竹の焼畑2017―sec.32

11月5日(日)の活動について簡略に。参加は島根大から6名、地元1名の計7名。

今夏から島根大学里山理研究会が中心となって取り組んでいる伐開地の整備が主です。斜面が急すぎるということで、火入れ地を上に移動させる方向で再調整することになった模様。
カブの間引きも行いました。
写真はその間引き菜をアマンサスとともに炒め、ムカゴにあえたものです。

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2017年11月8日の情景

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焼畑。竹炭はこうして残る。竹の根とあわせて表土の空気層をつくりだしてくれると思う。蕎麦のあとに古代小麦。前日に芽を出したのだと思う。2日前にきたときには見ることができなかった。これで、3区画ぶんすべてで発芽しており、発芽率は7〜9割だと思う。

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つぶらなひとみ。

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三沢のUさん宅へ通じる道の林縁部。林縁で水をもつところにシダ類と笹類が繁茂し、クヌギ、コナラもあるという植生は奥出雲ではよく見かけるように思う。

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土曜豆(白豆)はさやから出して、さらに天日干しするのだな。なにごとであれ休まず小さく毎日やると楽しいものだと、教えてくれる絵。

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かめんがら(ガマズミ)と笹は競合するのかな、だとすれば、かめんがらよりもササ、あるいは竹が優先する時代にここ数十年で入っているのだと考え、人間活動との関係性を想像してみる。

エノコログサの食べ方〜その3

 11月4日。雲南市木次町里方は局所一時的豪雨に見舞われた。雑穀類を車に運ぶのもままならず、ダムの見える牧場で開く予定だった「エノコログサを食べてみよう」は、自宅の土間で実施。トーミによる選別はできないものの、そのぶん、丁寧に一粒ひとつぶを確かめながら、脱ぷを進められた。
◉10月中旬から下旬にかけて「収穫」したもので、籾殻つきの乾燥重量は62g。 20171104-P127020002


 これは10月24日の収穫時なのだが、こうなるととりにくい。黒い実となると脱粒しすぎて、ふれただけでぽろっといくのだ。紫色くらいの状態になったものを手でしごくのがもっとも効率がよい。緑色のものもとれなくはないが、するっとはいかない。

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時期としては10月上旬のほうが「穂が紫色にみえるもの」が多いと思う。

◉乾燥は粒の状態で天日干し。雨天時は屋内にしまっていた。直射日光にさらせたのは3〜5日程度で、あとは屋内で新聞紙をしいた段ボールにほおっておかれた状態が2〜3週間ほどか。鳥に食べられることは、今回は少量でもあったのでなかった。
◉脱ぷしてみてわかったことをいくつかあげておく。
・モチアワよりも粒が大きい。アマランサスよりは大。
・籾は緑色でも黒色でも中身はほぼ同じで、薄墨色。
・籾殻は稲わらの香りがする! これは意外であって、モチアワではそんなことはない。なぜだろう。緑色の殻がその香りを有しているのかもしれない。

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◉粒も大きいので、トーミを使った風選でいけるのではないかと思う。これは明日、味見も含めて検証してみよう。今日は一粒一粒たしかめながら、ピンセットでつまみ選別した。

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 さて、どういう料理にするかだが、リゾットを試みるつもりで、明日のところは脱ぷ作業に集中しようと思う。牧場では、昨年のアマランサスとネギをまぜたロティに少しばかりまぜてやいてみようと思う。粉化を石臼でやってみることも含めて。

カブと小麦

 11月2日。裏の畑に、8日ばかり前であったろうか、ひとうねぶんほど蒔いた小麦が、小さな芽を出し始めている。昨秋40粒ほどからふやしたスペルト小麦。どうするどうなるなんて考えず、まずは育ててみたい、その姿を見てみたいと思う一心だったのが1年前だとすると、今年はその行く末に心を砕かねばならない。まずひとつの思案は、どうやって食べるか、ということだ。
 ひいて粉にするよりは粒のまま食せないのだろうか。製粉の労を略したい動機によるのだが、脱穀、籾摺りまでが、それなりに苦難の道となりそうなので、ゴールを少しでも手前にひいておきたいのだ。
 それにしても。
 焼畑ではじめて栽培したのはカブであった。そして今年の秋、蕎麦とカブの焼畑後作に、裏の畑にもまいた小麦を試みている。カブと小麦はおともだちだと知ったのは、1年目の焼畑でできたカブをなんとおいしいカブなんだと食した後であったし、仁多の正月カブに誘われたのはそのさらに後のことだ。

