晩秋山野渉猟

 11月14日、旧暦9月26日。朝のうち雨が降ったものの次第に晴れ。午後からは快晴となった。懸案をひとつずつ片付けるべく方々へ。
◉寺田の滝とかめんがら
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 この奥に寺田の滝がある。手前の平地はダム建設の残土であり、かつての面影とはずいぶん異なるものだろう。かつての地形図、あるいは航空写真を重ねてみようと思いついてから半年がたつ。その図をもって、ここを祖母の背中に負われて滝まで登ったという爺さんのところへ、話の続きを聞きにいくのだ。雪が降る前に、と思っていたが、日本気象協会の予報によると、どうやら今週末には初雪らしい。
 この近辺の再生緑地にはがまずみ(地方名:かめんがら)が多く植えてある。かつてここの山には、かめんがらがたくさんあったのだろうか。そういうことも聞いてみなければならない。かめんがらがたくさんあったのであれば、地形図の履歴からはうかがいしれないこの地の植生のありようが推測できるからだ。
 時は駈けていくものだなあと、鮮やかな紅葉に心おどらされながら、先を急いだ。
◉阿井公民館にて駒原邦一郎氏のことを伺う
 
家はすでに当地にはなく、子孫の方もどこへ移られたのかもわからないのだという。未刊行の原稿なり資料なりがあれば、検分したかったのだが、かなわぬことはわかった。
 ただ、この日、遅ればせながら、聞いてみたのは、虫が呼んでくれたからだろうか。『村のはなし』を現在復刻しているのだという。あぁ、よかった。価値をみておられる方がいて、骨を折っておられるのだ。お手伝いできることを申し出て、ほかいくつかの手がかりと、所蔵されている文書がまだ倉庫にあることを確かめ、日を改めて閲覧の約束をして、その場を辞した。
◉ゴロビナはこれではないのか?
 
阿井の山野に自生している草木でのなかで、懸案になっていたもののひとつ、ゴロビナ。その後、ギボウシ説が有力となっている(私の小さな脳内では)。だが、自生しているものを阿井で見たことはなかった。なんでないのだろう。植生が変わってしまったからだろうか、などと思っていた。数週間前、木次で昔の食べもの話の会を催した際、みなさんゴロビナはわからないということだったが、ギボウシがどんなものかはおわかりのようだった。「ほら、すーっと長い茎が出て花がさくあれよ」と。その言葉が、阿井のそこでよみがえった。あ、これ、か、と。場所もあるべきところにあった。昔ながらの農法をつづけておられるところ。椎茸の原木がおいてある山の裾野だ。

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 そちらのお宅にながらく借りたままだった本を返しにいくところだったのだ。当人は留守であったので、これはまた聞きにいかねばと。駒原さんが手を引いてくれただと、そう信じることにした。ありがたいことだ。

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 その小さな山の横にひろがる小さな田んぼの風景。美しい。
★追記)2017/11/19、電話で取材した
ギボウシは前からあったものかどうかはわからない。珍しいものなので、刈らないようにしている。
・前から採取していたかどうかはわからないが、最近ではとる人がいる。どこにでもあるものではないし、なかった。
・ゴロビナという名があるかどうかは、私はわからない。

焼畑のカブその後 「竹の焼畑2017」のことではない。種をおわけし、火入れをお手伝いしたところのその後である。9月の終わり頃だったろうか、夜中に電話がかかってきて、「カブがよぅできとるよ〜」と。「それはよかったですね〜。見に行きますからよろしく〜」。そうお返事してから何度か機会を逸していた。もう収穫を終えられたのではと思っていた。
 8月の頭に火入れに行って以来だから、4ヶ月ぶりである。ここは清冽な水が山からおりてくる口にあたる地だ。下の写真、一見しても「畑」には見えないだろう。が、これが、焼畑不毛地帯と言われつづけ(たが、大きな間違い、誤解、誤謬)た島根東部の焼畑の姿だと思う。

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 フォレストフォロワーではないブッシュフォロワー型の焼畑なのだ。ここでは長い時代にわたって、おそらく。休閑期間・循環も短い。
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 ただ、ここの場合、ほぼ毎年同じ土地を焼いているようだ。来年は伏せ込みから手伝いつつ、2年休ませて植生を回復させるようにしたらよいだろうと、私はおもう。
◉山中の柿の園
 柿を取りにくるかと誘われとある山中へ。かつて柿団地として開かれたところ。放置されてずいぶんたつらしいが、大木となった柿の木にはたくさんの実がすずなりになっていた。
 周囲はコナラ系の雑木だが、木々は若く20年生くらいではなかろうか。下層にはいわゆるクマザサが生い茂っている。肥料も薬もつかわず、みごとななりっぷり。小ぶりな実が多いのがまたよい。市場の評価が低いのだろうが、知る人は知っているようで、ナチュラルなこうした柿の需要は少なからずあるようだ。

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 ちょっとした納屋があれば、干し柿にして、こうしたものを欲する方へ届けることもできるだろうに。なにより、この柿たちが不憫だ。誘ってくれた初老の農夫は、もう年だから高くまで登られん、若いころはひょいひょい取れたのにと、言いながら、ふぅふぅ息を枯らして、きれいに実をとっておられた。頭をたれるとはこういうときなのだな。いい光景でもあるが、きたれ若人と叫びたい気持ちもある。が、ともあれ、希望膨らむ気持ちよい秋の一日であった。

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