2017年蕎麦の収穫

今晩から雨かあ。時間はないけど刈れるだけでも刈ってしまおう。これ以上はずらせない。
…というわけで、予定より1週間ほど遅れて、中山火入れ地の蕎麦の刈り取りをしました。
午後4時〜午後5時30分。7割ほどは刈り取れたと思います。
ざっとですが、経過を振り返ってみます。
8/6  火入れ日蒔種
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8/8  発根確認
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8/15 最後の追蒔
8/19 双葉伸張
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8/23 伸張順調
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9/8 開花はじめ
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9/15 花ほぼ全開
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10/5 実の黒化はじめ
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実の黒化がはじまってから13日目の収穫ですが、もう5日は前のほうがよかったと思われます。9割方黒化していましたから、3割ほどは脱粒していた印象です。雨や気温など諸要因ありますが、10月13日には収穫だと覚えておきましょうぞ。
仮説(仮案)すらたてられていませんが、課題を3つ。
1. 昨年より発芽率も成長もよかったのはどんな要因が作用したのか。
2. 何度追い蒔きしても、他の種(蕪を筆頭に)を蒔いても発芽しなかった部分はいったいなんなのか。
3. 来年以降、どう作付けをしていくのか。
なにはともあれ、おつかれさまでした。
いや、とりあえず刈り取っただけなので、たばねて干して、風選するところまではちゃんとやろう。
雨があがった金曜日に。しかし干すといってもどこに干すか、です。これが最大の懸案事項でした。とほほ。

料理の中の文化と野生〜『江戸の料理史』(本の話#0009)

告知案内文を書きました。原田信男『江戸の料理史』をとりあげてお話するトークライブです。

◉内 容

「一日ニ玄米4合ト 味噌ト少シノ野菜ヲタベ」と謳った宮沢賢治は、農民の生活を料理を通して芸術にまで高める夢を抱いていました。人が人である限り、食事は腹を満たせば足りるものではありません。

それは、素材を吟味し、求め、ときにつくり、ときに摘み、さばき、蒸す、煮る、炒める、あえる、揚げる…無数のプロセスを内包しています。調味をへて、種々の器に盛り付けられ、卓を囲み共食するという時間をつくります。また、移ろいゆくものと節目とを編み出します。日々の料理、季節の料理、祝いの席で、悲しみの席で、旧交をあたためる席で。また、離乳の食から介護の食、そして最後の食まで、料理は、人の一生とともにあります。同時に歴史とともにある。

2017年、ガストロノミーが世界を席巻するなかで、貧食と飽食が競いあいながら、大地は疲弊し資源は枯渇し地球生命史上最大の絶滅シーンに突入している現代に、私たちは確かに生きていて、日々働き汗を流し、そして料理を楽しみ食べています。

今回とりあげる原田信男『江戸の料理史』は、一見専門性の高い歴史文化の書にみえますが、そうした歴史と文化と人の生活とのダイナミズムをくみ取るには格好の良書です。

いま、私たちが和食として享受しているものの大半は、江戸時代に形づくられたものです。すし、そば、天ぷら、豆腐、味噌、醤油、砂糖はもちろんのこと、玄米ではなく白米が普及するのも江戸中期以降のこと。初鰹をはじめ旬よりも初物をありがたがるのも江戸時代からですし、土用のウナギ(夏のウナギはまずいからどうやって売るかの策として)、美味しさよりも演出に走る料理店など、文化的爛熟と農村での飢饉が同時進行しながら社会が崩壊へと向かい明治維新を迎えるという流れは、なんだか今の世と似たものを感じますねえ。

