冬の竹もきれいだよ

ここのところ、「竹林整備活用事業」について学習会などを実施している関係上、竹をみるとつい近づいて観察してしまう。今日は、奥出雲のとある山にちょっとわけいってみた。

雑木林に竹が侵入しているのだが、ある程度は間伐してあって、きれいだ。特に雪の白に青い竹は映える。

昨今、繁茂する竹を目の敵にしたような口ぶりを、とくに環境教育に携わる方々が多くするものだから、「竹やぶ=悪=駆除すべきもの」という洗脳が進行しているようで、憂慮している。今日もある環境アンケートをまとめていて、そう思った。しかし、10人に0.5人か1人は、空気に惑わされない人がいるものかもしれない。竹が侵入しはじめているとある場所への景観アンケートがある。その地点で案内者が、件のように竹を困った存在として説明したものだから、アンケートは「刈ってしまえ」のオンパレード。その中にあって、「竹は部分的には残してもよい。風にそよぐ感じがよいので、バランスがとれればよい」という一文があって、涼風が吹き抜ける爽やかさを感じた。

「困った」「大変」という立場でなく、竹の声を聴き、どう付き合っていくのかという、そんな立ち方、振る舞い方、ものの言い方を、ひろげていきたいものだ。

天が淵へ至る道 序

ここは私がつい1週間前まで住んでいたところから徒歩10分ばかりの地点です。斐伊川の上流域にあたり、天が淵と呼ばれる伝承地です。いまでも毎朝この景色を横目に通勤しています。

淵のあたりを撮ったのがこちらです。公園として整備されていて、水辺までちかよることもできます。

川沿いには国道314号線。この幹線道路建設について、調べてみたいと思っています。このルートを策定するにあたっての諸事を掘り起こしてみたい。この斐伊川中流域を街道が通ったのは明治に入ってからであり、長い間、街道筋からは外れていたようです。写真にみえる右手の集落は川手。和名抄には、川手郷との記載があります。

さて、この天が淵、八岐大蛇が棲んでいた(いる)ところとして、ネット上にたくさんの記事があがっています。しかるに、ほとんどがコピー&ペーストされたもので、いったいオリジナルはどこにあるのかと、不審に思われる方も少なくないでしょう。

通常、スサノオノミコトが龍の怪物を退治する神話は、古事記日本書紀で物語られています。戦前には国語の教科書への掲載から年配の方々にとって馴染み深い神話です。しかし、記紀から推し量れる地は、雲南市にはないのです。

雲南をオロチ伝説の地として浮かびあがらせる文献は、いくつかあるようですが、「土地の古老が伝えるところによると」という取材記のようなものです。代表的なものとして「雲州樋河上天淵記(うんしゅうひのかわかみあまがふちき)」(「群書類従(ぐんじょるいじゅう)」神祇部巻28所収)があります。

群書類従とは塙保己一はなわ ほきいち)が古書の散逸を危惧し、寺社・大名・公家に伝わる古書を蒐集編纂した一大資料で、寛政5年(1793年)から文政2年(1819年)にかけて刊行されているものです。そして、なんと!国会図書館でデータが公開され、ダウンロードできるようになっています。すごっ! 皆の衆、どんどん使いましょう。

この書、ながらく、作者不詳であったのですが、数年前、松江市大垣町の内神社(高野宮。家原家)所蔵の「天淵八叉大蛇記」大永3年(1523年)が発見され、こちらが原典(のひとつ?)ではないかと言われています。こちらの作者ははっきりしていて、京都東福寺の僧で河内国出身の李庵光通です。奥出雲の古老に取材して記したものらしい。 (つづく)

道の過去と未来

2013年12月7日にこの記事をテストとして記した。

川の道、山の道、鉄の道。

これら、すべて、今、人が省みなくなっている「道」なのである。

鉄の道については、とくにここ奥出雲の歴史にかかわるところ大ではあるが、他の日本の村においても見落としがちな道である。

ホースセラピー

上の記事から7年後の2017年12月18日に追記する。

このときに抱いた思いはいまでも変わらない。

忘れられた道の痕跡はいまでも、手をのばせば届く過去を生きた人の記憶に残っている。

牛の道、峠、塞ノ神、馬頭観音……。

あと少し。あと少し。