令和4年秋、種子だけはとれると思っていた大豆が牛に齧られた日に

令和4年9月30日。徒然なるままに記す。

4日前から家の裏の金木犀が香りを放っている。夕方、山へ行った。春に焼いた畑は、トマト、里芋、大豆を残すのみとなった。タカキビが無事に収穫できたことでほっとしていた。気がゆるんでいたともいえる。夏に焼いた急斜面でも期待していなかったカブは大きく育ちつつあって、11月下旬にはとれるのではないかと淡い期待を抱いている。

大豆のこと

そのカブのある斜面から5mもあがれば夏焼の畑に着く。目に飛び込んできたのは、葉のなくなった大豆だった。見事に葉の部分だけが齧られている。きれいなものだ。もともと5〜6株しかなかったのだから、荒らされてはいない。そばには大きな糞があった、2〜3日たっているだろうか。あぁ、種子は無理か、一からやり直しか、まぁよい、黒大豆はもともと難しかった。白大豆にそろえてやりなおそう。いい機会かもしれない。さて、これはどうしようか、一株くらい残そうか、枝豆としてすべて食べてしまおうか。そんなことをつらつら考えた。

白大豆は焼畑で5〜6年はついできたものだ。品種はよくわからなくなっているが、庭でもよく育ったので、無肥料地にうまく適応しつつあったものだ。まともにとれたのは一度もないように思う。牛に食われたのは一度くらいしかないが、タヌキかアナグマには収穫の前日にめちゃくちゃにされたこともあった。あのときは悲しかった。豆を食われたのだから。土にまみれてしまったなかから救い出した豆数個を翌年ついでできたときには嬉しかったような記憶がある。

焼いて2年目から3年目の畑でよくできた。今年は初年から区画の端にまいてみたが、例年にない雨の少ない梅雨で、発芽はごくわずか。1割ほどではなかろうか。2度めの台風では倒れてしまったが、翌日に起こして支えを入れたのがよかったのか、実がだんだんと膨らんでいくのがうれしかった。そんな矢先に牛に齧られたわけだ。タヌキ対策はこれからだったし、策があったわけではない。来年はタカキビ・アマランサスの後に植えるつもりであるから、策を二重三重に練り上げておこう。

タカキビのこと

林原のとある農家で長年栽培されてきたものを7年ほどなんとかついできている。今年は丈が高くなってしまった。平均2m30cmほどだったか。あとで面積と株間をはかり、来年も同程度の面積は確保したい。できればもっと広く。播種時期はちょうどよかった。

アマランサスのこと

間引きが遅れたのと、面積を広げすぎた。播種時期はもう少し後ろでもよい。

里芋のこと

今日掘り上げたか、おそすぎた。焼畑の場合、土寄せができないので、9月頭に掘り上げてよかった。

今日のところはこのへんで。また加筆するかもしらん。

合歓木の花が目立つ今年の夏

まとまった雨が降り山の畑もほっと一息。春焼き後の点描を。

◉アマランサスは順調にみえて少し変。昨年は火入れができず、菜園畑で採った種子を用いたのですが、なんか違うものが交雑してるようです。葉っぱの味も違う。やれやれ。できる限り選別していきますが、難しい。里の畑だとヒユ科の何かが混じってしまうのだと再認識。


◉ミニトマト(ブラックチェリー)の草勢は想像以上。ほとんどいじらず放任して様子をみます。

◉カボチャ(かちわり)も降雨以降盛り返して、遅れを取り戻しています。3年前はうまくいかず、焼畑にはあわないのかと期待はしていませんでしたが、いけそうです。

◉ナス(黒小町)は交配種で、一代限りのお試しですが、雨の降らない時期によく枯れずに残ったというところ。復活の様子見。

◉はぐらうりは今年はじめて。牛が入るところに直播し、まったく芽が出ず、諦めていたのですが、出てました。よかった。ウリ科の草は牛が放置してくれるのではという期待もこめて。どうなりますか。

◉タカキビ(林原在来)は初期の成育がよくなかったのですが、いい感じかと思います。

◉サトイモ(三刀屋在来)もなんとか。焼畑のはとりわけ美味いことは実証済みなので、楽しみに見守っていきたい。

◉ヒエは、まったく発芽しませんでした。なぜ。心当たりはもちろん複数あるのですが。
◉大豆もゼロかと思っていましたが、わずかにのびているものがありました。黒大豆か。白大豆はたぶん全滅。ヒエもですが、雨がないと、焼畑の大豆はちょっと無理ですね。たまたま堅い土のところでもあったためよけいに。

