出雲の山墾り〜阿井の竹林でその1

出雲の山墾り特別編ということで、阿井の竹林へ行ってきました。
荒れた竹林を「きれいに」しつつ、タケノコ林として「再生」したいという希望に「ここは無理を押してでもいかねば」と、赴いた次第。草にしろ竹にしろ邪魔者扱いだけでうごくケースが大半な中、「ここのタケノコは白くて甘くて」というような愛がある。稀有なことなのです。
というわけで、写真をいくつか。

竹水の発酵

木を切った後のカブに蟻が群がっているのを見ることは珍しくはない。昨秋、コナラの大きな木を切ったあとにも、群れとはいえないが、数匹の蟻がチョロチョロと集まってきていた。

荒廃竹林を伐開して火を入れ、畑を数年そこでする。焼畑をはじめて5年目になるが、どうだろう。竹に蟻が集まってくるのを、そういえば見たことがない。いや、気がするというくらいにしておこうか。

一方で、竹水、竹が吸い上げて稈の中にたまるような水分が、ほのかに甘いことは、飲んだこともあるので、そうだようまいよと人に吹聴もする。なにより、切り株のそこここにこの写真のように、発酵がみられることからも、かなりの糖分を含んでいるだろうことは想像がつく。

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ここ数年はつくっていないのだが、竹のチップは、ある程度の量を積み上げておくと、発酵がはじまり、その山に手を突っ込むと、「あっちっち」とかなりの高温にまで達することがわかる。ほかになにも加えてはいない。竹の葉も混じった稈を主体としたチップだけで、1日2日もすればそんな反応が進行するのだ。

これまで、「そういうものだ」という認識でしかなかった。しかし、これらを引き起こす菌やら酵母やらについては、まったく考慮の対象外であったのだ。「ぼーっと生きてんじゃねえよ」と言われそうだ。

なので、ちょいと調べたり実験をしてみようと思う。まずは開始宣言のようなものとして、今日、ここに記しておく。

【雑感と備忘】2017年12月10日〜山を生かす竹林整備研修

2017年12月10日(日)曇りのち雨/10時の気温5℃ 一般1名、学生3名の参加でした。講師は響繁則さん。

◉伐倒講習について
●チェーンソーの目立て

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今回あくまで1時間強ほどの簡易なものです。通常の講習ならば午前いっぱいはかかるといいますから、3時間ほどは要するということ。参加人数が少ないこともあり、私自分少し受けてみて、修正の仕方をひとつ覚えられたかと思います。もう使えないだろうなあと見ていたチェーンも、「まだまだ使えるよ」と言われて直す気になりました。ただ、「1時間はかかるんじゃないか」ということ。こんど、じっくり向き合って直します。今週日曜に柵をつくるときにでも。
このような実習を人が出入りするところでやっていると、のぞきにくる人がいます。大変よいことです。チェーンソーを使ったことがある人、使いたい人がのぞきにくるわけです。
1〜2分ほどでも、「ここをこうするんですよ」「昔はこう斜めにと言われていたけど、いまは水平で」「〜〜になっているから」。  こうしたやりとりがあるのはなによりです。

●伐倒実習

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チェーンソーもノコギリも基本は同じです。
とくに、斜面では受け口、追い口をつくり、倒す方向を斜面に対して斜めにもっていくこと。そうすることで、危険を回避することと、もうひとつ。その後の作業、すなわち玉切りや移動にかける手数が少なくなります。
やってみてわかるのは、口をつくるときに、重力に対して水平にもっていくことは、ノコギリの場合、とくに難しいということ。この日は用意していませんでしたが、チョークなりで線をひくのがいいということです。こりゃ早速導入です。
口をつくる方向と同時に、つるの幅を左右で変えることでさらに向きをコントロールすることも教わりました。これも加減であって、差がつきすぎると裂けを生じてしまう。

●ロープを使った伐倒
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ロープワークはあくまで補助であり、保険であって、ロープの力だけで向きを変えるのではないということが肝要です。

◉雑話について
むしろ、ここのところが、時間をさいて足を運ぶ最大の価値があるところなのですよ、みなさん。
モチキビの話をしたらば、響さんが、いまでもつくっている人を知っていると。  な、な、なんと!
今度おしえてくださいとお願いしました。

【案内】山を生かす竹林整備研修〜はじめて編

 12月10日(日)開催です。

 案内文は下段におくとして。なぜやるのかということのメモを自身にあてて置いておくものです。

1. 竹の焼畑事業における伐採技術の向上

 大事なことは3つあると思っています。

・道具を大事にする心……手入れを通じて道具を知ること〜モノの特性を知ること〜竹の特性・木それぞれの特性を知ること

・技術を向上させる意思……早く・楽に・なにかのために〜できることがひろがる〜数字(も)大事〜面積・本数

・頭に働いてもらう条件づけ……頭を使わない社会の中、山を生かすのは人を生かすこと〜「頭使って!」といっても使ってもらえない〜自分と家族(仲間)に対してどう言葉を発するか

