天が淵の西岸の集落の雪景色

 今朝の雲南市木次町はふたたび雪。

 通勤途中の天が淵付近、国道314号脇に車をとめて、撮りました。

 斐伊川の西岸の集落です。確か地名は「川手」。
 天が淵にまつわる伝承について、神陵や神社や、淵の底がお寺の井戸(だったかな)とつながっているとか、そのような話はすべて東岸に由来地があります。

 そして、この写真に見える西岸にはまったくない。

 そのあたり、もう少し知りたいところです。なぜなのかを。

 

20141222天が淵

奥出雲タケヤマ開拓2014ー第2回レポートの序

 実施報告をつくって、竹取り通信第3号を発刊せねば。

 島根日日新聞に記事が載りました。これこれ。

「目指せ荒廃竹林の整備」とあるのは、新聞の方便というべきもので、そんなことはひと言も申し上げてはおりません。大義名分としてわかりやすく批判のでないフレーズとなると「竹林整備」に落ち着くことはよくわかります。

 しかし、運動・活動の主体のひとりとしては、とても違和感があるということだけ申し上げておかないとと思います。そう、違和感があるのです。この活動は微妙な立ち位置にあります。

 そもそも、なぜ荒廃竹林を整備する必要があるのか、整備できるのか、どこまで、誰が、どうやって整備するのか、などなど。そのような問いはおきざりにされたまま、とにかくやりましょうという記事になってしまうのですね。

 この活動は松江市で開催しているセミナーとリンクしているのですが、鳥瞰的、意味論的、思想的、問題発見的、、、まあ、はっきりしないといえばはっきりしない足取りでやってます。いかんだろうね、これじゃ、非難をあびておかしくない。むしろそれ、歓迎。

 

 そもそも、賛否うずまくことというものは、「否」の存在感がクローズアップされることになっています。とくに規模が拡大した社会機構ではそう。マスメディア、大規模店舗、大都市……挙げ方が不自然ではありますが、がたいがでかいもの一般というくらいの把握でもいいでしょう。

 しかし、ですね、否が唱えられないことがいいことであって、それしかできない・しない社会って、もう終わりに向かって進んでる社会だと思うんです。

 

 タケヤマ開拓がめざすのはぼんやりしたものですが、山地酪農と竹との共存をめざしているといえば、ようやくちょっと近いのかもしれません。竹林整備はその一部でしかない。

 ま、そんだけ。

 ああ、ぐだぐだですね。私も頭の中と計画を整理せねば、です。

 今日も徹夜か、体力がほしい!

 

奥出雲での竹の焼畑

横田地域に「竹に驚く日」のチラシ配布。横田のコミセン、そろばんと工芸館、刀剣館、島根デザイン専門学校、キャロットハウス、そんだけまわっただけですが、竹の焼畑について刀剣館できいてみました。さっそく尾方さんに電話で照会。尾方さんから教育委員会(社会教育委員)のタカオさんにもきいてもらったようです。以下箇条書きにて要点のみ。

・奥出雲では竹の焼畑についてはきいたことがない。

・いまでこそモウソウなどがはびこっているが、もともと竹は少なかった。竹細工をするにも探してくるのに苦心したという子どもの頃の記憶もある(尾方氏)。貴重なものだったので、焼畑に供するようなことはしなかったのではないか。もともと木炭製造のための造林のための焼畑はよくあったことで、たたら製鉄に由来する焼畑はここの特徴であるが、竹のそれはこれまで聞いたことがない。

・モウソウチクが奥出雲へ入ってきたのは江戸後期から明治にかけて、である。

といったところ。いくつかのとっかかりがみえてきました。

工芸館では竹の工芸をやっている方をご存じないか、事務局できいてみました。この界隈ではいらしゃらないと。趣味のレベルで竹細工をやっている人はいるだろうが、ということでした。

*2022年12月17日追記

よくまわったものだが、「モウソウチクが奥出雲に入ってきたのは江戸後期から明治にかけて」ということだが、ここをもう少し掘り下げてもみたい。また「たたら製鉄に由来する焼畑」についても。

