6月9日に火を入れ、翌10日に播種やら苗の植え付けやらをやった。そして17日になり、サツマ芋の苗は枯れている。「枯れるの覚悟で植えるか」とは言っていたものの。火入れ後、地面に鍬を入れてみて、「なんじゃこりゃあ」と腰を抜かしたその意味はあまり理解されていなかったように思う。
この土じゃあ無理です。条件がそろえばなんとかいけるかも、というところ。昨日は炎天下のなか、水をまくというので、アホかと。夕方以降に撒くのだということにしましたが、どうでしょうか。
自分たちで、みて、かんがえて、きめて、やる、ことを促してきた「つもり」ですが、いかんですね、深く反省する時間を車を運転しながら、鍬をおろしながら持ちました。かくいう我も、陸稲の苗を「ダメかもしれないし、そうなるだろう前提」で、植え付けはじめたのですが、徒労感が先行し、ママゴトのような施業となりました。トホホ。保険のために、桁の斜面をキープしていたので、そこを急遽草刈りして、植え付けはじめたのですが、試しに鍬を入れた場所が幸運にもよかっただけで、砂利が多すぎ、難儀です。小一時間ほど格闘して断念。この斜面には、アマランサスを明日明後日にと決めて、別な手を思案しました。が、なにも思い浮かばない。あげくに、炎天下に放置した苗が収縮し黄色く変色しはじめる始末。
そんなことがあった翌日ゆえ吉宗農園の投稿が新鮮でした。
吉宗さん、農園見学について曰く。
「どんな方が来られてもすぐ仕事にしてもらえる洞察力と臨機応変に対応する知恵を身に付ける練習です。また、伝えることで自分自身理解を深める」と。
来月再来月のどこかで見学を申し込もうとスケジュールをながめつつ、忘れぬようここに記しておくモノです。
焼畑
竹の焼畑2018-春の火入れ前に
記録が残せていない。 2018/05/27時点。 春の火入れ準備へ向けて、7〜10回の活動日を経過したところで、ざっくりと、遺漏もあること前提で、ほんとうにざっくりと記しておこう。
◆2017年の夏焼地あとの状況
・蕎麦も温海カブも成育はよくなかった。土質、地形、気候、種子、など各種要因と相互連関の複雑さからいって、「原因」たるものを記しがたい。どれも、『栽培」にとってよいとはいいがたいものがあるという点はあった。
・カブは種取りのために残してある。蕎麦の跡地を中心に古代小麦を11月ごろ撒種して、発芽そのものはよかった。春からの成育が遅かったのは山地特有のものだとしても、春先に鹿(だろうと思われる)の食害にあい、その後の乾燥もあって、枯れてしまうような区画が3〜4割あった。
・そして、昨日、5月26日の写真を下にあげる。
◉温海カブの春
小鳥、おそらくスズメではないか。ほとんどの実が食べられてしまった。
5月16日の状況がこうであった。

ここから10日が経過していたわけで、そりゃ間があきすぎていた。枯れるのも早い。一昨年は6月の上旬に種取りをしていたから、遅すぎるというわけでもない。平地では時期としてはまだ少し早いくらいだから。ただ、もともと食害にあっているということ、そして水持ちが悪い場所にあった(馬の背部分)ということ、今年は植物の開花・結実が平年より2週間あまり早いということを考えれば、もっと早くに動いていれば、ここまでひどいことにはならなかったろう。
やむを得ない。一昨年の種が若干残っている。発芽率は落ちているだろうが、それらを撒くことと、保険として昨年購入しておいた温海カブの種子を今年は使う。
◉古代小麦の春
こういう状況だ。
出穂も得られた。問題はここから先。少なくとも鳥には食われないように、開花後2週間後くらいには防鳥の網をかぶせることとする。 きびしいなかでのかすかな希望でもある。カブも蕎麦もダメであったし、鳥からも獣からも食われていまうという状況のなかで、どういう結果が得られるか、もう少しだけねばってみたい。
焼畑でイセヒカリ
”竹の焼畑2018”を策定中。
地道にとはいえ、これ(写真)をひとりで伏せ込みなおすのはどうなのだろう。
自棄になっているわけではない。今日あらためて現場を検分し、冷静に考えて、ひょっとしたらできるのかなと思ったのだ。
昨年度の様子から、今年はだれも集まらないかなと想定していたので、そのなか3名が残ったのは朗報だった。だが、うち2名は学生OBであるし、学生1名では動かないほうがいいだろう。
ただ、例年そうであるように、火入れ当日の人は確保できる。
問題は準備と栽培の手入れにほとんど人が入らないということ。
さて、そんななか、今年は陸稲に取り組むことにきめた。