 

 

ドングリの芽が次々と

昨秋から拾ってポットに埋めてきたドングリ。ようやく芽を出し、小さな葉をひろげはじめている。本当に個体差=発芽発根の時期はまちまちで、最初にひとつのポットから芽が出た後、後続がないのにはやきもきしたものだ。栽培野菜の発芽がいかに揃いすぎているか、ということでもあるのだろう。途中からどこでとった何の種子がどのポットなのかわからなくなった。葉がひろがってくればわかるだろうと思うがどうだろう。何を拾ったかくらいを思い出して書いておく。

■コナラ…主に3箇所。いずれもさくらおろち湖のまわり。道の駅おろちの里からダムの見える牧場に向かう途中の道路脇、ダムの見える牧場の林縁地、岩内山の麓。いっそ、マップに落としてみる。

コナラが多いように思えるが、あるところにはあってないところにはない。北に位置する岩伏山の麓ではシラカシがコナラより優先しているように思える。アラカシは点々とあり、アベマキは少ない。ざっとそんなところか。

■ナラガシワ…日登牧場のそばで採取。

■シラカシ…木次の住まいの裏山もシラカシが多い。あちらこちらの神社の境内もシラカシが多く、コナラはそうした古い社叢にはむしろまれではないか。が、ありそうな気もする。小さくやや開けた明るい森のなかで。

■アラカシ…牧場で。

■アベマキ…牧場で。

■シバグリ…塔の村の裏から宇山に抜ける道の側溝で。

■スダジイ…キナヒ山で採取したもの。

 

令和4年、冬の火入れの記録

春の火入れを前に、冬の記憶を整理。
令和3年2月12日快晴
冬の火入れをやり直した。1月23日に開始数時間ほどで中止したところである。この日は快晴。気温は5〜10℃であったと思う。
狙いのひとつは春の火入れ準備。防火帯形成のひとつである。燃やすことで防火帯を形成しておくことは理にかなっている。先日公開講座で例を知ったネパールのとある地方の焼畑では、火入れ前日の夜に「焼いて」防火帯をつくるという。燃えるものが燃えてしまえば、もう燃えることはないのだ。焼畑がすぐれて状況管理時間管理の技術であることを、その意味をよくよく反芻しておこう。
狙いのふたつめは、消炭をつくること。竹の消炭は野でつくりやすく、使いやすい。土壌改良材などと呼ばれることもあるが、それはほんの、ほんとうにほんの一端でしかない、と私は思う。小川真の著作参照のこと。
狙いの3つめ。火をみて感じておくこと。昨年春も夏も火入れは中止としたので、火を見ていないのだ。春の火とは次元を異にするとはいえ、ふるまいに共通する面もある。それを身体に覚えておくためにも。
動き続けて燃焼6時間強

今回、火のコントロールはやや難しかった。着火から延焼開始(臨界点突破)までは30分ほど。このときほぼ無風。条件が悪く天候悪化もあって中断した前回は1時間半以上かかっているから上出来だろう。
着火が10時半くらいだったろうか。延焼開始まではスムーズだったが、雪に埋もれた竹や積み崩し途中の竹を掘り出しては積み増しながら燃やし続けた。火勢が足りないことが予想され、着火点から1mほどいったところに背の高さくらいは積んでいた。なぜ着火点から積んでいないのかといえば、危なくなったら崩す必要があるからだ。そして、ちょうど1mほど進んだところで、危なさを感じ、少々崩した。途端に勢いは削がれた。積み高1m50cmをひとつの目安だろう。

タンクの水が抜けていたものの
そろそろ放水して消炭づくりに入ろうかとタンクのもとへ行ってみれば、なんと水が抜けていた。仕方なく自然鎮火を確かめて撤収となった。翌日の午後、全部灰になってしまったかと諦め半分で行ってみれば、なんのなんのまだ炭でも燃えているところがかなりあった。雪をまぜながら、バケツ2杯分を持ち帰った。
ほか、気づいたこと多々あった気がしてならないが、思い出した折にまた加筆することとして、簡単ではあるがここまで。