田舎の風景が美しいのはなぜだろう

3週間ほど前に撮影したものだと思う。この1週間後から寒波到来となり、雪の季節がはじまった。それにしても、この配置のバランスの妙といったらない。ただただ美しい。

山方の晩秋風景

こうして干された大根は漬けられるのだろう。小さな小さな小屋の軒先につるされ、ほのかに夕陽をあびている白い白い大根。

大根干し

ここは木次町平田の山方。なぜこんなところに集落がと驚くような、急な山の坂道をのぼったところに数軒が集まっている。わずかに開けた田と小さな畑があるのみ。冬の労苦を思わずにはいられないが、春の喜び・夏の夜空・秋の稔りもまた、想像するにあまるものがある。
そんな思いがなぜ生じるのかといえば、だんだんと目の前から消えていき、やがてなくなってしまうかのような風景であるからなのだと、思う。
また、そんな感傷に沈むのではなく、もう少し、これを残す、継ぐための、記録と分析の方法を考えてみたい。ランドスケープ。概念として、そこから。

天が淵の今

 斐伊川の八岐大蛇伝説は右岸(東側)に著しく偏っているようです。左岸は皆無にひとしい。また、「伝説」とはいいますが、ルーツは曖昧でかつその言説をたどってみれば近年、「観光推進」の文脈から発しているものであり、ふわふわと軽いものに思えます。
 ひとつひとつのルーツには興味をそそられるものもあります。パワースポット狂想曲や、ご縁の国などという言葉に惑わされることなく、足をはこんでみられたし。

 群書類従の神祇部におさめられた『雲州樋河上天淵記』に由来する天が淵周辺は、もう少し文字の記録などあってもよさそうです。これは宿題。

 また、天が淵の他に、オロチ伝承を表している地について、参照できるサイトをあげておきます。
    *1 追記改訂済み。初稿時から7年ほどが経過して、随分と充実している。

◆印瀬の壺神・八口神社

…現在壺神を祀る地は八口神社の境内となっているが、この神社と壺神との関係は明確ではない(壺神と神社とでは例大祭の日取りも全く異なるため関連性は薄いと考えられる)。旧6月晦日の夕刻には、壺神祭として8本の幣と8品の供物を献上する習わしが続けられている。

・出雲の伝承/印瀬の壺神・八口神社(島根・雲南市)

 …いま地元では、小中学校の生徒に地元に残る伝承などを教えているそうで、当地も伝承地の一つとして、道路・駐車場の整備などが行われている。*注)写真を前掲「日本伝承大鑑」が掲載しているものと比較してみると整備ぶりが明らか。

…壺に触れた途端、天はかき曇り、山は鳴動して止まず、八本の幣と八品の供物を献じて神に祈ったところ、ようやく鎮まった。それ以来再び壺に触れることが無いように、多くの石で壺を覆い、玉垣で囲み、しめ縄をめぐらした。

 

◆八本杉、斐伊神社

・出雲の伝承/八本杉

低い木柵に囲まれた中に8本の杉の木が聳え、その中央に「神代□(神か)蹟 八本杉」と刻した自然石の碑が立っている(大正6年建立)

 

 天が淵は雲南市の公園にもなっていて、訪問者もあるし、「行きたい」とおっしゃる方も多いのです。10月末に行ったときの写真がこちら。通勤路として毎日そばを通っておりますが、車をとめておりてみるのは久しぶりでした。

 

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 ずいぶんと漂着物が多いです。また流されていくべきものなのか、清掃すべきものなのか。目の前にあるものくらいは拾っておこうと思います。

 

関連記事

天が淵へ至る道 序 – 樟の森の研究室

 

*1 追記改訂…元記事を以下に残す。リンク切れ。

 ・印瀬の壺神、八口神社 ・八本杉、斐伊神社  どういう伝承地があるかについては、雲南市の観光情報サイトが複数あるのですがそのひとつを。

 ・ヤマタノオロチ伝説/うんなん旅ネット  そして、個人で地図におとされている方がこちら ・ヤマタノオロチ伝説伝承地 

屋根の応急処置なんとか

私、夏の8月から時計がとまっています。
あぁ、あの家、どうなっているのでしょうねえ、この雪で。
トタンの屋根が落ちているのです、北側が、ちょうどこの写真でみえるところね。向かって左のほうにやぶれているのが見えますでしょうか。きちんとやるにはトタンを切ってはがして、なんでしょうけれど、そんな技術、時間、お金はありません。上からかぶせてずれないようにして、春を待ちます作戦(作戦でもなんでもない。すんません)。

ポリカーボネイトの板をかってきて、仮どめでもなんでも打ち付けてしまいますわ。
<DIY日曜大工で家をつくる>
http://diy-ie.com/koya-porika.html
このページを入門編として、もちっと詳しいものがほしいのですが、グーグル先生も最近はとにかう商業サイトにおされて、「買え買え」ページの羅列で埒があきません。書籍をめくってみることします。
そして、問題は天候。2〜3日晴れた日が年末にありますように。