お話は多くの現代的な話題をもちりばめながら、料理の中にある野生と文化をよみといていこうと思います。

ここでさわりをひとつ、江戸料理本の嚆矢『料理物語』について。

『料理物語』では巻頭に海の魚があげられます。なんでもないようでいて、大きな転換がここにあらわれているのです。それまで魚といえば鯉が横綱的存在でした。江戸時代に至って鯉から鯛へと横綱が交代するのです。それだけではありません。川魚の地位が低下し海の魚が尊ばれるようになるのです。そして川魚から海魚へという転換は、山の肉から海の魚へという変化でもあり、タンパク質摂取と発酵食の転換、塩の利用、それらの技術も担い手もかえていく大転換を引き起こします。そう、江戸時代は、山から平野・海岸へと、経済・文化・価値の移動が起こる時代であり、人口の爆発をともなう新田と都市開発の時代でもありました。ここには寺社の転換もかかわりますし、宗教・道徳・人生観の大転換でもあったと考えられます。夜なべ、勤勉実直が尊ばれるのも江戸時代からです。キリスト教を通して世界に向かって開かれながら閉じていく時代……。

さて、それらはすべて料理へとつながっていきます。お楽しみに〜。

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料理の中の文化と野生〜『江戸の料理史』(本の話#0009)

◉主 催:ナレッジ・ロフト「本とスパイス」&カフェ・オリゼ

◉日 時:10月27日(金)

 開 場…18:30

 トーク…19:00〜20:20(20:30〜22:00 食事とカフェの時間)

◉場 所:カフェオリゼ(木次町里方)

◉参加費:2,500円(スリランカカレー/ドリンクセット含)

◉定 員:12名

◉申 込:「本とスパイス」参加希望として、カフェオリゼ宛facebookメッセージか下記のメールアドレスまでお名前とご連絡先をお知らせください。返信のメールをもって受付終了とさせていただきます。メールはこちらまで anaomoshiro★gmail.com(★⇒@)

エノコログサの食べ方〜その1

 昨日、仕事打合せ後の茶飲み話。

「今度、江戸の料理について話をするんだけど、江戸時代、とりわけ享保・元禄以降だと想像が働くというかわかりやすいんだよ、現代食生活と地続き感がある」

「そうだね。蕎麦も鰹も寿司だってね」

「ところがだ。室町から前。平安時代にまでいくと、わからないことがおおすぎて、なぞ」

「あぁ、食に限らずだけどね。衣食住に宗教」

「ありきたりなところだと、アワ、ヒエ、キビ、豆といった雑穀、狩猟の比重が高い。魚より獣という時代か」

「野菜もほとんどが室町後期からなんじゃないか。そういえばいま、風土記の仕事やっているんだけど、食に占める野草の頻度が想定以上に高いとしたら、腑に落ちるところが多いよ」

「そういえば、アワをつくっていると、エノコログサが周囲にふえるんだよ。目に飛び込むようになるという錯覚とは思えないほどに」

「アワが不作だったその横に一面のエノコログサがひろがっているわけ。夕陽に輝いてキラキラと」

ナウシカのように?」

「そうそう。いや、それよりも。食えたらいいなあと。食えるんだけどね」

「ええ! あれ食えるの?」

「アワの祖先だし、食ってたという記録さえしっかりある」

「野生のツルアズキが見つからなかったら、記事はそれだね」

……というわけです。

エノコログサを食す慣行を書いたときから、食べようと思いながら実践できてません。そして、野生アズキ探しも、なにやかにやで棚上げ中。じゃ、やるか。問題は時期がもう10月半ばであり、エノコログサあるかなあということ。秋雨前線が停滞して雨がつづいています。

 明後日、ナウシカの草原のようなエノコログサ畑があった場所へ行って確認しますので、実行するかどうかはそのときに決めるとして、です。

 昨年12月に調べた際の宿題だった「脱穀したのちすり鉢ですりつぶし、水選する。食べるときはアワと同様、粒のままでも製粉しても食べられる」ということについて。

 すり鉢を使うのは、粉化しやすいからのようです。

 水選は穎(殻)が水に浮くため、選別しやすいということと、風選がしにくいということか。

 エノコログサの場合、野草だけあって、どんどん脱粒するようで、たたいて収穫するのがよいとある。こりゃ手間かも。乾燥させるのにハウスがあったらなあってやつだ。

【2003,9『雑穀の自然史 その起源と文化を求めて』(北海道大学図書刊行会)内収「雑穀の祖先、イネ科雑草の種子を食べる:採集・調整と調理・栄養」河合初子,山口裕文】

