大東の雨量観測所

ここにおられたんですね! 大東の雨量観測所。

過去の観測データの件では、何度もお世話になっていながら(気象庁のサイトからダウンロードさせていただいている)、お会いするのははじめてでした。

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気象庁のものかとばかり思っていたのですが、国土交通省のものでした。建設当時のプレートには「建設省」とあります。
なぜ、ここ、大東なのか。しかも、斐伊川水系ではあるものの、支流・赤川のさらに支流にほとりに位置しています。掘り下げてみたいところですが、そこはまたの折に。

出雲の山墾り〜消炭づくりの準備

積もっていた雪もあらかたとけ、去年より半月ほど遅れての本格始動です。とはいえ、2時間半ほど。積んである竹の嵩をとらえ違える箇所もあるので、頭と身体にたたきこんでいくくらいまでやらないと、火は入れられんですね。早く入れてしまいたい気持ちをなだめつつ、あと3日ぶんは動いて、消炭づくり開始としたいところです。

できれば週末の土曜日に1回目を。と思いましたが、どうかなあ。人数も雪もないし。3月に入るとかなり乾いてくるので難しい。2月20日(土)、そして2月27日(土)または28日(日)を候補日と決めました。

春の火入れ予定区画の一部で、積んである竹を燃やして消炭をつくります。
ここは(できれば)春に焼きたくはないなあという区画です。あるいは春に焼くには竹を移動しないといけないところ。それが下の写真にみえる部分です。
写真奥50mくらい、積んだ竹が続くのですが、深いところで胸の高さ、浅いところでも膝下くらいはあります。伐採から2年たっており、下部などはかなり腐朽が進んでるところもあるのですが、燃えます。春だったらかなりよく燃えるやつです。

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積んである竹は枝がからんでしまっていたり、さまざまな蔓がとりついてしまっており、短く切断していかないと動かせません。これらを細かく分割していき、別な地点へ運んで積み直します。
隣接している竹も切っていきます。上の写真ですと、左側のもの。ざっと最低30本くらいでしょうか。倒したものは右手に引っ張りおろし、一段下の区画へ積んでいきます。
太い根本部分は火を入れる部分に積み増ししてもいいかもしれない。もう少し状況を確認していいやり方を考えましょう。

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さて、雪が積もったらという条件がなくても火を入れるためには、延焼防止用のポンプとタンクを設置しないといけない。
今回程度なら、ポンプは小さなものでもいいのですが、タンクをそばにおくのが難しい。道がぬかるんでしまっている難所があります。これを手当しておくか、それとも、エンジンポンプをレンタルするか。
次回はそこらも要チェックです。

出雲の山墾りをぼちぼちと

 ひっそり今年も始動します。活動ページを設けました。
冬の準備がものをいうのです。冬の間に、春焼き予定地の竹を半分くらいまでは焼いておきたいということもあります。
雪がたっぷり積もっていれば、延焼(つまるところの山火事)対策を大幅に減じることができます。人員でいえば、最低10人はいるところが、2人でもいけるというように。
s-orochi.org

しかしながら、ちょっと積りすぎているようです。
奥出雲の横田では観測上、10年ぶりくらいの1mごえだったようですし、焼畑フィールドである佐白でも60センチほどはいっただろうと思います。明後日、現地確認の予定ですので、レポートはそのときに。
下の写真は数日前のご近所。

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本の記録〜令和3年1月5日

久しぶりに記録する。年末年始に目を通す時間くらいはと思っていたが、結局のところ出来ず。再読のために覚えとしてここに置くものである。

†. 『豊穣と再生 宗教学概論2;エリアーデ著作集第二巻』M.エリアーデ,1968;久米博訳,1981,せりか書房/県立中央図書館より借
日本の民俗信仰のなかで見られる樹木信仰との類比をどう捉えていけるかを確かめてみたく。また、メイポールをまつりの後に焼くという記述の確認のため。出雲大社境内で平成○年に発掘された柱の先端が焼かれていたことと、メイポールでのそれを同じ理由に基づくものとしている論文を瞥見し、いま少し掘り下げてみるべく。

†. 宮本常一『旅人たちの歴史1・野田泉光院』1980,未来社/松江工業高専より借。
木次図書館にて取寄。資料として。

†. 『日本思想体系46・佐藤一斎,大塩中斎 』校訂:相良 亨, 溝口 雄三, 福永 光司,1980, 岩波書店/木次図書館より借。
佐藤一斎については、言志録、言志後録、言志晩録、言志耋録の四録を所収。
大塩中斎では、洗心洞箚記。

