金木犀かおる10月の終わり

遅咲きだった今年の金木犀

菟原の駐車場から家まで歩いていると、鼻をくすぐるよい香りがする。はてどこの金木犀だろうと思うに、うちのだった。数日前の香り、蕾からわずかにこぼれ落ちるような若いそれとは異なるもので、すぐにはわからなかったのだ。熟したとろりと甘い香りとなった10月29日。覚えておこう。
木次町里方のこの家に暮らし始めてからこんなに遅い開花ははじめてのことだ。もともと開花時期の変動に幅があるのが金木犀らしい。これから霜がおり、冬がきて雪がつもり、春の桜を楽しみ、夏の暑さにおろおろしてる間に秋がきたら、また同じように香りを届けてくれることを願う。
  さて、キンモクセイはギンモクセイの変種であり、日本には江戸時代に雄株が渡来、挿し木で国内にひろがっていったものだ。だから自然分布はないということなどは、辻井達一,1995『日本の樹木』〈中公新書〉に詳しいらしいが、未読。二度咲きもあるらしいが、その生態も含めてもう少していねいに見ていこうと思う。つまり今年の遅咲きは二度目の開花だった可能性をいれつつ。

ウルシ属の紅葉とヌルデ備忘

時速60kmで走っている車の運転席からも、ウルシ属の真っ赤な紅葉が目につくようになってきた。多いのはヤマハゼだろうか。ほんの数日前からだ。まだ緑の濃い葉のなかに点々と、そこにいたのねとばかり名乗りをあげてくれている。ヌルデの実を今年こそ見つけてなめてみたいぞ。
ヌルデは焼畑民俗とのかかわりも深い。種子の休眠期間が長いことや地方名の多さなど下のサイトを参照されたし。

†. ヌルデ Rhus javanica L. var. roxburghii (DC.) Rehder et Wils.…岡山理科大学植物生態研究室

†.植物民俗学的にも注目されるヌルデ…森と水の郷あきた

小学館の全日本大百科には湯浅浩史が《ヌルデの果実はカリウム塩を含み、かつては塩の代用にされた。台湾のツオウ族などでは戦前まで利用していた》と記載している。台湾のツオウ族のことについて、他に知りたいのだが、鳥居龍蔵の著作集にあるだろうか。……ということから見つけたサイトを見ながら探してみたい。 

鳥居龍蔵著書・論文目録 | 民族学フィールドワークの先覚者 鳥居龍蔵とその世界

スリランカカリー3days初日。ポークカリーうまし。ただしすべて味見のみ。明日には食す。

猪たちがお手伝いにやってきた

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今日も火入れ予定地の草刈りに。けっこう広いのだ。崖も含んだ急傾斜地に竹が積んである。崩して積み直しつつ、繁茂している灌木、蔓、草をばっさばっさと刈っていく。6月くらいからひたすらそればかりやっている。終わらない。。それでも、この手を休めない限り、いつかは終わるのであって、まあ諦念もいくぶんか混じった平常心で現場に赴くのであるが、今日はおやおやと。

なんと、猪が積んである竹を崩してくれているではないか。けっこう盛大に掘り返してあって、いやあ助かる助かる。もっとやってくれないかなあと、ほんのうっすらとした期待を抱いた。そして、その先には、どでかい糞塊が。うん、これだけの仕事をするんだから、そりゃあ立派な猪でしょう。にしても、もっと控えめにしたらどうか。真ん中に堂々と置いてあったのには少々閉口。

そんなことはどうでもいい。今日は刈って刈って刈って、刈りまくった。この調子で3日もやれば、草刈りは一段落して竹の運搬に入れるのではなかろうか。気温も下がってきて、消耗も少なく、これなら3時間は大丈夫。長い休憩をはさめば6〜7時間動けるかもしれない。

そんなことを帰ってから重くなりだした腕を動かしながら思うのだった。
次回は1週間後の予定。猪でなく人のお手伝いを希望。
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出雲の山墾り〜消炭づくりの準備

積もっていた雪もあらかたとけ、去年より半月ほど遅れての本格始動です。とはいえ、2時間半ほど。積んである竹の嵩をとらえ違える箇所もあるので、頭と身体にたたきこんでいくくらいまでやらないと、火は入れられんですね。早く入れてしまいたい気持ちをなだめつつ、あと3日ぶんは動いて、消炭づくり開始としたいところです。