 まあ、よい。やってみよう。

 ちなみに穂づみできるイネ科雑草はといえば、カモジグサ、イヌムギとある。

 カモジグサ、イヌムギかあ。カモジグサは確かにみていて食べられそうだ。

 そしてしごいてとれるイネ科として、チカラシバ

 wikiという安易な検索ではじめて知ったのだが、チカラシバからトウジンビエが生まれたんだ。遠い昔に。道ばたにあるあれ、手でするするとしごきとってパラパラと道路にまいて遊んだ記憶がよみがえるのだが、あのパラパラとクスクスのパラパラがつながった。クスクスは一度粉化したものなんだけどね。よし、チカラシバは粉にしてクスクスをつくってみよう!

 冷たい視線を背中に感じないではないけれど、楽しくやるとしよう。

 

10月5日の畑〜雑感

10月5日。1週間ほど前。1時間強、雑穀の刈り取りをした、その備忘録である。
◉アマランサスとモチアワ
昨年は9月末にはアマランサスもモチアワも刈り取り済みであった。この日がほぼ最後の刈り取りである。モチアワは実の入りが劣悪で放置していたに等しいのだが、この日ほんの少しとった。まとめればそれなりの量にはなるだろうかと思い直して、来週の晴れた日にとってみようとこの日は思った。アマランサスもよくはない。前にも記した通り、日照の問題が大きかろうが、茎が細く、穂のつきかたもずいぶんと小ぶりだ。小ぶりなぶん、雨でも倒伏は少ないだろうとみていたが、さにあらず。茎が細いんだからバタバタと倒れた。倒れた後から穂は上へむかってつくのだが、土砂がつい
ただろうものについては、あきらめて、ほかのものを刈り取った。
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◉カブ
9月火入れ地での発芽はよくない。それより柵が倒され(あるいは倒れ)、牛が入ってきている。今後柵をつくりなおしても、この裾地での栽培は無理だろうなあと、漠然と思った。なげやりではない。ならばどうするという次の考えが出ない。
中山上部では追いまきしたものの発芽がちらほら。初期の発芽は虫食いがかなり強烈。これは裾野よりも激しい。コオロギをはじめ、カブの芽・葉を食する虫をかなり増やしているのだろう。来年は山ひとつかえての栽培にかえねばならんだろう。そういえば、Eさんのところは10年近くも同じところで栽培しているというのだが、虫は出ないんだろうか? そろそろ収穫だろうから見に行ってみよう。
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こちらの大きくなっているものは、こぼれ種からのものだと思われる。
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◉タカキビ
ぜんぶ取り込みたかったのだが、暗くなってきたので、断念した。また来週!

スリランカカリーと焼畑と複雑な系

スリランカカリーの美味しい食べ方」が簡単にわかるペーパーをつくった。「簡単に」が簡単でないことが身にしみた。

 紙に文字を書くという行為。それは、相手=読み手がその場にいないというその不在に条件づけられながら、言葉が普遍へと向かって放たれるがごとく、意味空間が形づくられていく。

 一方、口から出る言葉、言葉を話すという行為。こちらは、話そうとする者と聞こうとする者、2者が同一の空間にいることに条件づけられている。話す者は、相手=聞き手と向き合い、うなずきや応答を行いながら、あらかじめ存在している空間の中で意味が共有されていく。