†. 大室幹雄『正名と狂言――古代中国知識人の言語世界』1975,せりか書房/島根県立図書館より借
古書の札が残っている。所蔵は禁帯出が別に一冊あり。貸出用に求めたのだろうか。県内公共図書館の蔵書は、県立に2冊、島根大付属に1冊。古書を求めて再読を期すことに。

†. 『民衆史の遺産・第八巻 海の民』2015,大和書房/島根県立図書館より借
内海延吉「海鳥の嘆き」所収。この1編と編者として大和岩雄とともに名を表にしている谷川健一の序論が、『日本民俗文化資料集成』第五巻の「渚の民俗誌」と同一(1990年、三一書房刊)。

†. 山内志朗『湯殿山の哲学――修験と花と存在と』2017,ぷねうま舎/島根県立図書館より借
冬に読んで春を迎えたい。「存在が花咲く」

†. 末木文美士『近世の仏教――華ひらく思想と文化』2010,吉川弘文館/島根県立図書館より借
ほとんど目を通せず。以下目次。
近世仏教を見なおす―プロローグ
中世から近世へ
開かれた近世
思想と実践
信仰の広がり
近世から近代へ―エピローグ

†. 藤野 裕子『民衆暴力――一揆・暴動・虐殺の日本近代』2020, 中公新書/島根県立図書館より借
序章のみ読。こうしたまとめ方は求められているものなのだろう。で、それでいいのかと思いをいだきつつ、謙虚に1章以下を読む機を次回に。
序章 近世日本の民衆暴力
第1章 新政反対一揆―近代化政策への反発
第2章 秩父事件
第3章 都市暴動、デモクラシー、ナショナリズム
第4章 関東大震災時の朝鮮人虐殺
第5章 民衆にとっての朝鮮人虐殺の論理

†. 『葬儀と墓の現在――民俗の変容』国立歴史民俗博物館編,2002,吉川弘文館/島根県立図書館より借
再読を願いつつ、目次を置く。書誌データとして目次を表示するウェブサイトは、東販系のe-honのみか。いくつかの版元サイトでもそう。いやはや。ここもe-honからひいているのだが、肝心の著者名がなかったため加筆している。購書空間から人が消えていく。
第1部 葬儀と墓の変容
赤嶺政信,奄美・沖縄の葬送文化―その伝統と変容
金田久璋,樹木葬とニソの杜―樹下の死・森神・他界観
武田正,東北地方の葬送儀礼―山形県米沢地方を中心として
福澤昭司,葬儀社の進出と葬儀の変容―松本市を事例として
米田実,大型公営斎場の登場と地域の変容
太郎良裕子,清めの作法―明治から平成へ
板橋春夫,葬儀と食物―赤飯から饅頭へ
関沢あゆみ,葬送儀礼の変容―その意味するもの
第2部 討論 葬儀と墓の行く方
沖縄の洗骨改葬,葬祭業者と葬祭場,葬儀のかたち,葬送の新しい兆し,赤飯と清め,お骨の行く方,私の霊魂観
新谷尚紀,フォーラムを終えて―変化を読み取る民俗学へ

†. 村上重良『国家神道』1970,岩波新書/島根県立図書館より借

聞書細片〜お弁当もって美容院へ

聞いたそのとき、いきいきとした像を結んだ話を、記しておく。断片はしだいに朽ちていく。1年以上まえの聞きかじりもある。

◉お弁当をもって美容院へ
木次のまちにある美容院へ、お弁当をもって一日がかりで行った記憶。いまでは車で15分ほどの距離だろうか。その記憶を語る人は、いま90歳をこえている。
よその町にすみ、ときおり訪ねてくる、木次のまち。その人のなかでは生き生きとまぶしいものとしてあるのではないか。よみがえるのではない、いまもあって、その人が語るたびに、現像されるものをおもう。

菊芋堀り雑感

雪の下から芋を掘る。
一般的には遅いのだろう。サツマイモはもちろん里芋だってもとは南国の芋なのだから、零下の気温ではたちまちにだめになる。が、しかし、だ。菊芋は雪の下のをとってくるものだと不確かながら聞いたことがある。そういう芋なのだと。
ならば、まさにいまが旬。
ここ数日、雪も溶けてきた山の畑でためしに掘り上げてきた。
感触はかなりいい。食べての報告はまた。