できれば週末の土曜日に1回目を。と思いましたが、どうかなあ。人数も雪もないし。3月に入るとかなり乾いてくるので難しい。2月20日(土)、そして2月27日(土)または28日(日)を候補日と決めました。

春の火入れ予定区画の一部で、積んである竹を燃やして消炭をつくります。
ここは(できれば)春に焼きたくはないなあという区画です。あるいは春に焼くには竹を移動しないといけないところ。それが下の写真にみえる部分です。
写真奥50mくらい、積んだ竹が続くのですが、深いところで胸の高さ、浅いところでも膝下くらいはあります。伐採から2年たっており、下部などはかなり腐朽が進んでるところもあるのですが、燃えます。春だったらかなりよく燃えるやつです。

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積んである竹は枝がからんでしまっていたり、さまざまな蔓がとりついてしまっており、短く切断していかないと動かせません。これらを細かく分割していき、別な地点へ運んで積み直します。
隣接している竹も切っていきます。上の写真ですと、左側のもの。ざっと最低30本くらいでしょうか。倒したものは右手に引っ張りおろし、一段下の区画へ積んでいきます。
太い根本部分は火を入れる部分に積み増ししてもいいかもしれない。もう少し状況を確認していいやり方を考えましょう。

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さて、雪が積もったらという条件がなくても火を入れるためには、延焼防止用のポンプとタンクを設置しないといけない。
今回程度なら、ポンプは小さなものでもいいのですが、タンクをそばにおくのが難しい。道がぬかるんでしまっている難所があります。これを手当しておくか、それとも、エンジンポンプをレンタルするか。
次回はそこらも要チェックです。

出雲の山墾りをぼちぼちと

 ひっそり今年も始動します。活動ページを設けました。
冬の準備がものをいうのです。冬の間に、春焼き予定地の竹を半分くらいまでは焼いておきたいということもあります。
雪がたっぷり積もっていれば、延焼(つまるところの山火事)対策を大幅に減じることができます。人員でいえば、最低10人はいるところが、2人でもいけるというように。
s-orochi.org

しかしながら、ちょっと積りすぎているようです。
奥出雲の横田では観測上、10年ぶりくらいの1mごえだったようですし、焼畑フィールドである佐白でも60センチほどはいっただろうと思います。明後日、現地確認の予定ですので、レポートはそのときに。
下の写真は数日前のご近所。

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菊芋堀り雑感

雪の下から芋を掘る。
一般的には遅いのだろう。サツマイモはもちろん里芋だってもとは南国の芋なのだから、零下の気温ではたちまちにだめになる。が、しかし、だ。菊芋は雪の下のをとってくるものだと不確かながら聞いたことがある。そういう芋なのだと。
ならば、まさにいまが旬。
ここ数日、雪も溶けてきた山の畑でためしに掘り上げてきた。
感触はかなりいい。食べての報告はまた。

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蔦のからまる森で

 人間が放置した土地。いま、そこやあそこ、かしこで、当然という顔をして普通にみられる大地の断片。小さな裂目のような場所から自然による「奪還」がはじまる。
はじまりの場所は「荒廃地」と呼ばれ、人をますます寄せ付けず、荒廃の勢いはます。 さて、そうした場所でこそ、人間が「切札」(なんの?)になるのだと言っていた庭師の言葉を思い出しながら、蔓のからまった小さな雑木山に入る。下層は背丈以上もある笹におおわれ、これまた放置された杉の植林地がわずかに笹の侵入をとめているほかは、荒れた森である。
秋から少しずつ伐開をはじめた。その日は、笹のヤブをこいで(迷いながら)森を寸断する塗装の道にでた。
頭上で巨大な蔦のからまった樹林は、見た目にも実際(落下、倒木)にも恐ろしい。が、こんな太い蔦が豊富にとれる時代は数百年ぶりではないのだろうかと思いいたった。 この蔦、なにかに使えないのだろうか。直径10センチをこえるような大物も見たことがある。キヅタ。春にかけて荒れた雑木山からそれなりにとっていくのだが、燃やしてしまうのは惜しい、気がして、まずは小さなものを座右に。