 言葉をふたつに似て非なるものへとわかつのは、時間、空間、「人」、それぞれの関係である。

 白い平面の上に共時的に著されたパターン、書き言葉。

 音の振動パターンとして、時間の流れの中に現出する話し言葉

 普遍性へ向かうベクトルをもつ書き言葉。道具としては、より多くの読手とへ広がること、広がる可能性をもつことが求められるもの。

 具体性へ向かうベクトルをもつ話し言葉。道具としては、2者の間で深まり、蓄積や文脈をもって深化することが求められるもの。 

 

 ふたつの対比は、短い短観ではあるが、互いの出自の独自性を伺い知ることができはしまいか。

 あたりまえのように同じものとして認識している私たちであるが、それは両方が、近代以降の時代を生きるものにとって、相互補完の関係をもちながら維持=保全されているからだと、ここまでのところでは整理しておこう。

 しかるに私たちが、あたかも同一の「コトバ」であることを自明のことと感じてしまえるのには、言葉を情報と置き換えて何の違和も覚えない環境が現出していることによる。

 ……などと考え始めてしまうくらいには、このペーパー作成には、多少頭を使ったのである。

 さて、カリー混ぜ合わせること。

 料理において、それがどんなに精妙にして複雑きわまりないものであるのかは、誰しも覚えのひとつふたつはあるだろう。

 そう。スリランカカリーは、料理の最終段階を食べる本人に委ねるものであるところに、その本質がある。

 ……(次回へつづく)。

 

9月26日の焼畑〜カブの状況とタカキビ、アマランサス取り込み

9月26日。明日から雨が降るようなので、焼畑の雑穀を取り込めるものは収穫した。また、カブの状況と追い蒔きについて。
◉カブの状況
†. 中山裾の火入れ地
前回(1週間前か)よりも、発芽がみられる。ただ、ところどころに虫食いあり。
発芽が見られないところに追い蒔きする。5ml×5程度。
なんとなくよくない感じがする。なんだろう。この感じは。
虫食いについては、面積が少ないことで、周囲の草むらに生息する虫たちの生息数が多いことが影響しているのではないか。過去2年とくらべて、裾の最下部であることからも虫の害は多かろう。面積も最小である。(※正確な面積:のちほど記入のこと)
†. 蕎麦栽培地の下部と上部
前回(1週間前か)追い蒔きしたものは発芽していないようだ。時期からして播く時期の限界として最期の追い蒔きを行った。15ml×10。
発芽しているところも虫食いがひどい状態である。前述の中山裾よりは虫の影響は少ないはず。これは時期の問題か。コオロギの姿は相変わらず目立つ。黒炭の地面がひろがっていていることで、目視しやすいこともあるにしろ。
†. 今後の追い蒔き
日曜日に発芽の確認と、春焼地のアワを刈り取った後に、草を取り去って撒いてみようと思った。
1. 牛が食うかもしれないので、アワが立ち並ぶその中心部にまず種蒔き。→アワ畑の外側は2週間後にはすべて刈り取り柵をもうける。
2. 蕎麦地については、牛がまだ入っていないことから、これから冬にかけても登りきらないのではと思われる。蕎麦地のさらに竹に近い箇所については、ソバも含め発芽が見られない。ここに鍬を入れてから蒔いてみることをためそう。
◉中山のアマランサス、大豆の状況
大豆はあらかた花の段階で牛にぱっくり全部平らげられていた、、、はずだったが、多少は残っていたのか、小さなさやに豆ができはじめている。種として残そうか食べてしまおうか、経過観察。
中山東のアマランサスは倒伏が多い。茎が細いのは中山西裾もそうだが、東の方が日照はより悪い。日照が得られていないことが原因だろう。茎が細ければ実のふさも小さく、倒伏の度合いは太いものとさほどは変わらないかと思っていたが、さにあらず。9月に入ってからの雨は次々と倒すのだなあ。倒れた状態からでも上に上にと穂を出し続けている。
今年の収穫は小なりといえども、小さな穂をひろいあつめていこう。
この日は大きなものを集めた。
種取り用のものをどうしようか。来年どうしようかと紙の上と頭の中で思案を重ねている。
◉春焼地のタカキビ、アワ、ヒエの状況

