アマランサスの間引き菜はほうれん草のように食うべし

 発芽しなくてやきもきしていたアマランサスがどんどん生長しています。

 種の蒔き方がやはり雑すぎだったため、困ったことにもなっていますが、次回への教訓として種まきの練習を必修として課すことを決意させたということで、よしとします。

 さて、大量の間引き菜が出てしまいましたし、これからも出ます。

 その場で葉っぱを囓ってみたところ、苦くてこりゃだめだと思い、その場にうち捨てつつ、中には根がうまく残っていて移植できるものもあるやも、ということで、持ち帰りました。

 畑の隅に2つ3つと、小さなもので状態のよさそうなものをポットに4つ5つ。

 はぁ〜疲れました。ちなみにアマランサスのほかに、

 移動も含めて午後1時〜5時頃までみっちりと。

 再生竹の除去

 アワの間引き……一部が何者かに食われていました

 ヒエの間引き……大量に!7割ほど!!!が何者かに食われていました

 ……を行っています。

 さて、夕ご飯の時間。妻に間引きの話をしたところ、「アマランサスの葉っぱは食べられるんじゃない?」と。Google先生に聞いてみたところ、どうやらほうれん草よりカルシウムが7倍とかなんとか、かなりの高栄養価らしい。

 さっそく裏庭にうち捨ててあったものをいくつか拾ってきて、軽く茹でてゴマで和えて食したらところ、美味い!!ではありませんか。

 土のえぐみのようなものがありますが、うん、これ、ほうれん草だといって出しても、わからないのではというほどに似ている。

 というわけで、大量に間引くことの後ろめたさも、どどんと解消され、今晩は気持ちよく眠りにつけるでしょう。おやすみなさい。

 

 

竹の焼き畑2016-sec.10~盛大に竹を伐るのだの巻

 6月25日(土)。曇りでした。湿度は高いものの、この時分山で仕事をするには過ごしやすい気候といえましょうぞ。さて、参加者は新人?3名(うち女性2名)もあって7名でした。
 ひたすら伐開につとめましたので、かなり進んだのではないかと。明日もあります。
 汗をかいたあと、山のてっぺんで、吹き抜ける涼しい風を受けてだらりと休むのは、ほんとにほんとに最高です。叫びたくなるくらいです。なんなら叫んでもいい。


失われた自然の再生とは

「失われた自然の再生とは何か」への回答として、さくらおろち事務局長時代にこたえたものがある。こういうものだ。

 ここにいう「自然の再生」とは、平成15年施行の自然再生推進法に基づき政府が決定した「自然再生基本方針」、ならびに平成24年閣議決定された「生物多様性国家戦略2012-2020」が基本方針とするものと同義である。
 すなわち「自然」は、人や人工物をも含めた生態系のことを指し、「再生」は狭義の「復元」の意味のみならず、修復、創出、保全、維持管理を含む。つまり、ここでの自然再生とは、人間が生態系の構造や機能を左右しうる存在であるという自覚に基づき、後世の人間が持続的に生態系の恵み(財、サービス、文化的価値など)を受け続ける持続可能性の確保に向けて、生態系を管理する行為である。

 そして住民参加について。

また、「住民参加」とは、内発的動機に基づく個人の自発的参加形態を指し、当該業務として実施する学習会へ、案内チラシや様々なインターネットサービスを使っての案内によって情報を得るか、参加経験者からの勧め等によって、その内容・趣旨を知って参加するその形態をいう。

 そして、環境保全活動を進める上での課題として、以下のように回答している。

 当業務を受託する団体の役割として、生物多様性・持続可能性を根幹とした環境活動を推進するうえで、以下のことを明確にすることが課題であると考えている。
生物多様性、②地誌・地理情報、③生態系を特徴づける物理・化学的環境要因、④地域の文化、社会、産業、⑤自然資源の利用に係わる技術について、
現状とその歴史的変遷をあきらかにしたうえで、そららに基づいて、どの範囲に、いつの時代に、どのような理由で、何が失われてきたかを、出来る限り具体的に把握し、目標・課題に反映させること。

 ま、そういうことです。
 時々読み返して反芻・記憶しておくために残しておくのです。
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写真はさくらおろち湖上流部の夏。湖底があらわれている。縄文遺跡もあれば水辺祭祀のあともあった場所。
 

ローカル・ナレッジを読みながら

《社会的なるものほぼすべてについての「一般理論」を求めようとすることの虚しさは増し、そうした理論を手にしたとの主張は誇大妄想と聞こえるようになった。これが統一的科学を望むには早すぎるからか、それともそんなものを信じるには遅すぎるからかは、議論のあるところと思う。しかしそうした科学が、今ほど遠く、考えにくく、望むべくもないように思われる時はない》C.ギアーツ,1983『ローカルナレッジ』小泉潤二訳