2. 竹の焼畑事業における賛同者・協力者・自分の山でやってみたい人を募る

【案内〜山を生かす竹林整備研修_2017年12月10日】

これからはじめたい! どうしたらいいの? そんな初心者向けの実践的研修会です。響繁則さん(国土緑化推進機構選定 森の名手・名人)を講師に、荒廃竹林整備の基本的な考え方と注意点。伐倒講習・搬出等作業の実際を行います。また、チェーンソー使用者には別途講習を行います(※注1)。天候や参加人数の状況に応じて消し炭づくりなどもあり。

はじめての理論編は希望者あれば1月に開催予定。

◉お申込・お問い合わせ先

 面代真樹

 森と畑と牛とホームページのフォームをご利用ください。

【要項】

◉日時

12月12日(日)

9:00〜14:30

※午前のみ参加も可

※遠方からこられる方、チェーンソーを使わない方は、10時からの参加でも可(9時〜10時はチェーンソー講習か、のこぎり・鉈の使い方講習等を実施)

◉実施場所:奥出雲町布勢地区内竹林

 ダムの見える牧場の牛舎前に9:00集合

◉定員:15名までを予定

◉参加費:700円(保険・資料代として)

 ※島根大学学生は無料(ただし条件があります。お問合せください)

◉持ち物

・のこぎりとなた(お貸しすることもできます)

・作業用手袋(革手袋推奨。厚手の軍手等でも可)

・山に入れる服装と靴で(斜面ですべらないスパイクかミゾのある作業靴等)

・防寒のための服装

・昼食弁当、飲み物

※注1. チェーンソー使用者はチャップス(お持ちでない場合はお問い合わせください)

◉荒天(大雪等)の場合中止とします。

◉以下3団体の共催です

島根大学里山理研究会

奥出雲山村塾

森と畑と牛と

竹についての2つの話題

 NHKの4月22日のニュースです。リンク先はいずれ消えると思われます。

「建設現場の足場に竹 香港ならではの光景」

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170422/k10010957391000.html

 魚拓的に、テキストをひっぱっておきましょう。

《ビルが所狭しと建ち並ぶ香港では、建設現場の足場に今でも竹が使われています。数十階建ての高層ビルで職人たちが竹とナイロンのひもだけで次々と足場を組む様子は、香港ならではの光景です。竹が重宝されるのは、金属に比べて安くて軽いから。高い場所でも簡単に運搬でき、切って長さの調整も簡単です。竹の足場は100年以上前に中国本土から伝わったといわれ、1960年代以降の高層ビルの建設ラッシュとともに、香港で独自に技術が発達しました。今では、業界団体が資金を出し合い、無料で講義や実習を受けることができる竹の足場の訓練施設まであります。竹をひもで固定する方法をはじめ、足場の素早い登り方や落下しにくい姿勢など、若者たちが技術の習得に励んでいます。ところが、最近は竹に代わって鉄製の足場が普及しつつあります。鉄は組み立てが簡単で熟練した職人の技術が必要なく、このところ鉄の価格が下がっていることが背景にあります。

 こうした中、伝統の竹の技術を後世に残そうとする人もいます。竹の足場職人をしていた李家俊さん(49)は若者たちを率いて、粤劇(えつげき)と呼ばれる伝統芸能の巡回公演のために、竹組みの劇場を作り続けています。3000本以上の竹で劇場を組み立て、公演が終わると解体して、年間30回、香港各地を回ります。李さんは、竹組みを文化として残していきたいとの思いを強く持っていて、手がけた劇場は伝統の粤劇と抜群の調和を見せ、観客を魅了しています。香港のあちこちに見られる竹の足場には、独自に進化した技術への職人たちの熱い思いが込められているのです。》

 香港のみならず、台湾でもよく見る竹の足場。インドネシアでもよく見かけたと記憶しています。バリ島のGreen Villageあるいは○○が展開している竹の建築(構築物)の可能性について、まだ私たちはとらえていないのです。評価があまりにも低調なのは、開発と伝統の隙間にあるものだからでしょう。

 もうひとつの話題は竹にまつわる久しぶりの大著の刊行。

小林幹夫 著『原色植物分類図鑑 日本のタケ亜科植物』(北隆館)

 県立図書館に入りますように。

おいしい雑穀づくりと小屋づくりと山畑の手入れetc.~11月13日

作業日報。

11月13日(日)。

参加者1名+軽トラ1台。晴れ。気温?℃(14時)。

疲労がたまってきており、脱穀作業は1時間ほど。

畑などで使う竹切をはじめました。

来年の焼畑2年めの地にはつる性の豆を多播しようかと思って、です。理由はかんたん、雑草にまけないから。場合によっては、雑草にからみついてもよろしい。

◉経過

11時00分~11時50分 三沢内でススキ地探しと産業祭を覗き見

11時50分~12時20分 竹伐採運搬

12時30分~13時00分 昼食

13時00分~14時20分 アマランサス脱穀

14時20分~14時30分 片付け、撤収

モウソウチクの盛衰(仮)