タカキビが今年は一定の収穫を得られたというのは救いである。昨年、カブの跡地斜面で育てたものよりはずっと状態がよい。一度は牛にがぶりと食われたあとからの再生であるのにね。
アワは、ほんとにどうしたものか。
下の写真は9月21日、すなわち1週間ほど前のものだが、状態はあまり変わりはない。
優先順位を後にまわしつつ、とれるだけでもとっておこうと心を落ち着かせる。


それにしても。
牧場のエノコロ草がすごい。一面の”エノコログサ”の草原。
これ、全部とって干して、取り出したら、そこそこの量にはなる。
やってみようか。
夕陽を受けてきらめきながら、風にゆれる穂の群れをみながら、夢想がかすかにうごめくのであった。

美しい畦焼き

 秋らしいおだやかで過ごしやすい日が続いている。たいがいの田の稲刈りもおわり、干されていたはでぎの稲もおろしはじめの頃である。忙しさも一息ついて、運動会と、草刈りと野焼き(畦焼き)の季節。そんななかで、奥出雲のとある田圃の畦で美しい畦焼きを見たので記しておく。

 小さなけたではあったが、きれいに草をおろしながら、焼き漏れやむらが見られない。火の動きも、ちょうど斜面を斜め上から下にむかっていた。先端はかまぼこ型。つまり両端の火が先行し中央部が後攻している形。

 日本の焼畑の技術でもよく見聞する、延焼のリスクをおさえながら、よく焼けるための火回しである。火を見ながら、無駄のない動きで草をならしている動作も美しいものだった。煙もほとんどたっておらず、いいかげんに燃えており、そこから1キロも離れていないケタの焼きはもうもうと煙をたてていたのとは対照的だった。

 野焼の風景は出雲市(旧斐川町)ではまったく見られなくなったと、数年前にきいた。奥出雲でもずいぶん少なくなったという。斐川町では除草剤の使用がふえるのと同じ流れなのだろう。まきたくない人もまわりの目があるから、まかざるを得ないというほどだ(ただし伝聞)。そうそう。商品名ラウンドアップで知られる除草剤が数年前に特許がきれて、安価で大量に売られるようになったことと同じ「動向」なのだ。

 除草剤ラウンドアップの環境への影響について、調べたことはなく、ただ、土壌系の農化学にも詳しい元大学教員に質問したことがある。「荒廃地で適量を一回だけ使うのなら、効果のほうがうわまわるのでは」という見解であった。どんな薬であれ、適量を使うことは当然であると、ふつうの人は思うだろうが、実際に現場に入れば、そうはなっていない。またどんな薬であれ、10年20年続けて使用した場合の帰結など予測はできない。スーパーコンピュータを駆使しようが台風の進路も天気予報も「当たらない」ようなものか。自然とひとことでいうが、そこで働く諸要因の数はあまりに膨大だ。

 焼畑も野焼も日本では上越・信州・東北に伝わるもののほうが得るものが大きいのではないか。農にまつわる技術もそうではないのか。そんなことを最近考え始めている。

 畦焼の話に戻せば、竹内孝功さんが、春の風物詩【田んぼの春起こし&野焼き(畦焼き)】と題して、畦焼を「師匠について野焼きを仕込まれている」と書かれている。

 出雲地方には野焼きを仕込んでくれるような師匠はもはや0であろう。だが、その断片はDNAの断片のようにあちこちに散らばっているのだと思う。

 「最近の若いもんは、火の扱いを知らんからのお。遊びからやればいいが、遊びもできんし」という言葉の意味をやりながら探ることであったり、数日前に目にした美しい畦焼きの動作を焼き付けておくことであったり、ということから拾い集めておくことが、いまできることである。

 

 