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昭和26年12月25日、木次のクリスマス

木次に引越してきて何回目かの年越しと、クリスマスがやってくる。今年も持越しの宿題を棚にあげつつ、手がかりくらいはつかんでおきたいと思う。つかみたいのは、かれこれ75年前のこと、昭和26年の木次のクリスマス、そして年取りとカブについてである。
昭和26年、1951年の12月の歴史的事件。クリスマスを前に、フランスの地方都市ディジョンで、サンタクロースが火炙りの刑に処せられた。C.レヴィストロースの『サンタクロースの秘密』に詳細がある。問題は同じ日に、日本の木次では市長がサンタクロースの衣装と子どもたちへのプレゼントを用意していたこと。C.レヴィストロースの著書を読めばわかるように、ディジョンと木次は、つながっている。そんなこんなを考えながら、年の瀬をなんとか乗り切りたい。

*写真は昭和27年2月刊?の広報きすき(だったかな)。つながり?と首をかしげる方へ。その深淵の入口は、なぜ、ディジョンでも木次でも市長(町長)のサンタなのか、というところでどうでしょう。あるいはマーシャルプラン、サンフランシスコ講和条約。ディジョンの事件では、市長が”復活”したサンタクロースとなってプレゼントを配るのだという新聞記事で論争が終焉したかのようだ。サンフランシスコ講話条約は昭和26年9月8日に締結。もはや知らない人も多いのではないか。が、小さな町でもこの年の話題はこれが筆頭であったのだ。縮刷ではなく、できれば当時の紙で、それを味わってみたいと思うがどこかにあるのだろうか。
占領統治すなわち戦争状態が終わり、日本は主権を回復した。その年の年越しはいかなものであったのだろう。と同時に、市長サンタの政治と子どもたちの夢とみなそれぞれの不安と希望と、なんともいえない渦を感じないだろうか、みなさん。

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蔦のからまる森で

 人間が放置した土地。いま、そこやあそこ、かしこで、当然という顔をして普通にみられる大地の断片。小さな裂目のような場所から自然による「奪還」がはじまる。
はじまりの場所は「荒廃地」と呼ばれ、人をますます寄せ付けず、荒廃の勢いはます。 さて、そうした場所でこそ、人間が「切札」(なんの?)になるのだと言っていた庭師の言葉を思い出しながら、蔓のからまった小さな雑木山に入る。下層は背丈以上もある笹におおわれ、これまた放置された杉の植林地がわずかに笹の侵入をとめているほかは、荒れた森である。
秋から少しずつ伐開をはじめた。その日は、笹のヤブをこいで(迷いながら)森を寸断する塗装の道にでた。
頭上で巨大な蔦のからまった樹林は、見た目にも実際(落下、倒木)にも恐ろしい。が、こんな太い蔦が豊富にとれる時代は数百年ぶりではないのだろうかと思いいたった。 この蔦、なにかに使えないのだろうか。直径10センチをこえるような大物も見たことがある。キヅタ。春にかけて荒れた雑木山からそれなりにとっていくのだが、燃やしてしまうのは惜しい、気がして、まずは小さなものを座右に。

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令和2年のタカキビ

5月17日の妻のつぶやきからひろう。

ダムの見える牧場の山の畑を耕しに。
たかきびを撒く。
牛は今日はのんびり。

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そう。5月17日に蒔いたのだった。孟宗竹の地下茎が残っていて、再生竹を毎年ほそぼそと出していたところである。根は分解過程にあり、土はところどころふかふかなれど、茎はがっしりと張っているので、掘り起こすのには難儀した。

写真右手の切れ目から2mくらい先に昨年は同じくタカキビを植えている。土も日当たりも良好でよく育ったので、今年は同じようにここでということ。昨年もそうだったのが、竹の根が分解過程にあり、土がしまっていないので、タカキビはすぐに傾く。そしてもうひとつ、草のほうが強く、負けてしまうので、除草必須だろうということ。

まして、昨年より20日ばかり早く蒔いているので、草が先行して丈をのばし、それにうもれるようにしてタカキビがあった。草を抜くときにいっしょにぬけてしまったりで、いろいろ試行錯誤しながら、ようやくにして8月2日の姿がこんな具合。

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夏本番にどこまで成長できるか。見守っていくのであるが、どこかで土寄せしないと後半の雨風で倒れる。いま生えている草はおそらくいっしょに。

そして8月16日。出穂。

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8月23日になり、ほっと一息。

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9月12日。そろそろ収穫をはじめようと思っていた。

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そして、9月16日を迎える。

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ほかにも、いろいろ。