《わが国には野生に近い状態で生育しているツケナやカブが各地にる。……(略)……正月カブ 島根県仁多郡横田町には正月蕪と呼ぶ自生カブがある。葉は開張性で欠刻があり、有毛で根はある程度肥大する。土地の人は年末から正月にかけて採り食用にし、このことから正月カブと呼んでいる》青葉高,2000『日本の野菜』

 栽培蕪の起源には諸説あるが、地中海に自生するアブラナ類であるとすれば、小麦・大麦にまじって、中国大陸を経由し、いつの頃か日本に渡来したものには違いない。仁多の正月カブは、栽培種からの逸出や交配もあったやもしれないが、雑草として渡来し、今のいままで生存をつづけていると考えるのも一興であろう。三沢の地に残るそれと、海を越え、時を超え、シチリア島の麦と蕪とオリーブを思うのは、与太話としてはできのよすぎる物語だろう。

和名抄_菜


 青葉高が先の『日本の野菜』でも指摘しているとおり、『和名抄』には、蕪菁(カブ)、莱菔(ライフク・ダイコン)は園菜の項にある。一方  は蕨と同じく野菜の項にあるのだ。この関係は大変興味深い。正月カブ(年とりかぶ)のこと、この線からもっと掘っていかねば、と、思う。はい。
 なにはともあれ。古代小麦と三沢のカブの菜をオリーブオイルであえてサラダで食べることを来年の夢としよう。※まとまりがないので、のちほど書き換える予定です。すみません。
 以下に関連記事をあげておく。
●「まかぶ」とは!?  三沢のUさんは、地カブのことをまかぶと呼んでいたようだ。私は逆だと勘違いしていた。まかぶという標準的(平均的・全国的)カブがあり、地元にかねてからある特徴の高い自給性の高いカブが地カブだと。どうなんだろ。
●林原の焼畑でつくられていたカブとは 『尾原の民俗』の中には「地カブ」という名で出てくる。このあたり再度図書館で閲覧しよう。『志津見の民俗』は古書で購入することにした。『尾原の民俗』も手元におきたいが、市立図書館にもあるので自重。
●大根は縁起物か? 加筆がまだできていない。ここらについては、伊藤信博のいくつかの論文を参照しつつ。
●みざわの館前の「地カブ」  そう。「地カブ」はいまの世代でも通りがよい。じゃあ「まかぶ」はどうか、「年取りかぶ」はどうかというのが聞くべきポイントなのかも。
●年取りカブの種取り
●都賀村の地カブについて

●しゃえんば  

ススキとセイタカアワダチソウとカメンガラ

 本日快晴。

 種々の備忘を記す。

◉木次から阿井へ向かう途上

・ダムの見える牧場の春焼地で学生らがサツマイモを収穫中。土曜日に続きだったのかどうか。

セイタカアワダチソウとススキの勢力逆転地を通過

 昨年からちょくちょく見ている地点。今年は昨年よりさらに、ススキの勢いが強いように思えた。明後日あたりに撮影しに再訪しよう。セイタカアワダチソウの背丈が低いのが目についた。

・タカキビを栽培しておられら(そこから種をわけてもらった)ところでは、今年は栽培されなかったようだ。もうやめられたのか、今年は休まれたのか、知っておきたいところ、聞きたいところ。