焼畑でイセヒカリ、である。陸稲といえば糯性のものが大半かと思いきや、粳もあって、なかでもイセヒカリは取り組んでいる人も多い。
焼畑で栽培される作物は時代と環境によって変化してきたものだ。陸稲を試すべきとは1年ほど前から考えていたことだが、ここへきて踏み切るのにはいくつかの理由がある。
・雑穀栽培を続け周辺へひろめていくうえでは「機械化」に取り組むべき時期にきている。とくに籾摺り、脱ぷなどの調製過程。機械はほぼすべて米に特化してつくられていて、オプションの機具をつかえば雑穀にも対応できるというまでのもの。
・有機栽培、自然栽培の農家がいよいよなくなってしまうのではないかとこのごろ思う。お店と数家族が養えるくらいの米と大豆と少々の野菜は確保しておきたい。その道をいまからつけておきたい。市場に出さないものでよいのだから。水をつかう水稲は最上流の田んぼでもない限り無理だろうから、畑地、しかも僻地の畑地に限られる。焼畑のできる土地と条件はほぼ同じだ。
・米の単位面積あたりの収量は他の雑穀を大きくしのぐ。稲わらがとれるのも魅力だ。稲作を見直す意味でもこれはいまから取り組みたい。
・参加者の昼食用に。ま、これはおまけ。
さて、相性を考えて、モチアワ、タカキビ、センニンコク、ダイズ、アズキ、ヒエ、などと混植。
5月下旬の梅雨入り前に火入れだとして、イネは苗を移植するか。直播は時期と土とからして難だろう。
育苗をどうすべえということなど、なにかと複雑じゃが、まあなんとか、したい、です。
焼畑の終わりと始まり

日本における焼畑は稲作以前、縄文時代から行われていた可能性が唱えられてきた。空間的にも北海道から八重山諸島にまで広がっている。その形態や特質は多くの変貌を時間的にも空間的にもとげながら、野山に火をいれるというその一点は近代まで連綿と続けられてきたことに間違いはない。
少なくとも数千年におよぶ焼畑という営みも、昭和三十年代に入り急速に衰退し、確実に終焉を迎えたと、野本寛一は言う。現在の80代世代が、その最期を見届けたことになり、私たちにその探求の道は閉ざされた。
一方で、平成も終わろうとするこの時代に、焼畑の火は消えそうで消えず、もはや歴史の進みの淀みとはいえないだろう。むしろ、数千年のときをへて、やっと、私たちは焼畑の真実にたどりつけるのかもしれない。黄昏に飛び立つミネルヴァの梟をとらえるがごとく。
繰り返し同じようなことを言う。焼畑のイメージはつねに焼畑そのものから遠ざかろうとする。裏切り、間違い、幻像。「灰が肥料になるのですか」「究極の循環農法ですね」「環境破壊では」……すべてイエスでありノーである。
奥出雲・佐白の地で「焼畑」を試行して三年。焼畑は農法や伝統や文化というよりは、生命現象に近いなにかであると予感する。
焼畑は通常、Slash and burnで通用するが、Shifting cultivationも捨てがたい通念だ。むしろ「移動」することが「焼く」ことよりも本質をついているだろう。通説では、焼畑が場所を移動=Shiftingするのは、地力の衰えあるいは除草の手間が増大するためだとされる。が、本当にそうなのだろうか。
別な言い方をしてみよう。焼畑が移動をその核にすえるのは、管理から逃れるためであり、定住と集団の大規模化に抗するためであると。anti-cultivation、すなわち反文化としての焼畑。
山の利用をめぐって、明治政府はまず自由放牧を、つぎに焼畑をしめだした。間接的にではあるが。抑圧する側としては、制御したいのであって、抑圧そのものが目的ではない。
反文化は、文化に抗するわけだが、それは文化の側からの視点であることをことわっておく。
野山に管理を徹底することで、結果としてなにが起こったのか。国は富を拡大できただろうか。人は豊かさを享受できただろうか。幼子を飢えや病気でなくす悲しみを総体として減らすことができただろうか。これもイエスでありノーである。
「森が荒れ」「鳥がいなくなり」「山にはもう入れない」と土地の老人たちはいう。
嘆きだろうか。いやそうではない。これは託されているのだ、まだ動ける私たちに。
もうやらなくてもいいのだと。
だが、やるなではなく、やってもいいというメッセージがそこにはある。
やるなら覚悟をもっておやりなさいよ。そうやさしくはいわないだけであって。
そう勝手に受け取って、私たちははじめたのだ。
