種子を残す意思と摂理と

 温海かぶの種を蒔いてから1週間。昨日確認したところでは、なんと発芽は0。炭で黒くなっている地面なのでどんなに小さくとも緑色を見過ごすことはない。どれだけ出ているか、雨の中、期待を胸にすべる山の斜面をのぼっての0。落胆と同時になぜだろうと「?」が脳内を行きつ戻りつした。

 火入れから25日ほどたった蕎麦が発芽しなかったところに蒔いているので、条件はよくない。とはいえ、過去2年ほどは火入れした2〜5日後には発芽が確認できていたものだ。ちょっいと原因を整理してみよう。

・島根大の冷蔵庫で保管してきた2年前の種子である。冷蔵庫から出したのはおそらく数日前か。

→常温の方がよいのかもしらん。あるいはもう少し早く冷蔵庫から出しておくべきか。種子にとっては冬から春に変わったという認識となる。

・発芽しにくい土である

→蕎麦が発芽しなかった地であるからして。蕎麦よりは条件悪くても発芽はしそうなのがカブなのだが、どうでしょう。

・降雨が少なかった

→一時的に降ることはあったが、まとまった降雨は8月30日〜9月5日までない。これが要因として大かもしらん。山の斜面でかつ水もちの悪いところであると思われるので。

 最寄り気象台データである大東の降雨記録をあげておこう。

大東気象台降雨記録

 さて、書きおくべきこと、本題はこれからなのだ。

 落胆を胸に、?マークを頭にのせて、山を降りようとしたとき、ふと目がとまった。

 ん?? これはカブじゃあないか。

 おそらくこぼれ種と思われるカブである。種を蒔いた周辺部、すなわち火入れした地面と草が生えている境界部で発芽しているではないか。けっこう成長している。双葉から3つ葉を出しひろげている。おやおや。要点をば以下に。

・種は2年前のものと推定される。

・8月5日に火入れした際、蒔かれて眠っていた種子の大半は死んでしまったが、温度が死ぬほど高くならず、しかも休眠を打破するくらいには高くあがった地点で発芽したもの。発芽から2週間くらい経過したものか。

 種子の生存にかかる摂理を感じる。

 

竹の焼畑2017-sec.28

8月30日(水)晴れ。最高気温25℃。
活動報告を箇条書きにて。
○参加者:島大から5名、教員1名、地元1名の計7名。
○時間:10時〜15時半
○内容
10:00〜10:40…30分〜40分、竹の伐採についてのミニ講習
11:00〜12:50…次年度火入れ予定地の荒廃竹林伐倒(学生)/中山畑地の草刈り(地元)
13:00〜14:00…昼食・休憩
14:00〜14:40…温海カブの種蒔と蕎麦の間引き
14:40〜15:30…春焼地のさつまいも救出(草刈)/ホンリー間引き/アワ、ヒエ栽培地の草刈

○課題
伐倒技術・進め方にまだ問題あり。
伐倒竹の跳ね返りで頬を怪我した男性1名あり。絆創膏をはる程度の浅い傷ではあるが、大怪我につながるケーススタディとしてメンバー共有のこと。

怒る大人、叱られる子供、やってはいけない事

 友達の家で、囲炉裏をひょいとまたいだら、その瞬間足を払われて鉄拳をもらった。コラとも、何が悪いとも、一言もない、大人は怒っていた。

 いま60代(とおぼしき)男性が幼少の頃の記憶を語った言葉である。

 何をしたら怒られたのか。

 そんなことも、次々と時代の波に洗われて見えなくなっていく。

 大人が何も言わずに怒ってげんこつで子供をなぐる。かれこれ50年も前のことになるのだろう。そんなことが”自然”であったのは。

 なぜやってはいけないのか。大人に言葉はない。問答無用。

 社会が今より少しは豊かさをもっていた時代。

 懐かしさや良きものをそこに想定しているのではない。1960年代、昭和30年代後半から、日本の社会はいよいよ崩壊へ向かって走っていく頃なのだから。

 しかしながら、ここで囲炉裏とはなんであったのかを、子供と大人の関係性とともに探り描くことは、とてもおもしろいことだと、私は思うのだ。

 囲炉裏に限らない。「怒られた記憶」「何をしたら怒られたのか」ーー跡形もなく洗い流される前にスケッチしておきたい。

 宿題がまたひとつ。無理のきかなくなった身体を奮い立たせるにはよい火種だ。

 さて、出かけますか。

 

竹の焼畑2017-sec.27

8月26日(土)。

八月も終わろうとしているのに、夜は寝苦しいほどに暑い日が続いています。それでも、昼のセミの声よりも夜の虫の音のほうが大きく感じられるようになりました。家の裏の畑では、花オクラが咲き始め、1mもあろうかという大きな葉を広げ存在感を誇っていた花ズッキーニも、その実に種を宿すようになり、種を採ってみようという株を残して根を断ち切りました。