◉阿井にて

・手土産を用意できなかったので、道すがら目についたガマズミのなかで色形のよいものを手折っておもちしたお宅にて。

「これはこのあたりではなんと呼ばれてますか? これはなんだかご存じですか?」

※奥さんはわからないようだった。旦那さんが笑顔でこうお答えになった。

「かめがらと呼んでますよ。わたしらがこどものころは、よくとって食べたものです。いまでも山の中にはありますよ」

「そうですか。それはそれは。食べてかんでいたという話もききますが、どうですか」

「かんだりはしなかったですね、それは。この実はかめがらとは少し違いますね。大きいのでは」

「あぁ、そうですね。違う種類かもしれませんが、味はかめがらです。もう少し小さいものですね、かめがらは」

……。もっとお話を伺いたかったのだが、またの機会にということで。

下は、昨年採取したときの写真。

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出雲国産物帳の蕪菁について

 久しぶりに再読。

 現場百回の精神。破損したデジタルデータから生データをとりだし、解読をこころみるようなもの。痕跡からの推察にとって禁物なのは予断と願望なのだから、心を見る目を外におくようにして読むべし。

 まかぶとは何か。出雲国産物帳には記載がない。正月カブも同様。そして、正月カブあるいは年取りカブを知る2人目のばあさんは、まかぶとじかぶを分別していた。

 出雲国産物帳の大根の項には真大根がある。日本国語大辞典の記述をそのままなぞれば、この場合の「ま」とは次のような接頭辞である。

《(4)動植物の名に付けて、その種の中での標準的なものである意を添える。「ま竹」「まいわし」「ま鴨」など》

 地カブと呼ぶ際の地とは地のもの、地方固有のものの意味としてのものだろう。カブもダイコンも諸国産物帳編纂時には、換金性の高いもの、自給外のものとして域外へも出されるものであった。出雲地方においても、出雲国産物帳にある平田蕪は藩主へ献上の記録があるということ(原典未確認)のほか、全国的に多くの記録にある。

たとえば、伊藤信博,2009「メディアとしての江戸文化における果蔬」。

《『享保・元文諸国物産帳』から野菜の生産高の平均を求めると、トップは大根で、12.1%、他の野菜の上位は、蕪は3.8%、里芋類、5.5%、茄子、4.7%、瓜類、5.3%となる》

 ちなみに重量比で出せば、2010年代でも野菜のトップではなかろうか(のちほど確認)。

 また、大根が縁起物として風呂敷の藍染めにも鶴亀などとならんで使われていたことは出雲民芸館でも見ているが、大根・蕪の民俗と歴史についてはもう少し知見を得ておかねばと思った次第。

竹の焼畑2017-sec.31

31回目の整備活動日です。

天候は雨(小雨)。10時時点での気温16℃。島根大5名(10時半〜)、地元1名(9時〜11時半)の計6名が従事しました。

今日も含めた活動予定日はこちら。

10/28(土)sec.31
11/5(日)sec.32…雑穀料理あり
11/12(日)sec.33
11/19(日)sec.34
11/25(土)sec.35
12/3(日)sec.36
12/10(日)sec.37…整備研修会予定

さて、本日の作業内容などはあとで書き足すとして、気づいたことを忘れずに記しておきます。

◉再生竹が引っこ抜ける状態

ここ1ヶ月以内に伸張したものです。手で抜けるのです。すぽりと。別に腐朽しているようには見えない。地上部は青々と健康そのもの。地下の茎部は白く柔らかい。春・夏に出ているもので、こんな抜け方をするものは皆無であって、鉈・鎌で根元をえぐらねばとれるものではないのですが、この時期のものはなぜすぽりと抜けるのか。

1本くらい残して冬を越させてみるとまたわかることがあるのかもしれませんね。覚えていたらやってみましょう。

◉中山裾の焼畑ーカブ栽培地に牛入る

柵はそこそこ機能していたのですが、山の斜面側から入ったようです、というか足跡からして経路は明確。あまり踏み荒らされていないのは幸いですが、しっかり糞をおとしています。

どうしたもんじゃろのお。

◉中山裾の大豆が生きていた

牛に食われて死んだと思っていましたが、豆ができていました。5〜8株程度で、つきかたも少なくごくわずかなものですが、収穫して来年の種にまわそうと思います。品種はフクユタカ。次年度も購入せねば足りませんが、焼き畑2世代目がつくれるのはうれしいものです。