雪どけと足あとと火入れ準備と〜令和4年出雲の山墾りsec.2-3

1月16日と17日の2日間、冬の火入れ準備でほぼ終日、山のあちこちを動きまわった。それらあれこれの合間に、ふと感じたことなどを記しおく。

塗装された道路の雪はすっかり溶けていて、峠のところどころに残るのみ。土の道に積もった雪はまだまだ残っているし、草木が覆う山の斜面であればなおさら。こういうときに山を見たり歩いたりすることは、とてもおもしろい。どうしてここだけ深いのだろう。どうして浅くなっているのだろう。そこはサクサク、ここはフワフワ。雪の下が凍っているところ、とけて水が流れているところ。目眩がするほど雪の溶け具合はさまざまなのだ。
降り積もっているときにはその一帯一様であったものが、溶けるときには、実に多様な状態を現出する。なぜそうなっているのかを推しはかりながら、土地の性状を、ミクロのモザイクを少しずつつかんでいくのは、ほんとに楽しい。

雪が示すものに限らず、土地の性状を知る上で、鳥や獣は先生になってくれる。ただ、どんなに乞うても面と向かってはめったに教えてはくれないので、ふともらしてくれるような一言は貴重だ。雪の上に残された足跡もそう。あるいはつぶやきのようなものか。安易に意味を付託するではなく、それとしてとどめておくのがいい。語ってくれるまで記憶に残しておく。16日に見たこの足跡もそう。タヌキかアナグマ、そして小さなイノシシだと思われる。冬を越せるだろうか。この足跡から30mほどいけば竹藪となる。そこを伝っていけば、まだシラカシの実が落ちている場所にたどり着ける。

 

エンジンポンプで水をあげる。ホース長が15m、ふたつをジョイントして30mで使う予定であったが、すぐにはジョイントできず、うまくいくかどうかもわからない。ならば、15mで前にすすめてしまおうと取り掛かった。リレーすること6回。5時間ほどかかってゴール手前まではいけた。春には、高出力エンジンポンプをリースだね、とは思った。ただ、効率悪いこの小さいやつのいいところは、ひとりでも動かせること。やりようかもしらん。
ポンプは全揚程30mとある。こうしたゆるやかな傾斜なら40m長のホースでもいけるのでは? 今あるものの長さをはかること、接続具の用意からはじめてみることにする。

 

その日のはじまりはさまざまであった〜山墾りsec.1

1月9日の日曜日、晴れ間がうすくのぞいている穏やかな日だった。あちらこちらの集落でトンドが催されていたようで、ポンポンと竹のはぜる音が聞こえていた。里方から佐白へ向かう道中には誰もいなくなった広場でひとり始末を続けている人影も見えた。
自分にとっては、令和4年、年があけて最初の週末であり、山仕事をはじめる日である。

手元にある掛合町史の第9章、掛合町の民俗をひらきみるに、11日を百姓始めあるいは仕事始めの日としている。

・牛舎から庭へ牛の出し初めをする
・田に出て「一鍬千石、二鍬万石、三鍬数知れず」と唱えて田打ちをする
・ゼニサシ、ゼニツナギを最初に作る

執筆者は、これらの例をあげながら「この日の始まりはさまざまであった」と記している。どなたであったか。島根大学の宗教学の先生であったと思う。明治の終わりから戦後間もないころまでの雲南の正月風景、その姿は変わり果てていようと、人それぞれ、さまざまというその有り様は、80年後のいまとてそう変わりはあるまい。

さて、その山仕事。簡単に様子を記しておこう。

昨年の火入れができず、数カ月後の5月に火を入れる予定のこの区画。まだ雪が残っているが、日陰斜面となっている北西部にあたるためだ。軽く雪をのけて、竹の積み増しを続けようと考えたが数日でとける可能性にかけた(はずれるが)。雪でしなりが大きくなった手前の竹を10本ばかり伐採して整理した。1立米のタンクを置く場所とルートを確認し、障害となる切株や灌木などを取り除いた。

晩春に学生らが火入れしたところに置いたままの500リットルタンクをひとつおろした。積雪は15センチ程度。うまくすべってくれたので、想像よりはるかに楽におろすことができた。