荒れた森を切り開き、火を入れ、畑をつくる。花が咲き、虫が集まり、鳥が少しずつふえ、荒地のキク科雑草の繁茂も二年目でずいぶんとおさまり、見ることのなかったスミレや柔らかな草、眠っていたチャノキが背をのばしはじめている。新しい森が成熟するにつれて、これらの生命はまた次第に消えていくだろう。
作物の種はあつくまき、その多くは死に、生き残りもどんどん間引いていく。それでもできたりできなかったりする。
まあ、なんとかつくりたいという一心なのだが、生と死が等価であるような生命の流れに同化することでなんとか私も生きたいと願う。
竹の焼畑2017-sec.36
12月3日(日)晴れのち曇り 最低気温0℃ 最高気温10℃ 竹の焼畑2017も、なんと、今日で36回目の活動日です。島大里山管理研究会から3名、教員1名+OB1名(午後より)、そして地元の私1名(11時30分〜15時)、計6名での作業でした。
これくらいの気温がいちばん動きやすいので、夏にやるよりははるかにはかどります。今年は雨の日が多い11月でしたが、それでも雨天で中止にする日はありませんでした(小雨の中、やや強行という日はあったにせよ)。それもこれも12月までか。1月に入ると雪で動けなくなる日が出てきますのでね。
◉次年度火入れ地の伐開作業 伐採は進んでいますが、竹の置き方(倒し方・進め方)に難ありで、やはりこの後苦労しそうです。今日の作業ではその点徹底して、成り行きで斜面下に倒すのではなく、横に倒して並べていくという方法で進めています。
この日ははじめてくる3回生が2名いました。来年に向けての希望です。
◉中山の状況その1 さて、私の方では中山の柵づくりと脱穀などを進めました。伐倒した竹を木にかけたりしたために、ひっぱりだすのに息切れ。。。3本ほどを倒して、整理するので1時間ほどかかってしまい、柵の杭をたてるところまでもいたらず。あがった息を整えながら、1月いっぱいにはひとつめの囲いをしあげておきたいなあと、斜面を眺めていました。
温海カブのほうですが、この時期はほんとに日があたらない場所です。とはいえ、2〜3時間ほどは光が入るのではないかと。昨年までの成長ぶりとは趣がことなります。12月に入ったくらいには大きなものができていたのにと。要因は多々ありますが、発芽の悪さが大きい。この場所のカブは火入れ直後にまいていません。蕎麦のために火入れして蕎麦をまいたあと、まったく発芽しなかったところにカブの種をまいているところです。
発芽が悪かったので、なんどか追いまきしています。
くわえて、発芽したものは、かなり虫に葉をくわれています。それも発育の遅さにつながっているでしょう。虫については、9月に火入れしてカブをまいたところでは、さほどみられなかったため、火入れによるなんらかの防虫効果があったのかもしれません。この写真の箇所も火入れをしてはいますが、播種の時期が火入れから数週間たっている。今年のものでいま写真にみえているところは、12月下旬に間引き的にぬいたあとは、すべて種取り用に残す予定です。1年目、2年目がたまたまうまくいったので、気を抜いていましたが、ゆるめてはいかんですね。
◉中山の状況その2 草刈りが入りました。みつけた(復活した)茶の木がばっさり切られていたのは少し残念ですが、下部は残っていて、蕾を新しくつけていました。来年以降、残してふやし、茶摘みをしてみたいものです。冬イチゴもかなり刈り取られましたが、まだ残っており、とっては食べとっては食べして、昼食がわりにしました。
◉蕎麦の脱穀 残りをようやく終えました。結局収量はいくらだっけ? メモが紛失したようで不確かな記憶ですが、1.4kgほどになるのではないかな。1kgはこえているはずで、2kgはありません。さて、蒔いたのはいくらだったのか。量だけでみると蕎麦をつくる意欲をそがれます。
なぜ、焼畑には蕎麦なのか。曖昧なものとはいえ、明治以降の日本の焼畑における作物として、蕎麦はその筆頭にあったことはほぼ確実。出雲地方にあってもそうでありましょうし、出雲蕎麦のルーツにかかわることでもあるので、ここは意欲を駆り立てるものを見つけていきたいものです。
竹の焼畑2017―sec.35
11月25日(土)曇り 気温10℃(11時頃)
島根大学里山管理研究会。停滞していた竹林伐開活動が10月に入ってから活発化しています。この日は5名が参加。複数回参加するメンバーが少なく、熟練がすすまないのが、変わらぬ悩みです。

人海パワーで突破ということですね。
伐倒する人は、これを斜面に並べて積む人とは別な人になります。無駄とはいえないまでも、これでは切ったものを下に移動した後に玉切りし、また上にあげるしかありません。