そして、青木保は解説でこういう。

「私もこの学会で30年近くを過ごしてきたが、ギアーツの著作を理解する教養と知性を備えたものはまずほとんどこの学会にはいないといってよいかと思う。それに替わって学会を支配するのは、専門に名をかりた野蛮な無教養主義であり、小権力をちらつかせる小エゴイストの横暴である」

閉鎖空間の中でしか知は知たり得ないが、それでも知たるものへの誠実を貫こうとすれば、閉鎖空間=枠組み=地方の知を、こえていかねばならないのだと。

どんなものであれば、いまの時代にあって、読むという行為は、その困難に挑むことなのだと思います。

スターバト・マーテル

スターバト・マーテルに曲づけした作曲家は600人にのぼるとwikipediaに記載がある。 冒頭の一節である《Stabat mater dolorosa 悲しみの母は立っていた》から、そう呼ばれてきたのであるが、著名な10曲くらいであっても聞き比べてみると、わかることがありそうだ。  下に引っ張ってきたのは、イタリアのナポリ楽派オペラ作曲家・ペルゴレーシのもの。 Pergolesi: Stabat mater, for soprano & alto Les Talens Lyriques *上記リンクが切れていたため、ペルゴレーシのスターバト・マーテルはこちらで。

編成などオリジナルに近いのはこちらか。ただし、下にひいたブログが「オリジナルの演奏を再現したとはいえない」という女性ボーカルの二重唱。

J.S.Bachがモテットに編んだ「我が罪を拭い去りたまえ、いと高き神よ(Tilge, Höchster, meine Sünden)」(BWV1083)はこちらで。こちらは男声のボーイソプラノと女声。これから上記でいうところのオリジナルを脳内で奏でてみるか。

◆読んだ記事やブログ等 ・ペルゴレージの「スターバト・マーテル」をオリジナル編成で聴く (私的CD評) ・歌詞対訳講座〜スターバト・マーテル

アマランサス、間引くのがもったいない

 梅雨らしい雨が続いています。昨日奈良から帰り、春焼き畑地の間引きにでかけました。

●アワ、アマランサス、ヒエ

 アワはかたまっているところを多少抜き取った程度です。あと10日くらいたったころに手をつけても遅くはないでしょう、たぶん。

 問題はアマランサスです。発芽はよくなかったのですが、おそらくここ数日で芽を出しているものがちらほらとありました。1ヶ月近くたっての発芽です。

 追加で種蒔きしようと、少しばかりあまっていた種をもってきていたのですが、やめにしました。うまく土ごとほりとって、移植できないかな〜。5つ6つやってみました。明日もひきつづきやってみようと思います。

 雨が降っていたので、写真はとっていませんが、急に大きくなってきていますよ、アマランサス。2メートルを超えるらしいので、ひまわり並だと思えば、順当な成長でありましょうぞ。

 そして、ヒエをどうしましょうかと。筋まきしたのが混みすぎているので、間引きは必須なのですが、これもうつせればうつしたいし、できるのでは?と。

 明日、雨が降らなければ、杉を倒して下のほうに植えてみたいものです。

●再生竹

 かなり伐りました。大小あわせて50本はやっつけたと思います。

●クズ

 20メートルはのばしてものがあったので、5カ所くらいの根元をざっくりと伐りましたが、何度かやんないといかんのでしょうね。

●トマト

 先週とさほど変わりはないように見えます。

●サツマイモ

 同上。

●大豆

 順調にのびてきています。

 

竹の焼き畑2016-sec.9〜今度こそ夏伐りはじめ

6月18日(土)。梅雨のど真ん中に快晴。今年度いちばんの汗をかいた活動日となったと思います。水分補給はぬかりなかったでしょう。また日陰箇所での作業が多かったこともあります。
まだまだこれから、ですけれどね。
さて、この日の参加は島根大里山理研究会から3名(うち1名は午前のみ)、山村塾から1名の計4名です。
夏焼きへ向けて伐開はじめの1歩。倒竹、枯竹の整理が大半を占めます。草刈りも見えないところに切り株や石など、多くのトラップがありますので、そろそろと様子をみながらの作業でした。
あと2日で1ブロックぶんを仕上げる案配です。地味でつらい下調整はできたので、来週はちょっと賑やかに大人数でとりかかれるかな〜♪

そして、春焼き地での発芽状況。

アワはようやくのびはじめました。間引きが若干必要な程度。

ヒエはもっと早く間引きすべきでしたが、手がつかずで、来週ですね。

アマランサスは大変よろしくないですが、ポツポツと出てきているのが希望の種。
少し残った種を、まったく発芽のない地面に少し蒔いてみようかと思っているところ。