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令和2年7月下旬の山墾り

梅雨のあいまにひとしごと。
◉夏に花を咲かせる樹々をたしかめる〜7月22日
 あれ、こんなところにもと。夏に花を咲かせる木が、山墾りをしている岩内地の谷にはたくさんみられます。現在、頭のなかに入れ込むだけですが、子供向けの体験が本格化したら、マッピングしていきたいものとして記しておきます。
まず、ネムノキとカラスザンショウ。今年はずいぶんと長く咲いている気がします。陽樹、先駆種ですが、アラして若い山なので、多く見られるのでしょうか。これが道隔てて古い山になると、がくんと減るところもおもしろくわかりやすいです。
 下のはリョウブでしょうか。藪に隔てられ近くにまで寄れず、次回あらためてたしかめます。f:id:omojiro:20200725111446j:plain
茗荷畑をたしかめる〜7月22日
 竹藪を伐開した山は、日の光の入り方のみならず、風の通り方、土中の水の流れもかわり、周辺の植生が大きく変わっていくことを、体感することができます。明るくなった、地面のかたさが違うといった、わかりやすいレベルから、精妙とも気の所為ともいえないものまで。
高木が竹にまじって残っていた場合、たくさんの実生が春から背をのばしはじめます。小さな小人が森から出てくる感じ。
 そんななかで、今年めだったのは、ミョウガがどどんと出現したこと。もともとあったのでしょうが、なぜ目に入らなかったのか不思議。多少間引いたほうがよいのでしょうが、まずはこのまま。
◉ことしの焼畑アマランサス〜7月22日
 6月23日に火入れして、翌日にヒエとまぜて播種。ヒエもわずかですが、この中にまじっています。6月下旬播種は発芽も早く、梅雨に入っていれば初期成長も早いので、秋の長雨や台風にぶつからなければ理想的ではあります。以下、予定(予想)と基本情報。
6月24日播種…播種量不明。0.5aほどに20gほどはまいたでしょうか。通常の畑地栽培の場合、10aあたり20〜24gが適量のようです。発芽適温27℃〜29℃。要地温17℃以上。
7月中旬〜下旬に間引き…すればよかったのでしょうがほぼやってませんで、8月1日にやりました。
8月4日〜10日…柵づくり(牛侵入防止)
8月20日開花…発芽から50〜60日後に開花する。
9月30日〜熟期…開花から40〜50日で収穫。
10月10日までには収穫といったところ。秋雨にぶつかりそうなので、実の入り方などをみながら、順次収穫とみておきましょう。
収量は通常の畑地栽培の場合で、200kg/10aというのが基準のようだ。5kgとれれば上出来かと思う。f:id:omojiro:20200722153747j:plainAmaranthus cruentus

◉畑の草刈り〜7月25日f:id:omojiro:20200725120921j:plain草刈りはそのときどきで、少しずつやっています。

出雲の山墾り〜2020sec.14;菜園で竹を焼く

竹を積み、焼き、消炭をつくる。竹は3年前の火入れのときからの燃え残りがほんの少々。竹は少々では燃えない。強く乾燥した状態であればよいのだが、そうした時分には延焼が心配だ。よって、いまの時分に、大量に集めて燃やし、消炭を得るのがよいのである。

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天気予報は曇りであったが、11時過ぎまで雨が降り続いた。SCWの予測画面では雨雲は12時くらいまでかかっていたので意外ではなく、ただときに豪雨となったのには驚いた。そうした雨は車中でしのぎつつ、準備にかかる。積みかけてあった竹をさらに積みましていく。

場所は今春火入予定の区画の端っこ。この消炭づくりは広義の防火帯形成でもあるわけだ。燃えやすい区画は燃材をできるだけとりのぞいておくこと。これで、いちばん厄介だとみていた東端の区画の整理が3分の1ほどは終わっただろうか。

13時30分ごろから点火して、14時半くらいからは2人のボランティアも入り、4名で燃やし方と消炭づくりを進めていく。エンジンポンプがあれば噴射してあっという間にできるのだが、水をバケツに汲んできては炭をスコップですくって中に入れ、また取り出しということの繰り返し。まあ、これくらいにしとこうという体力と時間で区切ってしまった。あとは灰を利用するということにして。火曜日あたりにはとっておかねば風で飛び散ってしまう。あぁ、そういえば、この区画は南側が山手であって日照はよくないのだが、風あたりは少ないのだった。