セイタカアワダチソウとソバの花

9月24日のソバなのだが、写したかったのは黒い炭の部分。2度くらいはソバを追い蒔きした。カブも2度は蒔いている。やけくそまじりにホウレンソウやニンジンの種をばらまいたりもした。
しかし、一向に芽が出ない。なんでだろう。
今度、ビートかなにかを土中に入れてみようと思う。


昨年のセイタカアワダチソウの写真をみると、10月中旬に花を咲かせている。
今年は心してみていこう。
下の写真についていえば、ここ、こんなに繁茂していましたっけ?
人の手が再三入っているところで、おもしろい。
向かって右手奥には民家があったところだ。建設残土が埋められているのだが、この谷間には山の水が流れ込んでいたはずのところだ。3面水路が見事なまでにその水の流れをとめているので、湿地化していた。が、その上に更に土を盛る工事がされたのかな。そしてセイタカアワダチソウと。

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参照:2016年10月22日ススキとセイタカアワダチソウの棲み分け?

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9月21日(木)晴れ。最高気温26℃(朝方の最低気温は12℃,朝露多し)

火入れ後最初の活動報告です。

○参加者:島大から3名、教員1名、地元1名(午後〜)の計5名。

○時間:10時~16時

○内容

・次年度火入れ予定地の竹林伐採作業

・春焼地草刈り、雑穀生育確認と一部収穫

・夏焼の蕎麦、カブの生育確認

色づいたホンリーも徐々に立ち枯れがはじまっています。収穫の準備すなわち、干す場所を探すかつくるかせねばなりません。ホンリーに関してはつくります。

アワ、アマランサスなどをどうするか、、、ですね。同じようにつくるか。

台風と先日の豪雨で倒伏したタカキビが5本程度あり。

食害にあっていないヒエ(ごく一部ですが)を収穫しました。

秋、野生のあずきを探しに、6000年前の記憶を探しに

焼畑で2年目となるヘミツルアズキの収穫が進んでおります。焼畑地でのそれは島根大学里山管理研究会におまかせ。私めは、自宅の庭と裏の畑でいたずらまじりにまいておりましたが、ぼちぼちととれています。
今日あらためて、焼畑地(2年目)のものと菜園畑地のものとをくらべてみました。焼畑地の方が鞘も実も大きいですね。

左が庭と畑のもの、右が焼畑(山畑)のもの。
なぜこんなにもちがうのか。興味深いところです。

いろいろと考え、古い資料をひっくり返したりしてみました。そう。もともとアズキはとてもおもしろい豆ですし、日本で研究・調査する価値の高い生物資源でもある。
素人の疑問として、栽培アズキが日本起源であるという説はDNA解析の進展とともに有力さをましているようですが、他の多くの作物、イネ・ムギ・アワ・キビ・が中国大陸からもたらされたものであるのに対し、なぜアズキは日本から大陸(東アジア)へ伝播していったのか。
日本思想の特質とも重なるようで、これ、大変刺激的なヒントをはらんでいると思うのですが、いかがでしょうか。
●ツルアズキを植えてみるその準備メモに追加する参照資料として、《山口裕文「照葉樹林文化が育んだ雑豆”あずき”と祖先種」2003,〜『雑穀の自然史』北海道大学図書刊行会所収》をあげつつ。
日本でもっとも古いアズキ出土は滋賀県の粟津湖底遺跡(6000年前)ですが、他をみても軒並み日本海側、山陰〜北陸に分布しているのはこれまた興味深いことです。鳥取県の桂見遺跡では、4000年〜5000年前の炭化したアズキが出ています。桂見遺跡といえば、6mをこえる長さの丸木舟2槽が出たことで知られますが、人とともに種や豆が海を越えて行き来したことを夢想せずにはいられませんね。
さて、これから10月にかけて、野のあずきを探しにでかけてみませんか。5000万年の記憶を探しに、秋の野に。