そんな夏の終わりの兆しを感じながらも、天気予報は真夏日の注意を喚起するもので、最高気温は32℃だったでしょうか。それでも、七月八月の猛暑下をくぐった身にとっては、「涼しくなったね」と言いたくなるような日でした。そして蚊が多く、うるさく頭のまわりを飛び回るので集中力をそがれます。こりゃたまらんと陽のあたる場所で草刈りに勤しむことにしましたが、アブがちくちく刺してくるのにはまいりました。

閑話休題

この日は、学生4名、一般1名の計5名で取り組みました。

メニューは、来年春または夏の火入れに向けての荒廃竹林伐開作業です。

活動に初参加の学生もおりましたので、ガイダンスと座学による講習を行ってからフィールドへ出ました。ポイントをあげるということは山の作業ではかえって害にもなりかねないのですが、竹の伐倒について3つを強調しておきます。自分自身への言い聞かせも含めて。

竹を伐るときにーー

1. 倒す方向を決める。……なぜその方向なのか=倒す順番、倒した後に動かす順番。技術をあげていくことを意識して決める。なりゆきで切らない、倒さない。

2. 退路を確保。障害物があればのぞいておく。いくつかのパターンとシミュレーションをイメージする。

3. 意識してゆっくり動く。見る、聞く、感じる。平地と山とでは動き方も頭の働かせ方も変える。身体はゆっくり、頭は平地以上に回転をあげて使うこと。

そ。山で活動すると頭がよくなり、痩せることができるのですよ。

あなたもいかが?

ハンザケの産卵シーズンとなり

 オオサンショウウオ。ハンザキ、ハンザケと呼ばれる両生類は出雲地方山間部ではなじみ深い生物である。3000年前から姿を変えることなく生存している”生きた化石”であり、日本固有種でもある。生きた化石とされるのも、シーボルトが日本からヨーロッパに持ち帰ったことに由来するのだが、鳥や蝶とくらべ人気・認知の度合いは低いのだろう。中国地方が生息分布の中心でもあり、研究・調査・保護活動も盛んである。とはいえ他地域と比較すればのことであって、絶対数は圧倒的に少ない。どの自然環境分野でもそうであろうが。

 年々昆虫採集を趣味とする人間が減ってきていることを耳にするように。

 さて、9月2日に近所(といっても車で30分)でオオサンショウウオの観察会があるという。そんなこともあって、妻が経営するカフェ・オリゼの今日の黒板にこんな文言を書かせてもらった。

 オオサンショウウオに限らない。大量絶滅の時代を迎えているいまの世界のありようを見つめながら、日々を生きるあり方の針路を定めていこう。

 なにを話し、なにを書き、なにを買い、食べ、つくるのか。

 

 島根・鳥取・岡山・広島・山口の中国5県にすむみなさん。

 秋の虫が鳴く夜の向こう、どこかに感じるその山の向こうにある渓流のどこかで、今宵、やがて滅びることになるオオサンショウウオが卵を産んでいます。その生命の行末に思いを馳せてみましょう。地には平和を。

 

2017年冬から2018年春の焼畑へ向けて(1)

 竹の焼畑は今年が3年目。年々焼く規模は小さくなっているが、やること=活動・作業内容は増えている。奥出雲町佐白の実施地の場合、畑として使った後、放牧地へ誘導するとしている。そして放牧地誘導、すなわち牛が山にあがることも進んではいるのだが、草刈りは欠かせない。焼いて畑にした後、数年はその土地を「管理」する必要があるわけだが、年々その面積はふえるわけだ。  3年を節目として「管理」を手放した場合、今年までのところで手がけた面積ぶんを、年間とおして面倒見するということだ。

◉2015年夏

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◉2016年春&夏

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◉2017年春、夏

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 けっこうな面積ですよ、これは。
 実際、半年後に作付けできていないところが半分はある。
 草や灌木を刈って焼くというのを2年に一度くらいの割合でできないものかなあ。  畑の作物も、牛が食べてもよし、収穫もするという加減の半栽培的なものを。

 

竹の焼畑2017〜蕎麦と雑穀の状況

8月19日、晴れ、最高気温34℃(だったかな)。小一時間ばかり焼畑の観察と草刈りを行いました。
まずは8月6日に火入れ・播種した蕎麦の状況から。
◉8月6日火入れの蕎麦


まずまずの生育ぶりです。昨年と比較すれば雲泥の差。火入れしたところでも、残った炭が表層に厚みをなしているところに生育しています。発芽はしたかもしれませんが、その後生育できず緑がないところは、斜面下方で傾斜が急になっているところ、そしてほぼフラットな上方で燃焼残物がないところ、でしょう。
現在、茎をたて葉を出しているものでも、萎れ気味か萎れているものもいくつかあります。炭の黒が熱をもちやすいからなのか、炭を表面にもった地においては保水力を確保できる表土まで根がのびきらないためなのか。要因はさまざまでしょうが、昨年と比較して適度な降水があることが、こうした状況を生み出しているいちばんの要因でしょう。
また、昨年は防火帯部分の発芽成長が著しかったのですが、今年はそうした現象が見られません。
たとえば下の写真。