◉黒いカタツムリ

はじめてみた。

◉野いちご

食べられます。おいしいです。味がしない・あまくないなどという人がいたのですが、食べたことない人でした。叱っておきました。

むかごもまだとれます。山にきたのなら、ちょちょいととってかえりましょう。

さて、古代小麦の種まきは、今日も進めましたが、柵づくりは来週。がんばらずに粛々とやります。はい。

山畑にスペルト小麦の種を蒔く

山畑。通称中山の馬の背部分に小麦を蒔くことを決めた。
2017年10月26日。月齢6.3。旧暦9月7日。日の出6時25分。日の入17時19分。
快晴。最低気温7℃。最高気温21℃。  午後2時20分頃に現地着。この季節には午後のこの時間は日陰になったのだ。3時間後には日没となるのだからといわれればそうだが、ここは谷なのだなあと改めて思うのは秋から冬にかけての時期だ。場所を決めるにあたって、北東の春焼き角地も捨てがたいのは、日当たりがよいことだ。谷が日陰となっている午後2時の時間には、秋の明るい日差しに恵まれている。冬の積雪もその角地はまず真っ先に雪解けで土をあらわにするところだ。
まあ、ともかく、やってみるのだ。北東角地については来年の春から。いまはとても手がまわらない。  種まきに際しての作業内容を以下に。

◉蒔種区画の決定

この地点。
今夏火入れをして、ソバを蒔き、1週間ばかり前に刈り取りを終えたところ。
これより奥のほうに延ばすか、下のほうに延ばすかは次回考えることにする。
10m×12mほどの区画にする予定だ。1.2a(120平米)ということ。今日植えた面積は7m×2mほどだろうか。小麦の後作には5種を植える予定。アマランサス、アワ、大豆、ヒエ、トマトである。

◉竹を使った柵のための杭打ち実験
地面が固いので、打つ場所は限られる。竹の地下茎がないところ。鍬を打って確かめる。竹の根は張り巡っているが、地下茎はそれほどでもなさそうだ。竹の桿を掘った穴に突き立て、ハンマーで打ち込む。強度はさほど得られないのは想定内で、打ち込む杭の数を多くして補うつもり。
竹は奥から切り出すのがよい。できる日に、半日ずつやれば1回に15本程度は打てるだろう。  はて、全部で何本打つのかな。
1mおきだとしてざっくり40本ほどか。4日弱で杭打ちを終え、横にわたす竿を1日〜2日で、か。

◉表土、土質の確認

こんな感じ。
想像よりは柔らかい。そしてかなりの粘土質。ちょうど掘ったこの箇所は発芽がよくなかった地点なのだが、この土質のせいなのだろうか。水捌けは悪いだろうが、尾根にあたるところゆえのはけやすさが救いか。

◉鍬で筋を耕起し、種の筋まき

筋まき。4センチ〜8センチ間隔か。筋間は20〜30センチ。だと思う。

スペルト小麦はカフェオリゼの裏の畑で、今年種取りしたもの。

◉鎮圧
 炭がかなりの量あって、土よりも炭をかぶせたくらいのところもあったろうが、2センチ以上は覆土するようにはした。
ここまでで、作業時間が2時間弱だったろうか。パパッと帰るつもりだったが、カブの間引きを少々やった。

◆カブの状況
 焼畑のカブ、今年は諦めかけていたのだが、実を大きくしているものもあり。今年蒔いた種はいまだ細い根の一部といった風情だが、こぼれ種から大きくなったであろうものも、色形はよい。3〜4ほど持ち帰った。
コオロギ類の食害がひどく、若芽のときに食われて死んだものも多い。
それを思えば、これだけ食われてよく大きくなったなあとも思う。虫の数もずいぶんと減ってこれからすくすくと太ってくれることを願いながら、密集箇所を間引いていった。
収穫の量そのものは、昨年の10分の1もないだろうが、次年度につなげていこう。

◆ソバの状況
 ずいぶんと荒っぽい干し方であるが、こんなふうにぶらさげたり、島立にしている。

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そうそう。小麦の種に覆土していたときに、こんなお客が。オスはじきに死を得る。メスとてそう長くはない。冬がくるのだな。
ガマズミはまた週末に。あぁ三所の片付けと草刈り、そしてマフラーの修理も、週末は忙しい、、、1日弱しかないのに。脱穀は次週からということでよろしく願いたい。