1〜3本切るごとに積むようにしたほうが、数倍効率的であるはず。あるいはこうして切り倒すのであれば、斜面では焼かずに下ろした竹材は下で焼いて炭にしてしまうというのも一計か。
ここは口出し無用と心得、中山での柵作りを少しでも前に進めておきましょうぞ。 とはいえ、この日は麦踏みだけして引き上げました。

山を下りる途中、なんと、茶の木を発見。
栽培していたものから、種がこぼれて、ここで生き続けいたのか。種をとってひろげてみるのも一興と思いついた次第。
次回の活動日は、12月3日(日)です。
竹の焼畑2017-sec.33
11月12日(日)の活動記録です。天候は晴れ。10時時点での気温14℃。島根大6名(10時~)、地元1名(10時半~14時半)の計7名が従事しました。

◉竹林伐開。この下手くそが!と怒鳴られる、のかどうかはわかりませんが、技術向上の意欲をもつように仕向けてはいます。下手くそ=危険ということでもあるのですよ。
◉冬イチゴです。ミヤマフユイチゴではないと思いますし、アイノコフユイチゴでもないと思う。よってふつうのフユイチゴ。ただ、粒の付き方で2種類にわかれるような。味も違うような。そこらへん、葉の形を次回は確かめてみます。
◉岩伏山をのぞむ放牧地にて。ことしは紅葉が鮮やかできれいです。落葉が進んで、見晴らしがよくなったところで、のぼってみましょう。雪が降る前に。
2017年11月8日の情景

焼畑。竹炭はこうして残る。竹の根とあわせて表土の空気層をつくりだしてくれると思う。蕎麦のあとに古代小麦。前日に芽を出したのだと思う。2日前にきたときには見ることができなかった。これで、3区画ぶんすべてで発芽しており、発芽率は7〜9割だと思う。
つぶらなひとみ。
三沢のUさん宅へ通じる道の林縁部。林縁で水をもつところにシダ類と笹類が繁茂し、クヌギ、コナラもあるという植生は奥出雲ではよく見かけるように思う。
土曜豆(白豆)はさやから出して、さらに天日干しするのだな。なにごとであれ休まず小さく毎日やると楽しいものだと、教えてくれる絵。
かめんがら(ガマズミ)と笹は競合するのかな、だとすれば、かめんがらよりもササ、あるいは竹が優先する時代にここ数十年で入っているのだと考え、人間活動との関係性を想像してみる。
竹の焼畑2017-sec.31
31回目の整備活動日です。
天候は雨(小雨)。10時時点での気温16℃。島根大5名(10時半〜)、地元1名(9時〜11時半)の計6名が従事しました。
今日も含めた活動予定日はこちら。
10/28(土)sec.31
11/5(日)sec.32…雑穀料理あり
11/12(日)sec.33
11/19(日)sec.34
11/25(土)sec.35
12/3(日)sec.36
12/10(日)sec.37…整備研修会予定
さて、本日の作業内容などはあとで書き足すとして、気づいたことを忘れずに記しておきます。
◉再生竹が引っこ抜ける状態
ここ1ヶ月以内に伸張したものです。手で抜けるのです。すぽりと。別に腐朽しているようには見えない。地上部は青々と健康そのもの。地下の茎部は白く柔らかい。春・夏に出ているもので、こんな抜け方をするものは皆無であって、鉈・鎌で根元をえぐらねばとれるものではないのですが、この時期のものはなぜすぽりと抜けるのか。
1本くらい残して冬を越させてみるとまたわかることがあるのかもしれませんね。覚えていたらやってみましょう。
◉中山裾の焼畑ーカブ栽培地に牛入る
柵はそこそこ機能していたのですが、山の斜面側から入ったようです、というか足跡からして経路は明確。あまり踏み荒らされていないのは幸いですが、しっかり糞をおとしています。
どうしたもんじゃろのお。
◉中山裾の大豆が生きていた
牛に食われて死んだと思っていましたが、豆ができていました。5〜8株程度で、つきかたも少なくごくわずかなものですが、収穫して来年の種にまわそうと思います。品種はフクユタカ。次年度も購入せねば足りませんが、焼き畑2世代目がつくれるのはうれしいものです。
◉黒いカタツムリ
はじめてみた。
◉野いちご
食べられます。おいしいです。味がしない・あまくないなどという人がいたのですが、食べたことない人でした。叱っておきました。
むかごもまだとれます。山にきたのなら、ちょちょいととってかえりましょう。
さて、古代小麦の種まきは、今日も進めましたが、柵づくりは来週。がんばらずに粛々とやります。はい。