まばらに部分的にこうした地点がありますが、火入れ地面よりは発芽生育率がぐんと落ちています。ね。

まったく発芽のない面に追い蒔きをしました。
◉中山裾のアマランサス

昨年春焼き地で種を採ったものから赤穂を選んで播種したものですが、穂のつき方が違います。こういうバラけ方はせず、ぼたっとした固まりだったのですが、なぜなのでしょう。
茎も細く、背丈もありません。これはこれで倒伏はしにくいかもしれません。
種の問題なのか、土の問題なのか、今年の気候の問題なのか、、、。昨年と同じようにたわわにみのれば考えなかったことに、あれこれ思いをめぐらすことができるのは、よいことだ。
ただ、来年、どうしようか、どの種を使うか含めて。ゼロからやり直すのか、どうか、だね。
この場所は2016年夏に火入れして蕪を育てたところへの2作目です。牛が頻繁に出入りしたため、土が起こされすぎ、表土は流亡したといっていいところ。土の問題とはそれを意味します。アレチノギクが生えましたが、引き抜いて除くことをしましたので、土はますますやせたはず。その中でもこれだけ穂をつけるというのはアマランサスそのものの力なのだと考えます、いまのところ。
種の特性については、思い当たることもあるものの、今年別の地点で栽培中の別系統の赤穂の状況をもう少しみてから、推察してみます。
◉春焼地の雑穀
根本までシカにかじられたヒエが、それでも穂をつけはじめています。雑穀のちからなんですね、これが。

同様にかじられたタカキビも穂はつけました。貴重な林原在来ですので、種をうまく選んで来年につなげていきます。

そして、ホンリーも穂をつけはじめています。色がまだついていませんが、多色に彩られる秋をお楽しみに〜。

ありがとう〜岩伏の谷の小さな夏祭り

 2017年の8月20日。奥出雲町佐白。最高気温は32℃ほどだったでしょうか。日差しが強いものの、涼風が芝生の上を吹き抜け、東屋の下は過ごしやすい気候でありました。
 effe-co.提供によるM.H.U.ガーデンパーティには32名が席を並べ、岩伏の山麓に広がる芝生の広場と、ブラウンスイスの放牧風景とをバックに、のコースを料理教室として体験しました。この日のために製作された椿窯の特製1尺皿に盛り付けられた食は、人を幸せにする何かがあるのですね。
 ありがとう。
 ありがとうございます。
 感謝の気持ちと声は私たちのみならず、この土地でかつて営みの火をともし続け、去られて行った多くの人々、そして新たにここからはじめようとする人々、多くの人へと受け渡しつづけられる、そんな思いであることを強く感じました。



 

グローバリズムは戦争を不可能にしていくが戦争反対という主体を許さない

 終戦記念日、つれづれなるままに。

 今日はたまった仕事の1日であった。とはいえ仕事はまだ終わってはいない。敗戦ではなく終戦と名付けることでこの日が記念すべき日となった、日本という国家にとって。

 平和を祈る日であるという認識にさほど間違いはないであろう8月15日。

 小松左京のSF短編『地には平和を』。日本が戦った太平洋戦争とはなんであったのかを「問い」として立ち上げたものであり、国家とは何か、を問うてもいる。……と、この隠れた傑作に対して当時中学生の私は考えただろうか。記憶は捏造錯綜しているだろうが、エンディングにおいて示される「疼き」をわが心の痛みとして感受したことは確かなものとしてある。

 スネークマンショーの『戦争反対、死ぬのはいやだ、こわい』は今、どう受け止められるのだろう。日本周辺において戦争のリアリティはましてはいるものの、実際に生起することの可能性だけは著しく低いと考えるのは楽観主義ではない。

 グローバリズムの進展は戦争を不可能にしていく。戦争が国家間のものであるのなら、グローバリゼーションとは国家を解体していく運動なのだから。だから、グローバリズムは戦争反対という主体をつくりださないし、許さない。戦争に反対するものはその反対をどこにぶつけているのだろうか。戦争の主体とは国家である。

 戦争のボタンを押すものがあるとすれば、それは国家であるのだが、ボタンを押す権限をいまやどの国家、具体的には元首は有していないようだ。いやそう考える方が事態を理解しやすい。

 近代的主体は国民国家が必要上つくりだしたものであるという考え方がある。

 その線で今の世を考えるのであれば、主体のあり方そのものが変革をせまられているのだろう。この世界がまだ人間を必要とするのであれば。もはやそれを近現代の意味での人間とは呼べないまでも。

《人間は、われわれの思考の考古学によってその日付の新しさが容易に示されるような発明に過ぎぬ。そしておそらくその終焉は間近いのだ・・・賭けてもいい、人間は波打ち際の砂の表情のように消滅するであろうと》

(Mフーコー「言葉と物」、渡辺・佐々木訳)