この冬はじめての積雪におもう

 ブログを放置し続けていたのには訳、、などありません。できなかっただけ。

 という言い訳はさておき。

 これ。

 さくらおろち事務局前です。この冬はじめての積雪。尾原ダムでは積雪10センチだったとか。秋の冷え込みは昨年よりも早かった気がしますが、それでも、急な寒波到来でした。タイヤかえてないよ、どうしよう、という声がちらほら聞こえたのが、その証左かと。

 そして、2月のツアーでは雪がほしい。下旬にあるかなあ。先日の会議で出た話では、近年は雪が積もるのが前にずれてきていて、昔は2月だったのが、今は1月。2月にはそう雪が積もらなくなっているーーてなこと。積雪量も減っているというのはよく聞く話。

 さあて、しかし、気象台の過去データをたどればそこらへん、わかるのでしょうか。

http://www.data.jma.go.jp/obd/stats/etrn/index.php?prec_no=68&block_no=47741&year=&month=&day=&view=

というので、調べはじめたら、「あなたがやることじゃない」「ほかに山ほどやることがたまってるでしょう」と笑いながら、妻にたしなめられました。ごもっとも。

 しかし、私がやらねば、ほかに誰がこんなことをやるのでしょう。島根で。

 松江のデータは1960年代からあるのですが、横田では80年代から。表におとす前に目でさらったくらいではわからないくらいに、明かではありません。最大積雪量は年によってかなりばらつきがあるのです。昔も今もそこはかわらず。

 あぁ、一度宿題にすると、ずーっとやらないということに、これもなるのでしょうか。どなたかグラフに落とすなどしないのかなあ。

柳田民俗学における自然観を、今、島根で問う!

 あれこれ逡巡した挙げ句、このように告知を打ちました。
いらっしゃれない方々へも、これだけは知っておいていただきたいということを2つ。ごまめの歯ぎしりとして。
民俗学がもっている切実さに向き合う態度
民俗学は、常に、それぞれの時点で、人々の生き方に向かい合おうとしてきた学問です。いや学問というよりは、態度であったといえましょう。意外と思われるかもしれません。古いしきたりや使わなくなった鎌を集めたり民話を集めたりする「趣味」のようなものだという認識が世の大半でしょう。イメージは一言では覆らないでしょうが、それ自体が目的ではないのです。柳田や宮本の「態度」にそって、別な言い方をすれば、その時代時点で、人々が切実な課題とすることをテーマとしてきたのです。
・素朴な言い方をすれば、「生活」を重視するということですが、昨今の人々にとって「生活」といえば「お金」のことに思えます。が、この「生活で困っていることといえばお金(が足りない)ということ」という視点こそが、民俗学が敗北した相手の視点なのです。……ここから先は本番で。レヴィストロースの「サンタクロースの秘密」の構造的見方との対比でみていこうと思っています。
●村を美しくする計画などない。良い村が自然と美しくなる
 のちほど加筆(18日夜)します。
●canpanトピックス
http://fields.canpan.info/topic/detail/12775
●ボランティアプラットフォーム
http://b.volunteer-platform.org/event/4602/
●島根いきいき広場
http://www.shimane-ikiiki.jp/events/3175
●ヤフーボランティア
http://volunteer.yahoo.co.jp/detail/3/4602/
●朝日新聞デジタル
http://www.asahi.com/area/event/detail/10148737.html

流域圏で考える環境セミナー思案&試案&私案

 9月26日にせまってきました。
 さて、作戦です。テーマをふたつ用意することは思いつかなかった。むしろ3つあってもよいくらいかもしらん。ひとりなので、
1)環境セミナーのチラシをつくる
 従来通りのテーマでいきます。どうしましょ。何をめざすのかをいえばいいのかな。テーマは「焼畑」。民俗学、歴史地理学、からのアプローチということと、広義の環境学国学、とりわけ宣長の自然観との関係からよみほどき、つなげてようと試みようぞ。
2)別テーマのチラシをつくる…こっちは1)とは別なのだが、広報は同時展開と。あくまで付録ですから、準備にさく時間を少なくしたい。テーマは「環境」と「市場」を出版からみて。かのお。こちらは1)をかなり否定していく内容になると思う。石渡正佳氏へ連絡をしておくこと。『産廃コネクション』『リサイクルアンダーワールド』『環境危機をあおってはいけない』などが資料となる。こちらは前述2著の編集者としての語り。
3)付録として「空き屋再生の町づくり予告編」を20分くらい。これはほぼ準備なしで、一気に語りまくる。『年収200万円からのマイホーム戦略』の編集者としての語りです。