。雪はとけているだろうから、切り捨てたままの古竹や新たに10本程度を追加しよう。
 このくらいの寒さはブラウンスイスにはちょうどよいのかな。やたら元気でした。草が少ないのは気の毒だが。気候と土質もあるのだろうが、ま、いろいろ。


 今日の仕事は1名。来週もかな。

 

荒地に種をまく

「あぁ、あそこは○○さんが、なんとかしてやろうおもうて、刈って火いれたら火事になってのー。そーからなんもやっとられんけん、なんぼでもかりれーとおもうわ」

陸稲や雑穀をやる土地を探している。

今年は栽培しない管理地も含めて4〜6反ほどを手掛けるつもりでいる。実験的段階から本当の意味での実践的段階へと移行するのだ。ははは。

先のセリフはEちゃんのこたえ。

ここでやれたらなあという土地について、借りられるかとたずねたときのことだ。この後、もっと近いところがいいだろう、あそこはどうだなどと展開したあと、「好きにもっていっていいよー」と言われている柿園のあいている地面をつかわせてもらうことにした。「草刈りはやりますけん」ということで。

雑穀半分、野菜半分にしようかと思う。週1回は通うことでやれるものを。

それにしても、ここも「火事」になってということがとても興味深い。偶然とは思えないくらいに、いいなあと思うところで「火事」をやっている。これだけではない。何度か、いや、思い起こせば何度も、こうしたセリフを耳にしているのだ。いずれも共通するのはカヤ・ススキ、あるいは竹・笹がのしてきている土地であること。

カヤ・ススキは、火の足が早く、飛び火もまわりやすい。草原の火入れを何度か経験せねばと改めて思うた。

三瓶の火入れは3月上旬か。

4月13日(土)…雲月山の山焼き2019|火を使った生態系管理

竹水の発酵

木を切った後のカブに蟻が群がっているのを見ることは珍しくはない。昨秋、コナラの大きな木を切ったあとにも、群れとはいえないが、数匹の蟻がチョロチョロと集まってきていた。

荒廃竹林を伐開して火を入れ、畑を数年そこでする。焼畑をはじめて5年目になるが、どうだろう。竹に蟻が集まってくるのを、そういえば見たことがない。いや、気がするというくらいにしておこうか。

一方で、竹水、竹が吸い上げて稈の中にたまるような水分が、ほのかに甘いことは、飲んだこともあるので、そうだようまいよと人に吹聴もする。なにより、切り株のそこここにこの写真のように、発酵がみられることからも、かなりの糖分を含んでいるだろうことは想像がつく。

ここ数年はつくっていないのだが、竹のチップは、ある程度の量を積み上げておくと、発酵がはじまり、その山に手を突っ込むと、「あっちっち」とかなりの高温にまで達することがわかる。ほかになにも加えてはいない。竹の葉も混じった稈を主体としたチップだけで、1日2日もすればそんな反応が進行するのだ。

これまで、「そういうものだ」という認識でしかなかった。しかし、これらを引き起こす菌やら酵母やらについては、まったく考慮の対象外であったのだ。「ぼーっと生きてんじゃねえよ」と言われそうだ。

なので、ちょいと調べたり実験をしてみようと思う。まずは開始宣言のようなものとして、今日、ここに記しておく。

追記2025/11/08

以下の写真はフリッカーのリンクである。フリッカーとのサービス契約変更にともない、見えなくなる可能性があるので、データの置き場所を変更した。そしてこのリンクは残しおくことで、見えるか見えないかの試験とする。

20180610-P128026102