午後3時半をまわった頃だろうか。焼き畑のカブをとりに牧場の山まで向かう。北原大橋を渡ると、オレンジ色の光が蕎麦の終わった畑の奥を照らしていた。軽トラックを道の端に寄せて、空と太陽と山の木樹を眺めていた。
外の寒さと内にある暖かさと。


その水はどこからくるのか
蛇口をひねれば水が出る。ありがたいことだ。感謝の気持ちを忘れようが粗末にしようがそのことの価値は変わらない。水を汲むという大仕事にかかわる時間をほかのことに振り向けることで、いまのわたしたちは、生と社会を営んでいるのだから。
だが、どうだろう。「蛇口から注ぎ出る水、その水はどこからくるのか」という問いに、はっと立ち止まり、いずまいをたださねばと思う大人の数のへりようは、見えないだけに、そらおろしいものがある。
ことは水にかぎらない。みずからを、家族を、地域を、国を、飢餓や差別や汚職やありとあらゆる不合理で理不尽なものにまみれながらも、成り立たせているものごとに対する「理解」が、徹底的にかけている人たちがまとめて出現するようになっていると、感じるのである。

どこかのステージで、それが常識であり正当であるとなったときに、戻ったり、修正したりはできない。。。。わけではない。それができる、ほとんど唯一の手段が活字メディア、「本」であり「雑誌」であるところの「出版」なのである。
さて、そうした抽象の水ではなく、具象の水たる、この水路の水。島根県雲南市木次町にある尾原農村公園の水路の水である。ときは天平の時代。この水を汲み、なにがしかの容れ物に大事にかかえて、この地から都におわす天皇のもとに、行かんとする男がいた。
その姿をどう想像したものか。そのときの風景はいかなものであったか。思い描くために、もう少し、書をめぐってみる。
美郷町君畑の焼き畑
白石昭臣『竹の民族誌』(2005;大河書房)。竹の焼き畑は、この書がなければやろうとは思わなかっただろう。実証とは遠く、実験というほどの体もなしえないようなもので、白石氏が究明しようとしていた「ブッシュフォロー」タイプの焼き畑がもっていた意味や技術への思いも足りないものではあったので、引き合いに出すのは心苦しくもある。しかし、辛さも乗り越えがんばったとは思うし、うまくカブが育ってくれれば、”竹の根や地下茎があるから、焼き畑は不可能では”という疑念にさらされた白石氏の面目を晴らす一石くらいにはなろう。
しかるに、私、まだ、きちんと読んでおらんのです。その大事な本を。これから、おそまきながら、というのが昨日、今日のこと。そして、いくつかの誤りが目についたりしたので、気をつけて読む必要を感じはじめてもいたそのときのこと(出雲国風土記のひとつめの鬼のことを意宇郡のこととしている→大原郡が正しい)。いや、私こそが、「見落としていた!」という節がありまして、ここに記します。
【事例3】島根県邑智郡邑智町君谷 この地区でも竹藪を主とするヤキヤマ(焼山)ともいう焼畑がみられた。このヤブ焼きは周辺の山をハンゲ過ぎに焼くもので、春にはじめに焼くこともある。数人の仲間で伐る。女竹や笹薮ばかりでなくクロコなどの竹林も焼く。飛火に注意しつつ竹を焼いたあとは灰が堆積する。そのなかにアワ、小豆、ナタネなどをローテーションを組んで播く。ソバをつくる人もいる。ソバを撒いた周辺に別の種を播くこともある。アワは春と秋に播く。ここでの作物は手をかけないが、美味である。3〜4年ののちに放置するが、その7年間、紙の原料であるミツマタを作るところもある(このヤブ焼きの伝承者は大正14年生まれで、現在も復原を試みることが可能と語る)。
この括弧内を見落としていたのです。復原の意思というか可能性を記すというのは、なにかがある。伝承者は大正14年生まれ。存命であれば90歳か。こりゃ、美郷町へ確かめにいく必要があります。志津見の件もあわせて、どこかで時間をとりましょう。
七輪よりもロケットコンロ
竹麻を煮熟するのに、当初、七輪を想定していた。なにせ10時間は煮るのである。炭火でコトコトと夜通しおいても大丈夫なもの。炭のもちはそこまで長くなくても、まあ、数時間はいけるだろうから、鍋をおいて他のこともできる。そう考えたのだ。ところが、である。炭は1時間ももたない。いやへたをすると30分ももたない。業務用の備長炭ならともかく、さわったらぽろぽろ崩れるような安い炭だったのが悪かったのか。さあ、困った。炭の質の問題は炭の価格でもって解決するしかないのだよ、目下のところ。高価な炭を買い求めるほど潤沢な予算はない。
ならば、というので、ロケットコンロの出番となった。七輪で安い炭を使うよりはよほどいい。し始終、火を見ておらねばならぬのだが、まあ10分15分はおいておける。庭仕事や物置の整理(いやあ、きちんとまたやらねば、続きを)をやりながら、なんだかんだで4時間は煮熟できたと思う。