先客あり。足跡は小さなイノシシとタヌキだろう。2日くらい前だろうか。

倒して2年ほどたっただろうか、イヌシデの大木にキノコが生じていた。ヒラタケか。うまそうで、とりたい衝動にかられるも、こらえた。

菊芋を掘りたかったが、日が落ちてきたので次回に。2時間半ほどの作業であった。

冬来る、畑と山の備忘録#3

斐川の畑の土を掘る

12月7日の作業より。
落ち葉など有機物を落とし込むために穴を掘っている。実家のある斐川の畑である。40〜50センチほどの深さに30センチほどの有機物+20〜30センチほどの覆土となる。幅は70センチほど、長さは投下資材の量に左右され、成り行きであるが、5〜6mほどか。深さ10〜20センチほどの土が0.7×5=3.5平米ぶんあまるが、今回掘らない畝に移す予定。

面積は17平米ほど、畑のごく一部を借りている。ここは50センチも掘れば砂質となる。3000年前は確実に海底だったところであり、斐伊川の堆積作用により沖積平野となるのに2000年ほど。実家の位置は奈良時代には、入江となった湖岸線に位置し、周囲よりほんの少し高い土地となっている。それら屋号である”高西”の由縁を物語る。

f:id:omojiro:20211207125827j:plain

借りているこの写真の位置より北に10mほどいけば砂質は消えて黒土となるというが、これも掘ってみなければわからない。その西には、斐川地域の例にもれず屋敷墓があるが、その墓のまわりと豚小屋のあたりは赤土だという。豚小屋といってもすでにないが、実家ではいまでもそれで通用する符牒である。およそ80年ほども前のこと、豚を飼っていた小屋があった位置をさしていて、墓の北側にあたる。

f:id:omojiro:20211207125947j:plain

三刀屋在来の里芋、その畑を見に行く

12月6日、ようやく訪ねることができた。カフェ・オリゼで晩秋から冬のはじめにかけてメニューにあがる里芋の里。おじいさんといっしょにつくってきたという方から毎年いただく。他の里芋と違って、形が細長いので、いまの市場では扱いにくいのだろう。が、しかし、味は格別。ホクホクとしてあまく美味しい。
山の水が染み込んでくる谷の畑である。里芋にはよい環境だ。

f:id:omojiro:20211206155640j:plain

出雲の山墾り、年の瀬へ向けて

12月12日、久しぶりの山仕事。出雲の山墾りも年内は残すところ数日となった。今年の秋は雨が多い。火入れは年内はできず。1月に積んだ竹で消炭をつくったりしながら整備は続けて、春の早い時期に火入れとしたい。
ドングリの様子をみに、この日はブラウンスイスが放牧されている山を尾根伝いにざっと歩いた。気温は平年より高かったのだが、風が強く、体が冷える。コナラはここにはほとんどなく、多いのは山栗だ。次に点々とシラカシ。わずかではあるが、アベマキとアラカシ。
アベマキは2本ほどだろうか。確認できる実も少ない。アベマキはドングリ族のなかでもいちはやく、9月下旬から実を落としはじめるという。
アベマキの実が少ないのは、イノシシやネズミたちに食べられてしまったのかもしれない。栗の実は栽培品種についてはイノシシが食べていたようだ。その場所に近い。シバグリの実が大量に落ちているところへはイノシシがやってきている形跡が少ない。じっさいたくさんあまっていたし、数ヶ月たったいまでも点々と残っている。いくつか拾ってきて、芽が出るのをまとうかと思ったくらい。シバグリがたくさんあるところは子牛たちの縄張りでもあるので、イノシシもそうそう近寄らないのだと、仮説としてたてておこう、令和3年初冬の時点として。

さて。アベマキのどんぐりは、地温が5℃以下になるまでは根を大地の下へ下へと伸ばしつづける。親木からもらった栄養だけを使って。春が来たら、葉を伸ばし、今度は自分のちからで、太陽と水と空気と土のなかのたくさんの生物とともに、生きていくのだ。
それでも根を伸ばしたまま春になったら死んでる子も多い。この子に春は来るのかな。

f:id:omojiro:20211212151831j:plain

冬来る、畑と山の備忘録#2

11月29日は快晴。ふだん通ることの少ない斐伊川右岸を車で走った。旧加茂町と旧斐川町の側である。出雲市雲南市を結ぶ幹線となっている右岸とは違って交通量が少なく、山が近い。木々は冬支度を終えた、ほっとするようななやさしさをたたえながら、残った紅葉を風とともに散らせている。そのとき、山は美しく輝いている。あぁ、気持ちいい、なんて心地よい道なんだろう。200mほど離れた対岸とは、世界が違う。いつか歩いて、その心地よさの理由を確かめてみたい。