 表題についてのメモ書きが出てきた。おそらく3年前にまとめたものだと思うのだが、本体が見当たらない。拾い出して整理し直すべく、まずここにあげておく。
モウソウチクの盛衰(仮)
1)全国の農家にひろまったのはどうやら昭和初期。それまではごく一部で栽培。
2)戦後、さらにひろまる。
3)1970年代後半から80年代前半にさらにひろまる(タケノコ増産奨励)
  ※70年頃にマダケの世界的一斉開花と枯渇が生じたあとの代替説あり。
4)90年代初頭に中国産筍の輸入拡大で価格暴落と生産の衰退・放棄。
5)90年代後半から放置竹林の荒廃化がすすむ
6)2001年5月21日、NHKクローズアップ現代が「列島に忍び寄る竹の異変」をとりあげる。……間違った理解※も広まるが、一気に人口に膾炙。
 ※荒廃した竹林はきょく(以下欠落)
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竹紙と葛紙と……

なぜ竹紙なのか……。長くなるので詳細はいずれ。

あえて、ひとことでいえば、

「人はいつごろから、自然界から繊維を取り出し、人工物として再編することをはじめたのか」

を想像してみたい、みるべきだ、そこに価値と意味がある、ということですね。

竹の繊維を取り出すことをはじめているのですが、繊維を取り出すところまでの工程は、布づくりとほぼ同じです。

たまたま、柳田国男の「木綿以前のこと」の中に見つけたので、ひっぱってきておきます。

文化四年に成った『北遊記』には、今の福島県の平と湯本との中間でも、藤布を織って産業にしている者がいたとある。是は衣服の原料としてではなく、おもに畳の縁へりにするために供給していたものであった。春中の女の仕事で、その製法は藤の皮を剥はぎ、水に浸すこと四五日の後、堅木かたぎの灰を加えて暫しばらく煮て、川に出して晒さらし且つ扱こくことは、麻の通りであるとも述べてある。

青空文庫の「柳田国男 木綿以前の事」より

火入れの手順を考えるのと同時に

 手順を考えてみた。そのメモとして。

①計画・調査

 計画:施業面積、日程、人員配置、委託契約(森林組合)、許可事前協議

 調査:植生、土壌(2〜3ヶ所程度)、稈経、密度等

②火入れ地事前整備

 杭打ち等による施業ヶ所マーキング(火入れ地、防火帯、消火ポンプ配置位置、人員配置等)

 下刈り(熊笹等)

 倒竹、枯竹運び出し

③火入れ部分は伐採・伏せこみ、防火帯部分は伐採・運搬

 伏せこみ状況の記録

④火入れ日確定(10日前)8月上旬

 天候状態・天気予報、人員都合を勘案しながら、決定。晴天が5日ほど続き、風がなく、火入れ当日もしくは翌日に、軽い夕立があるのが理想的。

 強風、降雨の場合は順延。

⑤火入れ当日

 集合・手順・安全確認

 火付け

 消化確認

 テント泊・定期巡回

⑥調査・播種

 土壌調査(土質、断面)、記録

 浅耕(焼け具合、灰の厚さ等による)

 蕎麦(カブ)播種

⑦調査(1週間単位)

⑧収穫・試食

2年目に小豆。

3年目から

タケノコ生産林+乳牛放牧地

以上。

奥出雲タケヤマ開拓2014ー第2回レポートの序

 実施報告をつくって、竹取り通信第3号を発刊せねば。

 島根日日新聞に記事が載りました。これこれ。

「目指せ荒廃竹林の整備」とあるのは、新聞の方便というべきもので、そんなことはひと言も申し上げてはおりません。大義名分としてわかりやすく批判のでないフレーズとなると「竹林整備」に落ち着くことはよくわかります。

 しかし、運動・活動の主体のひとりとしては、とても違和感があるということだけ申し上げておかないとと思います。そう、違和感があるのです。この活動は微妙な立ち位置にあります。

 そもそも、なぜ荒廃竹林を整備する必要があるのか、整備できるのか、どこまで、誰が、どうやって整備するのか、などなど。そのような問いはおきざりにされたまま、とにかくやりましょうという記事になってしまうのですね。

 この活動は松江市で開催しているセミナーとリンクしているのですが、鳥瞰的、意味論的、思想的、問題発見的、、、まあ、はっきりしないといえばはっきりしない足取りでやってます。いかんだろうね、これじゃ、非難をあびておかしくない。むしろそれ、歓迎。

 

 そもそも、賛否うずまくことというものは、「否」の存在感がクローズアップされることになっています。とくに規模が拡大した社会機構ではそう。マスメディア、大規模店舗、大都市……挙げ方が不自然ではありますが、がたいがでかいもの一般というくらいの把握でもいいでしょう。

 しかし、ですね、否が唱えられないことがいいことであって、それしかできない・しない社会って、もう終わりに向かって進んでる社会だと思うんです。

 

 タケヤマ開拓がめざすのはぼんやりしたものですが、山地酪農と竹との共存をめざしているといえば、ようやくちょっと近いのかもしれません。竹林整備はその一部でしかない。

 ま、そんだけ。

 ああ、ぐだぐだですね。私も頭の中と計画を整理せねば、です。

 今日も徹夜か、体力がほしい!