今回は乾燥させた竹を主燃料とした。あやしげな記憶にもとづくアバウトな計算であるが、中くらいの太さの孟宗竹1.5メートルぶんほどでないかと思う。思うにこれは燃費としてはとてもよいぞ。
そして竹灰がとれる。アルカリ度の高い「上等の」灰だ。
そうそう。意東窯でワークショップをやった際に、安部先生から竹灰のことを伺った。”漉したりするより、水をいれた容器のうわずみを掬う”だけで使っていたみたいだと。これならすぐにでも使える。さっそく試してみようぞ。
ロケットストーブの活躍の機会がふえることになりそうで、こうなると、作り方を復習する意味でも、もう1台ほしいなあと思う今日このごろである。
竹の樽あけ
ドキドキしながらふたをそーとあけると、赤く染まった液体。臭いはきついですが、いやではないかなあ。なれると平気。悪臭とは違うと思います。さてさて、7月初旬ごろにつけた真竹ですが、取り出してみました。水にさらすまえからさらさらとほぐれています。まだ若すぎかなあというものだったので、これは想定内。 
そして、こちら孟宗竹です。トラックの荷台に積んで運び出し、民家裏の小さな竹林に、樽をおいて漬け込んだのは約100日前。今日、樽をあけて、軽く水で洗いました。よくほどけます。流水だけでバラバラになります。よしよし。合格。(鍋に入っていると、ほんと素麺にみえてしょうがない) さて、これから、網に入れて、山水にさらしておきたいのですが、いまに至るも、そんな奇特な場所は見つからず。なくはないのですが、小屋でもいいので、作業ができる屋根のあるところがベター。探しています。
◎水について……今回つくづく思うのは、竹などの材料はいささか遠くにあってもよいが、水(流れる水、きれいな山水)はそばにないと無理。
◎漬けた樽の置き場について……匂いはそれほどじゃありませんので、柿の木でもなんでも日陰ができる木、もしくは庇の下でもOK。
ワークショップの締めくくりは参加者のプレゼンで
と、思うのですね。やはり。
竹紙ワークショップは、「つくり手」の集いであろうと。はっと気づいたわけです。
たとえば3回、4回のシリーズを通して「作品」ができあがり、最後はプレゼン、できれば「販売」という形式。最後は一般参加(観客)もはいってやると。
第二回・我流、三日間写本作りワークショップ
http://reminders-project.org/rps/bookzinewp02/
話はそれるのだけれど、木村肇氏の焼き畑を撮った一枚(マタギ)について、書きたいのだけど、それはまた、次回。
http://www.hajimekimura.net/MATAGI/i-83QZ2jN/A
http://www.hajimekimura.net/MATAGI/i-7pnvTxn/A