ユーカリを庭へ定植

さて、所要いくつかを昼過ぎまでにこなした後、妻がユーカリを定植するのを手伝う。小さな庭ゆえ場所が定まらず、なかなか地面へ移せなかったものだ。思い切って塀に近くとも、庇から落ちてくるだろう雪が直撃するだろう場所を、あえて選んだ。そうした環境で育つように世話してあげるしかないのだと思って。ひとつ、高さは人の背丈までにおさえる。ひとつ、樹形を整えてなるべく垂直にたてていく。うまくできるかな。
穴の底に消炭少々、そして腐葉土、そこへ苗をおき、少しの落ち葉を側面にはさみ入れながら移し終えた。地にある生命よ、競いながら、補いあいながら、この木とともに、世の終わりまであらんことを。

山の草刈りと道の整備

2時間。短い時間であったが、山仕事。あぶなくて近寄れなかった断崖の再生竹を何本か始末した。あぶないというのは、足場の見えなさとハチの存在とほかいくつか。ハチは不在、足場もだいぶ見やすくなっていたので、1年ぶりかにとりかかることができた。あともう2日もやれば、すっきりすることだろう。
さて、気温が10℃前後となって牛にとっては快適な気候。山に入る頭数も増えていることが糞の量と場所でわかる。いつの雨かはわからないが、道が流水で、一部崩れかけているところに、少しテコ入れ。直径15センチ前後の枝木を配置するなどちょっとしたことをやっておいた。水落ち箇所にあった根株が転がり落ちていたが、牛の仕業か豪雨の際に流れたのか。根株は機会があればひろいとっておこう。手を入れたこの道は大事な道だが、長い直線なので豪雨ともなれば掘削が進む。ちょっとしたことが、今年はそれなりに保全の役を果たしたようで、崩れ方が昨年よりはずいぶんと軽いのだ。よって方針継続でのぞむべし。
車両が通るようにはしておきたい。タンクをのせて軽トラでのぼるには少々つらい登坂となっているが、雪が積もる前にやっておかねば。

堆肥づくりの新手

野積みにしたり、穴をほってみたり、箱に入れてみたり。あれこれやってみたところで、水分調整が肝だとは思う。屋根であったり蓋であったりするものとして、茅を束ねたり、笹を束ねたものが使えるのではなかろうかと。藁もそうだが、水をはじくという点では稲藁よりは麦藁のほうがいいだろう。茅かあ。しばし思案してみるべし。米ぬかはバケツをつねに積んでおいて、手に入るところでは即入手できるようにしておこう。
ともあれ、12月いっぱいは落ち葉集めを優先に。

冬来る、畑と山の備忘録#1

そう。明日は採って帰ったままのガマズミをきれいにして、ジャムにしておかなければと思い出しつつ、幾多の棚ざらし案件をあげながら、些末なまとらまらないことどもなども記しておこう。

どんぐりの実ポッド

コナラの実はもう根を出しているものもいくつか。それらを土におきつつ、ほかのものは浸水選別して、ポッドに入れていくべし。シラカシ、ツブラジイ、ナラガシワについても同様。牧場の山にありそうな他の実も、雪が降る前にひろっておこう。アベマキの大きな木があるところへは必ず。もりとはたけとうしのがっこうへむけて、どんぐりひろいの記事をつくっておこうではないか。
もう葉が散ってしまって、見分けが難しくなる樹種もあるだろうが、どんぐりのなる木ならば、幹や落ちている実で見分けがつきやすそうだ。こちらの頁など、参考にしながら。
◆どんぐりの見分け方4(どんぐりの木の樹皮)

竹ポッドもいくつかを試作のこと。まずは山で何本かを伐採しておいておく。12月いっぱいにまでに切れるものを切っておく。

火入れと消炭づくり

11月も雨が多かった。少なくともここ数年と比較してかなり多いことは気象データで確認済み。気のせいではない。多雨によって作業ができないのと、タイミングが測れないことで、12月頭の火入れは延期確定。なりゆきで1月でも2月でも時期を探ってはいこう。タンクを移動することと、竹の移動(一部の整理伐採含め)はすませておけばよいだろう。
一方で、火入れというよりは消炭づくりシーズンの到来でもある。中腹にあるタンクの移動と、エンジンポンプの試運転などをすませておきたい。