炭は山の水脈改善に使っていく。もっと大量に確保したいので、消炭のつくりかたは次回は大きな水桶を用意してのぞむことに。あるいは小型のエンジンポンプを導入か。鳥の捕獲小屋脇は4月に入っての仕事になると思う。

菜園に樹を植える

この日、オリゼ畑の金木犀の下で大きくなっていたおそらく金木犀の実生ーとはいえ2m近くまで背をのばしたものーを移植した。えいやと乱暴に扱ったので、うまく根付くかどうか。ほか、大津氏が持ち込んで植えているものを列記しおこう。

・ツバキ
・ビワ
ブラックベリー
・(失念)

菜園、今年の野菜と穀物

この日のこととして、パープルサルシファイの移植と、キクイモの掘り上げのことを少々。キクイモは思ったよりなかった。斜面に近い場所だったので、日照とぼしいことで、さほどできていなかったのかもしれない。5つくらいを北の端、裸麦のそばにおいて、残りはケタ地のところなりにもっていこうと思う。パープルサルシファイは花が咲いたらいいなあという程度のもので、種がとれれば上等、期待はせずに待つ。問題は掘り上げた際に根をいためているので、これから根をはれるかどうかで、春の草がどんなかをみながらの経過を見ていこう。
タマネギも裸麦も古代小麦もオリゼ畑とくらべると弱々しい。標高が200mほどあがっていること、土のこと、日照のこと、それらを考えると、こんなところかとも思うが、どうなのだろう。
トマト、カボチャを主として雑穀の保険地として位置づけるのがよいかなと考えている。

3月20日、春の彼岸に山焼きを

蒜山・鳩が原の山焼きに行ってきた。風が強く22日に延期となったのだが、火入地を見て回り、話もきけて、貴重な機会となった。ここに備忘として記しおく。

†. カシワの樹は燃え残る
カシワの群落をはじめてみた。おもしろい。樹皮が火に強いからだとおっしゃっておられた。風衝地特有の植生でもあるようだ。カシワの葉の利用は縄文時代からその痕跡がみられるものだが、この樹の特性とどうかかわっているのか興味はつきない。

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†. 畑にはすぐに外来植生が入ってくる
大根畑が転々と残っていたようで、その場所が放棄されるととたんに外来植生が入ってくるようだ。現在、火入による草原の維持は、生態系保全を目的の大きなひとつとして掲げるエリアが多いなか、こうした場所はあまりないだけに貴重な観点だろう。

†. 古い話だと、火入といっても、勝手に火を入れて燃えるがままにまかせるようなやり方だったとか。そう語る老人がいままだいるということで、これは貴重。

†. 火のコントロールがしやすい場所がいまやっているところ
国道にそって東西につらなる回廊のような谷間地形の北面にあたる。風の通り道でもあるが、風向が複雑に入り乱れるような地形ではなく、かつ一定の傾斜角が続いている。もっとも、そうでない地点もあって、そこが難所ともなっているのだが。
地元でやっているときに、延焼がとまらず防災ヘリが出動したのだと。いまでは人工林が周辺には多い。

†. 向こう側の斜面は鳥取農学部が火入をしている
佐野敦之先生の講演で拝見したのは、向かい側であったか。写真に撮ったが、10年前に火入をやめたところ、三十年前にやめたところ、その境界が目に見えるところがあって、これが野外博物館。このケースは意図的ではないのだろうが、こうすれば可視化できるよという見本を見せてもらった。

†. 火のコントロールがしやすい場所がいまやっているところ
国道にそって東西につらなる回廊のような谷間地形の北面にあたる。風の通り道でもあるが、風向が複雑に入り乱れるような地形ではなく、かつ一定の傾斜角が続いている。

†. 「山焼き隊」による火入れ
山焼きを行っている主体は「山焼き隊」と地元集落だが、みたところのメインは前者。「山焼き隊」は真庭市の「津黒生きものふれあいの里」と医療法人創和会「重井薬用植物園」が協力して運営している。この日集まったボランティアはざっと50人前後。鳥取大学から8名くらいだろうか、あとほとんどは岡山ナンバー、倉敷ナンバーの車だった。