2017年焼畑のカブ状況ー40日をすぎて

今年2017年10月24日の山カブ
9月13日火入れ、41日目。
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昨年2016年の10月16日
9月3日火入れ、43日目。
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そうなのです。育ちがよくないのです。まず原因として考えられることは3つ。
・播種の遅れ(昨年より10日ほど遅い)
・天候不順
・土地そのものがやせている
・火入れ後の蒔種が早すぎた(追いまきでそだったものが半分ほどか)
・種子が昨年とったもの。島大保管のもの(風選しないで冷蔵保存)。
あと2週間ほどは経過をみて、また考えてみます。

エノコログサの食べ方〜その2

 台風ランが列島に荒ぶる威を3日ほどたち、今日は久しぶりに太陽が山の地にも降り注ぐ日和となりました。エノコログサの採集は昨日から再開しましたが、もう時期が終わりなのかなと少々意気消沈。

 こういう状態。10日ばかり前の時期であれば、実が黒茶のものの割合がもっと高く、手でしごくかたたけば、ボロボロと実がとれたのですが、そうはいかない穂が9割以上なのです。
 採取した奥出雲町佐白ですが、豪雨に見舞われた、その影響もあるかもしれません。考えたことをいくつか。あげてみます。
・アワも発育不良のものは脱粒性が高い。別面からいえば、実の熟し方がひとつの穂の中でもばらついてしまうということ。たとえばこんなふうに(下写真)。
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 エノコログサはもともとばらつきがさらにあるもの。そのばらつき加減・偏差がよりひろがる傾向にあるのかもしれません。登熟時期の遅れや天候不順といった要因によって。
・今日から3〜4日は気温が高く快晴が続きます。
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 この間、登熟が遅かった群落の実がうまく熟してくれれば、1日あたりにどさっと収穫できるかも、しれません。うまく晴れてくれれば乾燥に3〜4日。
「エノコログサを食べてみよう」の会に間に合う!? という展開を期待しつつ、観察とほかの仕事にいそしみましょうぞ。
参照
●エノコログサを食べてみよう〜その1
 

石臼と鰹節削器

 鰹節は削りたてがよい。ただ一般家庭でもっているところは少ない。鰹節削り器を使っての削りたての鰹節を味わう機会は、割烹料亭や蕎麦屋でのそれをのぞけばそうはないということだ。

 コーヒーも挽き立てがよい。コーヒーミルは一般家庭にも鰹節削り器よりはずっと多い比率で備わっている。いちどミルを使い始めれば、手間をいとわず豆を挽いてコーヒーをいれて飲むという習慣をかえてしまうことはそうそうはない。

 そして、スパイスもひきたてがよい。スリランカカリーをつくりはじめて一年がたつが、すり鉢を使ったり、ミルサーを使ったり、小さな大理石の臼を使っているのだが、既成の粉末を購入しようとは思わない。

 しかし、先日、テレビ番組で家庭で使われている石臼をみて、あぁ、これだー!と合点したのだった。高さ30センチ、直径20センチほどであったろう。マレーシアの中流以上の家庭のようだったが、インド系と中華系の若い夫婦の台所にあったものだ。これくらいの大きさがあれば、10分かかっているモルディブフィッシュの粉砕が2分程度ですみそうだ。

 それよりなにより、刺激的かつ問題提起であるのは、石臼が現役で現代の台所に生きているというリアルな映像である。私は見てしまった。あぁ、どうしようと。

 どうしようのひとつは、どこかで買わねばということ。

 そして、もうひとつは、日本の家庭料理の問題を端的にあらわしているということ。

 石臼はもっともふるい調理器具のひとつである。石器時代からその機能はかわっていない。土器よりもふるいのだから、最古といってもよいだろう。その形態と機能を台所で保持できているという食文化の深度は強いなあと思うのだ。鰹節はモルディブフィッシュよりも洗練されているし、鰹節削り器もその洗練にあわせて洗練され、両者とも高価な品である。

 日本の料理の洗練が陥った退廃への道は、石臼のような存在を排除してしまったことにあるのではないか。削り器もそうだが、包丁使いへの依存というのか特化というのか。

 そんなことを、原田 信男『歴史のなかの米と肉』『江戸の料理史』を読みながら考えている。