キクイモの収穫

山のキクイモをだれかが掘っている。イノシシにしては丁寧なほりっぷりである。タヌキか? 奇妙なのは、掘り起こしているだけで、あまり食べてはいなさそうなのだ。かじりかけはぱっと見たところ皆無。散乱しているが、ひろって食用とするには、獣の接触具合がわからないので、そのまま放置するか、拾い集めて燃えるゴミとして処理するかに多少悩む。放置すれば、また獣を呼ぶかもしれない。
旬はもう少し先。12月下旬から1月にかけてがいちばん美味しくなるはずである。幸い、ほりかえしていない区画もある。手をつけられないことを願いつつ、今後のことを考えねばなるまい。

落ち葉ひろいと必要なものなど

道に落ちているものは、ここ1〜2週間がラストチャンス。雨でない日はあつめておくべし。袋につめていくぶんでもいい。斐川用は袋のほうが運びやすいだろうし。
もみがらは足りると思う。藁も斐川にある。くん炭は買ったものと、ゼオライトや消炭をくだいたもので代用するか。置きっぱなしにしている消炭もあるし、D氏のところでつくることも検討。来年の懸案でよいだろうが。木嶋利男,2009『伝承農法を活かす家庭菜園の科学』講談社ブルーバックス.には、菌根菌の活性化のために施用する炭やくん炭について、《10平米あたり4kg以下であると効果は発現せず、15kg以上であると障害を発生させます》としている。つまり、10平米あたり8kgほどを目処として施用すればよいのではと考える。5平米あたりであれば4kgほど。結構な量である。1m幅の畝であれば5mほどか。ざっくり1m×1mの区画に1kgほどを入れてみるというところでどうだろう。多孔質の資材で代用するならば、ゼオライトがあるから試してみようと思う。大田の山でとれる天然鉱石を使った商品「元気農場」は20kgでおよそ1500円。カタログをみると、1平米あたり1kgを畑への施用指標としているから、齟齬はない。販売しているところがわからないから、明日、問い合わせてみよう。
菌根菌について、先の書籍で要点がよくまとめられているので、引いておく。

《菌根菌は野菜からエネルギー源として炭水化物の供給を受け、土壌中からリン酸やミネラルを集め野菜に与えるなど、野菜類と菌根菌は共存・共栄の関係にあります。菌根菌は一般的な土壌微生物との競合には弱い菌であるため、有機物が豊富で微生物活性の高い土壌には繁殖できません。また、肥料や農薬が他投入された圃場では繁殖しがたい傾向にあります。そこで、菌根菌を活性化するためには、栄養分をほとんど含まず、一般的な土壌微生物が繁殖しにくい資材を用います》

今日のところはこれまで。屋根や雨樋補修のこと、堆肥づくりのことなど、次回へ。

樹を診る

f:id:omojiro:20211114111817j:plain

11月14日。奥出雲町チェーンソー研修の一コマである。
 自伐林家育成のための町民向け。とはいえ、みなさん、自伐林家をめざしているわけではない。自分の山を持っている山主が9割だろうか。町では間伐材・林地残材の出荷をうながずために、搬出に助成金を出している。それでも出す人は限られているし、出荷量も出荷者数も目標としている数値を下回りがちだ。

 このことについては、また、おいおい書いていきたい。今日はこの切株をめぐっての断章を。

 檜林である。林内で3班にわかれて伐倒、枝払い、玉切りをやっていた。久しぶりの快晴であり暖かい日差しが届く。よい香りがたちこめ、午後に入ると、10本に満たないとはいえ切った木の樹冠があくことで、陽が林内に差し込み明るくなっていた。

 で、この木である。
 なかなか倒れなかったのだ。地上10mくらいのところで二股になり樹勢は弱いものだったが、他と比べても径は太め。癖があるといえばそうだが、無茶な暴れ木でもない。しかし、これが、倒れるところまでいっても倒れない。ここまでいけばと、楔を打ち込み、傾きはじめ、「おーい」と回りに声をかけても、そこから先に進まない。
 隣の班からも異常を察してか、人が集まってきて、ああだこうだと言いはじめる。やっと倒れたら、みながこの切株にどうなってるんだと集まってきた。
 写真では少しわかりづらいかもしれないが、芯が偏りながらねじれているのである。通常、そうした異常は受口をつくったときに視認できることがあるのだが、うまく隠れている。あとから、そのつもりでよーくみればわかるのだが。

 樹を診るということ。
 医療が人に向かうのと同じく、一本一本(一人ひとり)違うのだというとこがおもしろく、むずかしくも、奥深い。