†. フサヒゲルリカミキリ
草原性のカミキリで日本固有種。しかも、近年生息が確認されているのはここだけ。ということは、おそらく日本最後の生息地となるだろう場所なのだった。しかもしかも、確実に絶滅へ向かっているとのことで、保全から保護的処置をとりはじめているということで、幼虫・成虫ともに食するユウスゲを火入地へ植えるという。植えたあとで火を入れても問題なしということで、延期となったこの日、千株単位を植えるという話だった。

†. ハガリとダイコン
ガリと呼ばれていた小規模の焼畑。焼いたあとにはカブなどを植えて収穫時にはウサギと一緒に食べていたと。

2012年、山の暮らしを取材していた

2011年(平成23)の秋から2012年(平成24)の春にかけて、写真や記録をサルベージしていたところ。

映画「森聞き」上映について、いくつかをひろう。現在作成中の「森と畑と牛と」1号にも「記録」としてアップしていく予定。

 「森聞き」上映会

●Kさんの山にて〜2012年1月3日、facebookへの投稿

1月7日、映画「森聞き」益田上映会では、「森の縁側」というスペースをホワイエにつくります。今日はその下準備のために、小雪舞う柿木の山へ入りました。

写真に見える斜面の上の方では、約50年ほど前まで焼き畑を行っていたそうです。
白菜、大根、など葉物が中心で、「そりゃあ、ようとれた」と語る73歳のKさん。
高校生の頃、父を手伝っていたのだとか。
Kさんには今回の上映にもご協力いただいていて、試写会にも来ていただいています。
「あの、焼き畑のばあさんはなんちゅったっけ。ああ、椎葉さんか。あそこの焼き畑は1町歩もあろうが、うちらのは1反ほどのちいちゃい焼き畑じゃ。それでも火はこわいけん、防火帯は10メートルほどもつくっておった。あぶないときは土をかぶせるのがいちばんええ。すぐ消える」。
などなど、興味深いお話をいくつも聞くことができました。

いま、桧が植林されている石垣の箇所はかつては棚田。
水稲と焼き畑農耕が混在していたというのも、ここ柿木ならではという気もします。
この石垣がいつ頃つくられたのかはまったく不明。
里からは、どうだろう200メートルばかりは急斜面をあがった山中です。
ほかにも沢水の流れにそって数軒の家が昭和40年頃まであったといいいます。
三八豪雪を機に、皆、里へ下りたのでしょうか。
聞けば、山中には由来も縁もわからぬ墓石が点在しているとか。碑銘があるものも転がっていると聞いて、ちょいと調べてみたい気をそそられてしまいました。
まあ、そういう意味でも春は待ち遠しい。

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●補遺

この場所へは車であがるのだが、林道含め公道はなく私道=作業道であって、数箇所ほどの難所がある。自分の車であがったのか誰かの軽トラに乗せてもらってあがったのかは記憶が不確かである。新聞記者がどなたか小さな軽乗用車であがってこられて、みなで歓心と笑いで迎えたような記憶が残っている。

小さな小屋があって、寝泊まりできる。囲炉裏を囲んで4人ほどで脚を縮めながら冬の一夜を過ごしたこともかすかに覚えている。翌日は私をのぞく3人が激しい悪寒に襲われ寝込んだのだ。

Kさんから学んだひとつの教えは、いまもときどき思い出し、はじめて山の仕事をする学生らに必ず話す。「自分はずっと林業の仕事をやってきた。怪我で腕をなくしたもの、車椅子生活になったもの、そして亡くなったもの、たくさんの同僚友人知人をみてきた。自分はひとつの怪我もなくこうやって元気にやり続けている。気をつけるのはひとつだけ。山は平地とは違う。山では(わざと)ゆっくり動くこと。

足の指を骨折したくらいの怪我ですんでいるのも、この教えのおかげかもしれない。ゆっくり動けない質ゆえに、ゆっくり動くことの意味がよくわかる。ゆっくり動くと物の見え方や感じ方が違ってくるのだ。山が平地と違うことは理屈でなく身体でわかる、もっともよいやり方が「ゆっくり動くこと」なのだ。

 ●上映会当日、会場の様子などをかんたんに残してあるブログ。

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